作品タイトル不明
刻んだ背、預けた命
「……行くぞ」
その言葉は、搾り出す様だった。
救わない。いや——今は、救えない。
自らそう判断し、自らそう命じる。
それがどれほど重いか、自身が一番理解していた。
草陰。偽装布の下。
敵後方部隊は、捕らえた住人達を再び進ませ始める。縄。怒声。怯え。老人。女。子。
その背が——遠ざかる。
「……」
歯が軋む。
視線を逸らせば、少しは楽だったかもしれない。だが——逸らさない。
見る。今、助けないと決めたなら。
せめて——無駄にはしない。
「……数」
低い声。
レオンが、即座に理解する。
「……護衛歩兵、二十七前後、騎兵、八、荷馬車、三。旗印は」
「……」
黒地。銀線。槍と輪。
「……覚えた」
ぽつり。
「進行方向。北街道本線より、やや東」
「……」
「恐らく一時収容か、後方集積」
俺は、一つずつ刻む。
数に相手の装備。その隊の癖。歩幅に指揮役。
先頭、中央、最後尾。
誰が苛烈で、誰が油断し、誰が周囲を見ているか。助けない。
なら——次に奪う為の情報へ変える。
子供が、一度だけ後ろを見た。
泣いている訳ではない。
ただ——分からない顔。
何故。どうして。その意味すら、まだ理解し切れていない様な目。
胸が、軋む。
「……」
エドワルドは、拳を握り締めた。
今、ここで動けば数十を救い、数万を危険に晒す。
答えは——変わらない。
変わらない、が。
「……」
軽くなど、なれる訳がなかった。
「……エドワルド様」
レオンの声。
急かさない。責めない。
ただ——確認。
「……追える」
短く。
「……?」
「今すぐじゃない」
一拍。
「……後でだ」
レオンは、数秒だけ黙り。
そして、小さく頷いた。
「……はい」
そう。見捨てたが終わらせない。
切ったのではなく、預けた。
今は、大局。だが、記憶した。
「……預けたと思え」
誰へでもなく、自分へ言い聞かせる様に。
「必ず」
低く。
「……返す」
敵部隊は、遠ざかる。
だが——もう、ただの“見捨てた背”ではない。
取り返す対象。
その為の、刻んだ背。
撤退。来た道を、静かに戻る。
周りは優しい景色。なのに、胸だけが重い。
「……レオン」
「はい」
「捕虜移送路」
「……」
「可能性全部、洗え」
「……!」
「収容地点、中継地点、補給点、奪還出来るなら——する」
「……」
レオンの目が、少しだけ変わる。
諦めではない。先送り。
「……承知」
今、救わない。救わぬと、諦めるは違う。
宿営地へ戻る頃には、自身の中で、既に次が始まっていた。泥。偽道標。本戦。
その中に——もう一つ。奪還。
守るとは、時に切る事だ。
だが——切ったまま終わるなら、それは守ったとは言えない。
春風が、草原を撫でる。
その日。
エドワルドが刻んだのは、敵の情報だけではない。“後で必ず返す”という、指揮官としての新しい執念だった。