軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

土に触れる

数字だけを追っていた。

前の人生での俺は、そうだった。

帳簿を読み、税収を見て、収支を計算し、効率を求めた。

だが――その数字が、どこから生まれているのかを、深く考えたことはなかった。

だから、今回は違う。

「エドワルド様? 今日はお勉強では……?」

朝食後、乳母が少し困ったような顔で尋ねてきた。

「うん。でも、その前に外に出たい」

「外、ですか?」

「畑を見たいんだ」

理由を聞かれれば、どう答えるかは考えてある。

「剣術ばっかりだと、つまらないし。外で遊びたい」

九歳の子供としては、十分すぎる理由だろう。

乳母は一瞬迷ったが、すぐに頷いた。

「では、近くの畑までにしてくださいね。必ず護衛を――」

「うん」

こうして俺は、護衛二名を連れて、領館の裏手に広がる畑へと向かった。

畑は、思っていたよりも広かった。

小麦畑。豆。根菜。

季節は春の初めで、芽吹き始めたばかりの若い緑が、まだ心許なさそうに並んでいる。

土の匂いが、鼻をついた。

――この匂いだ。

前の人生では、ほとんど嗅いだことがなかった。

「エドワルド様?」

護衛が声をかけてくる。

「ちょっと、触ってみたい」

そう言って、俺は畑の縁にしゃがみ込んだ。

土を掴む。

湿り気。粒の大きさ。指の間から零れる感触。

……軽い。

悪くはないが、良くもない。

水はけはそこそこ。だが、有機物が少ない。

連作が続いているのだろう。地力が落ちている。

九歳の子供が、そんなことを考えているとは、誰も思わない。

俺はただ、土遊びをしているだけに見えたはずだ。

「ねえ」

近くで作業していた農夫に声をかける。

彼は驚いたように振り向き、慌てて頭を下げた。

「は、はっ! これはこれは、坊っ――いえ、エドワルド様!」

「いいから。畑のこと、教えて」

「は?」

「これ、いつから使ってる畑?」

農夫は戸惑いながらも答えた。

「もう、十年以上になりますな。父の代からです」

「休ませたりは?」

「いえ……あまり。収穫が減ると困りますから」

やはり。

「去年は、どうだった?」

「去年ですか? まあ、並でしたな。悪くもなく、良くもなく」

――並。

その言葉の裏に、危うさがある。

地力が落ちている状態での「並」は、次に来るのは悪化だ。

だが、この年の次は、豊作が来る。

問題は、その後だ。

「肥やしは?」

「家畜の糞を少々。ですが、足りません」

「どうして?」

「家畜も多くはありませんし……」

俺は頷いた。

数字では見えなかったものが、ここにはある。

別の畑も見た。

こちらは水はけが悪い。

雨が続けば、すぐ根腐れを起こすだろう。

「ここ、雨の日はどうなるの?」

「溜まりますなぁ。どうにもならんです」

溝を掘るだけで、だいぶ違う。

だが、それを指示する立場に、今の俺はいない。

いや――正確には、表立ってはいない。

だから、急がない。

前の人生では、急ぎすぎた。

「楽しい?」

護衛の一人が、少し不思議そうに聞いてきた。

「うん。土って、面白い」

嘘ではない。

数字は結果だ。

土は、原因だ。

ここを知らずに、どうして領主が務まる。

帰り道、俺は倉の前で足を止めた。

木造の倉庫。

鍵は掛かっているが、管理は甘い。

「中、見たことある?」

「いえ。基本的に、役人しか入れません」

――それも、問題だ。

だが今は、踏み込まない。

今日は「遊びに来た」だけだ。

九歳の子供が、畑で泥だらけになって帰った。

それだけの話でいい。

部屋に戻ると、乳母が慌てて布を持ってきた。

「まあ……こんなに汚して……!」

「ごめん。でも、楽しかった」

それだけ言う。

夜、寝台に横になりながら、今日見た畑を思い出す。

十二歳の豊作。

十三歳の小麦暴落。

十四歳の凶作。

同じ畑が、それを生む。

数字をいじる前に、土を変えなければならない。

だが、今はまだ――

俺は、九歳だ。

急がない。

目立たない。

ただ、知る。

畑で遊ぶ子供のまま、領地の根を、一本ずつ確かめていく。

前回は、数字だけを見て失敗した。

今回は、土から始める。

それが、処刑台へ至らないための、最初の一歩だと――

この時の俺は、はっきりと理解していた。