軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

25 出会って五分で即入居

ヴァレスティ邸の応接間で話がまとまると、ルクレツィアはためらいもなく呼び鈴を鳴らし、控えていた使用人を呼び寄せた。

「こちらに滞在していただく以上、宿に荷物を置いておく理由はありませんわ。こちらで責任をもって運ばせます」

その言い回しは、半ば命令でありながら、やわらかく包み込むような響きを含んでいた。相手の立場を尊重しつつも、決して拒否させない気品ある言葉の選び方。貴族として自然に身につけた態度なのだろう。

私は慌てて手を振る。

「そ、それはさすがに……。自分で取りに行きますので」

「いいえ」

ルクレツィアは首を横に振る。その仕草は優雅だが、そこに込められた拒絶の意志は揺るぎない。

「私の招待客に、煩わしい用事をさせるつもりはありません。それに、出来るだけ人目に触れない方がよろしいのではなくて?」

こうして、宿に残してきた私とレオナルドの荷物は、邸の使用人たちの手によって回収されることになった。

宿の場所と部屋番号は、アポを取った時に門兵に告げている。命を受けた使用人たちが迷いもなく動き出し、制服の背中がきびきびと扉の外へ消えていく。

私はその様子を見送りながら、この家の規律と機動力をひしひしと感じた。

ルクレツィアはそれから立ち上がり、「お部屋へご案内いたしますわ」と微笑んだ。

廊下へ出ると、石造りの壁は上品な漆喰で仕上げられ、所々に絵画や花瓶が置かれている。どの装飾品も過度に華美ではなく、けれど選び抜かれた逸品ばかりで、空間に品格を漂わせていた。柔らかな光沢が灯りを受け、温かみを帯びた色を返す。

窓から差し込む午後の光が、床に敷かれた赤い絨毯へと格子状の影を落としている。歩くたび、靴底が分厚い絨毯に沈み込み、外の冷たい空気とは別世界のように心地よい。

広い廊下を進み、ルクレツィアは軽やかな足取りで二階へと案内していく。大きな窓からは庭園の噴水が見え、その向こうに街並みが遠く霞んでいた。

やがて一角に辿り着くと、後ろについてきたメイドさんがすっと前に出て扉を押し開ける。

「こちらがあなたの部屋よ、あかり」

案内された客間は、広さだけで言えば私の実家の居間の倍以上はあった。

天井が高く、二面の大きな窓からは庭園を見下ろせる。窓辺には淡い緑色のカーテンが垂れ、その手前に小ぶりのテーブルと肘掛け椅子が置かれている。壁は淡いクリーム色で、腰の高さまで木目調のパネルが張られ、全体に落ち着いた雰囲気を漂わせていた。

中央寄りには四柱式のベッドが置かれており、天蓋には繊細な刺繍が施されている。白いカバーはぴんと張られ、枕元の小花瓶には可憐な花が活けられていた。

部屋に足を踏み入れると、ラベンダーと白檀を混ぜたような柔らかな香りが鼻をくすぐる。小卓には陶器のポットとカップ、焼き菓子が用意されており、客を迎える心遣いが細部にまで行き届いていた。

「隣の部屋がアルバレスト卿の部屋よ」

そう言って廊下のルクレツィアは隣の扉を指さす。レオナルドは無言で軽く頷き、私と目を合わせた。

「夕刻には兄が戻りますので、その折にご紹介しますわ。領主代理として日中は執務に出ているの」

「わかりました」

ルクレツィアがそう告げ、私は深く頷いた。

彼女の兄は、この領地の実務を担う立場にあるという。王都で職務に就く父に代わり、ここで政務を執り仕切っているのだそう。

貴族邸に泊まる以上、家の主やその代行者への挨拶は必須だ。ましてやヴァレスティ家は領主家であり、嫡男である兄は将来の当主──つまりこの地の全権を握る人物になる。

ルクレツィアはそれ以上多くを語らず、「しばらくお休みなさい」と軽く会釈して去っていった。

扉が閉まると、部屋の中はしんと静まり返る。

私は窓辺に立ち、庭を見下ろす。隙なく刈り込まれた芝生、背の高い常緑樹、奥に見える温室の屋根──冬でも花を育てられるであろうそれを眺めながら、私はこの家に受け入れられた事実をじんわりと噛みしめていた。

部屋の扉が、控えめに二度叩かれる。

「……入ってもいいか」

低く抑えた声。私が返事をすると、レオナルドが姿を現した。彼の立ち姿は変わらず隙がない。背筋はまっすぐ、視線は冷静で、警戒心が漂っていた。

「部屋は……問題なさそうだな」

「うん。広すぎて落ち着かないくらい」

苦笑を浮かべると、彼もわずかに口角を上げた。

レオナルドは部屋をぐるりと見回し、窓や暖炉、扉の位置を確認する。

「内鍵はしっかりしているが、念のため夜間は机を扉際に寄せた方がいい。窓の外は二階とはいえ、庭からの視線は遮断されていない。カーテンは日が落ちたら必ず閉めてくれ」

「はぁいママ」

「ママではない」

「確かに、どっちかというとパパ」

「パパでもない」

そんなやり取りに思わず笑みがこぼれる。だが彼は最後まで真剣だった。

こういうところは徹底している。貴族の屋敷だからといって、無条件に安全だと信じない。その姿勢はむしろ頼もしかった。

「レオナルドくん。私のこと、子供みたいに手がかかると思ってない?」

「思っている」

「即答じゃん」

「冗談だ」

「冗談の間じゃなかったんですけど」

目を丸くすると、彼は淡々と続ける。

「人を見捨てることもできず不用意に危険へ踏み込む……厄介で、目を離せない」

「褒められてるのか貶されてるのか……」

「両方だ」

不器用な言い回しに、思わず笑ってしまう。彼は頑なに表情を変えないが、ほんの一瞬、視線が揺れたように見えた。

彼は少しだけ目を細め、しかしそれ以上は言葉を重ねず、「とりあえず今日は休め。何かあればすぐ呼べ」とだけ告げて部屋を後にした。

その後ほどなくして、宿から荷物が運び込まれた。

布袋や革鞄はきちんと紐が締め直され、宿から出た時よりも整った印象すらあった。中身に指一本触れないという保証が、その扱いから伝わってきた。

荷解きもそこそこに、再び扉が叩かれた。入ってきたのは先ほどの執事で、穏やかな笑みを湛えている。

「お嬢様よりのご伝言です。お時間がよろしければ、嫡男様にご挨拶をとのこと」

私は少し緊張を覚えながら身支度を整えた。上着を着直し、髪の乱れを手櫛で整える。レオナルドも隣室から出てきて、無言でうなずき合った。

執事の案内に従って廊下を進む。さきほど案内された客間よりもさらに奥、陽光が長く差し込む広い廊下を抜けた先に、その部屋はあった。重厚な両開きの扉が開け放たれ、奥には大きな書き物机が鎮座している。

机の向こうにいた男は、年の頃二十歳前後だろうか。整えられた榛色の髪に蘇芳の瞳、ルクレツィアと似た彫りの深い顔立ちをしているが、妹よりもずっと落ち着いた印象を与える。

濃紺の上着は上質だが飾り気はなく、袖口まできっちりと留められていた。机の上には帳簿や書状が広がり、脇には開封待ちの封蝋つきの手紙が山と積まれている。

彼は筆を置くと立ち上がり、私たちに歩み寄った。

「妹から話は聞いている。遠路ご苦労だったな」

その声は低く、しかし穏やかだった。初対面の相手を見下すような気配は微塵もない。

私は深く礼をし、「あかりと申します。このたびは突然のお願いにもかかわらず、お招きいただきまして……」と挨拶した。

レオナルドも続いて名乗る。

嫡男──エドワルド・ヴァレスティと名乗ったその青年は、軽く頷いてから私たちを机脇の応接セットへと促した。

「妹がよほど信頼しているらしい。あの子は人をそう簡単に屋敷へ泊めたりはしない。……もっとも、事情が事情だと聞けば納得もできる」

エドワルドはそう言って、こちらをまっすぐ見た。視線に探るような鋭さはあるが、それは敵意ではなく、ただ領主として相手の真意を測ろうとする習慣だろう。

「ルクレツィアから聞いたが、ここに至るまで穏やかならぬものだったそうだな」

「はい……」

私は曖昧にうなずく。エドワルドの視線を正面から受け止めたレオナルドが静かに口を開いた。背筋はまっすぐ伸び、胸を張るでもなく、しかし萎縮するでもなく。

「ご理解に感謝いたします。ヴァレスティ公爵家のご厚意を、決して裏切らぬことをお約束します」

その態度に、エドワルドの目が一瞬だけ細められた。探るような視線と、無言の駆け引き。互いに無闇に言葉を重ねず、しかし確かに意志を交わし合っている。

張り詰めた空気に、私は思わず背筋を伸ばす。

(え、なんか今、無言で剣戟交わしてたみたいな雰囲気だったんだけど……?)

やがてエドワルドはふっと肩の力を抜き、口元にわずかな笑みを浮かべた。

「安心してほしい。客人の安全を守るのも務めのうちだ。王城へ直接乗り込むのは危ういが、ここならばある程度、外の目からも遠ざけられる」

エドワルドは、淡々とそう言った。

その口ぶりからして、この家では既に私たちの滞在が特例として正式に受け入れられていることがわかる。

「もっとも……」と、エドワルドはわずかに声を落とした。

「妹の客人であるからには、私もできる限り力を貸すつもりだ。ただし、領政の予定を変えることは難しい。殿下の視察の日程が確定すれば、それに合わせて行動することになる」

「承知しております」

私は即座に答え、レオナルドも頷き同意を示す。

話は短く、要点だけで終わった。エドワルドは再び書き物机へ戻り、積まれた書状の封を切り始める。これ以上長居すれば彼の仕事の妨げになると察し、私たちは静かに席を立った。

部屋を出る間際、背後から「妹を頼む」という短い一言が届いた。振り返ると、エドワルドは机に向かったまま、ほんのわずかに口元を緩めていた。

廊下に出ると、ルクレツィアが待っていた。

「兄は私に甘いの。あの人が許可した以上、あなた方はもうこの家の一員みたいなものよ」

その言葉は、確かな安心と同時に、ここから先の行動に対する重みも私に感じさせた。