作品タイトル不明
燃え移る夜
火は、最初は小さかった。
ぱち、と乾いた音。
油を吸った布が、じわりと赤く染まる。
「……広がるな」
シュトライヒは静かに見ていた。
炎は焦らない。確実に染み込んだ油を辿り、木へと移る。
橋脚の乾いた部分、組まれた材へ。
「いい燃え方だ」
護衛役が低く呟く。
「あぁ…‥」
その時、風が吹いた。
次の瞬間——炎が一気に膨らむ。
「……来たな」
火の粉が舞う。上へ横へ。
夜の空気に乗って、広がる。
「町の方へも行きますな」
「構わん」
即答だった。
「それで自然になる」
ぱき、と音がした。
熱に歪む音に軋む音。
「……」
シュトライヒは見上げる。
巨大な橋の一部が、赤く染まり始めている。
「上も燃えるか」
「時間の問題かと」
「そうだな」
小さく頷く。
「いいな」
ぽつりと呟く。
「流れが変わる音だ」
その下では——別の火が別の火を呼んでいた。
祭りの火。
人が囲んでいた火。
それが、屋根へと移る。
「……見ろ」
護衛役が指差す。
火の筋が、建物を這う様に走る。
「始まったな」
シュトライヒは背を向けた。
もう見る必要はない。後は勝手に広がる。
「行くぞ」
「はっ」
一行は静かにその場を離れる。
背後で、炎が大きくなる。
音が変わる。
燃える音から——崩れる音へ。
「……ん?」
一人の男が目を覚ました。
頭が重いし喉が渇く。
「……火?」
ぼやけた視界の中、揺れる赤が見える。
「……おい」
立ち上がろうとして、よろめく。
「おい!!」
声を上げる。
近くの者を揺さぶる。
「起きろ!!火だ!!」
反応が鈍く起きない。
「くそ……!」
外へ出ると熱気が顔を打つ。
「燃えてる……!?」
屋根に火が回っている。
「水だ!!水を持ってこい!!」
叫けび何人かがようやく起き出す。
「な、何だ……?」
「火だ!起きろ!!」
桶を掴み井戸へ走る。
「……!」
縄を下ろし水を汲み上げる。
「何だこれ……!」
水の匂いが違う。
濁りと異臭。
「構うな!かけろ!!」
構わず火に叩きつけると、じゅと音がする。
「消えねぇ……!」
火は弱まらない。
油を含んだ炎は、水を弾く様に燃え続ける。
「もっとだ!!」
「間に合わねぇ……!」
火は既に広がっている。
一軒、また一軒。
「くそっ……!」
歯を食いしばりそれでも水を運ぶ。
何度も。何度も。
だが——
「……無理だ」
誰かが呟いた。
火の勢いが違し追いつかない。
「……」
男は立ち尽くす。
目の前で、自分の住む場所が燃えていく。
どうする事も出来ないまま。
少し対岸の離れた丘の上。
一人の男が火を見ていた。
「……なんだ?」
ぼんやりとした光。
夜に浮かぶ赤。
「……祭り、か?」
首を傾げる。
少し火が大きい気もする。
「……まあ、いいか」
深く考えない。
あの町は、たまに騒ぐ事もある。
そういう日もあるのだろう。
男は背を向けた。
その判断が、何を意味するかも知らずに。
その頃、シュトライヒ達は既に町を離れていた。
「……静かだな」
誰も振り返らないし、振り返る必要もない。
結果は、決まっている。
「橋は」
護衛役が小さく言う。
「恐らく……」
「ああ」
シュトライヒは短く答える。
「落ちる」
それで十分だった。
「流れは止まる」
「……はい」
言葉は少ないがそれで足りる。
道を進む。何事も無かった様に。
やがて空気が変わる。
風が冷たくなる。
白いものが一つ。また一つ。
静かに落ちてくる。
「……雪か」
誰かが呟く。
シュトライヒは何も言わない。
ただ前を見る。国境は近い。
そして——雪が、降り始めていた。