軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

30 三百年前の必然、半年前の偶然

「まぁまぁ、ジェノ殿下。あとでお迎えに上がるとお伝えしたではありませんか」

静かなノックの音とともに扉が開き、姿を現したのはルクレツィアとレオナルドだった。

二人が並んで現れると、部屋の空気がぐっと引き締まる。彼らの一挙手一投足には、磨き上げられた威厳と気品が宿っていた。

「やぁルーシー、ごめんごめん。あかり殿と少し話したくて」

軽い調子でにこやかに応じるエウジェニオの声音には、彼なりの甘えの響きが混じっている気がする。ルクレツィアは一度だけ瞼を伏せて小さく息を吐いた。その仕草には呆れ半分、しかし親しい者にしか見せない甘やかすような色合いが混じっている。

今日の彼女の装いは、深い青色の布地に金糸の刺繍が映えるドレスだった。襟元や袖にあしらわれた細工は、夜空に輝く星座を思わせる。光を受けるたび、糸が瞬き、まるで彼女自身が天を纏っているかのようだ。

そして彼らの会話。愛称。愛称で呼び合う二人。は? 国王、マジで許せねェ……。

「エウジェニオ殿下」

気を引き締めた声で、レオナルドがエウジェニオの前へと歩み寄る。そして膝をつき、頭を垂れた。その所作は洗練され、騎士としての規律と王族への敬意を完璧に体現している。

エウジェニオは穏やかな笑みでそれを受けた。

「叔父上、ご無事で何よりです」

「勿体無いお言葉」

淡々と交わされた言葉の裏に、血縁だからこその温かさが見え隠れする。形式ばった礼の中に、互いを思いやる気配が確かにあった。

エウジェニオの表情に作り物めいたものはない。少なくともこの一幕を見る限りでは、彼がレオナルドを心から案じているのは明らかで、私の中の緊張がわずかに解ける。レオナルドに関しては、彼を頼ることに問題はなさそうだと感じた。

「同行している第三の団員たちにも顔を見せてあげてください。ずっと心配しておられましたよ。連れてきた護衛は僕の側近ですが、文官連中は掌握し切れていないので、大っぴらには出来ませんが……」

「お心遣い感謝致します」

その直後、レオナルドがちらりとこちらを振り返った。そこにいるのは、顔のパーツを中心にギュッと寄せたような渋面を作っている私。

「……あかりとは、何のお話を?」

「あぁ」

抑えた声音でレオナルドが問うと、エウジェニオは小さく頷いた。彼は一度だけ思案するように間を置き、それから私に視線を送る。その瞳が促すように瞬いた。どうやら隠すつもりはないらしい。

それからエウジェニオは軽く手を動かして、私たちをテーブルへと誘った。重厚な椅子がきしむ音を立て、四人は円卓を囲む形になる。そこに置かれた燭台の炎が小さく揺れ、緊張をさらに煽った。

静寂の中、エウジェニオは少し背を伸ばし、ゆっくりと語り始める。

「これは三百年ほど前の話だ。王家に伝わる歴史書に載っている話だから、実話だよ」

そう前置きして、彼はゆったりと語り始める。その口調は、古い伝承を子どもに語り聞かせるようでありながら、同時に重みを帯びていた。

「当時、王国では疫病が未曾有の大流行を見せた。人々が次々に倒れ、街は火葬の煙で覆われたという。王宮の中ですら例外ではなかったとされている。……と、ここまでは史実としてもよくある話だ」

彼の言葉に導かれるように、私の脳裏には黒い煙が立ち込める街の光景が浮かんだ。人々が怯え、怨嗟の声が夜に響く。背筋に冷たいものが走り、思わず指先を握りしめる。

だが、エウジェニオの声は淡々と続く。

「そこに、突如として一筋の希望がもたらされた。──《聖女召喚の術》。これが神から授けられたものか、あるいは宮廷魔術師の叡智の結晶かは、諸説ある。だが確かなのは、その術によって異世界から聖女が呼び出された、ということだ。そして聖女は浄化の力を持ち、疫病を一掃し、この国を救った……と伝えられている」

「聖女」

「召喚」

レオナルドとルクレツィアが同時にこちらを向いた。コッチミンナ。

「王国の歴史については学びましたけれど……初耳ですわね」

ルクレツィアが小首を傾げながら言う。その声音にはわずかな困惑が滲んでいた。

彼女ほどの才媛が知らないという事実。つまり、この逸話は学術的にも意図的に隠されたか、あるいは自然と埋もれてしまった歴史なのだろう。

「聖女が表舞台に立ったのはその件のみで、その後は離宮で静かに暮らしていたとされている。王家に囲われていたんだろうね。そして彼女の死後、再び聖女が召喚された記録はない。御伽話としても人気はないからね。世間に伝わっていないんだ」

エウジェニオは肩を竦める。軽い仕草に見えたが、その眼差しの奥には、口にしなかった疑念が隠れているようだった。

歴史の表舞台から消されるようにして姿を消し、ただ王家の記録の中だけに残っている。

確かなのは「聖女は確かに一度、この国に現れていた」という事実だけだ。

「……殿下は、何故そのような話を?」

重たげな空気の中、レオナルドが口を開いた。普段通り冷静沈着な彼だが、わずかに眉間に皺が寄っている。

問いかけに対し、エウジェニオは短く息を吐き、椅子の背に軽く体を預けながら視線を天井に漂わせてから静かに告げた。

「以前から父上が、魔術師を集めて何かを計画していたことには気付いていてね。調査を進めた結果、聖女召喚の術が記された古い書物が禁書庫から紛失していることがわかったんだ」

ルクレツィアの長い睫毛が微かに揺れる。

「……では、陛下がその聖女召喚の術を行使した、と?」

「そう。およそ半年前にね」

「半年……」

小さく呟いたルクレツィアが、うっすらと唇に指を当てる。

彼女の視線が自然と私へと流れた。そして同時に、エウジェニオの眼差しも。その眼差しを追うように、レオナルドも私を見た。

私はそっと目を逸らした……。

「さて、あかり殿がシャンプーを携えて市場に姿を現したのが、確か半年ほど前だったね」

「ワー偶然ダナー。いや研究の結果が実って製品化に成功したのがたまたま半年前だっただけで普通にこの世界のとある村で製造してますよ」

「ここ半年で大幅に収益を上げた村は確認されていないな。脱税かな? 続きは牢で話すかい?」

「一人で調達して売ってます」

「よかった。搾取されている村人なんていなかったんだね」

さらりと毒を含んだ冗談を言いながらも、エウジェニオの表情は微笑を保っている。どうやら本気で追及しているわけではないらしい。

それでも心臓には悪い。ドクドクと脈打つ音がやたら大きく聞こえる。

にこやかに笑みながら、あかり殿の業務形態ならギルド側で税務処理が行われているはずだから心配はいらないよ、と楽しそうに告げるエウジェニオ。

「でも……それだけで私が聖女だなんて発想になるのは、飛躍が過ぎませんかぁ……」

「半分くらいはこじつけで鎌掛けだったんだけど、その反応だと合っていそうだね?」

「いぃん……」

思わずレオナルドの腕にしがみつき、ぎゅっと掴んで情けなく哭いた。

彼は驚いたように瞬きをしたが、振り払うこともなく、ただ困惑を顔に浮かべて私を見下ろした。

「というわけで、あかり殿。貴女は聖女様であられる?」

「自認はないですが……思い当たる節はあります……」

小さな声で吐き出す。

神様転生したわけでもなければ、国王に召喚された覚えもない。だが、異世界から転移してきた事実だけは覆しようがない。

ただし持っているのは、浄化だの癒やしだの聖女っぽい力ではなく──インターネッツ。

「あかりの商品が異世界の技術である、というのは納得できるところではありますけれど……」

ルクレツィアが、静かに言葉を継いだ。

彼女は自分の爪先に目を落とす。鮮やかな青色のネイルが煌めき、灯火に反射して小さな光を散らす。仕草一つが洗練されているのはさすがだ。

そして、瞳を細めて続ける。

「陛下は何故、聖女様を召喚なさろうと?」

「疫病で臥せっていた病人をはじめ、当時の国王の寿命すら伸ばしたと言われている。聖女には浄化の力と共に、不老不死を与える力があるのではないか、とね。あとは単純に、聖女が手に入れば箔にもなる」

エウジェニオの声音はあくまで淡々としているが、その内容は背筋が寒くなるほどに生々しい。

先の話を思い出す。──そうだ。いくら王座に執着する王でも、老いと死は避けられない。だからこそ世継ぎが必要なのだ。

だが、もし国王が不老不死になれるのなら?

私は唇を噛んだ。そんなこと、考えるまでもない。

「私にそんな力ないんですけど……」

「そうだよねぇ」

呟くと、エウジェニオは肩を竦めて笑った。けれど、笑っているからこそ、その裏にある「けれど国王は信じている」という含意が透けて見える。

……そもそもの話だ。三百年前の"聖女"だって、本当に浄化の力を持っていたかどうか怪しいものだ。

この世界には魔法も魔道具もあり、そのおかげで相応の時代より技術が進んでいる分野もある。いわゆるナーロッパ的世界観だ。

たとえば衛生施設。上下水道が整備され、水洗トイレもある。公衆浴場だってある。

だが三百年前ともなれば、さすがにそこまで発展してはいなかっただろう。

もしも──私と同じような時代を生きた現代人が、疫病のはびこる世界に召喚されたのだとしたら。

最低限の衛生観念くらいは伝えるはずだ。手を洗え、身体を洗え、食器を清潔に保て、清らかな水を使え。

例えば食生活や生活習慣。それを正せば、人は健康的にある程度長生きできる。

……その"知識"を、"浄化の力"、"不老不死の力"と呼ばれていたとしたら。

……だとしても。

結局のところ、力が本物の奇跡であろうと、ただの現代知識でしかなかろうと──聖女が国を救ったという「結果」こそが、彼女を"聖女"と呼ぶ根拠になったのだ。

そういう意味では、当然、私は聖女ではないのだが。