作品タイトル不明
第14話 気象ステーション、最低出力で起動
観測塔の中は、外より暗かった。
扉は完全には閉まっていない。隙間から赤い砂が入り、床の継ぎ目に細く溜まっている。外では砂嵐が塔を叩いていた。低い風圧が壁の内側まで響き、そのたびに古い配管が振動した。
レンは壁に片手をつき、呼吸を整えた。
ヘルメットの内側が汗で湿っている。膝の関節部には砂が入り、指先はまだ痺れていた。ガタは外壁に固定してある。無事かどうかは分からない。見に戻る余裕もない。
「ノア、内部の空気は」
『酸素濃度、低。粉塵濃度、高。ヘルメットの解除は非推奨』
「脱ぐ気はない」
『合理的です』
「たまに普通のことを褒めるな」
レンは内部端末の前に立った。
画面は死んでいる。だが端の橙色のランプだけが点いていた。完全停止ではない。休眠。そういう設備を、もういくつも見てきた。
端末下部のカバーを外す。
古い接続ポートと手動スイッチが並んでいた。表記は擦れていて半分読めない。砂が入り、スイッチの溝を埋めている。
レンはケーブルを差し込んだ。
端末が低く振動した。
[WEATHER STATION-02]
――――――――――
内部電源:停止
観測核:休眠
外部センサー:砂塵閉塞
冷却系:停止
周辺制御塔リンク:休眠
起動許可:限定
――――――――――
「起動許可はある」
『限定許可です。観測核のみ、最低出力での起動が可能です』
「最低出力以外は」
『非推奨』
「理由」
『周辺砂嵐制御塔への連鎖起動が発生する可能性があります』
「制御塔って、悪いものなのか」
『本来は砂嵐を抑制する設備です』
「なら起こした方がいいんじゃないか」
『現在は風向と砂量の基準データが失われています。誤作動時、局所的な砂壁を形成する可能性があります』
「砂壁」
『高密度の砂塵流です』
「分かった。起こさない」
言葉だけで十分に嫌だった。
レンは起動系統を表示した。観測核、冷却系、外部センサー、内部電源、周辺制御塔リンク。全部が細い線でつながっている。
問題は、観測核だけを起こすにも、冷却系を最低限通す必要があることだった。
[STARTUP ROUTE]
――――――――――
必要処理:補助電源仮接続
必要処理:冷却系手動循環
必要処理:観測核最低出力起動
禁止処理:周辺制御塔リンク自動復帰
――――――――――
「禁止処理が一番怖い」
『正しい認識です』
「ありがとう。嬉しくない」
レンは塔の奥を見た。
非常灯は消えている。ヘルメットのライトをつけると、丸い光の中に制御盤と冷却配管が浮かび上がった。配管は壁に沿って縦に伸び、途中で何本も分岐している。床には砂。天井からは細いケーブルが垂れていた。
塔全体が、また揺れた。
外の風圧が上がっている。
『構造振動を検出』
「倒れる?」
『現時点では倒壊可能性低。ただし、外部風圧が上昇しています』
「低、ただし、上昇。嫌な三点セットだな」
レンは冷却系の手動弁へ向かった。
足元の砂が滑る。床の金属板はところどころ浮いていて、踏むたびにわずかに沈んだ。右膝が痛む。ローバーを押した時にひねったのだろう。
「膝、あとで見る」
『今確認しますか』
「あとで見ると言った」
『了解。後で確認します』
「覚えるな」
『記録済みです』
冷却弁は壁の中段にあった。
丸いハンドル。錆。砂。予想どおり、まともではなかった。
レンは両手でつかみ、回そうとした。
動かない。
「まあ、そうだよな」
工具バッグから細いバーを出し、ハンドルの隙間に差し込む。ゆっくり力をかける。金属が軋んだ。
少し動く。
次に止まる。
『冷却配管内圧、未確認』
「先に言え」
『ハンドル動作を検出したため通知しました』
「遅い」
レンは端末を見た。
内圧は低い。だがゼロではない。詰まりも複数ある。強く回せば、どこかで破裂する可能性がある。
「少しずつだな」
『はい』
レンはハンドルを少し戻し、また押した。
金属が鳴る。
止める。
少し戻す。
もう一度押す。
配管の奥で、残留液が短く脈打った。
「今の」
『残留冷却液の移動を確認』
「生きてるな」
『流体が残存しています』
「そういう意味じゃない」
レンはハンドルをさらに回した。
突然、塔が大きく揺れた。
外から砂嵐がぶつかった。壁面が低く震え、天井のケーブルが揺れる。レンはハンドルをつかんだまま体勢を崩した。
「っ」
足元の砂で滑る。
肩が壁に当たる。
『姿勢不安定』
「実況するな」
レンはハンドルに体重を預けるようにして踏ん張った。右膝に痛みが走る。声は出さなかった。出すと負けた気がした。
揺れが収まる。
冷却配管の奥で、細い振動が始まった。
[COOLANT LINE]
――――――――――
手動循環:開始
流量:低
詰まり:複数
冷却能力:最低限
警告:長時間運用不可
――――――――――
「最低限、好きだな」
『現状で使用できる最高評価です』
「最高が最低限か」
レンは端末へ戻った。
次は補助電源だ。
観測塔内部の主電源は死んでいる。ローバー用に持ってきた予備電源を使うしかない。ただし容量は少ない。観測核は、起動時だけ電力を食う。そこで落ちれば、半端な状態で固まる。
「予備電源、いくつ使う」
『二つ』
「一つ残したい」
『残した場合、起動成功率が二十八パーセント低下します』
「二つ使うと帰りが不安」
『はい』
「はいじゃない」
レンは予備電源を二つ並べた。
片方は古い。もう片方は、ローバー修理で一度使いかけたものだ。新品はない。安定もない。選択肢は、少ないか、ないか。
「一つ半でいけないか」
『一つ半という規格は存在しません』
「言い方だ」
『並列接続し、片側を制限出力にすることは可能です』
「それ」
『ただし、制御が不安定になります』
「全部不安定だな」
レンはケーブルを組み直した。
予備電源一つを主系統に、もう一つを起動時だけ補助に回す。端子をつなぎ、絶縁材を巻く。床が揺れるたび、指先がずれる。舌打ちしたら、ヘルメットの内側でやけに大きく響いた。
『舌打ちを検出』
「記録するな」
『しません』
「する時としない時の基準は」
『有用性です』
「今のは有用じゃないのか」
『はい』
「少し傷つくな」
接続が終わった。
端末の表示が変わる。
[AUX POWER]
――――――――――
補助電源A:接続
補助電源B:制限接続
起動時供給:不足ぎりぎり
安定運用:不可
推奨:観測核のみ短時間起動
――――――――――
「不足ぎりぎり」
『表現を調整しました』
「合わせなくていいって言っただろ」
『理解しています』
「してない」
レンは観測核の起動画面を開いた。
中央に、丸い図が出る。塔の上部。外部センサー群。砂塵で閉塞している部分が赤い。内部観測核は灰色。冷却線が薄い青でつながっている。
その横に、別の線があった。
周辺制御塔リンク。
灰色だが、完全に切れてはいない。
「ノア。これ勝手に起きるか」
『起動時の電流波形が大きい場合、自動復帰する可能性があります』
「切れる?」
『物理遮断が必要です』
「場所」
『上部配線盤。現在位置から、梯子で六メートル上です』
レンは上を見た。
暗い。
ライトを向けると、壁に細い梯子がついていた。半分錆びている。上には小さな作業足場と、配線盤らしい箱。
「登るのか」
『はい』
「膝、あとで見るやつなんだけどな」
『今見ますか』
「見ない」
レンは梯子へ向かった。
手をかける。
冷たい。
足を乗せる。
金属が軋む。
「折れないよな」
『腐食あり。荷重に注意』
「不安だけくれるな」
レンは一段ずつ登った。
塔が揺れるたびに、体が梯子から引きはがされそうになる。下を見ると、端末の橙色のランプが小さく見えた。見なければよかった。
四メートル。
五メートル。
六メートル。
作業足場にたどり着き、レンは配線盤に肩を預けた。
息が荒い。
外の砂嵐の音が、上ではさらに大きい。壁のすぐ向こうを、高密度の砂が流れている。
「どの線」
『黄色と黒の縞が入った束です』
「全部汚れて同じ色だ」
『右から二番目』
「右って、俺の?」
『あなたから見て右です』
「最初からそう言え」
レンは配線盤を開けた。
中のケーブルは砂でざらついている。手元が暗い。ライトを近づけると、黄色と黒らしい線が見えた。
これを切る。
ただし間違えると、観測核も落ちる。
「確認」
『周辺制御塔リンク補助線です』
「もう一回」
『周辺制御塔リンク補助線です』
「よし」
レンはカッターを入れた。
硬い。
被覆が古く、刃が滑る。手元がずれる。
塔が揺れた。
刃先が隣の線に触れかける。
「っ」
レンは手を止めた。
『隣接線損傷リスク』
「分かってる」
レンはカッターをしまい、細い絶縁クランプに変えた。
「切らない。噛ませて遮断する」
『確実性は低下します』
「隣を切るよりまし」
クランプを線に噛ませる。
一つ目。
二つ目。
三つ目で手が滑った。
クランプが落ちる。
下で、金属音が小さく返った。
「……あとで拾う」
『現在は拾えません』
「分かってる」
四つ目を噛ませた。
端末からノアの声。
『周辺制御塔リンク、物理遮断相当』
「相当って何だ」
『完全ではありません』
「今日はそればっかりだな」
レンは梯子を降りた。
膝が少し笑っている。足場を踏むたび、体が重い。下まで降りた時、思わず壁に背をつけた。
外では砂嵐。
中では眠った観測核。
残り時間は削れている。
『軌道リング断片、落下予測まで六時間二十六分』
「間に合うか」
『観測核が起動すれば、予測可能です』
「起こすぞ」
レンは端末の前に戻った。
起動ボタンは、画面の右下に出ている。
その横に、警告。
[MINIMUM STARTUP]
――――――――――
対象:観測核
出力:最低
外部センサー:閉塞状態
周辺制御塔リンク:遮断相当
冷却:低流量
起動リスク:中
――――――――――
「中」
『許容範囲です』
「お前が言うと怖い」
『事実です』
レンは指を置いた。
すぐには押さなかった。
頭の奥に、別のログが残っている。
観測語:MIO。
青い空。白い輪。透明な板。
レンは目を閉じた。
一秒だけ。
開ける。
「今は、こっちだ」
起動を押した。
塔の奥で、機械が回り始めた。
低い駆動音。
次に、細い振動。
床がわずかに震える。
端末の画面に、白い線が一本入った。
[WEATHER CORE STARTUP]
――――――――――
補助電源:供給中
冷却:低流量
観測核:起動中
外部センサー:応答待機
――――――――――
駆動音が大きくなる。
天井のケーブルが揺れる。
レンは端末に手をついた。
「冷却は」
『上昇中。まだ許容範囲』
「外部リンク」
『遮断相当を維持』
「相当やめろ」
突然、画面が赤くなった。
[LINK SURGE]
――――――――――
周辺制御塔リンク:微弱反応
原因:起動電流漏れ
推奨:即時出力低下
――――――――――
「漏れた」
『遮断が完全ではありません』
「知ってる!」
レンは出力を下げようとした。
だが、下げすぎると起動が落ちる。
観測核が半起動で固まれば、もう一度起こせる保証はない。
「どこまで下げる」
『七パーセント低下』
「それで保つか」
『確率六十二パーセント』
「半端だな」
レンは出力を七パーセント下げた。
駆動音がわずかに沈む。
赤い表示が黄色へ変わる。
[LINK SURGE]
――――――――――
周辺制御塔リンク:沈静化
観測核起動:継続
冷却:限界接近
――――――――――
「今度は冷却か」
冷却弁の方で、異音がした。
配管の一本が不規則に震えている。詰まりが動いたのかもしれない。悪い方へ。
『冷却流量低下』
「手動弁、戻る」
レンは端末から離れ、冷却弁へ向かった。
走ったつもりだったが、膝が重くて早歩きにしかならない。
配管が振動している。
弁のハンドルも震えている。
レンは両手でつかんだ。
熱い。
「熱っ」
『冷却不良により配管温度上昇』
「早く言え」
グローブ越しでも熱い。握り続けるのがきつい。
レンは腕でハンドルを押さえ、少しだけ開く方向へ回した。
動かない。
詰まりが噛んでいる。
塔がまた揺れた。
外から砂嵐の衝撃。
レンの足元が滑る。
ハンドルは動かない。
端末から警告音。
[COOLANT ALERT]
――――――――――
観測核温度:上昇
冷却流量:不足
起動中断まで:十秒
――――――――――
『起動中断を推奨』
「まだだ」
レンはハンドルを握り直した。
体重をかける。
熱い。
滑る。
十秒。
いや、もう少し少ない。
レンは奥歯を噛んだ。
配管の奥で何かが詰まっている。
押し流すしかない。
「流れろ」
ハンドルは動かない。
レンは肩を押し当てた。
さらに体重をかける。
「流れろっ!」
がこん。
ハンドルが落ちるように回った。
配管の中で、詰まりが抜けた。
圧が変わる。
冷却液が流れた。
荒い振動が、低い連続振動へ変わっていく。
[COOLANT LINE]
――――――――――
流量:回復
観測核温度:低下
起動中断:回避
――――――――――
レンは壁にもたれた。
息が切れている。
手のひらが熱い。グローブの内側まで熱が残っている。
「……手、あとで見る」
『記録しました』
「もういい」
端末の音が変わった。
低い駆動音の中に、細い電子音が混じる。
観測核が、起きた。
[WEATHER CORE ONLINE]
――――――――――
観測核:最低出力起動
内部処理:安定
外部センサー:一部復帰
周辺制御塔リンク:遮断維持
運用可能時間:短
――――――――――
塔の壁面が、低く振動した。
外部センサーの一部が開いたのだろう。砂をかぶった古い目が、少しだけ外を見た。
端末画面に、周辺地形が浮かび上がった。
風向。
砂塵密度。
温度。
地表の起伏。
そして、空から落ちてくる赤い線。
軌道リング断片。
「見えた」
レンは端末に近づいた。
粗かった落下予測範囲が、少しずつ絞られていく。赤い楕円が縮む。拠点からは外れている。だが、近い。衝撃波範囲が重なっている。
[DEBRIS PREDICTION UPDATE]
――――――――――
軌道リング断片:降下継続
落下予測:拠点北東砂丘帯
衝撃波影響:拠点外気取入口に到達可能
二次砂塵波:高リスク
推奨:落下姿勢の補正
――――――――――
「直撃はしない」
『はい』
「でも、外気取入口はやられる」
『可能性が高いです』
「結局まずい」
端末に、別の項目が出る。
[CONTROL OPTION]
――――――――――
使用可能設備:気象制御レーザー
用途:砂塵粒子観測/微弱加熱
応用:降下物姿勢補正
危険:照準ずれ時、破片分裂
――――――――――
レンは画面を見た。
「レーザー?」
『本来は高密度砂塵の流向観測用です。出力を調整すれば、降下中の断片表面を微弱加熱し、姿勢を変えられる可能性があります』
「撃ち落とすんじゃなくて、向きを変える」
『はい』
「できるのか」
『観測核の最低出力では、照準補正が必要です』
「誰が」
『あなたです』
レンはゆっくり息を吐いた。
塔の中は暗い。
外では砂嵐。
上空では、リングの欠片が落ちてくる。
ようやく見えるようになったと思ったら、次は当てろと言われた。
「ノア」
『はい』
「この惑星、性格悪いな」
『惑星に人格はありません』
「知ってる」
レンは端末の照準項目を開いた。
表示された先に、塔上部の手動補正台があった。
また上だ。
また梯子だ。
レンは膝を見た。
見ただけで痛い。
『膝の確認を』
「あとで見る」
『三回目です』
「なら、三回あとで見る」
観測塔の壁が、砂嵐でまた鳴った。
だが今は、外の風が見えている。
落ちてくるものも、見えている。
見えないまま怯えるよりは、少しだけましだった。
レンは工具バッグを持ち直し、上部補正台へ向かった。