軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

知らない契約 3

結局、ギルバート様に呼び出されたのは起床してすぐに話がしたいと申し出てから半日後、夕食を終えた頃で。

このまま会ってもらえず、また半月が経ってあんな目にあったらどうしようと、一日中冷や汗が止まらなかった。

「…………」

「…………」

そして今はソファに座りテーブルを挟んでギルバート様と向かい合っているけれど、落ち着かない。昨晩あんなことがあったばかりで、恥ずかしさや気まずさでいっぱいになる。

そんな私とは裏腹に、ギルバート様は足を組み、冷ややかにこちらを見つめている。

「それで? 離婚について話があるとか」

少しの沈黙の後、先に口を開いたのは彼の方だった。

たった一言から面倒で仕方ない、さっさとこの会話、この時間を終わらせたいという気持ちが伝わってくる。

「はい、あなたと離婚をしたいと思っています」

「理由は?」

「もうギルバート様のことが好きじゃなくなったからです」

だからこそ、こちらも回りくどいやりとりは避けるべきだろうと、単刀直入にはっきり告げた。

すると一切の興味がないようだったギルバート様のすみれ色の両目が、わずかに見開かれる。

「へえ? これまた急ですね。昨日の朝は仕事に行くな、キスしてほしいと必死に縋り付いてきたのに」

「…………」

小馬鹿にするような顔をして鼻で笑う彼に、何の反論もできないのが悔しくて仕方ない。全て元のイルゼのせいだと、心の中でひたすら恨み言を呟く。

するとなぜかギルバート様は席を立ち、こちらへ近づいて来て私の隣に座った。

「ああ、昨晩のことが気に食わなかったんですか? 無理をさせてしまったようなので」

「なっ……」

貼り付けた笑顔で煽るように、それでいて機嫌を取ってやっているような態度で、髪に触れられる。

元のイルゼなら喜び、ご機嫌になったに違いない。けれど私は羞恥心を押さえ付けながら、後ろに身体を引いた。

「ち、違います! いえ、文句はありますけど……」

「それは残念です。途中からは満更でもないように見えたのですが、俺の勘違いだったようですね」

「…………っ」

言いたいことも反論も色々とあるものの、全てをぐっと飲み込んだ私は両手を握りしめ、ギルバート様に向き直った。

「とにかく、本当に離婚したいんです!」

構ってほしいわけでも、気を引きたいわけでもない。本気で離婚したいという気持ちを込めて、まっすぐに見つめる。

「謝って済むことではないと分かっていますが……今までご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。もう二度とギルバート様には関わらないと誓います」

私のせいではない上に、これくらいでギルバート様の溜飲が下がるとはとても思えない。

それでも彼には心から同情しているし、イルゼから解放されて幸せになってほしい、という気持ちに嘘はなかった。

「……本当に俺のことが好きじゃなくなったんだな」

ギルバート様は目を見開き、消え入りそうな声で呟く。

そして少しの間の後、今度はにこりと笑みを浮かべた。

「あなたの気持ちはよく分かりました」

「じゃあ……!」

私の気持ちがようやく伝わったのだと、つい笑顔になってしまいながら、ギルバート様を見上げた時だった。

「ですが、絶対に離婚はしません」

「……え」

聞こえてきたのは想像していた答えとは正反対のもので、私はそのまま固まってしまう。

お互いに得しかないこの提案を断られるなんてこと、一切想定していなかったからだ。

「話はそれだけですか? 忙しいので俺はこれで」

「ま、待っ──」

口元だけの笑顔を貼り付けたギルバート様は慌てて手を伸ばした私を無視して、あっという間に出て行ってしまう。

少し乱暴にドアが閉められ、足音が遠ざかっていく。なぜこうなってしまったのか、さっぱり理解できない。

「どうして……」

静かな部屋には、残された私の掠れた声だけが響いた。

◆◆◆

執務室へ戻り机に向かって仕事をしていると、側近であるモーリスが何か言いたげな顔をしていることに気が付いた。

「言いたいことがあるのなら聞くが」

「……旦那様、本当に良かったのですか。あの悪魔のような女と離婚できる絶好の機会だったというのに」

予想通りの問いに対し、ペンを走らせる手を止める。モーリスは俺同様、あの女を心の底から嫌悪していた。

「ああ。何もかも思い通りにさせるものか」

突然あんな提案をしてきたのは予想外ではあったものの、俺のすべきことは変わらない。

「あと少しで追い詰める材料が揃いそうなんだ。全てを失って絶望する姿を見るまで、自由になどしてやるものか」

──いつだって簡単に救えたというのに、あの女は死の間際になるまで、病で苦しむ母を助けようとはしなかった。

俺の気を引きたい、自分の偉大さを知らしめたい、より感謝されたい、そんなくだらない理由のためだけに。

結婚において提示された条件も、一方的で尊厳や自由を奪うようなものばかり。

あの女はいつも俺に対し「愛している」なんて言葉を口にしていたが、あんなものは絶対に愛じゃない。

これまでのことを思い返すだけで、腹の底が煮え立つような強い怒りが込み上げてくる。

「ですが、昨日から様子がおかしいようですね。まるで別人のように穏やかになったとか」

「そんな演技も長くは続かないだろう」

あの女が奇行に走るのも、いつものことだった。いちいち振り回されていたら身が持たない。

(……だが、昨晩のあれは失態だった)

普段通り適当に済ませるつもりが、別人のような弱々しい姿を前に、もっとこの女を泣かせたいと思ってしまった。

いつも高飛車で傲慢で、自分が世界の中心だという顔をした女を組み敷いて泣かせるのは、ひどく気分が良かった。

『……うっ……ひっく……ごめ、なさ……』

それでいて大粒の涙を流しながら本気で恥じらうような態度に、初めて少しの情欲を抱いたのも事実だった。

(流石に朝まではやりすぎたな。本当にどうかしてる)

後悔や己への呆れで、乾いた笑いが溢れる。あの女に縛られ続ける異常で歪んだ結婚生活の中で、いよいよ俺もおかしくなってしまったのかもしれない。

そんな俺を見ていたモーリスは、僅かに眉根を寄せた。

「ありえないとは思いますが、絆されることがなきよう」

「……はっ、まさか」

モーリスの言葉を一蹴し、片側の口角を上げた。

「俺は絶対に、あの女を地獄へ突き落とすと誓ったんだ」