軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

178、仕事の日々と夜の訪問者

仕事開始から数時間後。マルティナは視界がゆらゆらと揺れたことで、本の世界から現実に戻ってきた。

パチパチと目を瞬いて顔を上げると、そこにはマルティナの肩を掴んで揺さぶった張本人であるロランと、その後ろにはルイシュ王子がいた。

「ルイシュ王子、いらっしゃっていたのですね。気づかなくてすみません」

「気にしなくて構わない。熱心に仕事をしてくれて感謝する」

そう言ってくれるルイシュ王子にマルティナは感謝しつつ、椅子から立ち上がる。時計を見ると、ちょうどお昼時だった。

「マルティナ嬢を昼食に誘いに来たんだ。一緒にどうだろう」

王子からの誘いを断るなんてことが一介の官吏であるマルティナにできるわけがなく、そうでなくともルイシュ王子との話は本に関する話題で盛り上がれて楽しいので断る理由もなく、マルティナはすぐに頷いた。

「ぜひ」

「ありがとう。護衛の二人も共に食べよう」

「ありがとうございます!」

「……かしこまりました」

ルイシュ王子の提案にサシャは満面の笑みで、ロランだけはまだ僅かにルイシュ王子を警戒していた。

そんな中でルイシュ王子が貸し切った小さめの食堂に案内され、そこで四人だけの食事になる。食事の間は終始和やかで、料理も最高に美味しかった。

「めちゃくちゃ美味いっす!」

「それなら良かった。おかわりもあるから好きなだけ食べてくれ」

「本当っすか! ありがとうございます!」

サシャがずっとテンション高く、マルティナもご機嫌で、ロランもさすがに少し絆されたのか警戒を解いていて――そうして昼食は何事もなく終わった。

それからもマルティナは、毎日サディール王国の王宮図書館に通う日々を過ごした。

霊峰に関する書物を読み耽り、昼食は基本的にルイシュ王子に誘われて共に食べる。たまにナディアやシルヴァンとお茶で休憩したり、ロランによって強制的に取らされた半休でサディール王宮の庭園を散策したり。

マルティナにとっては幸せすぎる日々を過ごし――八割ほどの書物を読み終えた日の夜。マルティナが夜に客室のソファに体を預けて一人で休んでいると、客室の窓が軽く叩かれた。

ほんの小さな音だったが、マルティナには確かに聞こえた。ちょうど読んでいた本が区切りの良いところで、本の世界から意識が浮上していたのだ。

「虫でも、ぶつかったのかな」

思わずそう呟くほど小さな音だった。しかし、少ししてから全く同じ音がまた聞こえる。

トントン。

二回目が聞こえたところで、さすがにマルティナはソファーから立ち上がった。本をテーブルに置き、窓際に向かう。閉じられているカーテンに手を掛けて少し開くと……。

「わっ」

そこには、ルイシュ王子がいた。

マルティナの客室は二階だ。二階のベランダに、なぜかルイシュ王子がいる。マルティナは混乱してロランを呼ぼうかと振り返りかけたその時、ルイシュ王子が窓の向こうで差し出した本に意識が固定された。

その本の表紙から読み取れる内容は、サディール王国の王都における街の変遷がまとめられているものらしい。普通ならば、他国の人間であるマルティナは絶対に読めない書物だ。

マルティナの眼差しがじっと本に固定されたところで、ルイシュ王子が一枚のメモを示した。そこには――。

『マルティナ嬢に頼みがある。誓って危険な目には遭わせないため、他の誰にも伝えず私と共に来てほしい。礼としてこの本を貸そう。さらに他にも普通ならば読めない貴重な本を貸す』

そう書かれていた。マルティナは目の前の本を読めるという事実に飛びつきそうになり、なんとかその衝動を抑え込んだ。

(っ、あ、危なかった……)

窓の鍵に向かって無意識に伸ばしていた手を引っ込めて、今のこの状況をどうするべきか脳内で必死に考える。

ルイシュ王子は今まで付き合ってきて、信頼できる相手だと思っていた。しかし他国の人間であることは確かだ。一人で付いていくなんて危険を冒してはいけない。部屋の外にいるロランに伝えるべきだろう。

理性ではそう分かっているのに、目の前の本を読みたいという欲求がとても強い。

(ロランさんを呼んだら、目の前の本は読めないのかな)

そう思ってしまったら、なかなか踏ん切りがつかなかった。さらにルイシュ王子ならば危険はないだろうという思いもある。

(とりあえず……窓を開けよう、かな。それだけなら声を出せばロランさんにすぐ伝えられるし、ルイシュ王子の事情をもう少し聞いてみたい)

マルティナは最終的にそう結論づけ、窓の鍵に手を伸ばした。そっと窓を開けると、ルイシュ王子は安心したようにホッと息を吐く。

「ありがとう」

本当に小さな声で告げた王子に、マルティナもルイシュ王子に顔を近づけて、小声で問いかけた。

「頼みってなんですか? ロランさんにも伝えてはいけないのでしょうか」

「ああ、できればマルティナ嬢だけが望ましい。どうしてもというのであればロランだけならば……いや、しかしあまり大勢に知られたくはないのだ」

ルイシュ王子の葛藤が見えて、マルティナは最大限こちらを尊重してくれているようだと思った。

「なぜそんなに知られたくないのですか?」

「マルティナ嬢に頼みたいことというのが、私の母。すでに亡くなっているこの国の側妃が残した暗号の解読なのだ。母の意向もあり、その存在を秘匿したいため、見せる人数は絞りたい」

暗号の解読。しかも今は亡き側妃が残したもの。思わぬ話にマルティナは目を見張る。

「暗号なんて、私には解読できないと思いますが……」

「もちろんできなくても構わない。今まで信頼できる数人に見せてきたが、いずれも解読は叶わなかったのだ。しかし最後の望みとして、マルティナ嬢に見てほしいと思っている。その類稀な知識量で何かが分かるかもしれない。この道具を持ち、何かがあれば助けを呼んで構わないから、なんとか頼めないだろうか」

そう言ってルイシュ王子が差し出したのは、ボタンを押すと大きな音が鳴り響き、周囲に異変を伝える道具だった。小さな子供などが持つ、ラクサリア王国にもあるものだ。

ここまでしてくれるのであれば、ほんとうに危険はないのだろう。しかしマルティナは――自分のことを命を掛けて守ってくれているロランとサシャを、裏切ることはできないと思った。