軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

43話 人を知る竜、蒐め集う竜

「ごくり。ああ、うううん。とてもとても古い人の香りと味…… とてもとても古くて、醸されてる。……ああ、なんでも食べるホモ・サピエンス、これほどの悪食を得るまでにどんな歴史を紡いだんだろう……匂い立つなあ」

女の病的なまでに白い肌に朱が差していく。

陶磁器のような喉が、ごくり。

「へ」

遠山はその光景から目を離せず。一言、漏らした。

「へ?」

こてんと、仰向けになったまま女が首を傾げて。

「変態だあああああああアアアアアア!? ラザーァアアアアアル!! 変態だあ! 絨毯から変態はえたぞ!?」

絨毯に寝そべって、変な笑い方のやばい女に血を飲まれ続けている。

変態以外の何者でもない。真夜中に不審者に遭遇した一般人のように遠山は、腕がぶった斬られていることも忘れて喚き出す。

「落ち着け、ナルヒト、まだそう決まったわけでは……」

ラザールが音もなく、遠山から5歩くらい離れた後両手を突き出して頷く。きっちり安全な距離を確保しているところがらしい動きだった。

「すぷぷ、美味しい…… トオヤマくんとボクが1つになっていく感覚がする…… なんて素晴らしいインスピレーション!! ああ、今なら最高の人形を作れそうだ」

そんな男2人のやりとりもなんのその。

滴る遠山の血に女がまたうっとり、嬌声をあげて。

「変態だった、お知らせだ(変態の) たしかにそれもあり得る(変態の可能性が)」

ラザールが諦めたように頷く。奇妙な電波から受け取った言葉を紡ぎつつ、その目は優しかった。

「なにが?! どういう文脈?!」

早くも他人事モードに入ってしまったラザールに遠山が叫ぶ。

「ナルヒト、大丈夫、腕を斬られてそこから滴る血を、寝そべる女が飲んでるだけだ! ………フォーレンの釜の底かな?」

「地獄って言いたいのか?」

それきり遠山とラザールの間に微妙な沈黙が流れる。

互いにこれの処遇を押し付け合う目線のやりとり、しかし残念ながらこれはどう考えても遠山関係の案件で。

「ち、ちょっと酷くないかい? ボクはこうして、ごくん。中央仕立ての絨毯が汚れないようにだねぇい、ごくん」

迷惑がられてることに気付いたらしい女が何か言い訳をならべはじめる。しかし垂れた血を飲むのはやめない、ごくり、とくり、うっとりと。

「血イ飲むのやめろや! なんだ、お前、吸血鬼?!」

「む、失礼な。あんな闇夜と世界の裏、ヒトの内側だけでしか生きてくことのできない化け物と一緒にされると困るねい、ごくん」

「だから、血飲むな! ……あ、やばい、流しすぎて、大声出したから……」

暖簾に腕押し、何を言っても独特な間と雰囲気で流される。

だが何故だろう、初対面のはずなのにやけに遠山はその女に遠慮なく大声をぶつけてしまっていた。

腕を斬られ、血を流してる状態で元気に喚き続けた為、立ちくらみ、そのまま脚がもつれて。

「おっと、危ない」

ぱしり。

誰にも認識出来なかった。気付いた時にはその女が倒れる遠山の背後に周り、優しく背後から抱きしめて。

「う、うう」

お前今どうやって動いた? そんなことを聞く元気すら今の遠山にはない。

血と共に、焼けるような痛みが腕から全身に登るようだ。傷口は熱いのに、体はどんどん冷えてきて

「……わあ?! トオヤマくん?! しまった!? つい君の人体情報に気を取られぎちゃった!! よいしょ、これで大丈夫かい?」

女があわあわと慌て始める。いつのまにか手に持っているのは遠山の斬られていた遠山の右腕、それをふと、傷口にあてがって。

「は? よいしょ、て……… うそん」

わけが分からない。気付いた時にはあれだけ全身を駆け巡っていた痛みが消えていた。

どくり、どくり、鼓動と共に指先の感覚が戻っていく。

血が止まり、あるべきはずのものがあるべき場所にきちんと生えている。

斬られた右腕が、元通り。

女が、人知竜が遠山の右腕を繋いでいた。

「大丈夫? 痛くないかい? 筋肉と神経と骨、全部同時に繋いだからすぐに動くと思うのだけれど。すぷぷ、なに、勝手知ったる君の身体だ。これくらい余裕だよ」

べとりと口の周りについた血を黒いローブの裾で拭う女。

病的なまでに白い肌、光を写さぬ肩までの髪の毛。夜の湖の底よりも昏く黒い瞳。

拭われた血が、ルージュのように。唇を艶かしく映す。

「………あ、はい」

後ろから抱きしめられたまま、浴びせられる言葉のシャワー。遠山はただ、頷くだけ。

え、いや、なんだこれ? 血も、痛みもほんとになんにもねえ。傷ってこんな簡単に治るもん?

え?

右腕に異常はない。だが未だ信じられないその現象に遠山はしばらく自分の右腕を見つめ続ける。

「……なに、勝手知ったる君の身体だ、私は超かしこいドラゴンだからね、人体に、こと君の身体に関してはこれくらい余裕だよ」

「え、なんで2回も同じ内容言った?」

女の香り、至近距離。

石けんの匂いと、微かに薫る血の匂い。

「…………何、勝手知ったるーー」

「3回目?! なに、こいつ、こえーんだけど!? ラザール、これなんだ?!」

同じ言葉を繰り返す女が気味悪い。遠山はラザールに助けを求めてーー

「いやもう知らん、やめてくれ。もう俺もしばらくそういうのはいい、うむ、美味い、もう一杯」

ぐびり、現実を見ることをやめたらしいラザールは腰に手を当てて銀の水差しを直で煽る。

「ハチミツ水飲んでんじゃねえよ! 薄情トカゲ!」

見捨てられていた。ラザールはもう全てを忘れてハチミツ水をごくごくいっている。

「すぷぷ、リザドニアンか。へえ、噂は本当なんだねえ。竜殺しはリザドニアンを仲間としているというのは。……ふうん、懐かしい香りがする…… なるほど、移行が完全でなくても五感に残るなにかもあるわけかい」

「うわ、独り言まで……」

「んんー? トオヤマくん、少しばかり塩対応じゃないかい? ……あれ、なんだろう、でもボク、あまりこんな感じも嫌いじゃない、その君の目、怯えてるのかい? ……すぷぷ、あは、悪くないなあ……」

病的に白い肌、頬に人差し指を当てながらラザールを見てつぶやく女。

美しいよりも恐ろしい、恐ろしいよりもおぞましい。

遠山の女への印象はそれだ。おののきつつ、遠山が言葉を紡ぐ。

「ひえ、本物のお方…… あ、腕あざした。なんかマジで平気っすわ」

だが。

たとえおぞましがろうが、恐ろしかろうが事実は変わらない。女が遠山の腕を治してくれた事実だけは変わらないのだ。

殺意には殺意を、敵意には敵意を。そして恩には礼儀を。

遠山が素直にその女へ感謝を伝えて。

女が、ばっと驚いたように目を大きく見開き、遠山を見つめた。

「! もう、君はそういうのがずるいんだよなあ、恐れと平常を同時にあり合わせて物おじしないってさあ、竜の琴線を1番そういう態度がくすぐるってそれ1番言われてるんだよねえ、えい」

石けんの香りがさらに強く。

ぎゅむぎゅむと遠山の顔に女の頭が押しつけられる。

めちゃくちゃいい匂いがするのに、しっかり血の匂いもするのが怖かった。

「むぶ?! ら、ラザール、頭押し付けてきたんだけど、これ、なに? 腕から流れる血をごくごく仰向けで寝そべる女に飲まれて、そいつに腕くっつけて貰ったあとに羽交い締めにされめ頭を押し付けられるって、なに? ゆめ?」

「ああ、ひどい悪夢であることに間違いはないぞ、ナルヒト、喉越し爽やか」

「てめー、完全に他人事モードだな、だからハチミツ水飲んでんじゃねえよ!」

「……むう、君、やけにリザドニアンと仲がいいんだねえ、すぷぷ、少し妬ける、なあ」

遠山とラザールのやりとりを見ていた女、人知竜が目を細める。

闇色の瞳が、ハチミツトカゲをスッと見つめて。

「ヒッ」

ようやくラザールが小さな悲鳴とともにハチミツ水を飲むのをやめた。

「すぷぷ、そんなに怯えるなよぅ、ああ、でもリザドニアンの人体も気になるなあ、今になって思えばあの"歯"が遺した生命だ。すぷぷ、果たして約定の対象になるものか……」

ずるり。

女の黒い瞳がさらに暗く、昏く。

深い業をすら覆い隠す漆黒の闇がラザールを、興味深げに見つめて。

「おい、黒髪女」

「んん?」

遠山のスイッチが切り替わる。

探索者として茹だる脳は他人の悪意にとても敏感だった。

「俺の仲間に手を出すなよ、腕治してくれたのは感謝するけど、そこだけには触れるな」

遠山がまっすぐ女を睨む。

遠山の茶色の瞳は、黒い瞳には映らない。しかし、しっかり人知竜は遠山鳴人の顔を見ていた。

「すぷ、……ああ、ゾクゾクするなあ…… えいえい」

ぶるり、身体を震わせ、華奢なのにやけに肉感的なそれを人知竜が自分で抱く。

それからまた遠山の顔に頭をぐいぐい、押し付けて。

「うぶう、こいつまた頭を!? なんなのほんと!?」

ほっぺたにぐいぐいくる髪の毛、少し口の中に髪の毛が入ったりするも遠山は抵抗をやめない。

だがやはり竜。押しのけようとしてもぴくりともしない、力つっよ。

「……勝手知ったる君の身体、治したのはボクなんだけどなあ」

また竜が同じ言葉を繰り返す。

なんだ、こいつ、何が言いたい? 何がしたい?

遠山は本気でその竜の行動が理解できずにいて

「……あ、まさか。ナルヒト、そいつ、いや、そのお方お前に褒めて貰いたいんじゃ……」

ラザールがおそるおそる、つぶやいた。

部屋に、沈黙がつのる。誰も動かない。遠山以外の人間は竜の圧に押されて呼吸するのに精一杯。

遠山はシンプルに羽交い締めにされて動けない、竜はなんでか動かない。

「は?」

「………………すぷぷ」

竜の顔は伏せられている。しかし、黒い髪からちらりと覗く白い耳、それが少し朱く染まって。

「………まじ?」

「すぷ………… リザドニアンはかしこいねえい」

ぐりぐりと遠山の首や顔に頭をおしつけ、顔を伏せたまま竜がぼそりとつぶやく。

マジか、こいつ。

遠山がラザールや審問会のメンバーに助けを求める視線を送る、誰も目を合わせてはくれない。

少し考えて、それから遠山はおそるおそる、腕を回してその竜の頭を撫でた。

「あ、じゃあ、そのありがとうございました…… わ、さらさら……」

透き通るような髪だ、まるで流れる清水に手を曝しているような感覚。

指通りが良いなんてもんじゃないほどのサラサラの髪を遠山が撫でる。

「………ァ……… ふぅ……… すぷぷぷぷ、ああ、気にするなよぅ、ボクと君の仲だろう? 急いで来た甲斐があったなあ」

びくり、びくり、何故か竜が身体を大きく何度か震わした。

かと思えば顔を上げて、ニコリと微笑む。頬には朱が僅かにまじり、陶磁器のような肌には薄い汗が滲んでいて。

その顔が遠山にふと、近づいーー

「ありえない!? 全知竜が、なぜ、教会に踏み入ることが?!」

響いた声は、副団長、メッサの声。

竜の圧が弱くなった瞬間、彼女が大きく悲鳴にも似た声をあげた。

「……ふうーん、君は…… へえ、"転生体"か。珍しいねえい、空席の眷属のカケラ。桜色の瞳にその美貌…… ああ、"美と女のディーテ"辺りかな? まあ、教会にとってはありがたい人材かあ」

心底、気だるそうに竜が、人知竜がその声を見る。

「き、きさま、どうやって"魔術師殺し"を抜けた?! 結界網になんの反応も!!」

周りの10剣の1人もまた同じく竜の圧から逃れたらしい。剣をふりかざし、メッサを庇える位置に立ちつつ言葉を荒げた。

「すぷぷ、ああ、あれかい? 君たちが法術とか嘯いて扱う"魔術式"。まあ、それはあれだよ君ぃ、魔術の祖だからねえい。2歳児が作った積み木を本人が気づかぬうちに作り替えることくらい、大人なら出来て当然だろう?」

ふうーとため息つきつつ、立ち上がる人知竜。デタラメな行動、竜としての規格外の力に騎士はみんな言葉を失う。

「まあ、でも発想は悪くないかなあ。眷属憑きを潰してその権能だけを抽出してたんだろう? 魂喰らいが出来る類の副葬品でも利用したのかねぇい? ああ、そういえば君たちも眷属憑きから副葬品モドキを作ろうとしてたね、それの応用かなあ?」

「……あ、はは、ありえない……」

メッサが力なくつぶやく。半分笑いかけの顔にもうあの時の余裕や妖艶さはなく。

自分たちが歴史と犠牲を掛けて編み出した結果。

敵対勢力たる"学院"への対抗手段として絶対の自信があった防衛機構はしかし、なんの役にも立たなかったことになる。

それを受け入れるには時間が足らなすぎて。

「あ、あれが全知竜…… に、にゃは、ば、化け物じゃん」

第2騎士ブレナ。10剣最強格の騎士すらたじろぐしかない。

半ば腕が立つ分、理解してしまう。生物としての圧倒的な性能の差を。

「ぐすん。ひどい、聞いたかい? トオヤマくん! あの仮面の子、ボクのことを化け物だって! 何か言ってやってくれよう!!」

「ぐえ!? 首、くび!! 力つっよ! 俺腕斬られた直後でやべえんだからやめて!」

ブレナの言葉を受けて、人知竜が遠山にじゃれつく。

誰一人それを微笑ましいものとは見ることはできない。

恐ろしい化け物が獲物に対してふざけて遊んでいる、どう好意的に解釈してもそれが限界だった。

「おっと、そうだったそうだったねえい…… うん? つい君の血を見て我を失っていたけど、そういえばなんで、君、なんで怪我してたんだい?」

「あ、そりゃ、そこの仮面女に斬られてーー」

あまりにも、あまりにもその女がフランクであった為、遠山は忘れていた。

あまりにも、その女が仲間と馴染んでいたのでラザールも忘れていた。

その女は自らを、"竜"と名乗っていたことに。

上位生物ーー

「はあ?」

竜が、首を傾げ、目を片目だけ見開いて、

「「ッ……?!!」」

その殺意を向けられたわけでもない遠山とラザールはしかし、一瞬、本気で呼吸の仕方を忘れた。

横隔膜が痙攣し、鼻がびくぴくと震える。空気を吸おうと下手くそに口を開くけども、ああ、どうやって息を吸うかすら、思い出せないーー

「はっーー」

「ひ」

「……………あは、は、これは」

そしてそれを向けられた騎士たちは誰一人例外なく、顔を真っ青か真っ白に変えていく。

竜の目、夜闇をかきまぜ、その最も暗い所だけを掬い取って流し込んだような目がただ、騎士たちを眺めていた。

「おちついて、トオヤマくん」

「は、っ、はっ」

「そう、ゆっくり、ボクを見て。ひっ、ひっ、ふー、ひっ、ひっ、ふー。ほら、真似して」

「っら、は、そ、それ、ラマーズ法!!」

「すぷぷ、よしよし、ツッコミが出来るんならよし。さて、さて」

そして、何も忘れていない主教と聖女と隠密の3人は、互いに手を握って必死に、必死に耐えていた。

その女、いや、"竜"の放つ呼吸することすら苦しくなるようなべちょりとした威圧に。

「……あ、貴女は」

「だめ、主教さま、話しかけたらだめ」

思わず。声を出したカノサを筋肉に吹き飛ばされてもケロリとしていたスヴィが止める。カノサを庇うように一歩スヴィが前へ。

「すぷぷ。へえ、君が当代の主教かあ。初代と同じ女の子なんだねえ。君のことは知ってるよ、カノサ・テイエル・フイルド。君のその知性、どんな脳構造をして、どんなシナプス回路を構成してるのか、ぜひ、見たいなあ」

「ひ、ひえ、お、お戯れを…… 遠き、伝説の竜。まさか貴女さまが、実在されているとは……」

「すぷぷ、学院でもボクを知る人間はもう数少ないよ、そんな怯えることはないさあ。……へえ、君、今気付いた。大主教令の持ち主だけでなくて、"預言者"でもあるんだねぇい…… 君のことを覚えてないということは、ふーむ、やはり記憶の移行はトオヤマ君のことだけみたいだねえい……」

怯える主教をまじまじ見つめる人知竜。

お気に入りのおもちゃを見つけた猫のようにも見えて。

「……主教サマに少しでも触れてみろ、差し違えても、貴女を殺す」

笑う人知竜を聖女が睨む。

主人を守ろうと、その小さな身体に殺意を滲ませて。

同じく、震えつつトッスルもまた毛を逆立てる、尻尾を立てつつも同じく主教の前へ。

「すぷぷ。聖女かあ。安心しなよぅ、君とやり合う気はないよ。君に本気を出されて、免疫システムになられても面倒だしねえい…… ちえっ、ざーんねん。で、トオヤマくん、聖女と主教は君の敵かい?」

「……違う、俺の、味方だ」

竜の言葉に遠山が短く、正確に。

「すぷぷ、立ち位置からなんとなくそんな気はしてた。君はいつも、味方の前に無意識に立つからねえい。損な役回りをする君も素敵だよぅ」

その言葉を受けて、人知竜が主教たちから視線を外した。どこか嬉しそうに返事をして。

「お前、マジで誰なんだ?」

「むー、人知竜だって言ってるだろー? あ、そっか、名前かい? 名前を聞きたいのかい?」

「…………」

もうめんどくせえ、という顔をしながらラザールを見る遠山。

「…………っ!!」

頼むからこっちを見ないでくれ、と首を横に振りまくるラザール。

「「「……………!!!」」」

そのまま素直に頷け、と首を縦に振るジェスチャーを繰り返す主教たち。

審問会メンバーの心は1つ。

お前がなんとかしろ、という暖かいものだった。

「……あ、はい。聞きたいです」

心暖かい仲間たちからの指示を受けて、遠山が渋々頷く。

「!! すぷぷ、ああ、いいとも」

たん、たん。

呆気に取られる騎士たちを尻目に、黒いローブにみを包んだ黒髪黒目の女が、一歩、二歩。

「ボクは人知竜、人を知る竜、この世の未知を解き明かし、未知を嗤い、悲劇を蹴破り、進み続ける者たちの庇護者にして永遠の探究者」

一歩、二歩。理屈はわからぬ、まるで透明な階段を登るかのように人知竜は跳ねるように、宙へ浮かぶ。

「名前は、アイ。"アイ・ケルブレム・ドクトゥステイル"」

満面の笑顔を、遠山鳴人ただひとりに向けて、舞うように宙を歩く。

「よろしくね、上級タンサクシャ、トオヤマナルヒトくん」

これ以上幸せなことはない、これ以上嬉しいことはない。

永遠探究者はついに、この場にたどり着いた。己を人知の竜へと変えたヒトへ溢れんばかりの微笑みを向けて。

「は? お前、なんで探索者のことを……」

タンサクシャ。その竜は確かに遠山鳴人を探索者と呼んだのだ。

「ふふん、ミステリアスな女が好きなんだろ? それはまだ秘密だよぅ。……さて、トオヤマくん、君の腕を斬ったのって、どいつなんだい?」

ふわり、遠山の元へ舞い降りる女。

竜、歪んだ知性と恐るべし探究者の瞳が獲物を探る。

「う、あ」

ブレナ、第2騎士が思わず、あとずさる。

人知竜が獲物を見つけた。

「へえ、アイツかあ…… なるほどなるほど。状況が読めてきたぞお。教会の内輪揉めにでも巻き込まれたのかな? それとも君が内輪揉めの原因? まあ、どちらでもいいかあ」

この世を歪ませる秘蹟ならざる奇跡。

魔術の祖、人が世界を騙し、誤魔化す業を人知竜はこの世にもたらした。

「お、おい、アンタ」

遠山が狼狽え、

「君の敵なら、それはボクの敵さ」

人知竜が笑い、目を細める。

口を半月のように歪めて

「おまえ、右利き、だねぇい」

それで、もう"殺害"に選ばれた騎士の命運は決まった。

「……にゃ、は。ぜ、全知竜…… ほんものの、魔術の祖、教会の宿敵…… はは、……た、ただでやられてたまーー」

ぽとん。

腕。第2騎士がいた場所に、間抜けな音をたてて人の腕が転がっていた。

「人知竜だよ、間違えないで貰いたいものだねえい」

「は? は? ぶ、ブレナ?」

筋肉ダルマが目を白黒させる。いや、筋肉ダルマだけじゃない。

誰も何が起きたか理解すら、認識すら届かない。

「すぷぷ、ああ、安心しなよ。ボクはアリスちゃんと違って穏健派の竜だからねえい。少しばかりムカついても黒焦げにしたりはしないよう……」

わかるのは、もう第2の騎士はこの部屋にはいない。

残された腕、銀色の騎士鎧に包まれた右腕、それの腕章は不思議なことに、ブレナがつけていたものと全く同じで。

「ぶ、ブレナに何をしたのだ!? こ、答えよ! 全知っーー」

「だーから、人知竜だって言ってるだろー? それはもう昔の名前。仮面の子はねー、 右(・) 腕(・) 以(・) 外(・) を(・) "ヘレルの塔"へ転移させたよ♪ 優しいよねー、ボク、生き残る可能性がまだあるんだからさー」

こともなげに人知竜が嗤う。

右腕だけをここへ残し、人間を異なる場所へ強制的に転移させる。

聞くだけで頭が痛くなるような所業。

「て、転移……? バカな…… 法術師100人以上で行う大法術か、副葬品でもない限り、転移など……」

転移という事象自体は不可能ではない。教会が発行している帰還印など、ごく限られたものではあるがそれは人類の技術の範囲内だ。

しかし、それにかけるコストがまるで違う。

「すぷぷ、まあ、昨日思いついてさっき完成させた術式だから安定性は保障できないんだけどねえい。あ、すごい、ようやく血が出始めた。10剣、それも殺害の眷属憑きのパーツかあ。面白そうだからもらっとこーっと」

ひょいっと、遺された右腕を拾いどこから出したか、腰につけるポシェットにそれを人知竜が仕舞い込む。

人体を扱う彼女の姿は、まるでおぞましい悪魔崇拝の宗教画のような光景でもあった。

「ぬ、ぬう!? ブレナを塔へ、だと?! 馬鹿な!?」

「ん? んん? トオヤマくんの顔、殴られた跡がある。お前の拳の大きさと一致するね。……ああ、そういうこと」

喚く筋肉ダルマの言葉を無視し、しかし竜があることに気づいた。

遠山鳴人の顔の傷、打撲跡、そして筋肉ダルマの拳の大きさや形、それらが完全に一致したことを。

次の獲物が決まる。

「ん、舐めるなあ!? 魔術の祖! 天使の作りたもうた世界をねじ曲げる外法の親玉! ここで我が戦車にて轢き潰してくれるわ!」

「よく動く口だねえい…… よっと」

膨れる筋肉、"戦車"の秘蹟。天使に祝福されたその男は時に、個人にして帝国の軍事力の一単位として扱われるほどの強さでありーー

「ふぁ、ふお?!」

しかし、竜には関係ない。

竜が、筋肉ダルマを見る、それだけで竜の魔術式が世界を侵す。

魔術式、術者の興した仮説を世界に張り付け、ルールを捻じ曲げる外法。

竜の外法が、戦車を侵す。

「は、ががが、な、にををん」

顔がおかしい。本来目がある場所には耳が生え、口のある場所に鼻が生え、側頭部に目が生えた。

めちゃくちゃに筋肉ダルマの顔のパーツの位置だけが書き換えられて。

「福笑い。古代ニホンの子供向けのおもちゃさ。うーん、ボクには福笑いの才能はないなあ、じゃあ、ばいびー」

「きさーー」

ぱちん。

女がまた指を鳴らす。それだけで嘘のように、何かの間違いのように福笑いと化した筋肉ダルマが消えた。

「まあ、フェアじゃあないからねえい。さっきの仮面さんと同じ場所に飛ばしてあげたよう、まあ10剣なら頑張れば生きて帰るんじゃあないかねえ」

「あ、はは、……化け物だね、全知…… いや、人知竜」

残されたのは、副団長。

あっという間に全ての盤面はひっくり返された。

準備し、対策していた。だがこれは話が違う、予想も出来ない。

半分御伽噺の存在と言われていた、歴史の闇がいま、確かにここに。

魔術式の祖、学院の後見人、教会の大敵。

人知の竜を前にして、天使の剣たちはなすすべなく壊滅寸前。

「すぷぷ、転生体にそう言われるのは心外だねえい。人にも眷属でもない、何にも属さないイレギュラー。さて、君はどうしてくれようか」

ぺろり。病的な白さの肌とは対照的な、真っ赤な血を思わせる鮮烈な赤の舌を人知竜がのぞかせる。

竜、最強の捕食生物が次の獲物を見定めていた。

「……見逃してもらえる方法はないかな。貴女が現れた時点で、私たちは負けたようなものだ。望むものを教えてくれれば」

副団長は、この瞬間全てのプランを捨てた。それでも生存を諦めず、目の前の存在と交渉しようとしてーー

「こんなのはどうかな? 余裕ぶって命乞いの時すらプライドを捨てられない間抜け女のオブジェ。それなら欲しいけどなあ」

どうやら竜はそれには興味がないらしい。

「……あはは、貴女に嫌われるようなこと、しましたか?」

もう笑うしかないメッサは、それでも取り乱すことなく会話を続ける。

メッサは知らなかった。

自分が誰のどんな男に手を出したのか。

どんな男に己の匂いをつけてしまったのかーー

「隠せると思ったのかい? 発情したメスの濃い匂いをそんなにぷんぷんと漂わせてさあ…… ねえ、聞くけど、なんでえ、ナルヒトくんのお口から、お前のメス臭がするのかねぇい……」

幽玄から響く死者の声が子守唄に聞こえるほどに、昏く冷たく、そして恐ろしい声だった。

ぽたり。メッサが知らず流していたのは恐怖の涙。

だが彼女はそれでも、不敵に、その美と女の眷属、転生体に相応しい微笑みを必死に浮かべた。

「………あはは、ごちそうさま」

「くるしんで」

「アッーー」

ギーーーーィーーィアーー

人がこのような声を出せるのか、そんな悲鳴と苦悶の叫び。

可憐な姿はどこにもない、涙と鼻水とさまざま液体を撒き散らし、メッサがのたうち回る。

「ばいばい」

パチン、鳴らされた指。

苦悶の叫びも、怨嗟の言葉も、のたうつ女も、もうどこにもいない。

ついでにまた鳴らされる指の音。教会令により倒れていた騎士たちも同じように消えていく。

「き、消えた…… また」

「すぷぷ。まあ、ボクは優しいからね。殺してはないよ、殺してはね。全身の臓器の位置を入れ替えて、痛覚神経に色々したあとに、塔に送っただけさ」

「えげつな」

「すぷぷ、でも、嫌いじゃあないだろう?」

まあ確かに。思わず人知竜の言葉に頷きかけたその時

「「「う、ウオオオオオオオオオ!!」」」

「やべ!!」

残された3人の剣、ストルやブレナ、団長には及ばずとも皆、10剣に数えられる実力者。

人知竜へ、一斉に飛びかかり

「心配するなよ、ナルヒトくん」

「「「ワ」」」

かららん。

ぴぬり、ひくり。

ああ、やはり届かない。なんの挙動見せることなく、騎士たちもまたその人体を侵される。

もう彼らには足も腕もなにもない。

剣だ。

どくどくと赤黒く脈打ち、柄には人間の目玉が飾られギョロギョロ蠢く。

その剣たちの材料はもちろんーー

「君たち、10剣とか呼ばれてるんだろ? すぷぷ、名は体を表す、古いニホンの言葉さ、まさに、だねえい」

冷酷に竜は笑う。見ればわかる、少し時を同じくしただけでわかる。

悪だ。まごうことなき、悪の存在。自らの業を振り撒くことを愉しみ、他者を害する悪そのもの。

邪悪ーー

「グロすぎんか?」

遠山はぼそり。怯えることも怒ることもせず、愉快なオブジェと化した剣たちを眺めるだけ。

「ボクの趣味なんだよぅ。まあ、君が嫌がるなら、ほい、ほい、ほいと」

ぱち、ぱち、ぱち。

小気味良く鳴らされる指ぱっちん。同時に鳴り響いた3つのそれが鳴り終わる頃には、肉の剣に変えられた騎士たちもまた、嘘のように消えていて。

「すぷぷ、良き冒険を。教会の剣たち」

全て終わった。

あれほどに遠山たちを追い詰めた騎士たちがまるで相手にならない。

「まじかよ」

本当に大人と2歳児だ。あれだけ厄介で、本気で追い詰められていたはずの騎士連中がもう、どこにもいない。

仕組みも、法則も何一つとしてまるで分からない力によりこの場は全て収まった。

「んー? すぷぷ、そんな見つめないでおくれよう、照れるじゃあないかい」

頬に手をあて、ニヨニヨと相好を崩す女。

人知竜。つまり、竜。これが、竜。

人同士の争いなど、それらにとってはまさしく児戯。

指を鳴らし、見つめるだけで下等生物たる人間は法則外の力によりその命運を散らされる。

「……人知竜」

「すぷぷ、はーい」

理外、かつ邪悪、しかし彼女は可憐に笑う。

遠山へニコニコしながら駆け寄り、その手を握る。

「すぷぷ、その名前、君が私を人知竜にしてくれたんだ。でも、君は何も知らないだろう? でも、いいんだ、それで。君が知らなくてもボクは知っているからね」

黒い目だ、暗い眼だ。

それが遠山を見つめる。

「何言って……」

「アイ」

遠山の言葉を、人知竜が遮る。

「は?」

「名前で呼んでよ、トオヤマくん。もう勿体ぶったりしない、出し惜しみもなにもしない。はじめからボクの好感度はマックスさ。だから、名前で呼んでよ。お願いだから」

少し、人知竜は震えていた。ぴくり、ぴくり。幼子が怒られるのは怯えるように。

「…………」

「「「「………!!!」」」」

審問会メンバーにげんなりした目線を送る、しかし全員が目だけでこう答えた。

こっち見んな! と。

だめだ、奴ら頼りにならない。

遠山は諦めて、目の前で身体を小さくしながらこちらをちらり、ちらりと見つめる女へ向き合う。

「お前は、俺を知ってるのか?」

「……残念ながら、全てはしらない。君の好きな物語も好きな歌も、好きな景色も知らないんだ、だから教えてほしい、だから伝えてほしい。話をしようよ、同じ時間を過ごそうよ。ボクはきっと、そのために生まれてきたんだから」

「………わけ、わかんね」

「それでいいよ、今は、ね」

少し笑う竜。

その笑顔はどこか寂しげで。

「さあ、ボクの名前を呼んでよ、トオヤマナルヒト。強くて怖くて、そして愛しいヒト」

だが次の瞬間にはその儚さも消え失せた。代わりに映るのは狂気。

絶対的な存在に向けられる偏執と執着。

遠山は考える、さてどう答えれば全ていい感じになるだろうか、と。

「お、れは」

その答えで、全てが決まる。

その強欲すら絡める永遠探究者の情念に呑まれるか、それともまた強欲が探究者の情念を飲み込むか。

互いに進むのなら、その道は相容れぬ。しかし共に歩むのならば人知の竜は人を庇護する。

時に、超えるべき残虐な試練として、時に心強い味方として。人知竜は人に深く関わってきた。

人と、人知竜。歩み寄るか、殺し合うか、2つに一つ。

「俺は」

「トオヤマくん、ああ、すぷぷ。皮肉だね、君はやはり少し、アレとも似ているんだから」

人知竜が、少し目を伏せる。わずかに低くなる声、何かを思い出して、それに怯えているようなーー

遠山が、人知竜へ答えを返そうとした。でも。

人知竜の香り、せっけんと血の匂い、それを上書きする香りが。

柑橘、きんもくせいの香りーー

「ねとられは、ゆるさぬ、特に貴様だけには絶対にな」

部屋に、金色の焔が顕れた。

空間を引き裂き、メラメラと燃え盛る金の焔。

ぬるり、そこから彼女が現れた。

竜はいつも唐突に現れるのだ。

「は?」

「あらら」

ぼしゅう。焔がゆらめく音、同時に人知竜が遠山へ向けていた左手、その手首がぽろりと落ちた。

みるみる間に燃えて、灰と化す人知竜の手首。

しかし、彼女は何も取り乱すことはない。

「ナルヒトから、離れよ。奴に槍が当たるであろうが」

焔の揺れ間、部屋には現れた陽炎の中から現れるのは金髪長身の女。

「う、あ、りり、りうのみこ…… オワタ」

「主教サマ! お気をたしかに!」

燃え盛る太陽フレアの如き金のお髪、深海の澄んだ場所を映すような深い蒼色の隻眼。大きく垂れた前髪が彼に抉られた瞳を隠す。

「ど、ドラ子……」

その手に握る大槍には、既に金色の焔が揺らめき、身体の至るところには黒いドロドロした粘液がこびりつく。

それでもなお、陰ることなき輝きの美。

「これはこれは、これはこれはこれはこれは。古臭いカビた陰気な匂いがすると思うたものよ。全知の竜、その焼け立たれた腐臭は、どんな香水でも隠せないものよな」

蒐集竜、アリス・ドラル・フレアテイルが焔の揺れ間より顕れる。

「すぷぷ。いやいやいやいやいやいやいや、乳臭くて炎臭く煙臭いと思えば。思ったよりもお早い到着だねえい、アリスちゃん、少しは成長したんじゃあ、ないのかなあ?ボクのモドキとはいえ、異界をこんな短時間で抜けるとはねえい…… 50年と少し前はけーきょく、大好きなおじいちゃんに助けてもらったんでちゅものねえええ」

対するは闇色の美。蒐集の竜の煌めきすらその黒い瞳を照らすことはない。

人知竜、アイ・ケルブレム・ドクトゥステイルが、斬られた手首を見つめ、それを瞬時に再生させていく。

黒い触手が傷口から生え、瞬く間に人間の手を象る。

「え」

遠山鳴人のやばいよセンサーが一気にレッドゾーンへ振り切った。

「ふ、かかか!! よい、もう一度囀れ、本当に全てを知る竜なのか、その頭解頭して調べてやろう」

金の焔が、笑う。

「すぷぷ、いやあ、無理じゃないかい? 多分ボクの頭の中身を見ても、アリスお嬢ちゃんには理解できないんじゃあないのかなあ」

黒い水が同じく、嗤う。

「なに、心配するな、試してみればわかるさ」

「試してみないと分からない時点で、バカなんだけどなあ。まあ、バカだからわかんないかー」

竜と竜。

互いに何故か、笑顔だ。

だが笑顔とは本来、生き物にとっての示威行為に他ならない。

竜という存在が浮かべるそれは、造形美に溢れて、自然の見せる雄大な美と同等、なのに、見ていて震えが止まらなくなるのは何故だろう。

「……ねえ、みんなー、おーい……」

それに挟まれた遠山が、2歳児くらいのテンションで審問会に、新しい仲間に助けを求めた。

2歳児だから助けてくれると思ってーー

「「「「もう知らん」」」」

大人達は27歳を助けてはくれなかった。