作品タイトル不明
93話 夏への扉
「ヘ? 貴方は、……トーヤマ? トーヤマに似てマスけど、ふ、老けましタデス?」
「………………ごめん、少し外す」
素直なドラゴンの言葉が、遠山の心を傷つけた。成人男性が、幼い見た目の竜の言葉に打ちひしがれる。
「待て待て、何ダメージ受けてんの、成人男性。あらら、こちらは、とーやまとは違ってまだ記憶が戻っていないみたいだね」
「……このドラ子は、本物なんだよな」
「うん、NPCではないよ。ただ、あれだね。肉体ごとこの世界に囚われてるとーやまと違って、心だけがこの世界に招ばれてるみたい。記憶が戻らないのはそのせいだろね」
「な、ナンの話デス? そ、そうだ、ユサ、へ、変なんデス、学校が、クラスのみんなが、変で。急に、気づいたらみんないなくってて、おうちも、電話、パパ、ママとも連絡つかなくって、ワタシ……」
キョトンしたあと、オドオドし始める竜の姿に、遠山は目を疑う。
普段は鋭く吊り上がり、自信にあふれて輝く目は今やオドオドしながら不安げになんども瞬きを繰り返している。
「あー、どこから説明したもんだろか。うーん、とーやま、任せていーい?」
カイキがぐりぐりと自分の頭を拳で押さえながら頭を捻る、それから遠山に事態を投げた。
頷いた遠山が、ずいっと、金髪の竜、いや、今はただの少女の前に立って。
「ドラ子」
その名前を呼んだ。遠山だけに許された竜への愛称を。
「へ? ど、ドラコ? わ、ワタシはドラル、デス、ドラコでは……… え? あれ?」
ドラルと名乗る、人間離れしたプロポーションの少女はしかし惑いながらも、その呼び名に反応した。
「いや、お前はドラ子だ。基特高校に来た留学生じゃない。竜大使館のアリス・ドラル・フレアテイル。竜だ」
「と、トオヤマ? え? ナンデ、大人にナッテ、でも、ワタシ、貴方のその姿を知ってーー」
「すげえ、オドオドしてるドラ子なんて普通見れたもんじゃねえな。てか、お前、スタイル良すぎてビビるな」
腕を組みながら遠山が少女を見つめてつぶやく。
「エ、あ、アリガト、トーヤマ」
少女が遠山の言葉にぴくりと身体を跳ねさせる、それからオドオドと視線を踊らして、下を向いてしまった。
冗談みたいに小さな顔に、すらりと長い手足、白い夏服セーラーがどこぞのワンピースのようにも見えてくる。
「……調子狂うな、カイキ、これ、どーしたらいいのよ。ドラ子、完璧に小動物系オモシロ留学生になってんだけど」
「うわ、おっさん臭え。セクハラじゃん。あー、まあ、僕からすれば、それがそのまま、アリー・ドラルっていう女の子なんだけどさー。てか、ドラ子ってなに?」
「ニックネーム。こいつ、俺の友達だから」
カイキの問いに、なんのこともなく遠山が答えて。
「………………へえ」
夏の音が、一斉に止んだ。
「カイキ?」
「おっと、わりーわりー、へへ、友達、そう、友達。……とーやま、友達できたんだ」
だが、それも一瞬。消えていた風の音、蝉の声が自分の役割を思い出したように、また鳴り始める。
「ああ、探索者になってから、だけど」
「そっか。そっか。とーやまに、友達が。へえ、君、そんな顔、へえ……」
「カイキ?」
カイキの様子が、少しおかしい。
足元をふらつかさせ、壁によたりかかった。
「いや、なんでもないよ。……ドラル、お知らせだ。君の夢はどうやら正しかったみたいだよ」
「エ?」
カイキは屋上の出入り口の壁に背中を預けたまま、少女に向けて話しかける。
「ほら、この前、ラブホ女子会をみんなでやった時さ、キミ話してたじゃん。ニホンに来てからずっと、変な夢を見てるって。まあ、これも、造られた思い出なんだけど」
ラブホ女子会……? 遠山の動きが止まった。
「……ア」
カイキの言葉に、少女が小さく声を漏らす。
「なんだったけ? お屋敷の夢、執事とか、メイドとか、他にもたくさんの召使いがいて、君はそこのお姫様。壁に囲まれた街で、たしか…… ああ、とーやまとパン屋をしてるんだっけ? へへ、メルヘン入ってんなー、とおもってたけど、どうやらそれがほんとらしいよ」
「わ、ワタシの夢が……? 竜…… おまつり、執事…… メイド…… ベル、ナル、ファ、ラン?」
カイキの言葉に、少女が言葉を詰まらせる。その澱んだ言葉の中には確実に、聞き慣れた名称が混じっていた。
「お! そう! いい感じだ、ドラ子! 思い出したか?」
遠山は、ラブホ女子会というとてつもなく内容が気になるカイキの言葉をなんとか理性によって追求するのを諦めつつ、少女に声をかけ続ける。
だが、やはり、ラブホ女子会……?
「……う、あ。ヘン、ワタシ、え? なんで、でも、トーヤマ、ああ、でも、でも、トーヤマが…… うう……」
少女が小さく首を横に振る。
いつのまにか、目に湛えていたそれが、こぼれた。
「え」
「あ、泣かした」
ぽろ、ぽろぽろ。
金髪の少女が静かに涙をこぼし始める。照りつける夏の明るすぎる白い日差しが、彼女の涙を輝かせる。
その涙は、液体だった。
「ごめん、ゴメンナサイ、なんで、カ、わかんないデスけど、すごく、すごくカナシクて。トーヤマと、ワタシ、ワタシ、トーヤマに何か…… ワタシ、トーヤマに、トーヤマを…… グスッ」
「とーやま?」
お前、何したの? そんなカイキの言葉が響くような視線。付き合いが長いから分かる、少しカイキがキレていることに。
ーーああ、どこから見ても、何を切り取っても、カイキユサは、海城優紗そのもので。
「……あー、そんな目で見るなよ、カイキ。俺、このためにここまで来たんだから」
自分の中で触れないようにしている郷愁を収めつつ、遠山がカイキの視線に応える。
もうすでに、ここまで来た。
色々な人に助けられ、色々な人の期待を背負った男。
少年時代をたしかに終えた少年は、もう言うべき言葉を知っている。
【スピーチ・チャレンジ発生】
【"スピーチ・チャレンジヒント "冒険都市の記憶"、"遠山鳴人の過去''】
【目標 仲直りしろ】
最初から、その少女が男に望むことなんてほんとに簡単なことだった。
「ドラ子」
遠山が名前を呼ぶ。決して遠山とこの少女は、この世界に生きる存在ではない。
基特高校のよくキレる物騒な奴、遠山鳴人と、愉快な留学生美少女のアリー・ドラルではないのだ。
「エ……」
少女が目を丸くする。
自分の前に片膝をついてこちらを見上げる、少女からすればいつのまにか成長して大人になっていた男を見たから。
その男の鋭く、それでいてチベットスナギツネのような空虚さを湛えた目。
金髪の少女は、何故かその目から視線を晒せない。
とっとっと。少女の心臓が小さく、早く鳴り始めて。
「俺、本当はすげえオタクなんだ。特にファンタジーオタクの限界派で、正直、竜殺しとか呼ばれるの、めちゃくちゃテンションあがってたんだ」
「………エ?」
早口で告げられた男の言葉。少女は固まるしか、なかった。
「ひっひっ。出た」
カイキだけが、壁にもたれかかったまま、少し笑う。
彼女の記憶の中の、よく口が回るその姿。細められた目は、何か遠い場所にあるものを眺めているようなーー
「お前の鎧とかも正直、めちゃくちゃ良いと思う。なんか生物感のあるデザインというか、騎士鎧を竜のセンスで作った感じがとても良い。あと、俺、冒険者とかめちゃくちゃ憧れててよ。正直ギルドに行く時とかも、半分趣味で行ってる感じはある」
「と、トーヤマ?」
「街を歩いてると普通に別の種族がいたりするのもやばい。獣人はあんま良いイメージないけど、ビジュアルが良い。ドワーフはイメージまんまだ。まあ、思ったより金にがめついけどな。探索者端末取り返す時は苦労した。あとホビット。アイツらカード強すぎだろ。エルフはまだ1人しか会ったことないけど、顔が強すぎるよな」
「他にも工房とか市場とか、あんなんもう俺からしたらテーマパークだろ。錬金術とか薬草学とかもあんのか? あるんなら勉強してみてえ。スローライフ田舎暮らし無双がしたいんだけど、なんか無理そうだよな、なんでだろ。あ、あと魔術、魔術も習いてえ。人知竜に聞いてみたら教えてくれるかな? あ、でも、お前もその姿を変えるの魔術式とか使ってたよな、教えてくれよ」
「え、エ?」
オタクの早口に少女が何度も目を瞬かせて。
「これが、お前に言ってなかった俺だ。遠山鳴人、お前の友達の遠山鳴人はまず、かなりのファンタジーオタクで、今の生活にかなりワクワクしている。ファンタジー世界で家借りて、パン屋やるとか誰でもやりたいだろ? 俺はやりたい、やった、めちゃくちゃ楽しい、次はサウナだ。もうすげえの作るつもりだからな。THE FANTSY サウナ的な」
全てを一気に話す。今まで話さなかったこと。自分のこと。
「と、トーヤマが、トーヤマが何を言ってるか、わからないデス。わ、ワタシ、だって、昨日まで、夏休みに何するかって、みんなで話して、トーヤマは釣りに連れて行ってくれるって、ア、ち、がう。つりぼり? アレ?」
少女が戸惑う、しかし、確実にその少女は遠山の言葉の意味を理解していた。
きちんと、彼女にも己の世界が、戻るべき場所があるのだから。
「お前はきっと、釣りが俺より上手いよ、ドラ子」
「ドラコ、ドラ……子」
愛称を、少女がつぶやく。
遠山鳴人が決めた愛称、遠山鳴人にのみ許された呼び名。
竜が許したその名前を。
「お前はずっと、俺に色々なことを聞いてくれてた。その度俺は全部誤魔化して、答えなかった。それが、良いことだと思ってたんだ。余計な心配をかけないのが、良いことだって」
自分のことは、自分でケリを着ける。それが絶対の正しさだと遠山は思っていた。
1人で決めて、1人で行く。それこそが尊いことだと信じていた。
「でも、違うよな。友達とか言うんなら、友達が何があったんだ、って聞いてくれたら、普通に答えれば良いだけの話だったよな」
だが、それは遠山の欲望と、たどり着くべき光景とは折り合わない。
ーー湖のほとりに家を建てたかった。
最期の瞬間に想った願いの光景にはたしかに、自分以外の誰かもいたはずだ。
ならば。
「とー、やま、ナル、ヒト?」
「ごめん、ドラ子。俺正直、今かなりやばいかもしれん」
遠山が友達に対してすることは、黙秘や沈黙ではない。
その場所にたどり着くには、その欲望の光景に、たどり着きたい場所に必要なものは遠山鳴人1人ではないのならば。
「助けてくれ、ドラ子。力を借りたい」
友達に、頼ればいい。
ただ、それだけのことだった。
「え?」
「なんか、ノリノリでキリヤイバボコボコ使ってたら、多分だけどこう、乗っ取られかけてる的な? 身体を、こう、作り変えられてる……? 多分?」
「……ナンデ、ナンデ、疑問系ナノ?」
いつのまにか、少女の涙は止まっていて。
それでも泣き笑いのように、顔をくしゃりと歪ませて、遠山に聞く。
「んー、確証がない。ただ、そんな感じだから、すまんドラ子。助けてくれ。パン屋の件も、俺の体のことも。お前に助けてほしい」
「……ワタシ、わからない、トーヤマが何を言ってるか、わからない、ナノニ、なんで…… ワタシ、今……」
再び、少女の瞳から溢れる涙。鼻を何度も啜り、顔を抑えて俯く。
「お、おお? ま、待て待て、ドラ子、泣くなって! か、カイキ、カイキさん! 俺、なんか言い方悪かった?」
急に泣き出した少女に、遠山は普通に慌てる。
なんか良い雰囲気だったのに何が悪かったのかわからない。遠山が焦ってカイキに助けを求めれば。
「しーらね、自分で考えれば?」
「塩すぎだろ」
まさかの塩対応。助けてくれるつもりがないらしい。
「ち、ガウの、トーヤマ、ワタシ、ワタシ、ナンデだろ、今、とても、嬉しくて…… わけ、わかんないネ……」
「あ。セーフ? セーフだったんか?」
「君はデリカシーがないね、とーやま」
すぴーと、カイキがため息をつく。
「……ワタシ、ずっと、知りたかったノ。トーヤマのこと、昔のこと…… ダカラ、仲良くなりたくて、でも、アレ? ワタシ、どうして? トーヤマのこと?」
少女は明らかに何かを思い出そうとしている。
「ドラル」
「ユサ?」
戸惑う少女の名前を、カイキが呼んだ。
この世界にしか居場所のない彼女から
「君が転校して、仲良くなったこの3ヶ月、楽しかったよ。でも、ここは君が生きる場所じゃないみたい。君が生きる場所はきっと、ここより広くて、もっともっと自由な場所みたいだぜ」
「ゆ、ユサ? ユサまで、どうして? ワタシ、迷惑でしたカ……?」
「そんなわけあるかよ。君はいい奴だ、ドラル。たまにナチュラルに上から目線なところはあるけど、それでも君は、誇り高く、善いことを知っている人だよ。好意に値する人間さ。そこの悪人ヅラとは違ってよー」
「どこの悪人ヅラのこと言ってる?」
チラリと流される悪態と笑みに遠山がすらりと言葉を返す。
その反応に満足したようにカイキは小さく喉を鳴らした。
「くく、君以外ここに悪人ヅラはいないだろ? ねえ、ドラル、そこの悪人ヅラはね、どーしようもない奴なんだ」
カイキがゆっくり、少女に歩み寄る。片目を瞑り、視線を右上に。
言葉を紡ぎ始める。
「教科書を隠されただけで、その犯人を授業中に半殺しにしようとするし、痴漢の犯人の指を全部捻り折ろうとするし、ストーカーを見つけたら逆にそのストーカーをストーカーしてノイローゼにさせるし、誘拐犯のバンのタイヤを撒菱でパンクさせるし、トーキョーの女子高の学園祭に侵入しようとするアホたちのお祭り騒ぎに乱入するし、カツアゲ犯の溜まり場を壊滅させてカツアゲ返ししたりするし、ああ、よそ様のお家に、打ち上げ花火を打ち込みながら釘バットかついで人を攫ったこともあったっけ」
カイキの言葉は、まるで歌うようにどこか愉快そうに。
「おい、カイキ。風評被害だ。教科書の件は黒塗りされてたんだぞ。万死に値するだろ。おかげで俺はしばらくこころの続きが読めなかったんだ」
「こころの展開が気になってクラスメイトの鼻を折る高校生は君くらいのものなんだよ」
カイキの語るそれは、遠山鳴人の3年間の足跡。
どこかの誰かの記憶をカイキは語る、決してそれが自分のものではないと知っていても、ああ、その光景は彼女にとって、愉快なものだった。
「……仲がいいのだ、デスね」
じっと、少女が蒼い瞳をカイキへと向ける。人らしさがない、別の生き物のような美しさの眼。
「ふふ、そう見えるかい? でもね、僕はこいつの友達じゃあないんだ。意地でも友達なんかにはなってやるつもりなんてなかった。コイツは、とーやまは、結局、前しか見ていない。自分の中にある、コイツにしかわからない光景を求めて、気付いたらいなくなってるような奴なんだ」
責めるような言葉、ああ、でも、その声色や顔は、愉快で仕方ないとばかりに。
「人の人生に土足で踏み込んで、妙に耳触りの良い言葉でこちらを惑わして、気づいたらコイツのことばかり考えてるようになる。でも、コイツはこっちのことなんか考えちゃいない。自分の先、自分のことしか考えていない勝手な奴でさ」
「……ゆ、サ、違う、デス、トーヤマは、ナル……ヒトは」
少女が、声をあげる。
「ああ、だからびっくりした。コイツが誰かに謝るなんて。誰かのことを考えて、それで」
少女の言葉を引き継ぐように、淀みなくカイキが言葉を紡ぐ。
「とーやまが、誰かに頼ることが出来るようになるなんて思いもしなかった」
その目は、優しい。
その声はかぼそく。
「ユサ?」
「君は、とーやまの友達なんだね」
カイキが、ただ少女を見つめる。
「ワタシ…… トーヤマの? あれ、どうして、……そうだ、ワタシは、ーーナルヒトの」
カイキの言葉を受けて少女が何かを、今は思い出せない何かを言葉に。
「ああ、ドラ子は俺の友達だ。お前に会いに来た。ドラ子、帰ろうぜ」
「ーーでも、違う、ワタシ、ヒトじゃないヨ。ナルヒトはヒトだけど、ワタシは、……オレはーー 違うから、だから、すれ違って、理解出来なくてーー あれ、ワタシ、オレ…… どっち?」
遠山の言葉に、少女が一歩後ずさる。
涙はやはり、止まらない。腰まであるストレートの金の髪、それをくしゃりと抑えて惑う。
「ワタシ、ヒトの方が、いいよネ…… ナルヒトも、ヒトだから、ワタシは、ワタシはあなたの友達として、でも、ワタシはーーだから、あなたがわからなくて、遠くて……」
縋るように、少女が顔を歪ませる。己のどうしようもない宿痾を嘆くように。
顔を抑えて、俯き。声が漏れた。
それはきっと少女をずっと苦しめていた差異。
遠山鳴人を理解しようとすればするほど、己とヒトの違いを理解してしまう。
ヒトに近づけば、近づくほどに自分が異質で、孤独なモノだと言うことを理解してしまって。
「いや、この男は人同士でも度し難い奴だよ。宇宙人と意思疎通する方が簡単なくらいじゃね?」
呑気な声が、跳ねるように。
カイキには、少女の言葉の意味は理解出来なかったが、その苦しみはなんとなくわかった。
どれだけ恵まれた環境、どれだけ優れた能力、容姿。他者が羨む全てを持っていても。
世界で自分は独りきり。孤独と孤高の苦しみをーー
「へいへいへい、ドラルがどーしたらいいかわかんないってさ」
だが、カイキは知っている。その孤独を冒す存在を。
自分勝手に、自分のルールだけを横暴に振る舞って、そんな苦しみをめちゃくちゃにする男のことを。
ああ。例えカイキの記憶が全て作り物のコピーだとしても、その孤独を踏み躙る、乗り越えてくれるその姿は、
「どーすんの? とーやまなるひと」
夏の暑さと同じく、決して忘れらないものだった。
「キリヤイバ」
欲望のままに。男が、その孤独を踏み躙る。
遠山鳴人の首元から、欠けた剣が現れて。
「エ」
「わお、マジかよ」
屋上の真上、夏の日差しの絵の中に白い霧が揺蕩う。
「お前が決めろ。ドラ子。どっちがいいかなんて、自分がどちら側なんてもん他人に絶対委ねるもんじゃない」
「トーヤマ、コレ……な、ニ?」
キリの中、屋上を囲うキリはまるで雲海をそのまま持ってきたような光景を作り出す。
雲に混じるのは金色の焔の煌めき。
あの世界において、大いなる力と役割を持って生まれた金色の存在の力の片鱗が、キリに混ざる。
「俺が殺した竜の魂、その一つ。ああ、竜は命が7つあるんだろ? 今の俺にはこんなことさえ出来る。血もなんか白いし、夢には変なのばっかり住んでるし、正直俺も真っ当な人間かと聞かれたら微妙かもしれない、だが、それでも」
遠山はそれだけには確信があった。
例えこれからも惑うことはあれど、今胸の中にあるこの確信だけはーー
【技能発動 "拡大する自我"】
「俺は遠山鳴人だ」
拡がり、変わり、捻れて、歪む。
その変容こそが、己なのだというこの確信だけは見失うことはない。
「霧の化け物でも、人間でも、なんだろうと、どうなろうとも、俺が遠山鳴人だ。俺は必ずたどり着く、欲望のままに望む場所へ、それだけは決まっている」
欲望のままに。シンプルなルールと、己のたどり着く光景。それだけあれば、遠山は揺らがない。
「お前はどうだ、ドラ子」
「わ、タシ?」
「お前がヒトだったら、お前が竜だったら、お前はお前じゃなくなるのか? お前が決めろ、ヒトか、竜か。なりたい方を選べばいい」
「竜……? ワタシ、竜……?」
「狭霧山野絵巻物語"アリス・ドラル・フレアテイル"」
少女の呟きに応えるように、遠山が己の新たな力を発現させる。
「ア、ア……それ……」
「多分、お前の尻尾。あん時ぶっ殺した命がキリヤイバで保存されてこの形になったらしい。すごいぞ、これ、尻尾の先から焔出るし」
「尻尾の先? ほのお……」
「ああ。このフォルム、この鱗、キリで再現してるレベルでもこの美しさ、いい。ああ、そうだ、ドラ子」
「……っ」
「お前の竜はかっこよかった」
気付けば漏れていた言葉。
傲岸不遜、傍若無人、唯我独尊。
それを許される力、美しさ。
遠山にとって、その姿は、夢想したその存在、竜はやはりかっこよかった。
「グしゅ」
瑞々しい果実が弾けた。そんなふうに少女の顔が歪む。そして、みるみる間に真っ赤に染まって。
「ん?」
遠山が首を傾げ
「あ」
カイキが、何かに気づいたように。
「グス、う、うう、ウワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア! トーヤマが、イジワルするウウウウウ!! ナルヒトが、ワタシのし、シッポ、エッチイイイイイイ!! ヤダァアアアアアア」
耳、頬。
皮膚の薄い部分、少女の白い肌、火がつくように紅潮する。
首をイヤイヤと振りながら、カイキのすがりながら抱きついてわんわん泣き始めた。
「……え、うそ、あり? 今なんかすごい綺麗に話まとまりかけてなかった?」
すごく嫌な汗が、遠山の背中をびしょびしょにしていく。
「……んー、まあ、セクハラだね」
「嘘ぉ?! これ、これ、アウトなんか?! 尻尾、尻尾だぜ!?」
「まあ、お尻に近いものだし、そこから焔出すとか当人の前で言うのは、デリカシー不足じゃん?」
「ユサ、ユサァ、ナルヒトが、ナルヒトが、オレの尻尾を…… あんなに、ヒドイイイイイ」
「おお、ヨシヨシ。あれね、もう死ぬしかないよなー、デリカシーのない男ってほんとさー。女子の尻尾撫で回して、ドヤ顔で焔がどうとかさー」
カイキが涙目のドラ子を抱き締めて頭をヨシヨシと撫でる。
普段のドラ子よりも小さいとは言え、カイキとは身長差があるので、なんか、猫がゴールデンレトリバーをあやしているようにも見えた。
「ま、マジか。俺、セクハラ……」
「はあ、ほんとにまあ、人間臭くなっちゃって。ほら、ドラルも、そんなに泣かないの。男子なんてどれだけ大人になっても根っこは小6のままたんだから。特にとーやまみたいな奴はよー」
「うう、ユサァ……」
「はいはい、ヨシヨシ。……さて、話はどうやらまとまりそうだね」
「え、うそ、どこが?」
カイキの言葉に遠山が目を剥く。何もまとまったような気はしていないのだが……
「ドラル、でも聞いたよね。とーやまは君がどっちでも良いんだってさ」
「え?」
「好きに振る舞っていいんだよ、君はなりたい自分に、あるがままの自分でいいってこと。アイツは、君がヒトだから、とか、竜だからとか、関係ないんだよ」
噛み締めるように、カイキが少女を諭す。
「君が、君だから、とーやまは君を友達に選んだんだ。シンプルな理由だろ?」
その言葉の中にある羨望の色に、誰も気付かない。
「オレ、竜でも、いいの、か?」
「とーやま?」
カイキが、少女の問いに対して答えを求めて。
「ああ、関係ない。前も言ったろ。お前が竜としてとち狂ったらぶちのめしてやるって。お前がヒトとして拗らせたら、またこうして、話にくるよ」
「オレ、ワタシ…… オレは……」
「ドラル、君と過ごした時間は、君にとっては一夜の夢。きっと目を覚ましたあと少ししたら、もう思い出すことができなくなる泡みたいなものさ。でもね、それはゼロになるわけじゃない、なくなるわけじゃないんだ」
「ユサ?」
少女が、首を傾げる。
カイキはそれを見て、少し笑った
「君はいい子だよ、ドラル。この僕が保証する。ああ、君がとーやまの……なら、悪くない」
「カイキ?」
「ほら、ドラル。とーやまは、君に謝った。君はどうかな? セクハラもするし、デリカシーがない奴だけど、それでもこうして君に会いに来た。君はどうする?」
「……まだ、わからなイ、ケド、すれ違ったまま、はイヤだ」
あやすようなカイキの言葉に、少女はえづきながらもしっかりと答えて。
「なら、それが答えだ。うん、この続きは、夢じゃなくて、君たちが生きる世界でやるべきだ。……そろそろ時間だ。本当に急がないと、 彼(・) 女(・) に(・) 気(・) 付(・) か(・) れ(・) る(・)
からね」
「ユサ?」
「とーやま。君は、目標を達成した。ドラルに、可愛い竜の子にきちんと謝れた、きちんと頼れた、きちんと話せた。この子も目が覚めればきっと、そのことを覚えているはずさ」
少女の言葉に微笑みを返すだけ。返事はなかった。
「………おい、カイキ」
嫌な予感がした。
それは、この女と海城 優紗と3年間を過ごした遠山だからこそ気付いた感覚。
「はは、なんだよ。そんな顔して。さあ、そろそろ夢の終わりだ。君たちは君たちの世界を進めるといいさ。この初めから終わってる世界はきちんとその役割を終えた」
ゆっくりと、カイキが少女を抱きしめていた腕を解く。
「ドラルの願い、遠山鳴人を知りたい、遠山鳴人の故郷を知りたい。その願いによりこの世界は、とーやまの記憶を元に、君の故郷を象り造られた。ドラルはそこで、遠山鳴人の青春の時間を知った」
「え? 俺の青春?」
「ああ、そうさ。とーやま、この世界はね、とてもシンプルなものなんだ。ドラルの、君を知りたいという願いをもとに、造られた世界。でも、もう今はその必要はない。ドラルは知ったからね、君がきちんと話をしてくれるってことをさ」
「ゆ、サ? どうしたノ……だ?」
少女は気付かない。その言葉遣いが少しづつ、少しづつ、彼女本来のものに戻りつつあることに。
それはつまり、この世界が役割を終えかけているということに。
「ドラル、君の願いは叶った。一夜の夢はきちんと君の為に咲いたわけ。おめでとう、ハッピーエンドだ」
ふにゃりと笑うカイキの顔。
穏やかなのに、その言葉はどこか投げやりで。
「カイキ、やめろ、お前のその顔。良くない顔だ」
「ひっひっひ。なんでそう思うんだよ、とーやま。さあ、君たちはここから早く出た方がいい。みんながみんな、僕みたいに聞き分けがいい奴ばかりでもないだろ? 自分たちの世界が偽物で、自分自身も誰かの偽物に過ぎない。想いも記憶も未来も初めからなかったものだった、なんてそんな残酷な真実をさ」
「これから、お前はどうなる……?」
「わかってるくせに」
遠山の言葉、カイキはため息を返すだけ。
「ユサ?」
少女がカイキの名前を呼ぶ。
もう彼女はそれには答えない。
一歩、一歩、カイキがあとずさりしながら、屋上の端へと移動していく。
そして、あとずさりしながら、ゆっくりまず遠山を指さした。
「とーやま、僕の賭けの相手、僕の人生をめちゃくちゃにした男。君はここから出ていかなくてはいけない」
そして、その次は少女にその白い指先を向けて。
「ドラル。僕の友達、この過ぎゆく夢の中で過ごした可愛い子。君はここから出ていかなくてはいけない」
「……カイキ、ここから出る方法を知ってるんだよな、教えてくれ」
遠山は問いかける。でも、聞きながらもうなんとなく予想はついていた。
【技能発動 "オタク"】
仮初の世界、仮初の人格。物語に出てくる偽りの存在の結末なんかだいたいお約束は決まっている。
「とーやま、その顔、あらかた予想はついてるってか? いいねえ、奇しくも、この世界を作った奴はとことん君を試したかったらしい。悪趣味なものだぜ、全く。……いや、それ以上に、ドラルが大切なんだな」
「カイキ」
静かに、彼女の名前を呼ぶ遠山。しかし、彼女は薄く笑い続けるだけ。
「覚えてるだろ? とーやま。プールでの会話の続きさ。君は殺せる側の人間だ。殺さなければ殺されるという状況で、君は他者を傷付けることが出来る人間だ」
「カイキ」
聞きたくない、それ以上喋るな。
遠山はそいつの名前を呼ぶことしか出来なくて。
「わかるだろ? この世界はシンプルだ。ドラルの願い、遠山鳴人を知りたいという願いを叶えるための世界、そして、遠山鳴人を試すための世界ーー 遠山鳴人がきちんと選んで、きちんと捨てることが出来るかどうかを試すための世界」
「とーやま、わかるだろ? 君は選ばなくてはならないわけ」
「っ、カイキ!!」
「シンプルさ、この世界から出るのなら、とーやま。この世界を終わらせる必要がある。この世界、最期の生き残り、ただそれだけの為に生まれて、ただ、それだけの為に終わる夢の世界、それの最期の住人の死を以ってこの世界は終わる」
カイキの背後には、夏の空。
フェンスの向こう側、高く高く白い入道雲が濃い青の中に。
夏への扉。
それを背景に、夏を従えて彼女は微笑った。
少しだけ乾いて、湿った声で。
「だってこの世界は初めから、君たちだけの為に作られたモノなんだぜ」
【眷属クエストの目標が更新されました】
「そう、全てはシンプルなんだよ。僕達の役割はとっくに終わったんだ」
【注意 非常に重要なクエストです】
「君は大人になったよな。なら、出来るはずだ」
【クエスト名"THE Door into Summer】
「証明する時間だ。君が選べる奴だってことをさ」
【クエスト目標ーーーーーのーー】
「さあ、延長戦だぜ、この僕の壮大な自殺計画、エクストラステージってかー?」
【クエスト目標■■キ ◆◆のーガイ】
「ばしっと、決めてくれよ? とーやまなるひと」
【クエスト目標 ーー"カイキ ユサの殺害"
オプション目標 不明ーー】