軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

凱旋 5

凱旋 5

「いったいどういうことなのだ!」

ドストフが滞在する領主館に、怒声が響いた。

激高する主を前に、エリスは泣き出しそうな顔で、祈るように指を組み、

「殿下、お許しください……」

ドストフは忙しなく部屋を歩き回り、

「連中は辺境の蛮族のなかでも特段に忌まわしい者たちということらしい。なぜそのような者たちを晴れの遠征に参加させたッ。ボウバイト将軍は怒りちらし、とりつくしまもない……ここへきて、まさかお前の手で顔に泥を塗られるとは思いもしなかった。配下の将に皆の前で怒鳴りちらされて、私がどれほどの恥をかかされたか……ッ」

「知らなかったのです……あの者たちは部下からの推薦を受けて急遽に雇い入れたので……」

「出所をたしかめなかったのか」

エリスは言いにくそうに、

「その時間がありませんでした……質の悪い兵であることはわかっていながらも、遠征隊を組織するために使える資金がかぎられていましたので……殿下の望まれる形を整えるための人数合わせのために、仕方なく……」

事の始まりが、自らの性急で無理のある要望であったことを知り、ドストフは次に用意していた怒声を吐き出せず、飲み込んだ。

「そうか……お前は、私のせいだと言いたいのだな……」

エリスは慌てて身を乗り出し、

「違いますッ、すべては我が身の愚かしさゆえ……殿下の輝かしい功績に傷を残すようなことをしてしまい、本当に申し訳ありませんでした」

冬華という地位には似つかわしくないほど、エリスは地に伏すように頭を落とした。

ドストフは怒りを逃がすように呼吸を繰り返し、

「あの者であれば、こんな無様な失態は……ツィブリが私の側にいたときであればな」

当てつけのように、失脚した元宰相と比較され、エリスは胸が絞られたような息苦しさを覚える。

エリスは僅かに頭を上げ、

「現在、中央都ではデュフォス奪還のために作戦が遂行中です。冬華の長であるあの者が戻れば、二度と殿下に今日のような思いをさせることはありません――」

エリスは言いかけで、重要な事実を思い出す。

耳元に鼓動を感じるほど胸が鳴り、遠征隊の出発前の状況が脳裏を過り、全身に冷や汗を浮かび上がらせる。

――まだいる。

エゥーデが血相を変えて処刑を命じた混沌領域の傭兵たち。彼らの多くは、デュフォス奪還のための戦力として、中央都に置かれたままなのだ。

エリスはうつむいて喉を隠し、大きな生唾を飲み下した。

様子を不審に思ったドストフが、

「どうした……?」

事実を主に伝えるべき状況で、

「……いいえ、なにも」

エリスは硬直し、口をつぐんだ。

ドストフは一旦の間を置いて深く息を吐き、

「もういい、今はその顔を見たくない、出て行け」

背を向けた主に深く辞儀をして、エリスは力なくドストフの部屋を後にした。

その兵士たちはターフェスタの従士用の軍服を着込み、その上から儀礼用の前掛けをかけられていた。

それは遠征隊の見栄えを整え、隊の中心にいる人物の格を示すための措置であるが、中身の人間の様相は、まるでその目的に似つかわしくないものだった。

街中の片隅にある人気の少ない空き地に、十数体の遺体が運び込まれていく。それらは、エゥーデの命令で処刑された、件の兵士たちだった。

目は濁り、歯は赤黒い染料のようなものが塗り込められている。体の各所に切り傷のような刺青が入れられ、全身から血と獣臭を混ぜたような独特な匂いを漂わせる。

シュオウはディカと肩を並べ、

「どういう奴らなんだ」

領民に手を出した罪は重いが、問答無用で処刑されてしまった兵士たちを前に、シュオウは当然の疑念を口にした。

ディカは暗い顔で頭を下げ、

「申し訳ありませんでした、祖母が突然……」

シュオウは淡々と、

「知りたいだけだ、殺された兵士たちに、ここまでのことをされるくらいの事情があるなら」

「はい。この人たちはその、大山混沌領域を出身とする、ある集団に関係する者たちのようである、と祖母が判断したようです。お恥ずかしいのですが、私もあまり詳しくはありません、ただ皮膚に数を表す刺青を入れた者たちは、とくに嫌われている存在であると聞き及んでいます。彼らはその……あの……」

ディカが苦しげに言葉を詰まらせていると、

「人喰いだって言いたいんだよ」

広場から移動してきたレノアが会話に割って入った。

シュオウは驚いた顔でディカを見やり、

「そうなのか?」

ディカは血の気を引いた顔で、こくりと頷いた。

レノアは目を尖らせ、

「混沌領域って言葉ひとまとめにされるけど、あそこには色んな奴らがいる。ひとまとめにその名を語って偏見を持たれるのは、あっちの血が入ってる身からすれば、あんまり愉快なことじゃない」

ディカは胸の前で拳を握り、

「そんなつもりはありませんでした」

レノアは少しの間、ディカと視線を交わし、

「こいつらが実際にそれをやってるところを見た事はないけど、そういうことをする奴らだって聞いたことはある、ある種の信仰みたいなもんらしい。いきなり皆殺しってのも野蛮だとは思うけど、家の近くにそんなのがうろついてる側の人間からしたら、すぐに駆除すべき害獣みたいなものなのかもしれないね」

シュオウはしみじみと、並べられた遺体を眺め、

「それで、将軍のあの態度だったのか」

レノアはディカに向け、

「全部運び終わったようだ。残党狩りはあんたらのところの副官殿が自分たちだけでいいって、手伝いは不要だと言われた」

ディカは頷いて、

「アーカイドがそう言ったのなら、問題はありません、ありがとうございます」

レノアはシュオウに視線を移し、

「で、こいつらどうする?」

死体の山に向けて首を傾けた。

シュオウが考えながら空き地を眺めていると、騎乗したジェダが現れ、シュオウの前で下馬した。

シュオウはジェダに向け、

「住民たちの被害はどうなってる?」

「死者はいないが、重傷を負わされた住民たちは多い。金品や食料の強奪と、商店を破壊された者たちの聞き取り調査をアガサス重輝士が仕切っている。この地の監督者としての、今後の君の方針を聞いておきたいんだが」

レノアとジェダ、双方から問われ、シュオウはまず遺体のほうに目をやった。

「レノア、葬儀屋を集めて遺体の処理を依頼しろ」

レノアは、

「了解」

次にジェダに視線を移し、

「被害を受けた人たちに返せるものはすべて返せ。怪我人の面倒も見るし、壊されたものも元に戻す、今日のことが原因で働けなくなったぶんの稼ぎは、こっちで持つと被害者たちに伝えろ」

ジェダは態度で難色を示し、

「……少しやり過ぎじゃないのか。慈悲もいいが、度を超すと領民たちを図に乗らせることになりかねない」

シュオウはきつくジェダを睨めつけ、

「今はそんなことはどうでもいい」

ジェダは一呼吸を挟んで、

「……承知した」

ネディムは一人、仮置きの司令部でリシア教本山、教皇に近い有力者に宛てた書簡をまとめていた。

東方征伐軍の戦果を報告し、先の戦いで援軍として派遣された聖輝士隊への感謝を綴る。さらに本題である戦勝軍の司令官、シュオウの功績を報告し、褒賞として与えられる地位と新たな家名の創設に対して、リシアの公式な認証を願う文をしたためた。

ネディムは書面の一番下に自分の署名を書き、その上にドストフが署名する位置を示す線を引き、作業を終わらせる。

文面をたしかめようとしたその時、

「失礼する」

ジェダが現れた。

「おつかれさまです、そちらはどうなりましたか」

ジェダは口角を下げ、

「被害を受けた領民たちを全面的に保護することになった。指示通りに大方の状況を把握してきたところだ。ここからは詳細を詰めて各所に手配をすすめる」

大方の予想通りの答えを聞き、ネディムは笑みを零した。

「様子を見るに、気苦労が窺えますが」

ジェダはゆったりと座れる休憩用の椅子に腰掛け、

「出費ばかりで、さらに領民からとるどころか、与えようとまですれば、どこかにその皺寄せがいくことになる。手を抜けるところではそうすべきだとも思うんだが」

「仰るとおりですが、間違ったことではありません。民は国の礎であり、大地であり水である」

ジェダは冷めた目でネディムを見つめ、

「どちらかといえば家畜と似たようなものだろう。必要だが、すべてを賭けるほどのものじゃない。過保護にすればつけ上がらせるだけだ」

「シュオウ殿とは相容れない考え方に思えますが」

「全員が同じ考えを持つことができるのは宗教だけさ。同じ家に生まれ同じものを食べていても、思うことはそれぞれに違う」

ネディムは自嘲するように微笑み、

「一部に関しては、同意せざるものがありますが」

各宗派ごとに日々争い続けているリシア教内部のごたごたを思いながら、そう言った。

ジェダと会話をしながらも、自らが書いた文面の確認を進めていたネディムは、間違いがないことを確かめて、手を休める。

ネディムはおもむろに立ち上がり、

「遅くなりましたが、おめでとうございます」

ジェダは顔をしかめ、

「僕があなたから祝われるようなことがあっただろうか」

「シュオウ殿は司令官の地位をドストフ様に返還されましたから、結果として私も司令官補佐としての役職を解かれたことになる。それはあなたにとっては喜ばしいことだと思いましたので」

ジェダは片頬を上げ、

「ああ……無能ならいつでも排除するつもりでいたが、あなたは思っていた以上に役に立ってくれた、残念ながらね」

ネディムは微笑み、

「お褒めにあずかり光栄です。さっそくお忙しくされているようですが、望まれればいつでも手を貸しますよ」

ジェダは見上げたまま視線だけをネディムに向け、

「結構だ。代官の補佐役を務めるのなら、こうしたことにも慣れておきたい。破壊された建物の修理を職人に依頼して、傷病者の管理と食料配給の手配をする」

ネディムは歩を進めてジェダの前に立ち、

「経験談として忠告しておきますが、雑務は無限に湧いてきます、早めに適した人材を登用しておいたほうがいいですよ、シュオウ殿の配下は戦士や武官ばかり、領地の運営には政務に長けた者も必要です」

「自分のような、と言いたげにも聞こえるな」

ジェダは挑発的な視線でネディムを見つめる。

「残念ながら、あくまでも私はターフェスタ大公付き、冬華六家のネディム・カルセドニーですから。ただ、もし人材登用のご相談をいただくことがあれば、適任者を選定する作業は手伝いましょう。大切な家族を預かっていただいている身ですから、それくらいはお安いご用です」

ジェダは立って、ネディムの前に左手を差し出し、

「覚えておこう。ここまでの間ご苦労だった、カルセドニー卿」

地位や立場でいえば、下の存在でしかないジェダは、遥か雲の上に在るはずのネディムに向けて、まるで対等かそれ以上であるかのように振る舞った。

そのことに、ネディムは僅かにでも不快感を見せることなく、頭を垂れて差し出された左手を握りしめた。

香草を煮る良い香りにつられ、クロムはさっと目を覚ました。

起きるなり大きく腹が鳴ると、奥から老人が笑う声が聞こえてくる。

「ここは、どこだ……?」

そこは見慣れない部屋の中だった。

薬の材料となる干物や乾燥させた薬草が吊された部屋に、ぽつりと置かれた大きな寝台の上にいる。

よく暖められた室内には、呼気を潤す蒸気で満たされ、食欲をそそる煮物の匂いが充満している。

見知らぬ場所だが、ここからは微塵も敵意を感じない。

温もりと癒やしの空気を胸に吸い込み、クロムは強ばらせていた全身の力を弛緩させた。

部屋の奥から、湯気のたつ椀を持った老人が姿を見せる。

「寝ながらずっと鼻を鳴らしていたので、香りの強い香草を煮れば目を覚ますのではないかと試してみたら、この通りです」

老人は愉快そうに言って、椀に入れた粥を寝台の横にある食台に置いた。

クロムは粥を見て喉を鳴らし、

「老人よ、腹が減っているのだ、この食事を一つ売ってもらいたいのだが」

支払いをしようと懐を探るが、なにも入ってはいなかった。

老人は笑い、

「お代は結構です、どうぞ差し上げよう。これに入れた香草は本来、沼地の魚の臭いを消すためのもので、少々鼻を突くだろうが食えないことは――」

老人が最後まで言い終えるのを待たず、クロムは熱々の椀を持って喉奥に流し込んだ。

「あっつぁッ?!」

とろみのある粥が口内に張り付き、そのあまりの熱さにクロムは釣り上げられたばかりの魚のように飛び跳ねた。

老人は意味深にクロムをじっと見つめ、

「やはり、こうなる……」

クロムは舌を突き出し、

「ろうじん……みず……みずを……」

老人は指を出し、

「水なら、そこに」

瓶に入った冷たい水を取り、クロムはがぶがぶと焼けた喉を癒やすために流し込んだ。

その時、

「ただいまッ。じいちゃん、やっぱり頭は見つからなかったよ――」

外から戻ってきたと思しき、厚着をした少女が現れた。少女はクロムを見つけて指を指し、

「――ああッ、また起きちゃってる、どうしてみんな私がいないときに目を覚ますの」

少女はクロムに駆け寄り、

「ねえ、なんで死体の横で寝てたの? 石に色がついてるけどあなた貴族? ターフェスタ軍の関係者だったりするの? あ、ミヤシロのじいちゃんのお粥美味しいでしょ? 体の具合はどう? 痛いところはない?」

矢継ぎ早に質問をぶつけられクロムはたじろいで瞬きを繰り返す。

とりあえずのところ、

「……うむ」

と一言だけ返事をした。

ミヤシロと呼ばれた老人は、

「これ、セナ。病人を相手に質問攻めはやめなさい――申し訳ない、この子はセナといいましてな、街道の脇で倒れていたあなたを見つけて助けを呼び、その後にあなたをここへ運び込みました」

クロムはあごをあげてセナを見つめ、

「ほほう、我が恩人だったのか……おしゃべり少女よ、心からこのクロムの感謝を捧げよう」

セナはくすくすと笑い、

「変な話しかた」

クロムは片眼を閉じて微笑を浮かべた。

話している間にほどよく冷めた粥をかきこみ、

「老人、おかわりをいただきたい、できれば鍋ごと」

ミヤシロはじっくりと頷き、

「いまお持ちしましょう」

クロムはすぐ側で目を輝かせるセナに向け、

「ところで、ここはどこだ?」

「ここはユウギリの街、医師をやってるミヤシロのじいちゃんの診療所」

どうやら、倒れているところを子どもに発見され、医師の下に運びこまれたようである、とクロムは現状を認識する。そしてこの場にいる飯を食わせてくれる老人と、自分を助けてくれた子ども、二人ともが敵ではない、という意識を強く心に植え付ける。

セナの言葉を思い出し、クロムは上半身を仰け反らせて天井を見上げた。

「ここがユウギリ……ついに……到着していたのか」

そして、おそらくここに、探し求めていた人がいる。

すぐにでも、と寝台から足を降ろすが、体の制御が効かず、その場で崩れ落ちるように床にへたり込んだ。

奥から鍋を持ったミヤシロが現れ、

「衰弱でひどい状態だ。普通、それだけ弱っていれば食欲もわかないものだが……腹が減るようであれば、まずはしっかりと食べて体力を戻しておかれるのがよいだろう」

クロムはセナに支えられて寝台の上に戻る。ミヤシロから鍋を受け取り、喉を鳴らして匙を突っ込んだ。

ほどよい塩加減と強烈な香草の香りが漂う粥を、休むことなく口の中に放り込む。

ミヤシロはクロムの隣に置かれた椅子に座り、

「特殊な状況で発見したゆえ、近しい者たち以外には、あなたの存在を知らせてはおりません」

クロムは粥を食べる手を止め、

「懸命な判断だ、老人。このクロムは秘密裏にここを訪れている、不用意に存在を知られるわけにはいかないのだ」

言うと、ミヤシロとセナが怪訝に顔を見合わせた。

セナが恐る恐る、

「あなた、ターフェスタ軍の敵、とかだったりする?」

クロムはきょとんと、

「敵だと? そんなはずがない、ターフェスタは我が祖国だからな」

過去をすっかりと水に流し、そう言い切った。

セナは胸をなで下ろし、

「なんだ、やっぱりそうか、よかったぁ、変な揉め事を背負い込んだんじゃないかって、ミヤシロのじいちゃんも心配してたんだ」

ミヤシロはクロムに、

「そういうことであれば、ターフェスタ軍に報告を入れ、人を寄越してもらいましょうか」

クロムは首を振り、

「自らの足で我が君のもとへ参じてこその価値があるのだよ。それに、この無様な姿をあのお方に見せられるはずもないだろう」

ミヤシロは軽く辞儀をして、

「わかりました。では、ごゆるりと休んでいかれるがいい」

クロムはまた、空っぽの懐をまさぐり、

「……今は手持ちがないが、払うものは後で千倍にして返そう。無駄に財産を貯め込んでいる愚かな兄の財布を逆さにすれば、容易いことだ」

セナは目をギンギンに輝かせ、

「お金持ちのお兄さんがいるのッ?!」

ミヤシロはからりと笑い、

「ありがたいお話ですが、今のところ金に困ってはおりません、お気持ちだけいただいておきましょう。それよりも、食後に落ち着いたら少々お聞きしたいことがありますが、それはまた後ほどに」

会話を交わしながら一息つく暇もなく、クロムは部屋の壁にかけられている不思議な盤を指さした。

「あれは……?」

円形に窪みを彫り込まれ、そこに見覚えのない記号や文字、数字がびっしりと刻まれている。いかにもな道具を前に、好奇心がくすぐられた。

ミヤシロはクロムの示した先に視線を送り、

「ああ、それは――」

言いかけたところで、診療所の奥から慌ただしく人が駆け込んでくる気配がする。

「先生!」

大汗をかいて現れた男に気づき、ミヤシロは真剣な顔つきで腰をあげた。

「上のほうで騒ぎがあって、怪我人が出た。占領軍が街中の医者に声をかけろって」

「わかった、見に行こう」

セナはミヤシロを見つめ、

「私も行こうか」

「いや、お前はろくに休んでいないだろう。ここで、この患者の世話を頼む――」

ミヤシロは道具をまとめ、慌てて診療所を飛び出して行った。

後に残ったセナはクロムを見つめ、

「ねえ、あなたの横に転がってた死体の頭、いくら探しても見つからなかったんだけど……あれってあなたがやったの?」

クロムはぼんやりと記憶を探り、

「頭のない死体だと……ああ、そういえば、そうだった……始末した後に体を隠そうとして運んだ後から、気がついたらここにいたのだ」

「そのことなら心配しなくていいよ、もう絶対に見つからないから。でも頭だけは見つからなくってさ、置きざりの馬車の近くに血の痕みたいなのはあったけど……」

クロムは記憶を掘り起こし、過去の自分がしたことの動作を真似て、同じように弓を引く動きをした。

「そう、あの時たしか晶気の矢を放ち、奴の頭を吹き飛ばした……そうだ、跡形もなくどぱっと」

セナは口元を大きく曲げ、

「げえ、想像しちゃった……でもなんで なにがあったの?」

クロムはさらに奥へと記憶を辿り、

「…………忘れた」

なぜ相手を死に至らしめたのか、結局思い出すことができなかった。

セナはそっと身を引き、

「なんで殺したか覚えてないって……もしかしてヤバい奴か……?」

クロムは過去を振り返ることに早々に飽き、再びあの不思議な道具に目を移した。

セナはクロムの視線を追い、

「それ気になるの? レキ占いの道具だよ」

クロムは大きく目を見開き、

「占い、だと……」

道具に視線を釘付けにする。

これを見つけたときの心のときめきに間違いはなかった。自然と引きつけられた占い道具を前に、クロムはじっと見つめて目を燦々と輝かせた。

セナはクロムの顔を覗き込み、

「もしかして、占いに興味ある?」

クロムは、

「ああ、あるとも……ひさしく占いを受けていない」

セナもまた、クロムに負けないほど目を輝かせ、

「占ってあげようか? でも、レキは知識も技術もいる大変な方法だから、けっこうお高くなりますけど……?」

クロムはセナを凝視し、

「言い値を払おう……兄がなッ」

セナは喉を鳴らして唇を舐め、

「うほぉ、やったぁ――」

部屋の奥へと走り出した。

クロムは壁にかけられた占い道具を指さし、

「これを使うのでは?」

「それは古いお飾り用、私の道具を持ってくるから待ってて!」

セナはすぐに道具を持って戻ってくる。大きく平べったい道具入れのようなものを卓上に置くと、両開きで開かれた入れ物の中から壁に飾られていたものと似た道具が現れる。

円盤のような形をしたその道具は、中に大小様々な円が刻まれ、四方八方に文字や数字が書かれている。

クロムは興味津々で道具を見つめ、

「これはどういう占いなのだね」

セナはいかにもな薄い外衣を羽織り、澄ました顔で席に着いた。

「レキ経は人の生をすでに確定しているものとして見做します。生まれた日から死ぬ時までのことはすべてが決まっているのです――」

セナは手の平大の鐘のようなものを取り出し、金属の棒で叩いて音を鳴らした。高音から波のような音が広がり、儀式めいた雰囲気が漂いだす。

セナは円盤の中心に金属製の道具を置く。上部に穴の開いたそれに、砂利のようなものを入れ、少量の水を注ぎ、別の小さな箱を持ってクロムに差し出した。

「あなたの生きてきた年月に十八の数字を足して、そこから今ぼんやりと思い浮かべた数字を引いた数だけ、この中に入っている硬貨をとってください」

クロムは食い入るように数字を数え、指定された通りの枚数分、硬貨を拾った。

セナは水と砂利を入れた道具を円盤の中心で回す。すると、道具の下部に開いた無数の穴から、水と砂利が円盤の各所に飛び散った。

「さっきとった硬貨をこの円盤の中に投げ入れて」

「こうか?」

クロムは硬貨が飛び出さないよう、上から丁寧に手を開いて、硬貨をじゃらじゃらと円盤の上に落とした。

セナは落ちた硬貨を指で触れ、

「西に表、裏、裏……東に裏、表、表――」

四方へと分けていく。

クロムは長旅の疲労も忘れ、その神秘的な占いに夢中になっていた。

セナは一通りの儀式めいた動作を止め、

「出ました……ッ」

真剣な眼差しで円盤を凝視した。

クロムは大きく喉を鳴らし、

「……どのような結果が、は、早く聞かせてほしい」

セナは露骨に表情を曇らせ、

「ううん……あなたは酷な宿命をもって生まれているみたい、強すぎる光と水が周囲の意気を奪い、枯らしてしまう」

クロムは回りくどい言い回しに苛立ちを感じ、

「つまりなんだというのだ、はっきりと言いたまえ、はやくはやく」

雰囲気を壊されたセナは機嫌悪く、

「あなたのせいで不幸になるひとが多いってこと!」

クロムは澄まし顔で首を傾げ、

「うん? 他人の幸も不幸もどうでもいいのだが。それよりも、このクロムの運勢がどうなのか、なによりもそれを知りたい」

言葉通り、他者の人生に一片の興味も持てないクロムは、自分のことだけを考えてそう聞いた。

セナはクロムの反応に若干の戸惑いを滲ませ、

「ええと……なんか、不幸がいっぱい見える……かな」

クロムは、

「……不幸、だと。それはどんな?」

セナはちらちらとクロムを見やり、

「ええと……占い結果から見えるのは、犬、蜘蛛、煙、水……すべてよくない結果です。今まで、あなたのせいで不幸になった人たちの悪縁が不幸を呼んでいて、そのせいで運気は酷く下降、しばらくの間は酷いことばかり続く……かも……」

クロムは呆然として、

「悪縁……不幸……だと。そんな……ばかな……」

ぶるぶると手を震わせはじめた。

セナはにやりと邪悪な笑みを浮かべ、

「そんなあなたに朗報がありますよ。ちょっと待ってて、良い物があるから――」

言いながら駆け出していったセナの存在は、すでにクロムの眼中には存在しなかった。

クロムはよろよろと立ち上がり、

「幸運の生きた化身であるこのクロムに、不運などと……ッ」

根拠なき自信を語るが、しかし思い起こされるのはここ最近の出来事である。

敬愛する主君から不興を買い、気を失うほどの刑罰を受け、単身で敵地に乗り込み、死にかけるまで働いた。その後は主君に置き去りにされたかと思えば、顔も見たくない偽物の君主と遭遇し、馬車隊の中に隠れながらの過酷な旅の果てにあったのは、決して好調とはいえない現状である。

「ぬぐぐ……」

思い当たるふしがありすぎるために、クロムの心は打ちのめされた。

それは大怪我を負った後に体力を低下させ、さらに風邪をこじらせて弱りきっていたせいもあるのかもしれない。

クロムは頭の中を不運の文字で埋め尽くし、ほとんど思考を働かせることなく、ただ呆然としたまま、無意識に診療所の外に出ていた。

まったく見覚えのない、異国情緒のある街並を歩き始めた途端、

「ああ、これはッ?!」

クロムはふと、出した足の先に湯気の昇る茶色い塊が落ちているのに気づいた。それこそは生まれたての犬の糞である、ぼうっと歩いていたせいですでに時遅し、クロムは真新しくちょっと柔らかそうな犬の糞を思いきり踏み、その勢いでずるりと足がすべり、家の軒先に貼られた蜘蛛の巣を顔面全体に引っかける。

屈辱的な状況で、四つん這いになると、突如前が見えなくなるほどの煙が立ちこめ、視界を覆った。

「ぶほッ」

思いきり焦げ臭い煙を吸い込み、咳き込んだ途端、

「火が――はやく消さないとッ!!」

どこからともなく現れた町人が、バケツに汲んだ冷たい水をざばりと煙の出所に流しかける。そのすぐ近くで四つん這いになっていたクロムは冷水を全身に浴び、その勢いに押されて地面の上をごろごろと転がった。

「ちょっとあんた、大丈夫か?!」

心配して声をかけてくる人々の声など、クロムの耳には届いていない。

クロムは横たわったまま腕で自分を強く抱きしめ、

「犬、蜘蛛、煙、水……あの占いは、本物だ……ッ」

意気揚々と古びたツボを持ち出してきたセナは、空になった部屋を見て、

「しまった……金の成る木が、いなくなってる……いっぱい搾り取れると思ったのに……」

金持ちの親類がいると言っていた男のことを思い、色々と手順を省いた占い結果をさらに誇張して伝えて、不幸を祓う御利益のあるがらくたを売りつけようという目論みが潰えてしまったことを悔やみつつ、

「じいちゃんにばれる前に片付けておかないと……」

セナは証拠隠滅のために、忙しなく動き始めた。

ターフェスタ大公の来訪から起こった熱と混乱は、数日を挟んでほどよく冷めている。

この日の朝方、ユーギリに滞在していた遠征隊は帰還のための旅支度を調え、門外に待機していた。

凱旋という名目で同行を求められたシュオウは、ぎりぎりまで街に残り、引き継ぎのための確認に努めていた。

そのような状況下の街中に、列を組んで歩く百刃門の武人たちが、門前の広場に向かって行進している。

移動を取り仕切るカトレイの兵士たちに混ざり、シュオウは行進する列の先頭に合流した。

先頭を歩くロ・シェンとビ・キョウはシュオウに気づく。ビ・キョウは立場を思わせないほど明るく手を上げ、

「良い朝だな、代官殿」

ロ・シェンは縛られた両手を掲げ、

「いいのか、この程度の拘束で」

手袋もつけられず、そのままの彩石を見せる。

シュオウは頷いて、

「逃げるつもりなら、今まで何度もその機会があっただろ」

ロ・シェンとビ・キョウは目を合わせ、意味深に口を引き結ぶ。

シュオウは二人を交互に見やり、

「俺を信じて残ったのなら、絶対に約束は守る。できるだけ刑が軽くなるように出来る事もすべてやる。苦しいこともあるかもしれない、もしそれが嫌なら――」

二人の封じがされていない左手の甲に視線を送った。

ロ・シェンは深く息を吸い込んで、

「一門をさらに大きな群れとしたい。一時の痛みを避けて隠れて動くより、大手を振って世界を歩けるほうが都合が良い」

ビ・キョウは微笑みを浮かべ、

「信じて我ら全員の命を託すことにしたのだ。仕置きがほどほどですむよう、頼んだぞ」

シュオウは力強く頷いて、

「わかった」

ロ・シェンは突如前のめりとなり、

「だが、あの婆さんだけは近寄らせないでくれ」

声を潜めてそう言った。

ロ・シェンたちの処刑を訴えていたエゥーデを思い、シュオウは苦笑と同時に首肯した。

百刃門の捕虜たちが、大勢を運ぶ座席つきの馬車に乗り込んでいく。全員が乗り終えたのを見届けたシュオウは、引き返して広場に詰める兵士たちに確認作業を指示していた。

そこにレノアが姿を見せ、

「そんなに気を張らなくっても、どうせ戻ってくるんだろ」

どこか呆れ気味に声をかけてきた。

「できるだけ早く戻ってくる、それまでなんとかここを頼む」

「大公はうちとの契約延長を決めた。徐々に数を減らすってことになってるらしいけど、しばらくは大丈夫、心配せずに行ってきな。もっとも、自分の代役に私を指名したことを後悔してるってんなら、いつでも他の奴に交代してやるけどね」

レノアの軽口に、シュオウは真面目な顔で、

「レノアがいてくれて良かった。後を安心してまかせられるのは、お前だけだ」

レノアはぱちくりとまばたきを繰り返した後、吹き出すように笑みを零した。

「あんたは私の趣味じゃないから、そういうのは他の子にでもとっておきな」

シュオウは小さく首を傾げ、それを見たレノアは、またおかしそうに笑声をあげた。

ひとしきり笑った後に、レノアは急に笑みを消し、

「あんたはよくやったよ、でも、大勢の命を預かる立場にある身としちゃあ、相当な無茶をしてた。調子に乗るなよ、今回みたいに、全部がうまくいくわけじゃない。それと、側に置く人間には重々気をつけな、サーペンティアのお坊ちゃまみたいなのは、とくにね」

すぐ側で雑務を仕切っていたジェダが顔を出し、

「……だから、そういうのは本人のいないところで言うのが礼儀だろう」

腰に手を当てながら、レノアに抗議の視線を送った。

レノアは細やかな微笑をジェダに返し、

「私はそういう性格じゃないんだよ」

シュオウは二人のやりとりを和やかに見つめ、

「ありがとう」

レノアに礼を言って、領地、領民の後を託した。

ジェダがシュオウの肩を掴み、

「シュオウ、あれ――」

建物の片隅から、恨みがましい視線を向けてくる一人の少女がいる。

「セナ……」

ターフェスタにまでついて行きたいと駄々をこねたセナに対して、だめだと言い聞かせるのに随分と手間を要したのだ。

ジェダは口元を引きつらせながら、

「味を占めて完全にこっちを食い物にしている。早く離れなければ、そのうち軍の物資まで仕切らせろと言い出しかねないぞ」

冗談と本気が入り交じるジェダの言い様をおかしく思いつつ、シュオウは物言いたげなセナに向け、小さく手を振り、旅立ちの挨拶を送った。

淡い朝陽に照らされ、整然と並ぶ馬たちから、白い湯気が昇っている。

厚い冬着を纏った赤い軍服の輝士たちに囲まれた隊列の中心に、大公を乗せた馬車が鎮座していた。

「ふあああ――」

大公を乗せた馬車のすぐ近くに待機するシガは、遠征隊の輝士たちから白い目で見られながら、大あくびを一帯に響かせた。

「昨夜は良い眠りではなかったようですね」

熱い飲み物を二つ手にして現れたネディムは、一つをシガに差し出した。

シガは飲み物を受け取り、

「いい店を見つけた。飯も飲み物も美味いし、そこで働いてる寡婦で肉付きのいい女もいて……」

気怠げな顔で目を擦った。

ネディムはシガの隣に並んで茶をすすり、

「名残惜しいようで」

シガは下唇を突き出し、

「俺はここに残ってもいいって言ったんだけどな」

「功労者全員を凱旋させる、というのはドストフ様たっての願いですからね」

「めんどくせえな……どうせ戻ってくることになるんだ。祝いたいなら自分たちだけで好きにやってりゃあいいんだ」

心底の本音で言ったシガは、ネディムに渡された茶を口に運んだ。が、唇は空をきり、直前まで手に合ったはずの熱い湯飲みが、忽然と姿を消している。

「……あん?」

その瞬間、シガは一人孤立して立っていたはずのこの場所に、ネディム以外の人の気配があることに気づく。

シガが横を向くと、ぬぼうっとした表情で隣に佇む、薄汚れたクロムの姿があった。

「うおいッ?!」

シガは驚き、その場で胸を押さえて跳ね上がる。

しかし、湯飲みを持って微動だにしないクロムは、

「…………」

ぽかんと口を開けながら、ただ虚空を見つめて立ち尽くしていた。

シガは恐る恐るクロムの顔を覗き込み、

「お前、どっから出てきた……ッ」

事態に気づいたネディムがクロムに駆け寄り、

「クロム……?」

シガはネディムに、

「なんでこいつがここにいる?」

ネディムはクロムの様子をたしかめつつ、

「あ、いえ……わかりません。あなたの隣に誰か立っているのは気づいていたのですが、まさかクロムだったとは」

見慣れぬ服装をして、ぐちゃぐちゃでほこりまみれの髪には大きな蜘蛛の巣と大量の虫の死骸を乗せている。手は泥にまみれ、ヒゲは伸ばしっぱなし、一瞬で家族が気づけないほど、クロムの様相は酷かった。

ネディムは弟の髪を整え、服の汚れを払い、自身が着ていた綺麗な外套を脱いで、肩にかけた。

「どこか怪我をしていないのか? どうやって、いつここに来たんだ」

心配そうにネディムに問われると、クロムは視線を動かし、ぱくぱくと口を開閉し始めた。

ネディム、そしてシガも、突然現れたクロムの次の言葉を息を飲んで待った。

「どうしたんだ、なにか大変なめにでもあったんじゃ?」

クロムはネディムに促され、

「犬……蜘蛛……煙……水……」

意味不明な単語を並べたかと思えば、周囲の山々から聞こえる自然の音に過敏に反応し、怯えた様子で身を縮め、

「ひぃ……」

小さく悲鳴を上げて、泣きそうな顔でネディムにしがみついた。

シガは大きく溜息を吐き、

「こいつと関わってると頭がおかしくなりそうだ……」

ジェダを引き連れ、シュオウはユーギリの門をくぐる。

汗を浮かべて首を振る馬に苦戦しながら、ぎこちない馬術で門の外に出ると、待機していたユウギリの兵士たちと、カトレイの兵士たちが一斉に敬礼をした。

ここに至るまで、その始まりに見ていた景色とは大きく異なる。

懐疑や軽蔑の視線が大半を占めていた軍の中で、今やその視線の多くは、信頼と敬意へと変貌している。

「司令官――」

敬礼をする兵士たちから、シュオウへその呼び名が送られる。

すでに手放したはずの称号だが、ここしばらくの間は、耳に馴染んだ言葉となっていた。

肩を並べて馬を進めるジェダが、

「悪くない気分だろう」

シュオウは視線を逸らしつつ、

「……ああ」

照れを隠しながら、そう言った。

先にいるターフェスタ大公、ドストフが馬車を降り、両手を広げてシュオウを出迎える。

その時、背後から馬で駆け込んできたエリスがシュオウを飛び越えて、ドストフの前にひざまずいた。

「殿下、お考え直しを……」

ドストフは眉を怒らせ、

「しつこいぞ、しばらくその顔は見たくないと言ったはずだ。遠征隊の指揮権はシュオウに一任した。お前は大人しく後尾の監督に就け」

食い下がろうとするエリスを押しのけ、ドストフは破顔してシュオウに手招きをした。

シュオウとジェダは同時に馬を下り、ドストフの前で膝を折る。

「お待たせして、申し訳ありませんでした」

シュオウの言葉に、ドストフは機嫌よく、

「そんなことはかまわない。ところで、ボウバイト将軍は……?」

視線を奥へと向けて首を伸ばす。

シュオウは一瞬ジェダと視線を交わし、

「将軍は時間をあけて出立すると……」

ドストフは弱り顔で頭を掻き、

「まだ機嫌を直さないのか……」

シュオウは黙したまま、頭を垂れた。

ドストフは気を取り直してシュオウを立たせ、

「ターフェスタまでの道中、頼んだぞ」

シュオウの手に自身の手を乗せて言った。

「はい、無事に送り届けます、殿下」

深く頷いて、ドストフは馬車の中へと戻って行く。

呆然と立ち尽くしたまま、ドストフの背中を追うエリスを無視して、シュオウは馬に跨がり、ジェダに向けて頷いて見せた。

ジェダは指笛を鳴らし、全隊に合図を送った。

「行くぞ」

凱旋帰還を果たすべく、シュオウは高らかに出発を告げた。