軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

14話 アリス・イン・テルマエ

「おっふぁ、あああ、なんで俺、殺し合ったり殺し合いしそうになったやつの家で風呂はいってんねん、ああああ、溶けるうう」

かっぽーん。

温泉だ。浴場だ。もうそれ以外にない。

無表情の割のくせしてやけに自己主張の強いメイドさんたちにわっしょいされ、身ぐるみ剥がされて放り込まれた場所は、これまたバカ広い浴場だった。

「すげえ風呂。スーパー銭湯を超えたハイパー銭湯だな」

思わず知性の低い言葉でつぶやく。遠山は湯に溶けながらその豪華な浴場を改めて見回した。

金ピカのライオン像の口から白く濁るお湯がドバドバと。広い浴槽の蓋や中心には美術館に置いてそうな様々な像が飾られる。

大理石っぽい石材で囲われた浴槽は人間100人が入ってもまだ余裕がありそうなほどに広い。

「……ああああ、でも、やっぱ、温泉、いい。あー、もう友達とかいらねー、あああああ」

気持ち良すぎて心地良すぎる。湯が身体に染み込み、脳がとろける。

友達なんていらないほどの心地良さに大きな唸り声を上げながら温泉を満喫する遠山。

「……アイツ、泣いてた、な」

そんな心地良さに棘がささる。

あの鎧ヤローのしょんぼりした声がふと脳裏に翻った。

「いやいやいやいや、泣くのは反則だろ。なんなんだ、アイツ。初対面で舐めた感じにぶっ殺そうとしてくるくせに、あの謎の好感度の高さはマジでなんだ」

そうだ、初対面は最悪だ。遠山の最も嫌悪するタイプの種類。

強く、その強さを振りかざすタイプ。

「……悪くねえ、俺はなんも悪くねえ筈だ。てか、そもそもぶっ殺したはずなのに、なんで当たり前のようにリスポンしてんだ。1人FPSかよ」

殺した、それは確実だ。

だが終わりではなかった。次があったら活かせよ、とかカッコつけてたらマジで次があるとかギャグだろ。

「はあ…… くそ、気持ちいいのに、面白くねえ……」

深く深く、お湯の中に沈む。

ああ、気持ちいい。湯気を吸い込むとそれが身体に満ちていく。信じられないほどの力が湧いてくるような感覚。

「婿殿、どうですかな、お嬢様が誇る竜大使館大浴場、"竜の泉"の湯加減は?」

「ああ、正直、最高っす。なんか温度も熱めでこの大理石の浴槽も背もたれがついててすごく、いい。寝れる…………… 嘘だろ…… 爺さん、アンタ、いつから」

遠山が額に手をやって俯く。

ありえない、ほんとなんなんだ、この爺さん。

いつのまにか、遠山1人じめだったはずの浴槽に、筋骨隆々の執事もかぽーんと。

「貴方さまがメイドたちに身ぐるみ剥がされた所あたりですかな。先に頂いておりました」

口髭を撫でながらほっほっほっと笑うその様子からは先程の凶暴さは一切見つけられない。

「………俺が風呂に入った時は誰も、人っ子1人いなかったはずですが」

「ほほほほほ、執事の嗜みにございますれば」

そんな嗜みがあってたまるか。

「……お嬢様とやらは追いかけなくていいんですか?」

遠山がぼそりとつぶやく。

「ほほ、ご安心めされよ。既に確保して、今は寝室にておやすみ中にございます。よほど、あなたさまに言われた言葉が応えたようでして。ふて寝、というやつですな」

「…….意味わかんね」

ずきり。また、だ。どうもおかしい。何か気分が悪かった。

「婿殿、あなた、やはり不思議な人ですな。この状況、恐ろしくないので? 私、誠に恐縮ながら先程は本気であなたを、殺そうとしていたのですが」

「まあ、そりゃ怖いですよ。アンタは間違いなく俺より強い、化け物だ。まあでも、ほら、風呂頂いてるし、あんま常にケンカ腰なのも失礼だなって」

いくら殺し合いかけた仲なれど、温泉の中では全てがノープロブレム。この空間での争いはご法度だ。

ローマの時代から決まっている。

「しつ、れい? ……ククク、ハハハハハハハハハ!! これは、これはいい! 失礼、ですか、ハハハハハ」

キョトンとした様子から一転、執事が背もたれに身体を大きく預けて大口を開いて笑い出す。

「なんかそんな面白いこと言いました?」

「いえ、なに、竜からの求婚を断った人間が、真面目な顔で礼儀の話をされるので、つい、くくく、これは、いい」

まだ笑いが溢れている。愉快で仕方ないとばかりに老人は静かに肩を震わせ続ける。

「……解せん。爺さん、あの女。あれはたしかに俺が殺した筈の鎧ヤローだ。それがなんでぴんぴんして、あまつさえ俺に好意を、いや、特別な感情を抱いてる? ソレがわかんねえ」

遠山が心のままをぼやく。お湯に当てられてあまり頭がうまく働かない。

「本気で仰られていますのかな? 婿殿は帝国の出ではない…… ? いやしかし、王国であれ竜の話は幼子でも知っている周知の事実のはず……、むしろ王国では竜信仰が盛んでは?」

「あー、……その、ここより遥か遠いところが故郷なんですよ。ずっと遠い、帰る方法もわかんねー場所。それで親もいなくて孤児だったもんで、学がねーんです」

何一つ嘘はついていない。

ニホンがおそらく、もう遠いこと。身寄りのなかったことに関しては何一つ、嘘はない。

「ふむ、故郷というのがどこなのかは気になりますが、孤児、なるほど。そういうことならば…… あなた様は竜に関してはどれくらいのことをご存知で?」

「俺に竜を語らせると長いですよ? 竜、ドラゴン。神話においては数多の英雄への試練や、天よりの災害の象徴として描かれる爬虫類の特徴を持つ空想の生物。西洋における捉え方と東洋における竜の捉え方は異なりーー」

ピコン

【技能"オタク"自動発動】

すらすらと遠山にとっては基礎教養であるファンタジーの話を始める。もちろん早口で。

「竜は7つの命を持っております」

「東洋においては自然の権化…… あ? 7つ?」

オタクの早口を止めたのは老人の静かな言葉だった。

「はい、7つ。人、定命の者であるならば制限があり、そして1つしかない命。竜は生まれながらに世界より7つの命を与えられ生まれてくる上位生物」

7つの命? なにそれチートかよ。遠山が目を細めてこの言葉を聞く。

「不老。不死ではないがそれに限りなく近い完璧な命。その力は強く、"魔術式"も"スキル"も"秘蹟"すら関係なく、ただ一瞥するだけ世界に影響を及ぼすことすら可能な理の外の存在、それが竜です」

「傍若無人に振る舞い、好きなように生きる。そこに他者への思いやりや、世界への配慮など存在ない。全ては己の気分のままに、自らの愉しみのためだけに生きる、それが竜という生き物、ソレが許された生き物なのです…… そのはずでしたがね」

「……そのはずだった?」

首を傾げる遠山に、老人が視線を返す。その眼差しはどこか優しく、そして今まで遠山には向けられたことのない類の表情。

ーー憧憬

「ええ、ソレが竜です。だが今日、全てが覆えってしまった、ある男が竜との婚姻を断り、あまつさえ、ククク、その全てがいらない、と言い切ったのですから」

愉快げに老人が喉を鳴らす。

「そりゃそうだろ。俺はたしかに欲しいものがたくさんある。金も夢も力も、色々なものが欲しくてたまらない。でも、なんだ、それを他人がぽいっと用意されるのは違う。ウキウキして買った大作ゲームを始めた瞬間、エンディングが来てみろ、戦争が起きるぞ戦争が」

あの時の気持ち、言葉に嘘はない。

欲望のままに。それが遠山鳴人の生きる指針であり、絶対のモノだ。

その欲望は安易な完成を決して認めない。

「ゲーム? はて。あなた様は時折、不思議な言葉を使われる。ほほほ、個人的にあなたに興味が湧いているのですが、それを聞くのは私の役割ではないですな」

「あ?」

音もなく、老人が湯船からあがり、浴槽の蓋に立つ。

そしてそのまま90度に腰を曲げ、頭を下げた。

「婿殿、この度の度重なる無礼、重ねてお詫び申し上げます」

「うわ、すげえ身体」

老人の言葉より、遠山の目はその練り上げられた身体に釘付けとなる。

どのような、一体どのような鍛錬に身を晒せば人の身体がそのような陰影を生むのか。

その身体はルネサンス期の彫刻よりも遥かに、それは神々しく。

「……あなた様をみくびり、安易に脅したこと、言い訳のしようもありませぬ。この老骨の命までのものでしたらなんなりと、その代償に捧げまする、だが、どうか、どうか、恥を承知で我が願いを聞いてはくれませぬか」

「いやいやいや、たしかにあの瞬間は俺もカチンと来てぶっ殺すつもりだったけど、今はもう、完全に毒気抜かれてるよ、やめてください、マジで。ムカつくことはムカつくけど、まあ、温泉、入れてくれてるし」

90度を超えてなんか前屈みたいになっている老人を遠山が思わずいさめる。

本心から、遠山にはもうあまり老人に対するわだかまりは消えていた。温泉、すごい。

「おお、なんと寛大なお言葉か! では願いの方なんですが」

にっかり。

すごい満面の笑顔。どこか図々しさすら感じるような。

「は? 待て、爺さん、アンタの詫びはいらねえけど、願いとかなんとかは別ーー」

「お願い申し上げます!! 婿殿!! アリスお嬢様とのご婚姻、今すぐとは申し上げません、二度と力による平伏を求めることも致しません、ですが、何卒、もう一度チャンスを!! いえ、まずはどうでしょう、おトモダチから始めては頂けませんか?!」

「と、トモダチ?」

また音もなく老人は湯船につかる。さりげないみのこなしが化け物の証左だ。

「そうです! 友です! このベルナル! 初めてです!! お嬢様にお仕えして早100年!! その100年の中で始めてお嬢様は、他者を鑑みるということを、今日初めて行われたのです!」

「あ、は、はあ……」

「これがどれだけ異質なことか!! あの竜が、あなた様を、あなた様たった1人のために矛を納めた! あなた様に嫌われたくない、その一心で自らの欲望を抑えたのです! これは兆しです、お嬢様が真の竜になる、いいえ、彼女は今、成長しようとしている! 他でもないあなたという人間の存在のおかげで!」

「いや、いやいやいや、待て待て、そんな大層なことか? なんなんだ、アイツほんと」

「竜はご存知の通り、世界のバランスを司る存在でもあります。竜の名前とはすなわち、それぞれが均衡を保つ世界の概念そのもの。"蒐集"、超然的なものが多い竜の中でお嬢様の名は異質そのもの。本来、竜にはなかった概念なのです、何かを集め、何かを愛でて、何かを己がものする欲望というものは」

「ん? いやまて、古今東西、竜ってのはお宝が好きだったような気が」

「む? どこの竜でしょう? 少なくとも私はお嬢様ほど人に近い竜を知りませぬ。そう、彼女はとても、人に近いのです。欲望、何かを求める心、それこそがお嬢様の司るバランス。それは人が最も濃く受け継ぐ性質。つまり、蒐集竜とはどの竜よりも人に近く、人界に強い影響を及ぼす竜なのです!」

「あ、はい」

「お嬢様は他の竜とは違う。蒐集竜という人に近いその存在は今の在り方のままではいずれ、確実に歪んでしまう! お嬢様は他の竜と同じ超越者になるべきではないのです、彼女には人が、共に並び立てる人がどうしても必要なのです、彼女の行いを諫め、彼女に歯向かうことのできる人間が!」

「……アンタでもいいんじゃねえの、それ」

そうだ。並び立つというのならば文字通り、この老人でいい。

遠山も一流ではないし、選ばれた者ではないがそれなりに鉄火場に馴染み、生き残ってきた人間だ。

故に、分かる。

この老人が生物として遥か高みにいることを、下手をすれば、鎧ヤロー、いや竜よりも……

「私はすでに人ではございません。人のままいることが出来なかった、弱者です。私ではお嬢様と対等の位置には立てない。竜に並び立つべきは人なれば」

「なにもんだよ、アンタ」

「私のことはどうでもよいのです。人よ、私は今日はあなたのその欲望に気高さを見ました。竜の威にも、超越者の圧にも負けぬ、歪み、捻れ、イカれている、しかし、あなたの姿、欲望を叶えるための辛苦すらも我がものと言い張るあのお姿! 確信いたしました、あなたしかいない、お嬢様と並び立てるのは、お嬢様の友になれるのは貴方様しか!」

「う。うーん、テンションの落差がどうもなあ。俺、アイツに殺されかけたし、何より気に入らねえのはアイツは人を楽しんで試していた。トカゲ男のラザールと俺、殺し合わせようとしてた奴だぞ」

やはり、そこだ。

あの態度、今思い出しただけでもむかついてくる。

「む、ぐ。たしかに竜と残虐性は切り離せないものです。お嬢様にもそのような面があるのは事実、しかしそれは幼子のそれです。善悪、これも人の概念ではありますが、善悪の判断すらついていないのです、あの方は。人と共にあるべき竜なのに、それを彼女に教えてあげる人がこれまで現れなかった…… いえ、言い訳にしか過ぎないことは存じておりますが」

「ああ、なるほど。ガキの時にバッタ捕まえて足もいでアリの巣の近くに置いたり、カマキリ捕まえてケツを水に浸して寄生虫ひりだしたりして遊ぶのと同じか。なるほど、それならわからんでもないな」

少し親近感。

遠山が頷きながら答えると

「え、それは、なんでしょう、若造、お前、まじか。少し、引くわ……」

割とドン引きしている老人がそこにいた。

なんだろう、すごく裏切られた気分だ。

「爺さん、素が出てんぞ、素が」

言いながら遠山は少し思う。

善悪のつかないガキ。言い当て妙だ。

ーー興じさせろ

ーー退屈しない

ああ、たしかに思い返してみればそんなことを言っていた気がする。

間違いを教えてくれる存在も、諌める友もいない孤独な竜。

「……くそ、泣くのは反則だろ」

自分と少し、似ている、そんな気がした。事実遠山は割と自覚がある。自分の感性や考え方が少し常識とは剥離していることに。

だがそれでも、善悪の区別がつくのは一重に周りに他者がいたからだ。子ども時代にはいなかった友人。探索者になり始めて得た対等の友。

遠山鳴人が命をかけてでも、生きていて欲しいと願った2人の仲間。彼らと出会えなかった自分を想像する。

ソレがどうも、あの金髪女。いや、蒐集竜とかぶるのだ。

「………やはり、虫が良すぎる申し出でしたな。……あいや、すみませぬ、しかし、これだけはご理解頂きたい。お嬢様があなたに抱く気持ちに嘘はない。あの方は、はじめて対等に、誰かを尊んでおられる。あなたの在り方を尊び、あなたを想っておられる、その気持ちだけはーー」

まだこの老人は諦めない。よほど、あの竜が大切らしい。まるで孫にどうしても友達をつくってやろうと努力するどこにでもいるおじいちゃんみたいだ。

遠山は、またため息をついた。

「……蒐集竜ってのはよ、ダチの作り方も知らねえみたいだな」

ああ、もう。絆されたわけじゃない。ただ、筋が違うとおもっただけだ。

「……ほ?」

「保護者がガキ同士の諍いに首突っ込んで、仲直りしてくれとか、ダサすぎるだろ。本人が来い、本人が」

本人がいないのに、何を話すと言うのか。ぐしゃぐしゃと癖っ毛をいじり遠山が吐き捨てた。

「お、おお、ま、まさか」

「まあ、その、あれです。考えてみれば俺、アイツ一度ぶっ殺してるわけだし、目ん玉にナイフ突き立てて念入りにトドメ刺したりもしたわけで。……まあ、もう2度と俺を殺そうとしたり、ラザールに手を出さねえんなら、その…… まあ、お互い様なわけで」

クソ、なんか逆に恥ずかしがってキモい感じになってしまった。誰へ言い訳してるんだ。

遠山が誤魔化すためにばちゃばちゃとお湯をすくい顔にぶつける。

ちらり、急に静かになった爺さんを一瞥すると

「………私はいま、猛烈に、感動しております…… 炎竜のナルシス野郎とのケンカを終えた時と同じ、感覚。これが、感動……」

「あ、あの、爺さん、なんか、その静かにボロボロ泣くのやめてもらっていいです?」

「婿殿!! いえ、友人殿!! 今のお言葉、嘘はございませぬな!!」

がばり。マッスルジジイが遠山の肩をがしりと掴む。大きくそして職人に彫られたかのような胸板が近い。

生物としての危機感を感じつつ、遠山が叫ぶ。

「うげっ。力つよ!? あ、ああ、嘘はいわねえです、だから、ちょ、揺らすな!? 頭プリンになるわ!」

「おっと、失礼!! そして、あなた様の言うことはごもっとも!! こういうのはたしかに当人同士の話合いが肝要!! では、あとはお若い2人に任せます! お嬢様、ご健闘を! 勝ち目がありますぞ!」

「うえっぷ、て、嘘だろ、消えてる…… なんだ、あのジジイ、ランプの魔人かなんか?」

ぐわんぐわんと揺らされ、頭を抑えた瞬間、もう老人は消えていた。

なんなんだ、本当あのジジイ。

「か、かか、爺やは塔級冒険者のなかでも上澄みの中の上澄み。歩法と速度で、その、姿を絡ませるのは朝飯前よ」

「まさかの身体能力かよ。……おれ、恐ろしい相手に殺し合い挑もうとしてたな」

「か、か。まあ、でも、あれじゃ、あの時の貴様は目が離せんほどに美しかったぞ」

「…………………もしかして、俺の後ろに誰かいる?」

あまりにも自然にかけられた女の声。なんなんだコイツら、なんで俺毎回近付かれたの気づかないんだ。

それは遠山と彼らとの絶望的な実力の差を示していた。

「だ、ダメだ、振り向くな。オレだ、オレがいる」

振り向こうとした瞬間、

「wow……」

ちゅぷり。遠山ががっくりと首を曲げて顔を湯につける。

普通に入ってきちゃったよ。ジジイじゃないよ、女だよ。

「か、かか……、ち、違うのだ、だ……人間殿。メイド連中が今とてもお湯がいい感じに湧いているから、100年に一度の出来栄えだの、みずみずしさが感じられ肌に染み渡る泉質などと言うのだ、だから、その、決して貴様と一緒にお風呂はいりたいとかそういうのではないのだ」

目が自然と隣に向いてしまう。

金の髪は結われてまとめられる。白濁の湯が隠しているだろう身体のライン。

しかし、見えてしまう真白の鎖骨や胸元、肩からその完成された美しい肉体が容易に想像できる。

「……お前んとこのメイドさん、副業でワイン作ってないか? 毎年11月に」

なんとか目線をまっすぐに戻し、平静を装う。

あ、だめだ、無理だ、ものすっごいいい匂いするもの。なんで? 温泉の素入れた?

遠山は豪華な花のような香りに頭がおかしくなり始める。

それは間違いなく隣、肩を並べて湯船に浸かる女の香りで。

「じゅういちがつ? む、確かに竜大使館では早夕の月になるとワインを作るが」

「ほんとに作るのかよ…… えっと、俺、その見てねえから。ほら、目瞑ってるから、その、セクハラとか通報とか勘弁しろ」

そう、目を瞑ればいいのだ。大丈夫、冷静だ、問題ない。自分に言い聞かせる。

「せく、はら? つうほう? 人間殿は奇妙な言葉を使うな。まあ、その、オレの身体に恥じる部分など一切ないので本来ならば何も問題ないのだが、その、貴様にはあまり見せたくないのだ」

「見せたくないなら風呂入ってくんなや」

おずおず呟く女に思わず遠山が素で突っ込む。

「……やはり、怒っておるな……。きらい、だもんな、オレのこと」

ぴしゃりと言い放った遠山にか細い声が返ってくる。いや、もう涙ぐんだ声だ。

やめて、ほんとやめてそういうの。遠山はかなり焦り始めていた。

「いや、待て、なんだ、その殊勝な態度は……お前、ほんとにあの鎧ヤローか?」

「……り、す、だ」

「あ?」

「だから、その、オレは鎧ヤローではないのだ! 名前がある! お母様とお父様がつけてくれた名前が!」

ばちゃばちゃとお湯を叩き、彼女が叫ぶ。

「まあ、そりゃあるだろうが。あ、あの爺さんがそういや叫んでたな。えーと、確か」

遠山が頭を捻る。そう、確かあの爺さんが垂直跳びで空に向かう寸前、叫んでいた。

この、女の名前を

「アリス」

覚えていた、その名前を

「ギャオウ」

女が鳴いた。

えらく、そう、ドラゴン風の鳴き声で。

「え、今、なんか吠えなかった?」

「は、吠えてなどおらぬわ! オレは蒐集竜! もう大人の竜なのだぞ! 子どもの竜のように鳴くなどあり得ぬ!」

詰め寄ってくる女、遠山は目を瞑ったまま、またつぶやく。

「アリス」

「ギャウ」

また、女が鳴いた。どこか、嬉しげな声色のような気がする。

「………………やめよ、人間殿。貴様はいじわるだ」

沈黙のあと、女がぼそりとつぶやく。

「あ、はい、すみません」

ギャオウって言った。ギャウって鳴いた。

遠山はぼんやりと考える。

「…………人間殿、爺やと何を話していたのだ」

沈黙を破るのは女の声。どこかムスッと、いじけてる風にも聞こえる。

「……多分、お前のこと。トモダチになって欲しいんだとよ。俺が、蒐集竜とやらの」

「な!? だ、ダメだ、人間殿はオレのツガ、イ、……そうか、こういうのがダメだったな、おのれ、しゅうしゅうりゅ……」

ばちゃん。湯が弾ける音。立ち上がったのだろう。ダメだ、目を開けたら覗きになってしまう。

遠山が必死にまぶたに力を入れて。

「蒐集竜はオレではないか!!」

がびーんと、元気な声が響く。なんだ、コイツ、ボケて突っ込んでまたボケたぞ。無敵か?

「うわ、もうなんだよ、お前そんなキャラだった? もっと、こう、ムカつく感じの奴だったじゃん、やめろよここでそういう無邪気な感じ出すの。念入りにぶっ殺した俺がすげー悪者みたいに見えるじゃんよ」

「ふ、ふふん、あの徹底さは素晴らしかったぞ。200年前の大戦期の"狩人"どもを彷彿とさせる容赦のなさ。かかか、竜殺しはそうでないとな」

「なんなのその高評価…… 正直、お前がなんでそんなに俺への好感度が高いかがやはり分からん。殺し、殺された、ソレが俺たちの関係だろ」

「…………だからだよ、人間殿」

やけに落ち着いた声色だ。

「あ?」

「……初めてだったのだ。オレに真正面から向かってきた人間は。貴様が初めてだったのだよ。……オレも意外だったのだ。蘇った直後、この身体を包んだのは怒りではなく興味、この魂に満ちたのは憎しみではなく、喜びだったのだから」

「もう貴様のことしか頭になかった。なぜ、貴様はオレに逆らったのだろう、何故、貴様はオレの思い通りにならなかったのだろう。一度気にするともう、止まることは出来なかったのだ。ああ、そうだ、オレは欲望として貴様が欲しいのだ。知りたいのだ、眺めたいのだ」

「……………」

「その筈、だったのだが、……もう正直、よくオレ自身もわからん。かか、100年生きていて、何故だろうな。全て思い通りにしてきたのに、貴様も力づくで手に入れればいいのに、……いやなのだ。それをすると貴様はオレを嫌うのだろう。いやなのだ、貴様に嫌われるのが、とても、……怖いのだ」

その最後の声は小さく、かぼそく。

夜が来るのを怖がる迷い子の声。

「む、ぐ……」

気付いてしまった。

コイツは、ガキだ。

そして、コイツは俺だ。

遠山は思う。

コイツは探索者にならなかった時の自分自身だ。

世界との関わり方がわからない、他者への接し方が分からない。それを教えてもらうことも、何よりそれを学ぶ必要すらなかったのだろう。

「竜、だから、か」

「かか…… 笑い話だろう。竜なのに、オレは今どこかおかしい。病気、なのかもしれぬなあ」

どこか寂しげな声だった。

ーーわん!

湯煙の向こう側から彼、もしくは彼女の声がした、ような気がした。

始まらなかったぼうけん。しかし、確実に子ども時代の遠山鳴人を孤独から救ってくれた、モフモフのトモの声が。

ああ、分かったよ、タロウ。

「ビョーキなんかじゃねー」

「む?」

「そりゃてめーがコミュ障極めてるだけだ。普通だよ、誰かと仲良くなりたい、誰かと一緒にいたい、それは正しい欲望だ」

「人間、殿?」

「鳴人だ。人間じゃねえ、名前がある。遠山鳴人。27歳、独身。趣味は読書にゲームにテラリウムにキャンプに釣りになんやらかんやら。あと自炊。夢は湖のほとりに家を建てること、だ」

「え?」

「え、じゃねーよ、自己紹介だ、自己紹介。てめえのあのお節介のジジイにも言われたからじゃねー。……俺が決めたからだ。ツガイとか婚姻とかはごめんだけどよー、まあ、なんだ、友達、友人なら、……俺も欲しい。友達、少ねえからな、俺」

まずい、マジでキモいぞ。早口になっているのを自覚しつつ遠山が湯にまた顔をつける。

もっと、こうスマートに言えないものなのか。男のツンデレなど害悪以外のなにものでもないというのに。

引かれたりしてないだろうか。もしそんな反応を取られたら心が死んでしまう。

ドキドキしながら遠山が薄目を開き、なるべく竜の身体を見ないように最大限努力しつつ様子を確認して

「な、るひと……… ふ、ふかか、ナルヒト、ナルヒト、そうか、貴様は、ナルヒト……」

口に手を当てて、にやにやしてる女がそこにいた。

大丈夫そうだ。

「おう、鳴人だ。で、お前は?」

「う、ぬ?」

「ぬ、じゃねえよ。俺は名乗ったぞ。で、お前は? どこの誰だ? まだお前の口からきちんと聞いてねえ。名前も自分で言えねえ奴と友達にはなれねえからなあ」

「あ。う…… お、オスから、名前を…… ま、まさかこれがお母様が言っていたぷろぽーず……?」

「待て、それはお前のお母さまがアナーキーすぎるだけだ。コミュニケーションだ、コミュニケーション。俺は遠山鳴人、好きに呼べ。で、お前は?」

遠山が薄目で女を見る。なるべく身体は視界に入れないように。

「ア、リスだ」

「なんて?」

「ーーっ!! "アリス・ドラル・フレアテイル"!! ソレがオレの名前だ!」

一息で叫ぶように。

「ああ、いい名前じゃん。よろしくな、アリス・ドラル・フレアテイル。今日からダチだ。まあ特にだからどうこう言うこともないけど」

「ダチ……、友、お、オレに、友が…… 貴様が友に?」

「あ、まさか、嫌だった?」

やべえ、ノリノリでダチとか言っちった。ダサいとかのレベルじゃねえじゃん。

「いいいいいいい、イヤではない! 断じて、イヤではないぞ!! そんなわけがないのだ! 知っている、お母様が言っていた! お友達から始めようという奴なのだな!」

「うん、お前、一度その情報ソース、お母様を疑おうか」

「ふ、ふふふ、かかかか、そうか、ナルヒト、ナルヒト、貴様は、ナルヒト」

「ま、好きに呼んでくれ。アリス・ドラル・フレアテイル…… 長えな。アリスって呼んでもいいか?」

「ギャオ?! い、い、のだが、す、少し恥ずかしい、その名前は、そのお母様やお父様、限られたものしか呼ばない名前なのだ」

もう顔が赤いのを誤魔化そうともせずに女がもじもじと、身体を丸める。

「あー、イヤか。まあそういうこともあるよな。うーん、蒐集竜に鎧ヤローはアレだしなあ。……アリス・ドラル・フレアテイル…… あ、そうだ。じゃあ、ドラ子で」

「どら、こ?」

キョトンと首を傾げる女。いやドラ子。少し、遠山は見惚れる。

「あだ名、ニックネームだな。鳩村が言ってた、友達同士だけで呼ぶ名前らしい。まあ、俺も友達いなかったからあだ名で呼ぶのなんて初めてだけど」

「は、はじめて、トモダチ、悪くない! 悪くないぞ! よい、よいぞ! 許す! ナルヒト、貴様にオレをどらこと呼ぶのを許すぞ!」

「ああ、どうも、ドラ子」

「ギャゥ! あ、違う、違うのだ、今のはその、鳴き声とかではないのだ!」

「ああ、へいへい。……あれ、お湯熱くなってね? なあ、ドラ子、これ」

肌に感じるお湯の温度が高くなったような。

「あだ名で、呼ばれてしまったのだ…… これはもう、婚姻以上の関係なのではないか? すぐ、お母様にまた相談しなければ…… ドラコ、ドラコ、ふかか、いい、すごくよいぞ」

「おい、ちょっ、ねえ、聞いてる? お湯が本当、どんどん熱くなって、んですが」

ドラ子は自分の世界に入ってしまったようだ。

遠山の言葉に反応すらしない。

「ああ、なんと言う日なのだ。な、な、ナルヒトを旦那殿と呼べないのは少し残念だが…… まあよい、ここからオレの素晴らしさと凄さを見せつければそのうちナルヒトから求婚、ギャウ…… だめだ、考えるだけでのぼせてしまう」

もじもじもじもじ。ドラ子が自分の頬に手を当ててふにゃふにゃになっていくにつれ、はっきり温泉の温度が異様なことに。

「おい! おい! お湯、シャレになんねえ!! ドラ子、俺もう上がるぞ! こっちみんなよ、絶対こっちみんなよ!! 俺がっつり裸なんだからな!」

ばしゃり。遠山がお湯から飛び出る、ジャグジーでもないのに白く濁ったお湯がぼこり、ぼこり滾りはじめていた。

遠山が耐えきれなくなり飛び出る。もちろん、前を隠すタオルなどなく。

「む、もう上がるのか? ナルヒ、……… ギャ……」

そしてドラ子は遠山の話を聞いていない。

必然、ドラ子は見てしまう。生まれたままのすっぽんぽんの男の体を。

「あ」

遠山のタボリス(急所)に、ドラ子の視線がじいっと固まり。

「ギャウン……」

ばちゃん。

鳴き声をあげて、ドラ子が倒れた。お湯の中にブクブクと沈んでいく。

「嘘だろ?!! おい、おい! ドラ子?! ってアッツウイ!? くそ、なんでこんな熱湯に…… ええい!! 心頭滅却!!」

流石にまずいだろ。お湯の中に沈むのは。

遠山は後先考えず、すぐに浴槽に飛び込んで

「ギャァアッツウウウウイイイイイ!? ドラ子、起きろ! ドラ子さん!! 起きて、マジで! 茹で蛸になる!? ジジイイイイイイ!! メイドさああん!! 助け、助けてええええ!!」

本当に洒落にならないお湯の温度。肌を真っ赤にやけどしつつ、気合いで我慢しながらお湯の中に沈んだドラ子を引き上げる。

もうお湯の熱さがわからなく、むしろ冷たいような気さえしてきた。

ドラ子は遠山より頭1つ身長が高い。しなやか、しかし色々なところが豪華な女の身体をなんとか引き上げ、助けを呼んだ。

「どうなされたお嬢様!! 友人殿!! オッフ…… 浴槽プレイ……ふ、若さって奴はよ……」

飛び出てきた老人、ベルナル。

慌てた様子はしかし、湯船の中でドラ子に抱きついた形になっている遠山を見た瞬間、ふっと表情を緩め、鼻をさする。

「お呼びですか、おじょうさま、おむこどの。む、お風呂プレイ。……ぽっ」

メイドさんも出てきた。遠山とドラ子を見て、ぽっと頬を染める。

「ふざけろ、タコども!! あつうう、ちょ、死ぬ、マジで死ぬから、ゆで死ぬから! はよ助けろやあああああああ!!」

館全体に遠山の叫びが響く。

それは帝国に竜と人界を結ぶ象徴、竜大使館の長い歴史において最も騒がしいひと時となった。

「ギャオウ…… ふかか、ナルヒト…… ふ、か」

1柱の竜は気絶しつつも、どこかその喧騒を喜ぶかのように、熱湯の中、遠山に支えられつつふにゃりと笑っていた。