軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

278

いよいよ夏休みに入った。

高校生最後の夏休みの初日は、塾の夏期講習から始まる。

せっかくの夏休みなのになんとも味気なく寂しい限りだけれど、受験生だから仕方ない。本当は休みなんだから初日くらい寝坊してごろごろしていたかったけど。

夏期講習の教室にはすでに受講生がぽつぽつと座っている。普段の授業では見かけない顔も結構いるな。今回の夏期講習だけ受講する生徒かな。さて、私はどこに座ろうか。机や椅子をやたら揺らしたりうるさくしない、なるべく無害そうな人の隣がいいんだけど…。

「あつ~い」

「電車が全然冷房が効いていなくて最悪」

「7月でこの暑さじゃ、8月を乗り切れる自信がないよ」

聞き覚えのある声がしたので振り返ってドアを見ると、梅若君達が連れ立って教室に入ってくるところだった。

「あ、吉祥院さん、おはよう」

「おはようございます」

私に気づいた梅若君が声を掛けてくれ、他の子達もおはようと挨拶をしてくれた。

「吉祥院さんもこっちに来て、一緒に座ろうよ」

「ええ」

梅若君が誘ってくれたので、仲間に入ることにする。

「どの辺に座る?」

「エアコンの近く」

「近すぎると暑さが引いた後で、寒くなるよ」

「あんまり前過ぎるのもねぇ」

かといって後ろ過ぎても良くない。ぽつぽつと席が埋まっているので、皆で固まって座れる席というと…。

「そこでいいんじゃないか?全員で座れるし」

梅若君が指した真ん中より少し後ろ側の空いている席を、私達は選んだ。

席に座ると、カバンを置いた北澤君が「眠~ぃ」と机に突っ伏した。

「なんで夏休みなのに普段と同じ時間に起きなきゃいけないんだよ」

「私もさっき同じことを考えました」

北澤君の愚痴に私が同意すると、「だよね~」と返された。

「普段通りの時間に目が覚めて、あ~今日休みだ~二度寝しようって、もう一度寝るのが最高に幸せなのにな」

「私も二度寝は大好き」

私が頷き「しかも目覚まし時計を気にしないで眠るのは至福のひとときだよね」と言うと、

「平日に無意識に目覚ましを止めて寝過ごした時は地獄だけどね」

それは恐ろしい。

「スヌーズ機能は付いていないの?」

「あるけど、たまに元を切っている時があるんだよ。意識がないのに細かな作業ができているって怖いよな」

「不思議よねぇ」

そこへ森山さんが、

「吉祥院さんって、天蓋の付いたお姫様ベッドに寝てそう」

「……」

「否定しないんだ」

だって私のベッドには天蓋が確かに付いているからね。でも閉じたままで全然使っていないけど。

森山さんは「本当に天蓋付きのベッドに寝てるんだ~!」と手を叩いた。

「じゃあさ、朝はメイドさんがベッドに紅茶を持ってきて、目覚めのお茶を飲んでいたりするの?」

「それはないわよ」

起きてすぐに熱い紅茶なんて飲みたくないし、寝ぼけた頭でティーカップなんて持ったら、手が滑ってベッドにこぼしそうじゃない。

「え~、ベッドの上でメイドが運んできたブレックファーストを食べているんじゃないの?」

「しないわよ、そんなこと。海外映画じゃあるまいし。ベッドの上で食事なんてしたら、ベッドトレイを使っていても安定しなくて、パンくずとかが落ちて汚れそうじゃない」

あ、でもパンくずは落ちていないけど、夜にベッドに寝転んで食べたスナック菓子のかけらは落ちているかも…。

「あ~、やっぱりそうかぁ。だよねぇ。私も映画で見るたびに絶対に起きてテーブルで食べたほうが食べやすいでしょうって思ってた。でも吉祥院さんだったらやっていてもおかしくないなって思ってさ」

「ベッドで食事をするのは病気をした時くらいね」

「そこは案外普通だね」

普通だよ。森山さんは一体私にどんなイメージを持っているんだ。天蓋付きのベッドに寝て、朝はメイドの淹れた紅茶に口をつけてから、ベッドで朝食を食べるお嬢様か…。お嬢様なのは否定しないけど、そんな生活はしていない。

「私、朝は弱いからすぐに起きられないし」

「吉祥院さん低血圧?」

「どちらかというと、そうかな」

「わかる。私も低血圧で~」

低血圧と胃下垂は乙女の憧れ。

「眠い~、眠い~」

北澤君がまだ言っている。

「うるさいぞ、北澤」

梅若君が北澤君の頭を小突いた。

「なんでそんなに眠いんだよ」

「昨日の夜中にゲームやりすぎた…」

「なにやってんだよ」

「いやぁ、勉強の合間にちょっとゲームに手を出したら止まらなくなっちゃって」

私は北澤君に相通じる仲間意識を感じた。わかるなぁ。ちょっと気分転換っていう時間が勉強時間より長くなっちゃう時ってあるよね。

梅若君は北澤君とは対照的に目もぱっちりと開いてすっきりとした顔をしていた。

「梅若君は全然眠くないの?」

「朝は暑くなる前の夜明けに散歩に行くことにしているからね。今の時間だとすっかり目が覚めちゃっているんだよ」

「散歩?」

「ベアトリーチェとね」

「ああ…」

梅若君は飼い犬のベアトリーチェをこよなく愛している犬バカだ。

愛するベアトリーチェのために、毎朝夜明けに起きているのか…。

「でもそんなに早くに起きていたら、寝不足で眠くならないの?」

「そのぶん、早めに寝ているからね」

ピアスをしたチャラい外見をしているのに、日付が変わる前には就寝して夜明けと共に起床しているとは、なんという健全な生活だ。それもすべてベアトリーチェのため。

「ベアトリーチェは長毛種だから、夏は特に暑がって大変なんだ。たまに毛をめくって間に団扇で風を送ってやると気持ちよさそうにぐで~と寝そべるのが可愛くてさ。扇風機もあるんだけど、俺に団扇で扇いでもらう方が好きらしくて、暑くなると団扇をくわえて持ってくるんだよ。それで扇げってさ。もう、我がままなお嬢様で参っちゃうよ」

と梅若君は全然参っていないデレデレ顔で言った。

でも全身を毛に覆われた犬は、人間以上に暑さに弱いかもしれないな。そうだ。

「夏だけ毛を刈ってしまえばいいのではないかしら?」

たまにいるよね。夏になると丸刈りにされて鶏がらみたいになった犬が。あれなら涼しいんじゃないかな。

しかし梅若君はそんな私の言葉に、信じられないと驚愕した表情を浮かべると、

「なんてことを言うんだよ。ベアトリーチェはおしゃれさんで俺が毎日手入れをしている自慢の毛並なんだ。それを刈るなんて…。そんなことをしたらベアたんは傷ついて外に一歩も出られなくなるよ。同じ女の子として吉祥院さんのその発言はあんまりじゃないか?」

「ごめんなさい。そんなつもりじゃなかったの」

梅若君に人でなしのような目で見られて、私は慌てて謝った。梅若君の耳を飾るシルバーの肉球ピアスがキラリと光る。

いつも明るく滅多に怒ることのない梅若君だけど、犬バカ故に愛犬ベアトリーチェに関する発言には注意しないといけない。

「森山さんみたいに女の子でもショートカットにする子がいるから、ベアトリーチェも夏はトリミングの時に少し短めにカットしてもらったらどうかなと思ったの。少し短くしただけで、風通しが良くなって涼しいんじゃないかなって。それにほら、少しボーイッシュな感じも可愛いかなって」

「あっ、そういう意味か。こちらこそごめん。ベアたんの友達の吉祥院さんがそんなひどいことを言うわけがなかったね」

うっかり丸刈りにしちゃえばと言わなくて本当に良かった…。

梅若君の機嫌が無事直ったところで、私がドア付近をぼんやり見ながら教室に入ってくる受講生を観察していると、落ち着きなくきょろきょろと辺りを見回しながら、多垣君が入ってきた。

私は席を立ち、多垣君に近づいた。

「多垣君、ごきげんよう」

「ひっ…!」

にこやかに声を掛けたのに、目に見えて怯えられた。なぜだ。いつもこんなにフレンドリーに接しているというのに。

「同じ瑞鸞生なのだから、仲良くしましょうよ」

「は、はい…」

と言いながらもカバンを抱えて後ろに下がるのはなぜかしら。

「私はあちらで梅若君達と一緒の席にいるのだけど、まだ座れるから多垣君も来ない?」

「いえっ、僕は一番前の席に座るので遠慮しておきます!」

「まぁ、勉強熱心」

一番前の席を陣取るとは。多垣君は高校受験を勝ち抜いてきた外部生組だものね。意識が違う。

「外部生の皆さんの勉強に対して取り組む姿勢は、私達も見習わないといけないわね」

「そんなことありません!内部生の方々も、とても優秀です!」

「それはないと思うわ」

だからこその外部生募集なんだし。鏑木と円城が内部生の平均点を上げまくっているけど、個人でみたら内部生は外部生に比べておバカさんが確実に多い。

「ピヴォワーヌの後輩なんて、今日から海外でダイビングにサーフィンですってよ。勉強する気がまったくないの」

「ピ、ピヴォワーヌ…」

「それに芹香さん達も」

「風見さん達?!」

多垣君の声が裏返った。

「芹香さん達がどうかした?」

「なんでもないです!気にしないでください!」

「そう?」

多垣君のこめかみに汗が流れた。

「あら多垣君、汗をかいているわ。外から来たばかりで暑いのね」

「いいえっ。なんだか急に寒くなったので大丈夫です!」

「そう?扇子で扇いであげましょうか?カバンに入っているから」

「ひいいっっ!お許しを!」

多垣君はカバンで顔を隠すようにガードすると、悲鳴を上げて逃げて行った。なんなのだ、あの態度は。私が一体なにをした。

まぁいいかと私が戻ると、森山さんに「どうしたの」と席を立ったことを聞かれた。

「同級生なので一緒に座らないかと誘ったのだけど、最前列で授業を受けたいらしくて断られちゃった」

「そうなの?こっちからだと相手が思いっ切り逃げ腰に見えたから、吉祥院さんが脅しているのかと思っちゃった」

「森山さんたら失礼ね。逃げ腰だなんて気のせいよ」

「え~っ」

森山さんが疑わしげな眼で見てきた。やだ。多垣君が変な態度をとるせいで、私がいじめでもやっていると思われちゃう。あとで多垣君に一言言っておかないと。

「しかし最前列って気合入ってるね~」

「そうね」

「でも瑞鸞だろ。付属校は大学までのエスカレーターが約束されているから、そこまで受験勉強しなくても余裕じゃないの?」

北澤君が話に入ってきた。

「大学への内部進学が約束されていても、学部は成績順ですから」

「あ~、そうか。付属でも無条件ってわけじゃないのか」

そうなのよ。だから私もこうして夏休みなのに早起きして講習に来ている。

「俺も瑞鸞を志望したいけど、レベルが高すぎて今の成績じゃ厳しいんだよなぁ」

「北澤君、瑞鸞志望なの?」

「そりゃ入れるなら入りたいよ。瑞鸞大は就職に強いし、私大の中ではトップクラスじゃん」

「なるほど」

「それに、ぶっちゃけ瑞鸞大生ってモテるし」

なんという不純な志望動機!

だが現役瑞鸞生の私が断言する。モテる人はどこの学校に通っていてもモテるし、モテない人はモテない。小学校から瑞鸞ブランドの恩恵にあずかっているはずの私が言うのだから間違いない。

「瑞鸞に通っているだけではモテたりしないわよ」

「そうかなぁ。瑞鸞の制服を着た子って可愛いしさ。吉祥院さんだってモテるでしょう?俺、うちの学校のヤツに瑞鸞に通うお嬢様と友達だって言ったらスゲー羨ましがられたけど」

瑞鸞のお嬢様がモテるって、そんな実感まったく味わったことがないですけど。そしてさらっと流したけど、友達だと言ってくれてありがとう。

「中学時代に死ぬ気で勉強しとけばよかったよ。そしたら瑞鸞に入って今頃もっと楽できたのにな~」

「瑞鸞に入っていたら、今みたいに茶髪なんて出来なかったわよ」

「えっ、マジで」

「マジで」

私立は校則が厳しいのよ。

「でも吉祥院さんってその髪パーマかけているんじゃないの?」

「いいえ。これはくせっ毛です」

「それはない」

正確には水に濡れても元に戻るようにゆるくパーマをかけて、毎日巻いている。完全に校則違反だけど、ピヴォワーヌの生徒にそんな指摘をする人間は誰もいない。

「瑞鸞の高等科に入学していたからって、それほど楽をできたとは思えないけど」

「そうかな。あ~でも、吉祥院さんも塾に通っているし、あの多垣クン?彼みたいに最前列で受講しないと付いていけないんじゃ、楽でもないか」

そうだよ~と最前列で講義前から勉強をしている多垣君の背中を見る。本当に私も見習わないと。そしてふと横を見てぎょっとした。静かだと思ったら、梅若君や森山さん達はテキストを開いて予習をしている!私達の中で暢気にしゃべっていたのは私と北澤君だけだ。

「まずいわよ、北澤君!」

私は机にだらしなく伸びている北澤君を叩き起こした。

「えっ、なにが。わっ、やられた!」

私達も慌ててテキストを開いた。友達といえど、すでに受験生同士のシビアな蹴落とし合いは始まっているんだわ!