軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

黎明の一矢 <前>

XII 黎明の一矢

宵闇のなか、青と赤の明かりが対峙していた。

夜光石の放つ青の明かりを背負って立つのは、輝士達を中心としたターフェスタ軍の兵士達。

一方、熱をもって煌々と燃える炎を携えるのは、下街に住まう者達を中心としたターフェスタの民衆である。

群衆が奏でる騒音のなか、赤の側の統率者であるヴィシャは、その声を確かに聞いた。

懸命に父を呼ぶ、少女の声だ。

ヴィシャはかき分けるように群衆の波に逆らい、声の元を探した。

「パパ!」

「ああ……」

思わず、嗚咽に似た音が、喉から溢れ出た。

我が子の声だ。命と引き換えにしても惜しくない存在。聞き間違うわけがない。

「ユーニ!」

叫んで呼ぶと、人波のなかから、誰かに抱きかかえられたユーニの姿が浮かんだ。

破顔して手を振るユーニの元へ駆け寄り、小さな身体を抱きしめる。

「生きた心地がしなかった……」

ヴィシャが顔をこするたび、ユーニの流す涙を、蓄えた髭が吸い込んでいく。

再会の喜びも束の間、聞かねばならないことがあった。

「……ッ」

巨体を誇り、大勢の人間を恐れさせ、乱暴者達をまとめあげてきた男が、その一言の問いを発することに恐怖した。

「ねえ」

ユーニに突かれ、促された先を見ると、青い異国の軍服を纏った女が二人、佇んで様子を窺っていた。

「あんたらは……」

ヴィシャが聞くより先に、ユーニがそれぞれを指差しながら答える。

「アイセとシトリ、たすけてくれた」

よく見ればそれぞれの容姿に、貴族としての特徴が色濃くある。

「そうか、ムラクモの……礼を言わせてくれ」

アイセはあちこち傷だらけで覇気がなく、シトリも疲れきった様子で、不安定に身体をふらつかせている。

アイセは頷きをヴィシャに返して、

「シュオウからの伝言だ。もう一人もかならず見つける、と」

聞くより先に届いた答えに、ヴィシャは落胆と期待の入り交じる複雑な感情を持て余した。

「見つけられる、のか……? 望みはあるんだな」

アイセは硬い表情のまま、

「シュオウがそうすると言った。私は彼を信じている」

ヴィシャは黙したまま、抱えるユーニと目を合わせる。

一度は諦めた我が子を、温かいままこうして抱きしめることができだ。

あの若者の言うがまま、やけくそと変わらない無茶な行動を起こしたが、結果が伴ったいま、それはたしかに無駄ではなかったと思える。

もう一人の我が子とも、再会できるのではないか。

一か八かの期待は、約束を交わした男への信頼に変わりつつあった。

そのためにも、その約束を継続しなければならない。

「シガという男がここにいると聞いた、知らないか。南方人の大きな男だ」

アイセに聞かれ、ヴィシャは群れの先端を指差した。

「騒ぎの中心にいるはずだ、あの身体だ、すぐにわかるだろう」

アイセは頷き、シトリと共に群れの中を目指して一歩を踏む。

ヴィシャは彼女らを呼び止めた。

「待て、その格好じゃまずいだろう」

ヴィシャは部下を呼び寄せ、厚手の外套を用意させ、アイセ達に渡した。

群れの中から、わっと怒声があがる。

ユーニが怯えてヴィシャにしがみついた。

子の一人が無事に戻ったことで、平静さを取り戻しつつあるヴィシャは、改めて外から見た群衆の様子に不安を抱いた。

日頃、その身を低くして生きている街の人々は怒り、眼の色を変え、口々に日頃の鬱憤を吐き出し、怒声をがなりたてている。

彼らの目は、すでにこの群れの統率者の存在など、忘れてしまっているように見えた。

師であり、敬愛する人物でもあるプラチナ・ワーベリアムの姿を見つけ、ナトロは群衆のなかに身を投じた。

「プラチナ様!」

プラチナの顔に驚きの色が浮かぶ。

「ナトロ!?」

プラチナは下を指差し、その場にしゃがみこんだ。人混みのなかで足に囲まれながら、ナトロは敬愛する師の顔を見て安堵した。

「プラチナ様、いったいどうしてこんなところに」

「色々あって……それより、あなたのその格好……」

プラチナは険しい顔をしてナトロの青い軍服をつまんだ。

ナトロは気まずさを覚え、俯いた。

「俺のほうも、色々と……」

「知っています、その様子からして相当こっぴどくやられたようね。鍛え方が足りなかったみたい……」

目を細めるプラチナは、真剣に鍛え直しを検討しているようだった。

ナトロはごまかすように大きく声を張った。

「そんなことよりッ、この状況、やばいですよ、なにがどうなってるんですか」

「成り行きで。故あって、今は影から彼らを見守っているのです」

「見守るって……明らかな反逆行為ですよ」

「たしかに。だけど、今は必要なことだと思っている――いいえ、信じている。子供達を助けるためにも」

「子供って、もしかして俺たちが連れてきた、あの――」

プラチナは力強くナトロの肩を掴む。

怪我を負った肩に触れられ、ナトロは膝をついて悶絶した。おかまいなしに、プラチナは聞く。

「子供を見つけた? なにがあったのか、詳しく聞かせなさい」

ナトロは涙目で師の質問に答える。

激闘の末、シュオウに僅差で敗北したこと。

潜伏中に道に迷い、困っていたムラクモの輝士達を引き連れ、子供を守ったこと。実際に起こった事に多少の脚色を加え、さらに去り際に見聞きした、一連の出来事をすべてプラチナに話して聞かせた。

「まさか……本当に見つけるなんて」

安心した顔を見せたのも束の間、プラチナは表情を引き締めた。

「ナトロ、あなたには冬華としての責務がある。今すぐ自分の職務に戻りなさい」

「嫌です、まだはっきりと状況がわからないけど、こんな時に恩師を置き去りになんてできません。お側にいます」

目を合わせて離さないナトロに、プラチナは呆れたように嘆息する。彼女は幼い頃からナトロを一人前になるまで鍛えてきた。弟子の性格はよくわかっているのだ。

「万が一があってはならない。状況によく目を配り、民を守るために全力を注ぎなさい」

「はいッ」

冬華六家の一人、ユーカ・ネルドベルは苛立っていた。

同じ年の頃の子供達は、未だ親の庇護下にあり、個人によっては、師を持ち、輝士の訓練を受け始めるかどうか、といった頃合いにある。

それほどの幼年にして、ターフェスタ屈指の実力者が集う冬華の一人に選ばれたユーカは、自他ともに認める天才として名を馳せていた。

優れた操風の力に恵まれ、ネルドベル家始まって以来の才媛と謳われたユーカは、その能力を指して、ネルドベルの静翼という二つ名で呼ばれることもあった。

冬華に選ばれたことにより、家の名は高まり、引きずられるように、血族者達の地位も高まりつつある。

未来は明るく、進む先に障害はない、はずだった……

「なんなのこいつ」

歯ぎしりをしながら、上街の片隅で地べたに這いつくばるクロム・カルセドニーを前に、ユーカは絶望感に囚われていた。

「ああ、見つからない……我が君はいったいどこにおられるのかッ」

クロムは意味不明な台詞を吐きながら、立ち並ぶ家々の床下や隙間へ頭を入れ、なにかを必死に探していた。

そもそもの発端は、上官であるデュフォスからの命令だった。

猛禽の隊員と合流し、逃亡中のムラクモ人全員を抹殺せよという物騒な指令である。

その相手として指名されたのがクロムである。ユーカは彼を知っていた。なにしろ、クロムの兄であるネディムは、冬華六家を担う一人なのだ。

――こんなのが、あのネディム様の弟なんて。

ネディム・カルセドニーは物静かで理知的な男性だ。長い髪も、端正な顔も麗しく、長衣を羽織る姿は、文官然としていてよく似合う。最近病を患い、現在は療養のために遠方に滞在しているが、いないことを寂しいと思う程度には、人として敬愛の念を抱いていた。

尻を振りながら草むらに顔をつっこむ目の前の男、クロムに、ネディムとの血の繋がりがあるなどと、到底理解できぬことだった。

「ねえ、お遊びはいいかげんにして」

不満を表明すると、クロムはきょとんとしてユーカを見つめた。

「なんだお嬢ちゃん、まだいたのかい」

「任務があるって何度も言ってる、これ以上意味不明なことを続けて足を引っ張るなら、怒るから」

クロムは害獣でも追い払うように、小刻みに手を払った。

「足を引っ張るとは侵害だ、したいことがあるなら一人でやりたまえ。このクロムは忙しいのだ、ちびっこの輝士様ごっこ遊びに付き合っている暇はないのだよ」

そう吐き捨て、クロムは再び周囲を調べ始めた。

「誰が……好き好んであんたみたいなのと一緒にいるわけじゃないのに。デュフォス様の命令だから仕方ないじゃない」

クロムは視線をよこすこともなく、

「そんなもの、今の私にはどうだっていいことだ」

言葉が通用しないことに苛立ち、ユーカは怒りのままクロムの前面に圧のある風を生み出した。大人であるクロムの身体が一瞬浮くほどの風圧が巻き起こり、無理やりクロムの向きを反転させる。

「指示通り、ムラクモの輝士を捜して。でなければ、あなたがしたい事、邪魔する」

そもそもからしておかしな話だった。

敵対関係にある国の輝士が潜伏しているというのに、捜索のために割かれる人員はユーカと、このクロムのみ。少数精鋭にしても限度があるが、その原因となっていたのが、市街地で発生しているという民衆の起こした暴動である。

それを考慮にいれても、ここ最近の問題に対して、デュフォスの態度には筋が通らぬ所が多い。こそこそと何かをしていて、それを悟られないように必死に隠している様子だった。

――ナトロの捜索だって中途半端なままなのに。

銀髪のムラクモ人に連れ去られたままの歳の近い同僚を思い、ユーカの苛立ちはさらに増す。

クロムはどこを見ているのか判断しにくい目でユーカを見つめ、懐から赤と黒の二色に別れたサイコロを取り出した。

「いいだろう、そこまで言うなら機会を与えようではないか。どちらか当てたら、それは天の御意思だ」

「……当たれば言う通りにするの?」

クロムは鷹揚に首肯した。

「ただし、はずれればお終いだ。その時は君が何をしようとも無意味だと言っておこう。さて、どうする」

即座にユーカは頷きを返した。

「赤を選ぶ」

色を聞いて、にやりと笑み、クロムはサイコロを地面に放った。

転がったサイコロは回転を続け、速度は徐々に落ちていき、赤の面を超え、黒で動きを止めようとしていた。

ユーカは音もなく、静かな微風を発生させる。撫でるようにサイコロの下部へ風を通すと、最終的に赤の面が上部に出た。

勝ち誇ってクロムを見つめるユーカに、クロムは肩をすくめ、

「ふむ、おめでとう」

と、短く告げた。

「べーくしょいッ――」

夜道にクロムのくしゃみが響き渡る。

「――すまないね、下着を献上してからどうにも腹が冷えて困る」

ユーカは眉を尖らせた。

「意味がわからないし、どうでもいい」

しまりのない顔で鼻をこするクロムは、まったく浮世離れした人間に見える。

「ね、どうしてカルセドニー家の人間が猛禽に配属されたの」

道すがらに、ユーカは気になっていた事を質問した。

クロム・カルセドニーという男は、様々な噂を持つ人物だった。

曰く、極秘任務のためにわざと輝士への道をはずれただの、出生に大きな秘密があるだのといった具合にだ。なかでもとくに信憑性が高いとされているのは、度を越した変人具合に輝士への道を絶たれたというものだ。実際目の当たりにすればそうとしか思えないような人間だが、クロムが影でそうした噂をよくされるのは、彼の兄がターフェスタでも有数の地位につく優秀な人物だからである。

クロムは天を見上げ、ふむ、鼻息を落とす。

「理由には様々あるが、遠因は、領主の前で忠誠の誓いを拒否したことが始まりだろう」

ユーカは青ざめてクロムの顔を見上げた。

「それって……極刑もの」

クロムはくすりと笑みをこぼした。

「まさしく、あの凡愚は刑に処すと喚いていたとも」

「凡愚って……口には気をつけて」

「なんと呼ぼうが、そのモノの本質は変わらないのだよ」

そこまでの不敬を働いて、今も尚無事でいられるのは、おそらく彼の家か兄のネディムが減刑を願ったからだろう。結果として、不名誉な部隊へ配属されたことも納得できる。

「あなた、もしかしてワーベリアムの支持者なの?」

クロムは汚れを払うかのように強く鼻息を吐く。

「無能に忠誠を誓うものになど、まったくもって興味はない。権力を持った馬鹿は糞にも劣る迷惑者なのだ。糞が率いる群れは、元がなんであろうと結局、糞まみれになるのが宿命なのだよ」

汚い言葉でまくしたてるクロムの言に、ユーカは呆れ気味に耳を傾けていた。僅かに湧きかけた怒りはすでに収まっている。その感情は、この変人にはまるで意味のない事のように思えたのだ。

「ふうん……」

気の抜けた声を返すと、クロムはなおも饒舌に語り続ける。

「いいかね、人の生を決定付けるのは権威でも地位でも名誉でもない。人を統べるのは天運と運命だ。私はあのドストフ・ターフェスタの痰壺のような顔になんら運命を感じない」

「あなたの主義はよくわからない。けど、ネディム様は、弓術において弟の右に出る者はないと言っていた、世界有数だって。そこにいた人達は笑っていたけど、私はネディム様が冗談を言うような方じゃないと知っている。惜しいと思う、今からでもちゃんと力を示せば、大公殿下だって――」

クロムはユーカの小さな口を閉ざすように、人差し指を突き出した。

「無用な心配だよ。我が武名を捧げるのはこの世でただ一人。貴重な予言により、その御方のお姿はわかったのだ。本当ならば一刻を争って捜さねばならないところだが、天は今、お嬢ちゃんの決定を尊重された。それがご意思とあらば仕方がない」

ユーカは嘆息して視線をはずす。

「あ、そ。言っている事の意味はほとんどわからないけど、忠告が無駄なことだけは理解した」

クロムは突然足を止め、無言で遠くを見やった。

訝ってユーカは問う。

「なに?」

「なんとも珍妙な光景だ……二色の光が境界を挟んで睨み合っている」

子供の身体で、つま先立ちをしてもクロムの言う光景は見えない。ユーカは晶気を用いて自身の身体を包み込むように風を発生させた。

厚みのある風に押され、ユーカの身体は音もなく空へ浮き上がった。

これはユーカが得意とする力の使い方だった。

輝士としての才と、晶士としての才も併せ持つが故に、即座に身体を浮かせるほどの分厚い風の力を生み出し、維持し続けることができる。その際にほとんど無音で力を行使できるほど、自在に風を操ることができるユーカは、その実力故に天才の名を欲しいままにしていた。

浮き上がったユーカは、特技を披露し、自慢げにクロムの顔を観察した。

ぽかんと口を開けてユーカを見つめるクロムに、得意な気持ちになり、鼻が高くなる。

クロムは神妙な顔で口を開いた。

「君、きちんと食べているのか」

「軽くて浮いてるんじゃないからッ」

思わず大きくなった声に恥じ入り、ユーカは咳払いをした。そして、クロムに常人としての反応を期待した少し前の自分を後悔する。

クロムを無視して、風の力を調整し、更に高くへ身を上げる。

たしかに、上街と下街の境に、無数の揺れる赤い炎と、静かな青の光が、それぞれの領域に分かれて睨み合っていた。

これは下街の民が起こしているという例の騒ぎだろう。

話に聞いて知ってはいたが、現状を見てユーカは焦りを抱いた。

――規模が大きすぎる。

思っていたよりもはるかに、騒ぎに参加する者達の数が多い。

風に乗って、人々の怒声が微かに耳に届く。

集団の帯びる熱量の高さが窺えた。

「こんなの、もう放っておいていいようなものじゃ……」

緩やかに身を降ろし、クロムの服を引いた。

「あそこに行くから」

「おや、任務はいいのかな」

「それどころじゃなくなったの」

騒ぎの中心へ飛び込んだユーカは、現場の責任者と思しき輝士を捕まえて問いただした。

「どうなっているの、これ」

ユーカの存在に気づき、男の輝士が背筋を伸ばして敬礼した。

「見ての通りです、別の道で騒いでいたはずの下街のごろつき共が、いつのまにかここにも集結してしまい、ご覧の有様ですよ」

ユーカは対面に陣取る集団を見る。

「ごろつきって、もうそんな規模じゃない。こんなのもう――」

武器を持った、市街地を埋め尽くすほどの人々の群れ。これはもはや、少数の民衆が起こす騒動を超え、一個の軍隊による侵犯行為に等しい。

彼らが武器を向ける先には、城はもちろん、貴族家の邸宅が並ぶ重要な区域がある。そこには、ユーカの実家であるネルドベル家の邸もあった。

「こんなの、今すぐ鎮圧しなければだめ。どうして黙って見ているの」

男は困り果てた表情で首を振る。

「許可がありません。我々が受けた命令は、武力を用いずに、集団を解散させろというもので」

この場の空気を肌で感じた者でなければわからないだろう。これはもはや、口だけで収まりがつくような状況ではない。

武装していても、所詮は彩石を持たない平民の群れである。輝士が束になってかかれば制圧になんら労はないが、手を出すなという指示がでているとなると話は変わる。

「命令はだれが?」

「冬華のデュフォス閣下です。が、大公殿下のご指示でもあると聞いております」

「デュフォス様が……」

冬華という高位に身を置くユーカには将に近いほどの権限がある。が、この場合上官にあたるデュフォスの命令を書き換えることは、許されざる分を越える領域だった。

ユーカの身分を知っていて、男は期待を込めて提案する。

「この場で冬華様よりご指示いただければ、我々もただちに武力をもって任務にかかれる準備はできております」

ユーカは苦い表情で口を結んだ。

「だめ――私の権限では手がでない。大公殿下のご意思でもあるのなら、命令は絶対遵守を基本とする」

男は落胆して肩を落とした。

「以後、この場の指揮は私が執る。全隊に改めて武力行使の不可を徹底して」

「はッ」

敬礼して去っていく男を見送り、ユーカは現状を強く憂う。

傍らで様子を窺っていたクロムが、皮肉な笑みを漏らした。

「やれやれ、ついに民に愛想を尽かされたか。まさしく凡愚に相応しい末路ではないか」

どこまでも他人事なクロムの服を強く引いた。

「笑い事ですまされるような状況じゃない」

このまま民衆を傷つけることなく、押さえ続けることができるのか。

こちらが手を出せないと知れば、彼らはさらに調子にのって前進を続けるかもしれない。

――もし、城にまで達したら。

冬華の本質は親衛隊だ。なによりの優先事は、主君の無事を守ることである。

武装した集団が大公の目の前にまで迫れば、それをもって命の危機と判断し、手出し無用の命令を無視するための言い訳とするには十分だろう。

――その時がきたら、掃討する。

「おやおや、悪者の顔をしているな、お嬢ちゃん」

内心を見透かしたような、にやついたクロムの顔が、小柄なユーカの顔を覗き込んでいた。

軽い態度に、一言文句を言ってやろうと口を開いた刹那、頬を小さな雨粒が濡らした。

「雨……?」

ユーカと同時に空を見上げたクロムは、肩をすくめて月を指差した。

「晴れている。気まぐれで孤独な雲が、よだれでも零したのだろう」

暗い上空を行く小さな雲が微かに見える。

クロムの言うように、天の気まぐれが落とした一滴の雫にすぎない。

だが、ユーカはそれを残念に思う。

眼前で、人々の怒りを背負って燃える炎が消えるのなら、いっそのこと、盛大な大雨で降って欲しいと、願わずにはいられなかった。

打ちのめされ、ずたぼろになったセレスを見下ろして、レイネはシュオウを静々と見上げた。

「これ、あんたがやったの?」

酷い有様のセレスを前に、そうだと胸を張りたい気分になれなず、唸るような声でのみ応じた。

ほんの少し目線をはずした、その瞬間。鈍くて重い音が部屋に響く。

「――のやろう、よくもやってくれたなッ!」

怒りに身を任せ、レイネがセレスの頭や身体に蹴りを入れた。二度、三度と繰り返し、側にあった椅子を持ち上げて振り上げる。

突然のことに呆然としていたシュオウは、慌てて止めに入ろうと手を伸ばした。が、それより早く、フクロウの手がレイネを止めた。

「はなせッ、こんなもんじゃ気が収まらないんだよ!」

拘束されても、尚激しい形相で暴れ続けるレイネを前に、シュオウはあまり似た所がない彼女の父の面影を、はっきりと感じた。

椅子を奪い取り、シュオウは自制を促した。

「落ち着け、もう十分だ」

息を荒げ、レイネは自身の手を掴むフクロウを見る。

「ひ――」

フクロウの個性的な容姿に怯え、引きつった悲鳴をあげて腰を抜かし、へたりこんだ。

フクロウは自嘲気味な笑みを浮かべ、頭を掻いた。

すかさず、シュオウはレイネに言う。

「彼がいなければ、ここまで辿り着けなかった」

レイネは若干の怯えを残したまま、改めてフクロウを見る。

「ごめん……びっくりして」

フクロウは頷き、

「慣れている」

とだけ言った。

落ち着きを取り戻したレイネは立ち上がり、恐る恐るシュオウに問う。

「わたし、帰れるの?」

シュオウは即座に首肯した。

「そうしたければ、すぐにでもヴィシャの元に連れていく」

「……その言い方、なにかあるんだろ? はっきり言ってよ、中途半端は嫌いなんだ」

賢い子だと、シュオウは思った。

「レイネ、俺はシュオウという。こんな格好をしているが、この国の人間じゃない――」

きょとんとして驚くレイネに、すべての事情を話して聞かせた。

「……わたし見たよ。その公子様がやったっていう殺しの現場。パパほどじゃないけど、ごつくて体格の良い奴だった、顔は見えなかったけど、雰囲気は覚えてる。どこにだって出てやる、ちゃんと説明できるよ」

レイネが見た捏造事件の実行犯は、ハゲワシのことだ。ジェダは細身で、両者の体格の違いは誰が見ても明らかである。

レイネの証言には価値がある。なにより欲していたものに違いない。だが……

――誰が聞くんだ。

この国で、真実に耳を傾ける人間が、いったいどれほどいるというのだろう。

仮に証言をさせたところで、それをしたレイネやその家族が、無事でいられるかも、疑問に思う。

ジェダを欲している者には相応の理由がある。そして、その者こそ、この国で最たる権力の座にある人物だ。主に楯突いてまで、評判の悪い異国の輝士をかばう者がいるのだろうか。

――プラチナ・ワーベリアム。

自然とその名が頭に浮かぶ。

捕まえた殺人者も、救い出したレイネも、彼女が知る真実も。すべてを委ねることは簡単なことだ。プラチナという人間を信じて、まかせればいい。

その選択にはたしかな根があり、勝算もある。

シュオウの知るかぎり、プラチナには強い力があるからだ。

――プラチナの求めるモノ。

気絶したセレスを見る。

――ヴィシャの求めるモノ。

そして、レイネを見た。

ヴィシャは数を支配した群れの統率者であり、彼の力も無視できない。

現地点は重要な岐路にさしあたる。

プラチナとヴィシャ、両者の泣き所を握っているのだ。

以後の行動を選択する権利はシュオウにあった。

「フクロウ、改めて聞きたい」

フクロウは黙して頷いた。

「プラチナ・ワーベリアムについて。この国で、あの人が持つ実際の力はどれほどのものか」

「あらゆる意味で絶大です。が、ワーベリアム一族がターフェスタに捧げる忠誠は本物。故に、ご本人に、その力を行使する気はさらさらないと思われます」

この状況下で、プラチナという人間に接してきて、抱いたのは彼女への好感ではなく、苛立ちと不満だ。

強力な能力を持ちながら、こそこそと隠れて行動するその姿に、敬意を抱くことができなかった。

起こった悲劇を憐れむ心を持ちながら、未然に防ぐ努力を、何もしていないように思えた。

持つ力、抱く心、行う行動のすべてに一貫性がない。

――だめだ。

自分を含め、他の仲間達の命を預けて良い相手ではない。

シュオウは思考の後、そう決断する。

平和的な解決を期待しないのであれば、残る手段は力を用いた強行突破しかない。もとより考慮に入れていた事の一つでもある。

深く息を落とす。

フクロウとレイネが、窺うようにシュオウを凝視した。

シュオウはレイネの前に膝をつき、勝ち気な瞳をじっと見つめる。

「レイネ、今から頼むことを聞いて考えて欲しい。もし嫌だと思ったらそれでいい、その時はすぐヴィシャの元へ連れていく――」

続けて語り、願った内容を聞き、レイネは酷く狼狽した。

「――せっかくわたしを助けたのに、パパに殺されるよ……?」

心底心配そうにしているレイネに、シュオウは柔らかく笑みを返した。

「そうならないように努力する」

視線を泳がせ、悩んだ後、レイネはたしかに頷いた。

「気は進まないけど、命の借りがあるんだ……わかったよ、そんな事で助けになるなら、あんたを信じる」

「よいのですか、あの娘を自由な身のまま置いてきて。下手をすれば、目論見が破綻する可能性もあるかと」

セレスの隠れ家を出てすぐ、夜の街に佇むフクロウがそう聞いた。

「いい。信じると決めた、あとは捨て身だ」

「……はいッ」

力強く返ってきたフクロウの返事に、シュオウの身は引き締まる。

計画を思い、シュオウは自身を皮肉るように自嘲した。

――俺は悪党だ。

道案内をかって出た、先頭に立つフクロウを見る。

折れ曲がった背中には、どことなく強い覇気のようなものを帯びているように感じた。

ふと、思う。

偶然の出会いから、こうしてここまで力を貸してくれたフクロウという存在が、当たり前のようになりつつある現状を。そしてその背に、強い信頼を感じ始めている自分を。

「どうして、ここまでしてくれた」

振り返り、大きな目を見開いて、フクロウは首を傾げる。

「急にどうされました」

「……ここに来るまで、どれだけ助けられたか、わかっているのか。もらった物に見合うほどの返せるものが、今の俺にはなにもない」

逡巡は一瞬だった。

フクロウは不器用に微笑みを浮かべる。

「一見、そうとは思えなくとも、この世界は常に変化を続けている。人間も同じなのでしょう。ただ、同じ日々を過ごしていると思っていても、その時がくれば一瞬です。ある者はこれを運命と呼ぶのかもしれない。ですが、私はもっと単純に自分の心を理解しています。簡単なことです、私はただ、あなたという人物に惚れたのです。そして、その人物の窮地に、私の力は役に立つと思った。実際、その通りであったのなら、そのこと以上に名誉なことはありません」

フクロウの言葉を、心から喜ぶことはできなかった。

自分という存在に、彼が言うほどの価値があったのか、疑念は尽きない。一個の人間の安定した人生を奪い、邪魔をしたのではないかという罪悪感が、心の隙間にちらついて離れることはない。

が、なにより、今という時に相応しい言葉を、シュオウは返した。

「ありがとう――――気持ちに付け込ませてもらう。お前が必要だ、あと少し力を貸してくれ」

フクロウは勢いよく頷き、

「まいりま――」

フクロウの言葉が不自然に途切れる。

世界は突如、予兆もなく変化した。

――なん、だ。

それは不自然であっても、見慣れた光景だった。

周囲の動くものすべての動作が緩慢に見える。

眼を通し、集中することを経て起こる現象、シュオウの持って生まれた素養の一つ。異常なほど優れた動体視力が見せる、特別な世界だ。

だが、シュオウは今、それを視ようとはしていない。

言葉を言いかけた途中で、フクロウの唇が動く速さは、尋常ではないほど遅かった。

目の前に浮かぶ、小さな水の雫に気づく。

――雨?

その一滴の雨粒は額ほどの高さで徐々に速度を落としていき、ついに動きを完全に静止させた。

そこに、もはや流れは存在しない。

なにも動かない世界。

音も空気も、なにも感じない。

身体は微かにでも動かすことができない。

ただ視るだけ。

視えるだけの世界が目の前にある。

不意に、世界は音を取り戻す。

「――しょう」

途切れていたフクロウの言葉が流れ、眼の前に静止していた雨粒は、音もなく静かに地面を濡らした。

体中から汗が溢れ出る。

湧いた唾液をようやく嚥下して、シュオウは慌てて強く眼をこすり、恐る恐る周囲を見渡した。

様子を気にするフクロウに、問題がないと告げ、重く一歩を踏み出す。

――なんだったんだ。

フクロウの後を追いながら、シュオウは自身に起こった事象を思う。

恐ろしい事が起こったような気がする。が、終わってしまえば、ただの夢だったようにも感じられた。

――いまはいい。

その疑問を、雑念として振り払う。

シュオウはただ、無心で地面を蹴った。

月光が照らす夜の街。

駆けていく二足の靴音だけが、輪唱して響いていた。