作品タイトル不明
燃えたのは、後ろだった
北部侵攻軍本隊。
停止。
それは、混乱ではなかった。
少なくとも——最初は。
「……何だと?」
敵将は、報告書から顔を上げた。
「もう一度、言え」
伝令は、馬を潰す勢いで駆けて来たのだろう。
汗と泥。
その顔には、疲労以上に。“信じ難い物を見た者”の色。
「本国より!南地区、後方村落——複数、炎上!」
「……」
「倉庫群、一部焼失!」
「田畑、放火多数!」
「……」
「敵騎兵と思われる部隊、国内側にて確認!」
沈黙。
天幕内の空気が、一瞬で変わる。
「……後方、だと?」
低い。
怒声ではない。理解確認。
副官も、即座には言葉を返せない。
「……国境突破ではなく」
「……?」
「……逆侵攻、です」
逆。
その言葉が、あまりにも異質だった。
通常、守る側は防ぐ、遅らせる、伏せる。
だが——
「……攻めてきた?」
しかも、本隊正面ではない。後ろ。
補給に村。倉や田。
「……」
敵将の目が、地図へ落ちる。
本線、先鋒、補給。
そこへ、新たに書き込まれる。
“後方炎上”
「規模は不明!ですが!」
伝令の声が、僅かに震える。
「各地で、噂が拡大!」
「……」
「敵が来た!村が燃えた!更に北へ向かった!数が多い、少ない、報告錯綜!」
つまり——正確な数より先に“不安”が走っている。
「……」
敵将は、数秒だけ黙った。
その間にも後方。補給、再編。
全てが、脳内で組み替えられていく。
狙いは、殲滅ではない。
恐らく。
「……揺らしに来たか」
ぽつり。
守る為に、こちらの後ろを燃やす。
兵を戻すか?補給を守るか?本線を維持するか?
選ばせる。
「……」
上手い。非常に。
「捕虜は」
副官。
「……?」
「捕虜報告、少数と思われます!多くは——」
一拍。
「逃がされております」
「……」
そこだった。
「……わざとか」
噂と恐怖。誇張され“敵が居る”その言葉だけで、後方防衛は膨らむ。
「……」
敵将は、そこで初めて理解した。
燃やされたのは、村だけではない。
“安全圏”そのもの。
「……誰だ」
ぽつり。
計画的後退。脇腹を突く。籠城戦の時間稼ぎ。
ここまでは、まだ一連の防衛線として読めた。
だが——逆侵攻。
それも、補給線理解前提。
「……」
別だ。
「……同じ指揮系統か?」
疑問。あるいは。複数。
「……面白い」
「……笑い事では」
小さく。
怒りより先に、評価。
「命令」
「はっ!」
「全補給隊、一時停止」
「……!」
「護衛再編!後方確認隊、増派」
「……!」
「本隊進軍速度、一時調整!仕掛けて来るぞ!周囲警戒しろ!」
だから——止まった。
各地で。街道で。平野で。
不自然に見えた停止。
それは、迷いではなく。
“後ろを確認せねばならなくなった”結果。
「……ちっ」
副官が、僅かに歯噛みする。
「速度が」
「……構わん」
敵将は、短く切った。
「崩れるよりは、遥かに良い」
進軍速度低下。補給再編。後方警戒。
その全ては、こちらの太い線を——
確実に、細らせる。
「……」
敵将は、地図上の炎上報告を見た。
派手な戦果ではない。領土奪取でもない。
だが——“効く”
「……守るだけの相手ではない、か」
低く。
誰に言うでもなく。
春。前へ進む筈だった侵攻線は。火、道、そして疑念。
そして今——後方炎上によって、初めて“自ら止まる”事を強いられた。
燃えたのは村。
だが。本当に燃え始めたのは——敵将の想定していた、安全な後方そのものだった。