軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

虚像と実像 2

「この辺りの確認は終わったから、持っていってくれる?」

「……もう全て終わったんですか?」

「ええ。二箇所間違いがあったのはこっちに置いてあるわ」

机の上に積み重なった書類の束を見て、ギルバート様の側近であるモーリスは驚いた表情を浮かべている。

──実は先週から、公爵邸の女主人として簡単な書類仕事や使用人の管理をしていた。

なぜいきなりそんなことになったかと言うと、子ども達の治療をして回ったり制約魔法について調査したりと忙しくしていた中で、ふと気付いてしまったからだ。

『……もしかして私って、無駄飯食らいじゃない……?』

自分のすべきことをしているつもりだったけれど、それは寝食を提供してくれているエンフィールド公爵家に対しての利益には一切ならない。

本来なら公爵夫人なんてすべき仕事がたくさんあるはずなのに、ギルバート様も誰も何も言わずにいてくれたことで、全く気にせずに過ごしてしまっていた。

そして焦った結果、何か私にできることはないかとメイドのリタに相談したところ、モーリスに繋がれた。

『元々奥様は一切、お仕事をされていませんでしたからね。まあ、簡単な仕事くらいでしたらお任せできますが……』

そして顔には「面倒なことを言い出しやがって」と書いてあったものの、簡単な書類仕事を任せてくれて、今に至る。

(元の世界では元々、こういう仕事もしていたのよね)

それに前職の知識もあることで、この世界の普通のやり方よりも効率よく作業できていた。

小説の続編では公爵夫人になるシーラは平民育ちのため、簡単な仕事すら上手く出来ずに大変な思いをしていたとあったし、彼女のためにもマニュアル的なものも作っている。

使用人の管理についても元々そういった仕事の経験があったから、問題なくこなせていた。イルゼがサボっていた分はモーリスに皺寄せが行っていたらしく、申し訳なくなる。

「驚きました、奥様がこれほど能力のある方だったとは」

「大したことじゃないけれど、少しは力になれているのなら良かった。私はこれから治療のために出かけてくるわ。夜は侯爵家での夜会があるから、馬車の用意もよろしくね」

今日はアンカー伯爵夫妻が紹介してくれた病気の子どもの治療に向かったあと、夜は夜会に参加する予定だ。

私が最近子どもたちの治療をして回っていることが広まっているらしく、世の中のイメージも変わってきたのか、もしくは単純に変わった私への興味なのか、社交の場への招待状がたくさん届くようになった。

何かあった時や調べ物をする時にも人脈は大事だと思い、折を見て参加するようにしている。

「治療も毎日休みなく続けていますよね」

「ええ、でもあと三人で終わりなの」

治療だけでなく移動疲れもあって、正直かなり大変ではあるけれど、紹介された子ども達もあと三人になった。

ちなみに無償で治療をしては他の治癒魔法使いの仕事の価値を下げることになる、依頼が殺到して不平や不満が出るとギルバート様が説明してくれたことで、きちんと報酬はもらうようにしていた。

(あと少しだもの、頑張らなきゃ)

気合を入れた後は急ぎ身支度をして、自室を出た。廊下にはメイド達がいて、目が合うとみんな丁寧に頭を下げる。

「みんな、お疲れ様」

「奥様、お気をつけて行ってらっしゃいませ」

「ありがとう」

最近では過去のように暴れることがなくなったと判断されたらしく、少しずつ使用人達とも打ち解けられていた。怯えられすぎていた当初に比べると、かなりの成長だと思う。

(……とはいえ、どんなに長くてもあと5ヶ月も経たずに私はここを出ていくことになるんだけど)

私がここに残っているのは、ギルバート様の寿命がかかった制約魔法が一番の理由だった。それさえなんとかなれば、恨まれている私がここにいる必要なんてない。

最初は今すぐに出ていくことを望んでいたはずなのに、いつの間にかこの散々な状況に慣れてしまったのか、少しの寂しさすら感じるのだから不思議なもので。

そんなことを考えながら玄関ホールは向かう途中、不意にぐにゃりと目の前が歪み、立ちくらみがした。

「…………っ」

公爵邸での仕事、治癒魔法を使った治療、そのための医学についての勉強、制約魔法に関する調査、社交活動。そしてシーラやお兄様とも時折会って、離婚やギルバート様とシーラの恋の発展について作戦を立てる日々。

多くの予定に追われ、連日あまり寝ていないせいで目眩がしたのかもしれない。そんなことを考えながら、どこか他人事のようにスローモーションで傾いていく世界を眺める。

けれどその途中、身体を抱き止められた。温もりや甘い優しい香りにより、顔を見ずとも誰か分かってしまう。

「大丈夫ですか」

「……ギルバート、様……」

予想通り見上げた先にはギルバート様の顔があって、その表情には苛立ちが浮かんでいるのが分かった。冷たいアメジストの瞳に見下ろされ、目が覚める思いがする。

また迷惑をかけてしまったと反省し、慌てて彼の腕の中から出ようとしたけれど、なぜか逆にきつく抱きしめられた。

「ごめんなさい、私……」

「自分を顧みずに無理をして、罪滅ぼしのつもりですか」

「……それもあります」

元の身体に戻る方法が存在しない以上、イルゼとしての過去を背負って生きていかなければならない。だからこそ、少しでも過去を精算したいという気持ちはあった。

「でも今、すごく楽しいんです」

過去の私は何の目標もないまま、意味もなく生きていた。自分のため、誰かのために一生懸命に行動できる今は充実していて、やりがいや知らなかったことを学ぶ楽しさがある。

自分自身のためでもあるという想いを胸にまっすぐギルバート様を見つめると、瞳には僅かに戸惑いの色が浮かんだ。

「それでも周りに迷惑をかけては元も子もないので、これからは体調管理も気を付けます」

「…………」

ギルバート様は何も言わず私を見つめた後、なぜか支えていた手を足に回し、お姫様抱っこ状態で私を抱えた。突然のこと、それもあまりにも軽々と抱えられ驚きを隠せない。

「ど、どうして……」

「また倒れて頭を打たれて、記憶が欠けたなんて言われては困りますから。馬車まで送ります」

そしてそのまま、外へ向かって歩き出す。どうしようもなく 私(イルゼ) が憎いはずなのに、こうして優しくしてくれることに、胸を打たれてしまう。

思い返せば最近は、ギルバート様からの嫌味も嫌がらせもほとんどなくなっていた。

(……やっぱり、根は良い人なのよね)

この世界では悪印象だったものの、私だって小説を読んでいた時はシーラを一途に愛するギルバート様の姿に、何度もときめいていたのだから。

「ギルバート様、ありがとうございます」

「いえ」

やっぱり返事は素っ気ないものだったけれど、小さく笑みが溢れた。この世界に来てからというもの、人の優しさがすごく染みるようになった気がする。

するとギルバート様がこれまで見たことのない、困惑や戸惑いに近い表情で私を見つめていた。

「ギルバート様?」

「……あなたもそんな風に笑えるんですね」

どういう意味だろうと気になったものの、すぐに顔を逸らされてしまい、それ以上尋ねることはできなかった。

これほど忙しいのも、ここにいるのも最大で5ヶ月弱。

今夜は早めに寝ることを決意しつつ、残りの期間もしっかりやりきろうと誓ったのだった。

◇◇◇

「イルゼ様っ……本当に、本当に……息子を救ってくださってありがとう、ございました……」

「はい。どうかこれからもお大事にしてくださいね」

無事に治療を終えた後、エンフィールド公爵邸へ向かう馬車に乗り込む。馬車の中で私は鞄から一枚のメモを取り出すと、そこに書かれた名前をそっと指でなぞった。

(無事に全員治せて、本当に良かった)

そう、今日で伯爵夫妻から紹介された病気の子ども達を全員治すことができた。達成感と安心感で胸がいっぱいになるのを感じながら、全員が家族とこの先も元気に幸せに過ごしていけることを祈らずにはいられない。

今日は自分を甘やかしてしっかり休もうと決めて、屋敷に到着後はソファにぼふりと倒れ込んだ。すぐにメイドが結い上げたままの髪を解いてくれて、上着まで脱がせてくれる。

ちなみにリタは家庭の都合で、1週間の休暇中だ。

「奥様、もう1ヶ月以上も休まれていませんよね。本当にお疲れ様でした、どうかゆっくりお休みください」

「ええ。本当にあっという間に時間、が……」

私を労ってくれるメイドに何気なくそう返事をしている途中でふと、引っ掛かりを覚える。

(──あれから、1ヶ月経ってる?)

忙しさで毎日が一瞬で過ぎ去っていき、日付感覚が失われていたことに気付く。同時に自分の中で違和感が大きくなり、私は慌てて身体を起こした。

「奥様? どうかされたんですか?」

「…………っ」

メイドに返事もせずにそのまま部屋を飛び出し、ギルバート様がいるであろう執務室へと向かう。

必死に廊下を走る私を、すれ違う誰もが不思議そうな目で見ているけれど、そんなのはもうどうでもいい。

階段を駆け上がり長い廊下を進む途中で、使用人達が慌てた様子でこちらへ向かってくるのが見えた。

ひどく嫌な予感がして、私はすぐに一人のメイドを引き止めるとその両肩を掴んだ。

「ねえ、どうかしたの? ギルバート様に何かあった?」

「お、奥様……旦那様が倒れられたそうです」

その瞬間、目の前が真っ暗になった。