軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

悪妻は離婚したい 6

次に目が覚めた時、私はエンフィールド公爵家の自室のベッドの上にいた。

「あれから二日も寝ていたなんて……」

「お医者様にも診ていただいた結果、やはり魔力切れとのことでした。そちらも治療済みです」

ベッドの上でリタが用意してくれたお水を飲みながら話を聞いたところ、ギルバート様の指示により手厚い治療を受けたらしい。お蔭で二日も意識がなかったにもかかわらず、身体は驚くほど軽く、すっきりとしていた。

「あの事故に巻き込まれた人は、みんな無事なのよね?」

「はい。あれ程の規模で死者が出なかったのは奇跡だとか」

「良かった……」

きちんと確認はできなかったけれど、最後に治療した親子も無事に家に帰れていたらいいなと思う。

(あの様子も大勢の人に見られていたんじゃ……ああ……)

同時にギルバート様に薬を飲ませてもらった時のことを思い出し、顔が熱くなる。もう動けなくなるほどの無理はしないようにすべきだと、深く反省をした。

「奥様と旦那様が大勢の人々を救ったという話はもう、かなりの噂になっているようですよ」

「……そう」

「社交シーズンが始まることもあって、奥様へのお手紙や招待状もたくさん届いております。今回の事件についてのお話を聞きたい方も多いのでしょう」

リタは事務的に話しながら、大量の封筒をテーブルの上に置いてくれた。貴族がみんな噂好きだというのは私でも知っているし、傲慢なイルゼが不仲な夫と人助けをしたなんて話、誰でも興味が湧くに決まっている。

(はあ……これからどう言い訳をしていけばいいのかしら)

あの時はもちろん必死で、その先のことまでは考えられていなかった。けれどこれから先、元々のイルゼと同じように生きていくつもりはない。

リタだけには「頭を打って記憶が少し抜け落ちている」と話しているけれど、この先ずっとそれで通していくわけにもいかない。そう思った私はリタへ視線を向けた。

「……ねえ、身体が他人と入れ替わる魔法ってある?」

「そんなものがあったら、全てを信じられなくなりますよ」

呆れを含んだ苦笑いを向けられ、この世界にそんな魔法は存在しないのだと悟る。

ただでさえ、今の私は誰からの信用もない。そんな中、世に存在しない方法で「別の人格が入って更生しました」なんて言ったところで、誰も信じてくれないのは明白だった。

特にギルバート様からは「別人になったと適当な嘘をついて、過去の罪から逃げようとしている」ように見える可能性だってあるだろう。不誠実そのもので、さらに立場が悪くなるのは目に見えている。

(……絶対に黙っていなきゃ)

そう決意した私はベッドから降りると、リタに着替えと食事の準備をお願いすることにした。

◇◇◇

それから二時間後、部屋の窓越しに美しい庭園を見下ろしながら、あの日のことや今後のこと、そしてギルバート様とのことを考えていた時だった。

メイドからギルバート様の来訪を知らされ、通すように告げると、すぐにドアが開く。振り返った先には、グレーのジャケットを身に纏うギルバート様の姿があった。

私の目が覚めた時には彼は留守だったらしいこと、普段より少し華やかな装いを見る限り、出先から戻ってきたばかりであることが窺える。

「目が覚めたんですね」

「……はい」

無表情のまま私の姿を一瞥したギルバート様は、淡々とそう言ってのけた。

「本当に申し訳ありませんでした」

そんな彼に向き直り、深々と頭を下げる。

「……それは何に対する謝罪ですか」

すると頭上からは、先程と変わらないトーンの声が降ってきた。ゆっくり顔を上げると、小さく眉を寄せているギルバート様と視線が絡む。

「あの事故現場で不躾なお願いをしたこと──そして、ギルバート様のお母様のことについてです」

もう一度「申し訳ありませんでした」と謝罪の言葉を伝えれば、彼のすみれ色の両目が見開かれた。

──必死だったとはいえ、今思えば「イルゼ」がギルバート様に対し大勢の人を救うのを手伝ってほしいと頼むのは、ひどく酷なお願いだった。

お母様を救ってほしいというギルバート様の切実なお願いに対し、イルゼは結婚や性行為まで強要したのだから。

それなのに見ず知らずの他人のために命の危険を冒してまで治癒魔法を使って救うなんて、ギルバート様からすれば理解しがたく、複雑な気持ちになったに違いない。

(……普通なら、腹を立ててもおかしくはないのに)

私の行動を責めるどころかギルバート様は嫌な顔をせず、できる限りのことをしてくれた。そんなギルバート様に対し、心から感謝をしている。

「助けてくださったことも、ありがとうございました」

少しでも感謝を伝えたくて、もう一度深く頭を下げた。

「…………」

ギルバート様は口を閉ざしたままだったけれど、再び顔を上げた私は続けた。

「過去の行いを消すことはできませんし、ギルバート様に許してもらえるとも思っていません。それでも今は全てを深く反省していて、変わりたいと思っています」

そして今後のことをよく考えた結果、イルゼの罪を背負った上で、誠実に生きていくことを選んだ。

最初は今から半年で更生なんて絶対に無理だと思っていたけれど、私自身は無関係だからといって、全てから逃げた先に幸せが待っているとは思えなかった。

この先イルゼとして生きていくのであれば、絶対に過去も罪悪感もつきまとう。

だから今は、できる限りのことをしたいと思っている。

(……それに、変わりたいという気持ちは嘘じゃない)

前世での私はずっと目標も夢もなく、ただぼんやりと生きているだけの自分が嫌いだったから。

とはいえ、いくら頑張っても娼館に売り飛ばされそうになってしまった場合だけは、全力で逃げようと思う。

「……たくさんの人を救えて、本当に嬉しかったんです。この力を役立てていきたいと今は思っています」

この世界でやりたいことも、見つけられた気がしていた。

ギルバート様から目を逸らさず、少しでもこの気持ちが伝わりますようにと祈りながら、言葉を紡いでいく。

彼からすればあまりにも自分勝手なことを言っている自覚はあるけれど、私自身の正直な気持ちだった。

「制約魔法のことも、解決方法を探します」

なぜか「絶対に離婚しない」と言われてしまったものの、いずれシーラと出会えば私が邪魔になって、ギルバート様の方から離婚したくなるはず。

それまでに少しでも更生した様子を見せつつ、二人を祝福して消えることこそが今の私の生きる道だと思っている。

「……それで?」

ずっとガラス玉のような瞳で私を静かに見つめていたギルバート様に、冷ややかに尋ねられる。

「なので私の事はこれまで通り、放っておいてもらえたらと」

そして一番伝えたかったことを、はっきりと口にした。

彼の思惑は分からないものの、制約魔法のことだって解決していない以上、今すぐに離れることはできない。

だからこそ、これが間違いなく無意味で意志に反した結婚生活を送るお互いにとって最善だと思った、のに。

「──嫌です」

静かな部屋に響いたのは、そんな言葉だった。

「えっ?」

「嫌だと言ったんです」

聞き間違いをしたようだと思ったのも束の間、ギルバート様はもう一度ご丁寧にはっきりと繰り返してくれた。

「ど、どうして……」

「あなたのことを愛しているから、とでも言えば納得してくれますか?」

貼り付けた笑顔でそう言われ、呆然としてしまう。

「これまでは寂しい思いをさせてしまっていたので、今後はもっと夫としての責務を果たしていこうかと」

「なっ……」

その上、距離を詰められ腰を抱き寄せられ、耳元でそんなことを囁かれた。

(な、なんでいきなり……私が改心しそうだから、なんて優しい理由じゃないはず)

美形に迫られ甘い言葉を囁かれているという状況なのに、恋愛のときめきではなく得体の知れない恐怖感により、心臓は早鐘を打っている。

「い、嫌で──結構です! 放っておいてください!」

「夫婦は愛し合うべきものだと、いつも俺にご高説を垂れていたのはあなたでしょう?」

嘲笑うような笑みを浮かべたギルバート様によって両手首を掴まれ、ぐっと窓に押し付けられる。

背中にはひんやりとした感覚が広がり、気が付けばすぐ目の前に彼の顔があった。

「なん……っん、やめっ……」

次の瞬間にはもう、噛み付くように唇を塞がれていた。

無理やりのキスに抵抗しようと口を開いた途端、さらに深く口付けられてしまう。

「っんん、……やっ……う、……!」

キスの仕方なんて知るはずもないまま口内を蹂躙され、息苦しさで視界がぼやけていく。

優しさの欠片もない、乱暴で一方的なキスだった。

「はっ、良い顔ですね」

「…………っ」

ようやく解放された時にはもう、その場に立っているだけで精一杯で。涙目で睨むことしかできない私を至近距離で見下ろすギルバート様は、綺麗に口角を上げた。

(こんなの、嫌がらせ以外のなんでもない)

そして私は、気付いてしまった。気付かされた、というのが正しいのかもしれない。

歪んでいたのは──歪んでしまったのは元のイルゼだけではなく、彼には私を許す気など到底ないということに。