作品タイトル不明
53話 パン屋への試練
「おお! 友よ、契約の眷属、コトシロにかけて! 今日もまた太陽が西から東へ進むように我が商会に素晴らしい品をおろしてくれたな!」
「よう、オッサン。景気はどうよ」
活気あふれる冒険都市、門を抜け街中を貫き、今日も今日とて数多の出店がひしめく青空市場に遠山鳴人は帰ってきた。
「ああ、上々だとも。おかげさまでな。ティタノスメヤという需要の割には供給が異様に少なかった商品の登場に、貴族を中心とした上流階級層の市場は沸きはじめているところだ」
「そりゃ何より。んで、これが今日の分だ。査定宜しく」
出店の前に置かれた大きな荷車、遠山とラザールとストル、3人がかりで仲良く引いてきたそれには合計3頭の大蛇、2級モンスター、ティタノスメヤの亡骸が積まれている。
「おい、見ろよ、またアイツらだ。4級の冒険者のくせにあの大蛇を狩りまくっている連中の……」
「この前、ギルドの奴に聞いたんだけど、なんでもあの竜殺しの奴隷なんじゃないかって噂だぜ」
「ケッ、まぐれだろ、まぐれ。そのうち見なくなるさ」
「バカ、まぐれで1週間も続けて大蛇を狩れるかよ。この前も別の3級の冒険者パーティーが同じことしようとして、森林に入って2度と帰ってこなかったろ?」
「噂じゃ、教会騎士を脅して小間使いにしてるとか……」
「竜のコネがあるらしいぞ。竜大使館の馬車がアイツらの住んでる宿屋に駐まってたことがあるって」
異質な光景。遠巻きに眺める人間たちが口々に冒険都市の間を駆け巡る噂話を口にする。
同業者である冒険者たちの驚嘆と、嫉妬が入り混じった言葉やざわめきを聞き流しつつ、遠山は店先のカウンターに陣取る。
「おお! いつもながら素晴らしい仕事だな。こうして見ただけでも外傷が少なく、素材の状態として文句はない。ビスエ! お得意様のご来店だ、素材の査定を始めろ」
それを快く受け入れる髭の壮年男性、ドロモラ商会店長、ドロモラは遠山たちの持ち込んだ商品に目を光らせながら露店の奥へ声をかけた。
「ういーす、あ、トオヤマさんに、ラザールさんおつかれーっす。あ、ストルちゃんもこんにちは」
軽薄そうな青年、天然のパーマがかかった優男がヘラヘラしながら現れる。
「ああ、ビスエ。元気そうで何より。なるべく高音をつけてくれるとありがたいのだが」
「こんにちはディス、ビスエ。私、1匹頭を強く傷つけてしまったのディスが、まずかったディスか?」
ラザールやストルともすっかり打ち解けた様子で青年が荷車の状態を確認し始める。
査定の立ち合いをラザールとストルに任せていた遠山はカウンターに陣取り、店の奥を見つめた。
「……まあ、なんだ。友よ。君には色々驚かされてばかりだな、まさかあの場面から生き残るどころか天使教会をやり込めてくるとはな」
カウンターを挟んでドロモラが膝をつきながら体を傾けた。低い声、呆れたような、しかしどこか愉快そうな声だった。
「全部ギリギリの綱渡りだよ。ストルにゃ殺されかけてるしな。あ、ドロモラのおっさん、ハチミツ水、3本貰っていいか? 査定金額から料金抜いといてくれよ」
遠山はカウンターの側に置いてある水桶を指さす。透明な瓶の中にハチミツを溶かして冷やした飲料が備わる。
帝国でもポピュラーな商品だ。もちろん養蜂にも教会が絡んでいるのだが。
「ああ、わかった。ほら。残念だが最近氷が値上がりしていてね。あまり冷えていないが」
「問題ねえよ。ラザール、ストル! ほらよっ!」
水滴のしたたる瓶、山羊の皮を蓋にしたどこか牛乳瓶にも似たそれを遠山は受け取り、背後で荷車の査定に立ち合っている2人に放り投げた。
「む、いただこう」
「ディス!」
ぱし、ぱし。それぞれ瓶を小気味良くキャッチした2人は瓶の蓋を外し、腰に手を当ててぐいっと飲み干した。
「ビスエの査定をちゃーんとチェックしといてくれよ。ちょろまかされないようになー」
「ああ、了解した」
「はーいディス」
「げー、感じワリー。まあ、せいぜいこわーいリザドニアンと教会騎士にとっちめられないようにしますよー」
呑気なやりとり、1週間そこらの関係だが遠山の冒険者業においてドロモラ商会との関係性は悪くなかった。
「おっと、悪い。話の腰折ったな。で、なんだっけ」
遠山が再び、ドロモラの方へ向き直り会話を再開させる。こじんまりしている店内はきちんと整理されており、一度半壊しかけた店とは思えない。
「はあ、これときたものだ。なに、少し感慨深くてね。正直、あの日。もう5日ほど前になるのか? 君とラザール君が初めてうちに大蛇を持ち込んだアレが、君らとの取引の最後になると思っていたものだが…… 人生とは面白いものだな」
呑気な遠山の様子に、ドロモラがため息混じりにぼやいた。
「あー? あー…… もう5日前か。アレだろ、ストルと騎士どもと色々やらかしたあの日か。今更ながらあん時は悪かったな。勝手に店の商品使ったりしてよ」
「なに、気にするな。騎士との戦闘により荒れたこの出店の損害よりも君たちとのティタノスメヤの取引で得た利益の方が遥かに高い、それに商人ギルドの保険制度で店の損害も補填されているしな」
「抜け目ないことで、儲かってるようで何よりだ。なあ、おっさん。俺たちは今んとこ上手くやってる、そうだよな?」
会話の継ぎ目、遠山は少し声を潜めてドロモラを見た。今日の本題。2級モンスター、大蛇、"ティタノスメヤ"を通しての取引でドロモラ商会との関係性がかなり良くなってきた故のタイミング。
「おっと、友よ。悪い顔だ。お前は筋はいいが顔に出やすいのが珠に瑕だな。……当ててやろうか? 何か無茶なことを頼むつもりだな? それも絶妙なラインでの無茶を」
ここからが、今日の本番だ。
遠山は口元を歪める。
「話が早くて助かる。実はな、俺らも1つ商売を始めたいと思ってるんだ」
「ほう?」
ドロモラが身体の向きを遠山へ向ける。
喧騒の中、互いに言葉と会話に長けたもの同士が向かい合う。
「業種はパン屋、店舗は今んとこ新しく借りる予定の家か、アンタみたいにこの市場で屋台形式で考えてる」
今日の本題、いよいよパン屋開業に向けての一歩を進める時が来たのだ。
遠山はこの日のためにドロモラ商会との専属契約を結んでいたと言っても過言ではない。
「パン屋、ねえ。なるほど、なるほど、だがパン屋というんだ。肝心のパン職人はどこにいるんだ?」
「そこに」
遠山は振り向かずに親指だけで後ろを指す。指先の指す先には、ティタノスメヤの取引価格を交渉するラザールの姿があった。
「……コトシロにかけて。その、本気なのか? リザドニアンのパン屋など聞いたことがないが」
ドロモラの顔に嫌悪や、侮蔑はない。あるのはただ、ただ困惑、それに尽きる。
王国においても、帝国においてもリザドニアンという種族へのイメージは大して違うものでもなかった。
「これから嫌でも聞くことになるさ。ドロモラ、あんたに頼みたいのは商売の準備を手伝って欲しいんだ。真っ当な手段で俺たちはパン屋を始めたい。いや、というよりも、だ」
遠山の計画はシンプル。
「ああ、まて、待ってくれ、だいたい予想がつき始めたぞ。お前は次にこういうんだ。我がドロモラ商会にパン屋事業の手伝いをしろ、とな」
「あんたの商会で、っと。話が早くて助かるよ。まあ、そういうことだ」
ドロモラ商会に自分たちのパン屋開業を手伝わせる、言ってしまえばただそれだけのことだ。
「……ふむ。事業提携ということか? その場合は俺も君たちのパン屋に口出しさせてもらうことになるが?」
「ああ、もちろん。商売の形式や利益分配の部分はあんたにも相談する。短い付き合いだがあんたは商売に関しては嘘はつかないことはわかった。俺なりにアンタの腕は見させてもらったつもりだ。その、正直なところ、俺とラザールは経営者向きじゃなくてな」
「なるほど、読めたぞ。面倒な部分をこちらにやらせようとしているな?」
ドロモラがにやりと笑う。思ったよりも反応が悪くない。
遠山も同じく薄い笑みを浮かべたまま、軽く言葉を交える。
「おっと、言い方が悪いな。むしろ美味しい所に噛ませてやろうとしてるんだぜ。俺の見立てではラザールの作るパンは、 確(・) 実(・) に(・) ウ(・) ケ(・) る(・) 。(・) 帝(・) 国(・) の(・) 、(・) い(・) や(・) こ(・) の(・) 世(・) 界(・) の(・) 人(・) 間(・) が(・) 見(・) た(・) こ(・) と(・) な(・) い(・) パ(・) ン(・) だ(・) 。(・) 」
「……嫌な目だな、全く。何一つ信じるに値する情報がないのに、お前の目は何一つ嘘をついていない。ああ、なるほど、これはやられたな。友よ、お前、俺にこの話をするタイミングを狙っていたな?」
やはり悪くない。遠山は自分の見込みが間違えていないことを確信する。
こちらの思惑をドロモラはすでに理解している。ならば話は早い。
「まあ、アンタとの信頼関係ができてないタイミングでこんな話しても、アンタは乗らないだろ? そして俺たちとアンタらの信頼とはつまるところ利益だ。アンタはもう知ってしまった、俺とラザールが利益をもたらすことをな」
人差し指同士を絡ませながら、遠山がじっとドロモラを見る。
仕込みはすでに終わっている。キリヤイバを使う時と同じだ。目標を仕留める時は気付かれず、静かに、そしてすばやく。
遠山鳴人とラザールのもたらす利益はすでに、ドロモラ商会の経営になくてはならないモノとなっているのだ。
「……愚問だろうが聞かせてくれ。俺がもし、ドロモラ商会がそのパン屋事業への協力を断った場合はーー」
「残念だが、今査定してもらっている蛇たちはそのままギルド、もしくは今俺たちを遠巻きに見ている他の商人のとこに持ち込まれる。ついでに言うと明日以降はアンタ以外の商人が貴族へこの蛇どもを卸すことになる」
遠山鳴人の仕込みはこの数日で完了していた。ドロモラという利益に聡い人間をたらし込むために徹底的に彼に利益を与え続けた。
ティタノスメヤという商品の価値を把握するため、他の商人との会話や市場での商品の流れを学習し、ドラ子に頼んで貴族区の上流階級の生態を教えてもらった。
たった4日。
たった4日で、今やドロモラ商会はティタノスメヤの素材を安定して供給できる特異な存在として上流階級市場に認知されていたのだ。
これはもちろんドロモラの商人としての卓越した腕前も大きな要因だろう。しかし、1番の理由はやはり、遠山鳴人とラザール、そして最近はストルの異質な3人による大蛇狩りの存在だ。
ドロモラ商会の発展に、もはや遠山鳴人とラザールはなくてはならない存在となっていた。
「……痛い所をついてくるな。予想していたとは言え恐ろしい言葉だ」
「別の冒険者に頼むんなら頼んでもいいぜ? 採算が取れるかどうかは知らないけどな」
「わかりきった事を言うのはよせ、我が舌の踊る友よ。お前たちと同じ階級でティタノスメヤをこんなに狩れる冒険者などいない。本来、ここまで安定して大蛇を狩れるのは一級冒険者以上の存在だけだ」
ドロモラの言葉に、遠山は笑う。
自分たちに代えがないことも把握済み。
遠山たちに触発されて一発逆転を狙い、格上のモンスターに挑んで全滅する低級の冒険者が増えていることをギルドで確認している。
お陰で遠山たちの低級冒険者からの評判はすこぶる悪い。だが、格下の評価よりも遠山たちは自分たちの利益を優先していた。
「だが、連中はそもそもティタノスメヤに興味を示さない。一級になればギルドからの俸給や、塔とやらで行う狩り、そして貴族からの依頼で金には困らないからな。いちいち見つけにくくて戦いにくい、一級冒険者からすれば美味しくない獲物であるコイツらを狙う理由はないわけだ」
目標を叶える、夢に近づくためにはコツがいる。
まずは認識、世の中は基本的に優しくない。大切なのはそれを正しく理解し、自らの立ち位置をきちんと把握しておくことだ。
その上で考える、手に入れたいもの、犠牲にするものの取捨選択を決断し、行動する。
遠山は、顔も知らない低級冒険者たちよりも自分たち仲間の生活と未来を選択した。自分たちの行動が、他人の安易な死を呼び込むと理解していながらそれを選んでいた。
「その通り、ティタノスメヤはそういう意味で需要と供給の間にいる存在だった。そしてそれをその間を埋めることで私の商会は今やこの短期間で商人ギルドでも一目置かれる存在となりつつあるわけだが……. 」
「理解が早くて助かるよ。さて、ドロモラ商会。答えを聞かせてくれ。これからも俺たちと仲良しこよしでいてくれるのか、どうか」
市場の喧騒が響く。
特にドロモラのまだ小さな出店には見物人が多い。荷車に乗せられた大蛇を物珍しそうに眺める冒険者や、チラチラと盗み見しながら様子を伺う同業者である商人たち。
周りの店も元気の良い呼声や、値引き交渉の掛け声など今日も冒険都市の経済は順調に回っている。
そんな中、しかし、出店のカウンターを隔てて互いに視線を交わす遠山とドロモラ。2人の間だけ真空の如く音は存在していなかった。
遠山とドロモラは口を開かない。互いに口をつぐみ、街の喧騒を浴び続ける。
ともすれば口を開きたくなる辛い沈黙、しかし遠山は知っている、ここが詰め、だ。
先に口を開いた方の負け。そのことをよく理解していた。
「……はあ、負けたよ。お前の申し出を断れる材料がない。詐欺に遭った気分だ」
予定通り、先に折れたのはドロモラだ。
ドロモラという男は遠山たちのもたらす利益の価値を理解出来ないほど愚かではなく、しかしそれを覆して交渉出来るほど異質でもなかった。
「よし! 契約成立! 安心しろよ、おっさん、アンタに損はさせないさ」
「はあ、言っておくが俺はまだラザール君にパン職人としての価値を見出してはいない。俺が買ったのはあくまで君たちの冒険者としての腕だという事を忘れるなよ」
「ああ、大丈夫さ。そう言ってられんのも今のうちだ、数ヶ月しないうちにアンタは多分、ラザールを狩りに出すなって言い始めるに決まってる」
「……その自信がどこから来るのか気になるものだ。
ああ、わかった。君たちと手を組もう。ドロモラ商会はトオヤマナルヒトとラザールのパン屋事業に手を貸すことを誓うさ、眷属の名の下にな」
「……眷属、それ、誰だ」
眷属という言葉に少し寒気を感じる。遠山は夢の中のパン文書館に住み着いた彼女の事を忘れていない。
「決まってる、商売の権化。契約と商売の眷属、コトシロの名前の下にな」
「……OK、俺も、そうだな。恵比寿さんに誓うよ」
ひとまず眷属のことを頭の片隅に押しやり、遠山は自分の知る限りもっとも有名な商売の神様の名前をつぶやいた。
「なんだ、それは? まあいい、だがな、友よ。実を言うとこの街で新たなる商売、特にパン屋を始めるのはなかなかに難しいと言う事を知っているかな?」
「ん? どういう意味だ?」
ドロモラの言葉に遠山は耳を傾ける。
商会への協力取り付けの段取りは組んでいたが、ぶっちゃけそこから先のことはほとんど見切り発車だ。
「商人ギルドだ。ギルドは市場の管理と経済のバランスの調停を謳って冒険都市内で営業出来る店舗を制限しているんだ」
「ふーん。でも、制限っていっても、こんだけこの青空市場には店が出てるけど……」
遠山は市場にひしめく露店の数々を見回す、現代でいうところの大規模都市で行なわれるイベント並みの数と密度だ。
制限されているようには見えない。
「その通り、だがよく見てみろ。たしかに彼らは商人ギルドに所属している商人だ。だがみんな、店を持っているわけではない。あくまで屋台止まりの簡素なものだけだろう?」
「あー…… 店舗ってそういうことか」
ドロモラの言葉に遠山は頷いた。
「そう、商人ギルドはいわゆる住居、箱もの、とでもいうか。店舗を構えての商売に関して強い規制を敷いている。彼らは土地と建物の生み出す利益の価値を知っているわけだ。新参者にパイを簡単に渡してくれるほど優しくないわけだな」
「なるほど。まあ、ネット通販もないんじゃ店を構えるってことの価値も上がるわけか。えー、じゃあどうすんだよ」
「落ち着け、友よ。俺とてやはり一国一城の主人になりたいがために色々手回ししている。この街で貴族向けの市場を重視しているのもそのためだ。要はコネと金で商人ギルドから店舗経営の権利を手に入れればいいだけの話さ」
「それが難しいって話なんだろ?」
「ああ、今のところまだまだ遠いだろうな。パン屋を始めるのにはやはり、専用の設備がいるだろう? 調理場、竈、売り場、薪小屋、およそ飲食にかかわる商売は必然的に店舗経営が必須になるのが課題だな」
「んー、なるほど。ぶっちゃけこれから手に入る家を店にしようかと思ってたが、あんま甘くねーな。箱があっても許可と権利が簡単には手に入らねーわけだ」
利権。
どの世界、どの時代でも利益を求める人間が考えることはあまり変わらないらしい。
ため息つきつつ、その人の変わらない営みに遠山は少し安心した。人はどんな場所、どんな世界においてもも、人なのだ、と。
「くく、結論を急ぐな。友よ、俺は簡単な話ではないと言ったが一言でも無理と言ったか?」
「おっと、もったいぶらないでくれ。あまり気が長い方でもなくてな」
「そう急ぐなよ。トオヤマナルヒト。俺はこの国に友人が少なくてな。それなりに会話の通じる人間との交流に飢えているのさ」
「へーへー、んで、何が言いたいんだ、ドロモラ」
ドロモラの軽口に遠山が短く返す。2人の関係は個人としてもあまり悪いものではなかった。
「もしも、運命というものがあるとするならばお前はそれを自分で切り開いているんだろうな。トオヤマナルヒト、お前を見てるとそう思うよ」
「あ?」
「今、このタイミング、今、この状況でのみ、パン屋を開業するにあたって最短最速のルートを選ぶことが出来ると言ったら、興味はあるか?」
「ないわけないだろ。教えてくれ、モチベーションあるうちに動きたいからな」
「 竜祭(カーニバル) 」
「竜祭?」
「ああ、お前がいなければ、お前が為さなければ本来起きえなかった状況だよ、竜殺し殿」
くっくっく、喉を鳴らしながらドロモラが自分の髭を撫でる。
「10日後に開催予定の竜祭を利用しての陳情権の獲得。それが君たちのパン屋開業にあたっての最速ルートだ」
ドロモラのドヤ顔、これ以上ないドヤ顔だ。
「いや、竜祭ってなんだよ。なんか聞いたことあるような、ないような」
首を傾げる遠山。なんかよくよく考えても見れば今までの会話の中、ちょこちょこ聞いていたような言葉のような。
「おい、まて、まさかお前が知らないなどと…… 言いそうな顔だな、それは」
決め顔を崩し、ドロモラが大きなため息をついた。
「ああ、常識ないんだ。俺」
「真顔で言わないでくれ。お前は当事者なんだぞ。竜殺し。お前が蒐集竜を殺したからこそ、この祭りは開かれるのだからな」
「あー、なるほど。なんか聞き覚えあるな、それ」
「竜祭、または竜祭り。帝国の法で定められた国を挙げての祭り事だ。竜が死に、そして復活するとこれが開かれる。帝国を挙げての催しさ」
「ほんほん」
なるほど読めてきた。ドラ子だ。自分がドラ子をぶちのめして、アイツが当たり前のやうにリスポンした。
それで開かれる祭り。うん、考えれば考えるほど頭が痛くなる。遠山はツッコミ処満載のイベントに対して考える事をやめた。
「先月、蒐集竜の死とその再生により竜祭が催されることが決まってから帝国の経済は加熱し続けている」
「加熱?」
「ああ、加熱、だ。竜祭に伴い、関所の通行税の免除。それにより各地の人流、物流を活発化。その動きは冒険者ギルドへの物流網護衛の依頼増加に繋がり、冒険者の財布が膨らんだ。まあ、当然彼らの財布は緩むだろう。帝国全体に金が廻り続けている状況だ。好景気が好景気を生む、まさに、竜のみわざというやつだな」
帝国の経済、金の周りには冒険者という存在が深く絡んでいる。各地に差はあるものの、帝国領土内には人類を捕食対象とする"モンスター"が存在する。
それへの対抗存在たる冒険者、軍とは違う小回りの効く遊撃手の役割を果たす彼らの存在は国家経営において替えの効かないものだ。
経済が活性化すれば、冒険者の活動も活性化する。そして冒険者の活動が活性化すればさらに帝国の経済は活性化する。
竜祭の開催は、その正の循環を帝国にもたらしていた。
「へえ、で、その竜祭りとパン屋のことどんな関係あるんだよ」
「簡単な話さ、10日後、この街はお祭り騒ぎになる。帝都と並ぶ大都市であり、竜大使館の所在地でもあるここでは様々な催しが開かれる。その催しの一つ、" 自由市(フリー・マーケット) 。これこそ君たちの目標への最短の近道だ」
ドロモラの言葉に遠山は固まった。
「フリマ? 今、フリマって言った?」
えらく聞き覚えのある言葉だ。
「 自由市(フリー・マーケット) だ。フリマではない」
しかし、ドロモラは遠山の言葉を認めない。
「いや、だからフリマじゃん。ああ、悪い、続けてくれ。えっと、そのフリマでーー 自由市で何をどうしたらいい?」
追求を諦めて遠山はその先の答えを求めた。
「1番だ。自由市、つまりどんな業態、何を売ってもいいこの催しで、竜祭の期間中最も素晴らしい店、自由市の中の自由市、その名も、" 最強の市場王(メルーカリー) "に認められた店には冒険都市への陳情権が与えられる」
「メルカーー」
「 最強の市場王(メルーカリー) だ、友よ。それ以上でもそれ以下でもない」
全ての疑問をドロモラは聞いてくれない。そっとしておこう。
「あ、はい…… なるほど、その、まあ、市場王になればパン屋を最速で開けるわけか?」
「その通り、陳情権、つまりは都市へなにかを求める権利と言うがその実、帝国法において犯罪と認められることや、現実的でないもの以外はそのほとんどが受理される。大戦末期の炎竜の死亡、そして復活の際に行われた竜祭における市場王は、爵位を要求しそれが通ったほどだ」
「へえ、貴族にすらなれるほどの強い権利が手に入るわけか。パン屋の開業も……」
「わけはないだろう。商人ギルドと言えども竜祭や冒険都市に逆らえるほどの力も気概もないしな、だがこれは困難な道だ。帝国中から市場王の称号を求めて商売人が集まる、それにもちろん冒険都市の商人ギルドも総力を挙げて市場王を狙ってくるぞ」
「その中で、君たちが市場王を取ることが出来るか否か。ちなみに君たちが自由市に参加するとなると……」
「もちろんパン屋さ。ラザール・ベーカリーのお披露目は竜祭のフリマに決定だな」
ドロモラの問いに、遠山はニヤリと答えた。
「……市場王を取れるほどのパン屋ならば、リザドニアンのパン職人でも通用するのかもな。だが友よ、現実を伝えておく。彼らリザドニアンという種族への差別は根強い。簡単に帝国の民がそれを受け入れるとは思わない方がいい」
ドロモラの声は切実な響きだ。ただ現実を冷たく見つめる商人の声だった。
「ああ、ここ数日でよく分かったよ、だが問題ない。人間ってのは現金なもんだからな。そこら辺は色々考えてるさ」
しかし、現実が厳しく残酷なものだということなどとうの昔に思い知らされている。
遠山鳴人はそれをねじ伏せるためにあらゆる努力を惜しまない。
「……わかった、ならば何も言うまい。ドロモラ商会として出来るだけの手伝いはしよう。お前たちの野望に一枚噛ませてもらうぞ、強欲な友よ」
カウンター越しに差し出された手。遠山はそれを握り返す。ゴツゴツした手だ。苦労している人間は信用出来る、遠山は手に力を込めた。
「ああ、お財布握りしめて楽しみにしてな。おーい! ラザール! こっちゃこい、こっち。パン屋の交渉うまく行ったぞー」
「偉大なる歯にかけて! 本当か、ナルヒト! お前の舌はきっと何かの眷属が呪いでもかけてるんじゃないか、こいつめ!」
「おっと、想像以上にはしゃぎトカゲになってんな」
ぴょんこ、ぴょんこと荷車の上から身軽にラザールが店舗に駆け寄ってくる。
尻尾がピンとたち、縦に裂けた眼を爛々と輝かせたその姿はまさにご陽気マンボだ。
「ドロモラ、感謝する。俺の友と、俺の夢に協力する決断に敬意を」
カウンターに身を乗り出したラザールが、ドロモラに向かって頭を下げた。普段あまり感情を出さない男のその喜びように遠山は少し笑った。
「あー、ラザール君。君の人格にもはや疑いはない。トオヤマナルヒトと比べれば君のその純粋な言葉はなんと心地よいものか」
「ドロモラ、それだと俺の人格になんか問題があるように聞こえるぞ」
遠山は軽口のつもりで軽く返して。
「……………?」
しかし、ドロモラは無言で、真顔で遠山を見つめていた。
「嘘だろ、コイツ、なんて目で見てきやがる……」
「まあ、冗談はさておき、だ。トオヤマ、ラザール君。認識のすり合わせは出来ているかな? 君たちのパン屋開業には自由市での活躍が必要だと」
本当に冗談かどうかわからない態度でドロモラがパン、と手を叩いた。
「ああ、理解してる」
「全力を尽くそう」
遠山とラザール、2人が頷く。
「よし、ならばいい。まあ、実を言うとだな。話の厄介なのはここからだ。自由市でリザドニアンがパン屋をやることの難しさよりも厄介なことを君たちはクリアしなければならない」
「あ、なんじゃそりゃ」
「むむ?」
ふと振り下ろされた言葉、まだ何かあるらしい。遠山とラザールは揃って目を細める。
「簡単な話だ。この街では自由にもまず金とコネがいる。実は、その、数日前、今から1週間ほど前に締め切られているんだ」
「…………うん?」
遠山が聞き返す。シメキラレテイル? なんの話だろうか。
「 締(・) め(・) 切(・) ら(・) れ(・) て(・) い(・) る(・) ん(・) だ(・) 。(・) 自由市への参加期限は2週間前に終わっている」
「…………ナルヒト」
その言葉を理解したらしいラザールが悲しそうに呟く。
「……まて、ラザール。この店長の髭を全て抜くのはまだ早い」
遠山は表情を固めたまま、手をワキワキと動かす。残念だ、からかってくる奴にはそれ相応の仕返しをしよう。
「おい、物騒なことを言うな。落ち着け、荒くれ者ども」
「ヘイ、ヘイヘイヘイ、ドロモラのおっさんよー。すこーし意地が悪いんじゃあないのか? てめー、そういうのは先に言えよ、先に。ラザールなんかあんなにご陽気トカゲだったのに、ほらみろ、お前が期待だけさせて落とすから陰鬱トカゲになっちまったろーがよー」
気付けばしょんぼり、しゃがみ込んで尻尾を畳んで地面に向かって項垂れるラザールを指差しながら遠山が凄んだ。
言いがかりをつけるチンピラに見えないこともない。
「……いいんだ、ナルヒト。こういうのには慣れてるさ」
ご陽気マンボから一転、ご陰気トカゲに変わってしまったラザールがいじけている。
「待て、話は最後まで聞くものだ。 普(・) 通(・) の(・) 方(・) 法(・) で(・) は(・) 無(・) 理(・) と言う事だ。だが何事にも抜け穴があり、この世のほとんどは金とコネでなんとかなる。今回もまた同じだとも」
「お?」
「む?」
「竜祭を取り仕切っているのはこの街の権力者たちだ。彼らの一声で自由市への参加などどうとでもなる。そして、君たちはその普通でない方法を取る手段とコネがあるだろう?」
「権力者ァ? この街に来てから1週間の俺たちにそんな連中とのコネなんてねえだろ」
「何を言ってるんだか。 審(・) 問(・) 官(・) 殿(・) 」
ドロモラが人の悪い笑みを浮かべて、遠山とラザールを舐めるように見つめた。
「あー…… あー、そういや、アイツ、偉い奴だったな」
悪い人間である遠山はそれだけで、今から誰をどのようにすればいいのかを瞬間的に理解した。
「なるほど、汝、困りし者へ手を差し伸べるべし。というやつだな」
最近毒されてきているラザールもまた、大きな口をにやりと歪める。鋭い牙が見え隠れしていて。
「ああ、持つべき者はたんまり溜め込んでなおかつ権力のある友人だなあ」
悪巧みの算段を大人が始める。汚い3つの笑顔が、荷車の上でハチミツ水を飲んでいる水色の髪の少女を見つめていた。
「ディス?」
天使教会騎士団、第一の騎士、改め異端審問官側仕え、ストル・プーラが首を、傾げて。
……………
………
….
〜同時刻、天使教会大聖堂、主教室にて〜
「へーっぶっっしょおい!!! おんどりゃ!! ズビビ」
厳かな大理石仕様の広い部屋。
王国製の最上質木材、マヤ木で作られた椅子に深く腰掛けていた白髪の美女が大きなくしゃみをかました。
「主教サマ、お風邪ですか? お鼻、拭きますね」
「うー、ありがと、スヴィ。どこかで誰かが私を噂してるのかしら。すんっ」
書類が山のように積まれた机、書類仕事を見守っていたスヴィの差し出したちり紙で鼻を噛む主教。
普段の威厳は今や見る影もない。
「……きっと、いいお噂ですよ」
「うふふ、そうよね。スヴィはわかってるじゃない。さてと、一連の竜と竜殺し関係で溜め込んでた書類も全部片したし、竜祭まであと、10日間、どうせまた休めなくなるから、明日くらいは少しお休みしようかしら」
うーんと、背伸びしつつ主教が椅子に背中を預ける。
「……問題ないかと。ここ最近、主教サマはお忙しくなさりすぎでしたので」
その様子を優しい目つきで見守る聖女、ここには今穏やかな時間が流れている。
「ふふ、ありがと。あなたもたまには休みなさい。護衛は羽の数人に任せるから、あ、そうだ、スヴィ、これ」
「え?」
背伸びしたまま、主教がおもむろにスヴィへなにかを差し出した。
美しい花の模様が施された香り紙。蝋印のついたそれは冒険都市において最も入手が困難な紙の一つだ。
「貴女が行ってみたいって言ってた、貴族区にあるテルマエ、姪御殿御用達、星の砂館のチケット。明日のお休みで行ってきなさいな」
「え、ええ…… うそ、だって、あそこ、一年も、予約待ちのところじゃ……」
差し出されたそれを見つめて、大きな飴玉のような目をスヴィが見開く。
信じられない、といった様子だ。
「もう、スヴィ。私を誰だと思ってるの? 天使教会、最高の人、なんでしょ?」
にっこり。主教が花のように微笑み、
「しゅ、主教サマ……」
聖女が春のように頬を赤く染める。
完全なるニコポがそこにあった。
「ほら、遠慮しないで受け取って。聖女だ、主教だ言われても私たちは人間なの。たまには生命の洗濯ってやつも必要だわ」
「だ、だったら主教サマも一緒に!」
ぽーっとしていたスヴィが首を振って、主教に詰め寄る。声は明らかにうわずり、ソワソワと落ち着きがない。
「あ、たはー、ごめんね、まあ、なんのかんのかっこつけてアレなんだけど、一枚しか取れなかったのよ。いいから気兼ねなく行ってきなさいな、私のスヴィ」
「……い、行かれません、主教サマを置いてそんな……」
「もう、強引ね。そんな強引で強情な子には、そうね、こうしましょう? 聖女スヴィ、主教、カノサ・テイエル・フイルドの名において命じます。明日は全て仕事のことを忘れてオフを満喫すること。わかった?」
スヴィとは対照的に、主教は余裕を崩さない。クスっと笑い、綺麗で形の良い指で、ツンっとスヴィの鼻を押した。
「あ、う………」
「……それとも、スヴィも、やっぱりコレを使わないと私の言うこと聞いてくれないのかな?」
それでも招待券を受け取らないスヴィ。主教は、 わ(・) ざ(・) と(・) 声(・) を(・) 低(・) く(・) し(・) て(・) 、(・) 目(・) を(・) 伏(・) せ(・) た(・) 。(・) な(・) る(・) べ(・) く(・) 悲(・) し(・) そ(・) う(・) に(・) 見(・) え(・) る(・) よ(・) う(・) に(・) 。(・)
ちらりと、右手の甲に刻まれている 令(呪い) を見せながら。
「そ、そんな! ず、ずるいです、主教サマ、そんな言い方」
「ふふん、大人はずるいものです。ほーら、スヴィ。そのチケット、今日の夜から使えるから、もう準備して行っちゃいなさいな。ゴーゴー!」
「うう、ほ、ほんとに、ほんとにほんとに、私がいなくてだいじょうぶですか?」
後もう少し。
主教は確かな手応えを感じつつ、言葉を告げる。
聖女という"竜"へのカウンターにすらなり得る存在を言葉だけで誘導していく。
「大丈夫よ。羽たちもいるし、それに本当に大事な時は必ず貴女は私の元にいるわ。貴女を手放す気はないの、私」
流し目、細い糸のような目を僅かに開き紫色の瞳をスヴィに向けた。
主教は自分の顔がいいことをよく理解していた。
「あう…… わ、わかりました。聖女スヴィ、いと貴き御身のご命令に従い、明日は休養致します」
片膝をついたスヴィが、ようやく差し出していた招待券を受け取る。
「ん、よろしい。私は少し机の整理してるから、あにたはもう下がりなさいな。楽しんできてね、スヴィ」
湧き上がる笑みを必死に抑え、上品な微笑みを浮かべる主教。まだだ、まだ、笑うな、しかし…… その内心の激情を彼女は微塵も見せない。
「は、はい。では、失礼します…… ほ、ほんとにいいの?」
「もう、心配しないの。お休み、スヴィ」
「お、おやすみなさい、主教サマ」
ぱたん。小さな音を立ててスヴィが聖賓室を後にする。残るのは書類仕事のために椅子に座ったままの主教だけ。
ろうそくの揺らめく部屋で、カノサはニコニコと閉じられた扉に笑顔を浮かべたままーー
「スヴィは行ったかしら」
誰もいないはずの部屋に、主教の言葉だけが響いた。
「は、主様。羽からのご報告ですと既に自室へ向かっておられます」
天井から、音もなく床に降り立つのは真っ白の修道服に身を包んだ猫の獣人、トッスル。
教会が保有する副葬品の1つ、"羽隠しの髪飾り"、所有者の気配を羽毛1枚分のものとするそれを身につけていた彼女が、主人の号令に馳せ参じる。
「グッド、良い仕事ね。そのまま聖女スヴィへの監視を続けなさい。彼女の動向は逐一私に報告すること」
聖女にすら気取られぬその隠密、副葬品の補助はあれど、かの王国の"影の牙"と比べても遜色ないものだろう。
「は、主殿」
「監視に使う人数は必要最低限、距離に気をつけなさいな。敵意はないとは言えあの子は聖女。隠密に長けたあなたたちでも気取られる可能性は充分に有るのだからね」
「心得ております。羽の中でも選りすぐりの腕利きを2名監視につけます故」
淡々と下される指示、それは審問会の隠密による聖女スヴィの監視命令。
「あら、トッスル。貴女は?」
「御身の護衛です。聖女様なしで羽だけには任せることはできません」
「ふふ、そ。頼りにしてるわ」
「は、ご期待に添えるように努めます。して、計画は本日より?」
トッスルの言葉に、主教が立ち上がる。窓辺により、街を見下ろした。
冒険都市を一望出来る場所に建てられている大聖堂、まだ日は高く、人々は精を出して働いている頃合いだろう。
計画の時は近い、しかし、まだだ。主教は少し恨めしげに太陽を見つめた。
「ええ、日が落ちて、スヴィが湯治に到着したと同時に私も行動します。化粧をお願いしますね、トッスル」
「は、準備が完了しましたらお呼びいたします。それまでごゆるりと」
「ええ、ありがとう」
その言葉を最後に、トッスルは姿を消す。本当に薄い羽が1枚、風に流されて消えゆくようにその気配はもう見つからない。
「ふ、ふふふ」
主教が喉を鳴らした。
大きな窓辺に腰掛けて、首を傾けつつ、その明晰な頭脳が詰まった小さな頭に人差し指をぐりぐり押しつけて。
「近頃は竜と竜殺しの周りに大きな動きもなし、スヴィは温泉に送り込んだ。悩みの種の騎士団はトップの不在で機能してない、原理主義者の第二聖女派も監視において活動の予兆なし、と」
整理する。今、己のやるべきタスクを。
「竜祭の準備も問題なく、王国からの国賓の来訪も貴族院が調整中、今すぐに対応することもなしと来れば」
そして、そのタスク。己を縛る仕事は今奇跡的な状況、多忙な主教という立場としては本当に珍しい余裕がある状況、凪の中にいた。
つまり、今、この瞬間。
主教、カノサ・テイエル・フイルドは休暇を取れる状態になったのだ。
「フ」
形の良い薄い唇が、つり上がって。
「キターーーーーーッッッッッッッッアアアアアアアア、キタキタキタキタキタアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア、コッチコッチオアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
主教、吠える。圧倒的、華金状態。
「チャアアアアンス!! シャーオラァァァァァァ!! あっそっぶ! 遊ぶ! 遊ぶわよー!! ムホホホホホホホ!!」
そう、この女、そう! つまり、そういうことである!
「 夜亭(ラウンジ) 、"レイン・イン"の予約は完了したしぃ! 変装もトッスルに任せれば問題ないしぃ! うるさいスヴィも温泉で茹で聖女になるように手筈したしい! トラブルも乗り越えた!」
先程の聖女へのあの態度、羽たち隠密への指示、全てはこの時のため!
「あー、たんのしみいいい! 教会のお金使ってー、可愛い子はべらしてー! あー、今日は賭け事もしちゃおーっ! ムホホホホホホホ、人生楽しすぎてワロタ」
この女、遊ぶつもりである!
天使教会最高指導者という立場でありながら、金と俗なことが大好きな平民上がりの女は、今夜、豪遊するつもりなのだ。
「アハハハハハハハハハハハハ、ッブエークショイ!! ドッセイ! また、誰か私のこと噂でもしてるのかしら?! ふ、ははははは!! アハハハハハハハ、勝てる! 世界の誰が相手でも負けるわけがない!」
完全にハイになっている。
夜遊び、最大の障害であり、なんやかんや頭の上がらない最愛の右腕たる聖女もありとあらゆるコネを利用して封じ込めた。
もう、彼女を止められる存在はいない。
「タラッタ、ラッタラッタピーヤ、んー、今日はー、誰に逆指名されちゃおうかなー。折れた猫耳キャワイイ、ステちゃんかー、正統派美少年のルン君かー、いや、両方という手も…… ムホホホホホホホ」
立ち上がり、広い部屋の中、スキップ。からの1人ダンスでくるくる回る白髪の美女。
彼女は何も知らない。
最近大人しく(おおらかに見て)していた竜殺しとその一味が今まさにこの瞬間、自分に対して悪巧みを考えていることなど露も知らないのだ。
「ムホホホホホホホ、今、この私を止める存在など、この世界にはいない! 主教! 秘蹟! 権力パワー!! アハハハハハ、支配してやるわ! 取るにたりまくるレイン・インの美少女に美少年たち! 我が知と! 金! の前に平伏しなさーい!」
今、冒険都市で最も幸せな女のダンスは続く。
日はまだ、高く冒険都市は光の中にいる。だが、ゆっくりゆっくりそれは傾く。日はいずれ傾き、夜がやってくる。
月と星と、人の欲望が闇を照らすその時間。
冒険都市の夜はもうすぐそこにあった。