軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

22 お礼とお返しと暴露オチ

蓋が静かに開くと同時に、室内の灯りがその中身を照らし出す。

滑らかなビロード張りの内側には指先ほどの小瓶が十本、整然と並んでいた。どれも形は同じだが、中に満たされた液体の色が一つひとつ違う。

ローズ、サルビア、レモン、ミント、アイリス。ガラス越しに揺れる色彩は、光を受けるたびに小さくきらめき、まるで宝石箱を覗き込んでいるかのようだ。

「まぁまぁまぁ……! 可愛らしいわ!」

ルクレツィアの瞳が、ぱっと花が咲くように輝いた。薔薇色の虹彩が色の洪水を受け止め、そこにまた別の煌めきを生む。 彼女は一度視線を上げ、小さく首を傾げた。

「これは……絵の具、ではないのよね?」

その問いは半ば確信を含んでいた。私は微笑んで頷く。

社交界には趣味で絵筆を取る令嬢も少なくない。豪奢な顔料や絵筆を贈ることも珍しくなく、鮮やかな色合いから、そう連想するのも無理はない。

だが彼女の口調からして、この贈り物は自分に向けられた特別なものであると、既に感じ取っているようだった。ルクレツィアに渡すのは、もっと彼女らしい、もっと彼女を飾る品だ。

「えぇ。これはマニキュアという、爪紅の一種です」

「まぁ! これが?」

彼女の長い睫毛がぱちぱちと瞬く。 この国にも爪を染めるための染料は一応存在する。だが発色は淡く、水や摩擦ですぐに落ちてしまう。舞踏会や祭りの前に染めても一晩中持たせるのは難しい。爪に彩りを加えるというよりは、ほんのり色を添える程度のものだ。

ルクレツィアは小瓶をひとつ手に取った。指先で転がすたび、液体が瓶の中でゆらめき、光を反射してきらめく。

「……なんて鮮やかなのかしら」

ルクレツィアの声が、ほんの少し甘くなる。その声色には、ただ珍しい物を見たときの好奇心だけでなく、女性としての直感的なときめきが混じっている。

想像の中で、彼女はすでにこの色たちを自分の指先にのせ、華やかな社交界を歩いているのだろう。

彼女はひとつ息をつき、まるで新しい宝物を見つけた子供のように小瓶を愛おしげに撫でた。

「色も、どれも見たことがないわ。この赤は私の瞳と同じ色。ああ、でもこの紫も素敵……」

細い首を傾げながら、次々と小瓶を持ち上げ、光に透かしては眺める。その瞳は完全に楽しげに輝いていた。

そんな彼女の様子に微笑んだ私は、自分の指先をそっと示した。

「私も今、これを塗っています。この色です」

「まぁ、この色を?」

彼女の目が、私の指先に吸い寄せられる。十本の小瓶の中から、私はひとつを指差した。

瓶の中では濃いワインレッドに見えるそれは、実際に爪に乗せるとほのかにピンクを帯びるクリアカラーだ。刷毛が瓶の中央で待っているのが透けて見え、その質感が既存の爪紅とはまるで違うことを無言で主張している。

「丁寧に磨かれていると思っていたのだけど……これを使うと、こんなに艶が出るのね」

彼女は私の手を取って、光の下で爪を観察する。鏡のような光沢が、指の動きに合わせて滑らかに流れた。

「よく見るとちゃんと色も乗って……肌が綺麗に見えるわ」

その視線は爪先だけでなく、私の指の動きや手肌全体を追っている。 私は軽く笑い、爪の表面を親指で擦ってみせた。ルクレツィアも真似をして、そっと私の爪を指先で撫でる。つるりと滑る感触に、わずかに目を見張った。感触が面白いのか、二度三度と繰り返している。

「……不思議。本当に落ちないのね」

市販の爪紅なら、こうして擦るとすぐに色も落ちてしまう。だが、このネイルポリッシュは違う。薄い膜のように爪に密着し、衝撃や水にも強い。

「市場にある染料と違い、発色も良く、長持ちします」

私が説明すると、ルクレツィアは小瓶の列を再び見回し興味深げに眉を上げた。

「どのくらい?」

「およそ一週間ほどでしょうか。爪が伸びると、根元が浮きますので」

「なるほど、そうね。でもそう、そんなに……」

私は小物入れの片隅に収まっていた、透明な液体の入ったガラス瓶をそっと取り出した。瓶の口元は銀色の細い蓋で封じられており、光を反射して微かに輝く。

「マニキュアはこちらの除光液で落とします。このような綿に染み込ませて、溶かすように優しく……」

同梱されていた真っ白なコットンを取り出し、指で軽く押してみせる。ふわりとした弾力と、絹にも似た滑らかな手触りが指先に広がる。 ルクレツィアは興味津々でそれをつまみ上げ、感触を確かめるように何度も撫でた。親指と人差し指でつまんでみたり、手の甲にすべらせたりして感触を楽しむのに余念がない。

「ただ……」と私は声をやわらげた。

「塗ったまま長期間過ごすこと、そして除光液で擦ること。これはどうしても爪に負担がかかります。ですので、しっかり保湿して、お休みする時間をとってください」

その言葉に、ルクレツィアの唇が柔らかく緩んだ。

「えぇ、えぇ。お化粧もそうですものね。夜になれば落として、お肌を休ませる時間が必要だわ」

彼女は、指先で自分の頬を軽く撫でながら、納得したように何度も頷いた。

ルクレツィアは、深紅の瓶をそっと持ち上げ、今度は自分の爪先と見比べる。透き通るような白い爪が、その色を映したかのように、仄かに赤く染まって見えた。

「指先の色ひとつで、こんなにも雰囲気が変わるのね……」

私は内心でほっと息をつく。贈り物は、彼女の美意識と好奇心をしっかりと掴んだようだ。 この鮮やかな小瓶たちは、きっと彼女の生活に新しい色を添えるだろう。それは社交界での話題にもなるに違いない。

「こちらはいつから販売なさるの?」

ルクレツィアが小瓶をひとつ指先で転がしながら、興味と期待の入り混じった軽い口調で問いかけてきた。けれどその瞳は淡い興味だけではなく、何か探るような光を帯びている。

しかし私は眉を下げ、小さく首を横に振った。

「こちらは量産が難しく……今のところ市場に出す予定はないのです。本日はヴァレスティ公爵令嬢様へのお礼に、特別にお持ちいたしました」

私がそう答えると、彼女は小瓶から視線を上げ、まっすぐに私を見た。瞳の奥で宝石のような光がきらめく。唇に

笑みを乗せたまま、少しだけ身を乗り出した。

「まぁ、どうぞルクレツィアと呼んでちょうだい、あかり。そうなの。これを使えるのは私だけなのね」

私は控えめに微笑み返した。

その声音は軽やかだが、独占する喜びと満足が宿っていて、それがまるで香水のようにふわりと漂う。華やかな社交界で彼女が手に入れるものは多いが、完全な“唯一無二”はそう多くない。

「素晴らしい贈り物をありがとう、あかり」

「とんでもございません」

正面から見据えられ、私は深く一礼した。無事にルクレツィアから"満足"を引き出せたようで、安堵に胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じる。

だが、彼女はそこで終わらなかった。

その瞬間ふと口元を緩め、まるで思い出したように言葉を継ぐ。

「そうそう、私からも渡すものがあるの」

ルクレツィアはそばに控えていた執事に目配せした。 細い指先が執事の手から受け取ったのは、小さな漆黒の箱。彼女はそれを手ずから開き、私の前に置いた。

──思わず息を呑む。開けられた瞬間、淡い光がこぼれた。

そこに収まっていたのは、ピンクサファイアがあしらわれたブローチ。中央にはヴァレスティ公爵家の紋章が精緻な彫金で刻まれている。宝石の縁取りは繊細な透かし細工で、角度によっては花弁のようにも見える。

「お返しするわね」

小さく笑うルクレツィアから、私は恐る恐るそれを受け取った。ずしりとした重みと、手のひらをすべるような宝石の冷たさが同時に伝わる。視線を落とすと、ブローチのピンクサファイアが小さく瞬いた。

これは、ただの宝飾品ではない。 この石が示すのは、ヴァレスティ公爵家が公に認めた庇護と、暗黙の影響力。

なんと、このブローチ──実はリンスインシャンプーを卸し始めて二ヶ月ほどの間もない頃、商業ギルドでセルディ経由で渡されていたのだ。『何か困ったら使え』と。それだけのために。

ただのシャンプーの販売に対して、あまりに過剰な厚遇。

故に、だからこそ、後にあの商会へ釘を刺した件──間違いなく彼女が噛んでいるはずだと判断したのだ。

そして今回、彼女にアポを取った時、私はあのブローチを手紙に同封させてもらった。出来ればお会いしたいと。それ以上でも、それ以下でもない文脈で。

その結果が、今こうして彼女の前に座っているこの時間なのだ。

「ですが、本日こうしてお目通りが叶っただけで充分──」

「まぁまぁ、たったそれだけのことでは『はいおしまい』なんてしませんわ」

私が言いかけると、ルクレツィアは片手を軽く上げて遮った。

彼女の笑みは艶やかで、その口調は穏やかだが、有無を言わせぬ芯の強さがある。

「貴女の旅路には、私がついています」

言葉の温度を測りかねて、私は短く瞬きをした。旅路、という言葉が意味する範囲は広い。この国での商いのことか、それとも……。

しかし確かなのは、その一言は、どんな契約書よりも強固な後ろ盾の証明だということだ。軽口ではなく、貴族としての名と権威を背負った者の、確かな約束。

「……光栄です、ルクレツィア様」

そう答える声は、思っていたよりも少しだけ震えていた。ルクレツィアはそんな私の様子を見てふっと笑みを溢す。 その笑みは、威厳を纏う貴族の顔でも、社交界の華のそれでもなく──ただの女の子としての、優しい笑顔だった。

ルクレツィアはティーカップに口をつけると、小さくひと口。薄く香るハーブの香りが、空気に広がる。彼女はカップをソーサーに戻し、ゆっくりと手を組む。

そして彼女の視線が、私を通り越して背後に向けられた。

「それに、本当はこれを使ってでも、どうしても私に会いたい事情がおありだったのでしょう?」

空気が、すっと引き締まる。ルクレツィアはそのまま、背後に立つレオナルドを真っ直ぐに見据えていた。

「我がフォルイグレシア国第三騎士団副団長、レオナルド・アルバレスト卿」