作品タイトル不明
痕跡を残さぬ者
「さて。そろそろ次の町へ移動するとするか」
クラウス——シュトライヒは軽くそう言った。荷をまとめながら、まるでただの行商人のように。隣で護衛役が頷く。
「そうですな。この辺りは、あれ以来警備が厳しくなりましたからな」
「ああ」
短く返す。
倉庫の火災に井戸の異変。
あれから町の空気は一変した。
見張りは増え出入りの確認も厳しくなり、人の視線も鋭くなった。
「落ち着かない空気だ」
「ええ。商売どころじゃありませんな」
シュトライヒは小さく笑った。
「だからこそだ。次に行く」
護衛役が首を傾げる。
「隣町ですか?」
「ああ」
「だが——」
少しだけ間を置く。
「この町では、もう何もしない。情報収集のみだ」
「……は?」
思わず声が漏れる。
「何故です?まだやれる事はあるでしょう」
シュトライヒは振り返らない。
淡々と答える。
「あるだろうな。だが、やらない」
「……?」
護衛役は理解できない様子だった。
シュトライヒはゆっくりと歩き出す。
「もしかしたら」
ぽつりと呟く。
「勘の良い奴がいるかもしれない」
「……」
「俺たちが移動した先々で問題が起きる。そうなれば——どうなる?」
護衛役がはっとする。
「……疑われる」
「ああ」
シュトライヒは頷いた。
「一度なら偶然」
「二度なら不運」
「三度目で“意図”になる」
静かな声だが確信に満ちている。
「だから」
一歩、足を進める。
「何もしない場所を作る」
「……」
「痕跡を消す為だ」
護衛役は小さく息を吐いた。
「なるほど……やらない事も、作戦ですか」
「そういう事だ」
シュトライヒは軽く肩をすくめる。
「全部やる必要はない。必要な分だけ、やる。それ以外は——何もしない」
その方が、目立たない。
その方が、長く動ける。
「……よく考えられてますな」
「考えてるんじゃない」
シュトライヒは小さく笑った。
「当たり前の事をやってるだけだ」
その“当たり前”が、どれほど難しいか。
護衛役には分かっていた。
「では、移動しますか」
「ああ」
シュトライヒは頷く。
「次は隣町だ。ここでは商売だけ。情報を集めて——流れを見る」
「はい」
荷を持ち、歩き出す。
誰も止めない。
誰も疑わない。
ただの商人が、次の町へ向かうだけ。
その背中を見送る者すらいない。
その“何もしない”選択こそが最も見えにくい動きだった。
シュトライヒは一度だけ、町を振り返る。
煙は、もう上がっていないが確実に爪痕は残っている。
「……十分だな」
小さく呟く。そして前を向いた。
次の町へ。
次の一手へ。
戦は、まだ終わっていない。
むしろ——これからだった。