軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

凱旋 3

凱旋 3

ユウギリの城壁の前に整列した兵士たちが神妙な表情を浮かべて待機している。場の空気は厳かであるが、見渡せる一帯には派手な装飾が施され、祝いの雰囲気を漂わせていた。

最前列に待機するネディムが、遠方から向かって来る一団を見つけ、

「ご到着のようです。馬車と戦馬、二つの選択を用意しましたが――」

「大公は馬を選んだな」

先頭を切って勇ましく馬を駆けるドストフを見て、シュオウが言った。

ネディムは頷いて、

「この選択の結果で、ドストフ様の現在のお心を推察できます。馬車は殻に覆われた安全な城、戦馬は身一つで風を切って進む勇気が必要となる。前者を選択するようであれば心は内向き、安全で楽な場所に留まりたいという思いが強く、政の決定に関しても保守的になりやすい。これはドストフ様が持たれる生来の資質でもありますが、結果として、殿下は戦馬を選択されました」

シュオウは短く、

「いけるってことだな」

ネディムは微笑み、

「いけます。思っていたよりも遥かに、殿下はこの度の勝利に気を大きくされているご様子。ユウギリの扱いについては多少強引に提案を推したとしても、耳を傾けていただける可能性は高いものと思います。例の心配事も、杞憂に終わったようで安心いたしました」

シュオウは前を向いて拳を握り、

「よし」

手応えを声で現した。

両者の距離は徐々に縮まる。

ネディムは振り返り、

「参りましょう」

シュオウに言いつつ、すぐ後ろに待機していたディカ・ボウバイトに頷いて合図を送った。

ディカは緊張した面持ちで服装を整え、

「失礼いたします」

シュオウの隣に並ぶ。

ドストフと声が通るほどの距離となる。両者が目を合わせた直後、シュオウはその場に跪き、宮中の作法で辞儀をした。

さらに、共に前に出たネディムとディカも同様の所作で頭を下げる。

ドストフは大きく鼻をすすり上げ、

「出迎え、ごくろうである」

シュオウは頭を下げたまま、

「ターフェスタ大公に、シュオウが拝謁します。遠路より、わざわざのご来訪に感謝いたします、殿下」

次にディカが、

「ディカ・ボウバイトが拝謁を受けます」

ドストフは馬を下り、頭を下げる二人の肩に手を置いた。

「皆、顔を上げよ。この度のこと、本当によくやってくれた。旅の途中に勝者の景色を眺めてきたが、いずれも素晴らしいものであった。このユウギリという地を前にして実感もひとしおだが、なにやら随分と静かでもある、な」

ドストフは満足げにしながらも、静まり返った周辺を眺めて寂しげに言った。

ドストフは視線を回した後、

「そういえば、ボウバイト将軍はどうしたのだ?」

ディカに問うた。

ディカは小さく肩を震わせ、

「申し訳ありません、祖母は当地への進軍のおりに体調を崩し、私が代理として、現在は副司令の任を引き継いでおります、殿下」

ドストフは何度も頷き、

「そうであったか、かまわん、将軍には体を労るように伝えておくがいい」

「ありがとうございます、殿下。動けるようになれば、近日中にもご挨拶にうかがわせていただくと思います――」

二人が会話をしている間に、ネディムがこっそりとシュオウに目配せを送り、シュオウはそれに頷きで返す。

シュオウは大公の前で改めて敬礼し、

「大公殿下にお見せしたいものがあります」

ドストフは目を輝かせ、

「ほう、見せたいものとは?」

「はい、こちらへ――」

シュオウはドストフを門の中へ案内する。

城壁の内外を繋ぐ暗い天井を抜けた先、街並に囲まれる大広場に、一体の巨大な木造模型と大観衆がドストフを静かに出迎えた。

「おお、これは――」

模型を見上げて、ドストフは感動した様子で息を飲む。

すぐれた木工職人たちが夜通しで造り上げたそれは、一見して蛇やトカゲのような風貌をしていた。一部を青紫色の染料で染め、胴体は色のついた布地で覆い、背中部分からは小さな二つの翼が取り付けられている。

シュオウはドストフの隣に立ちながら、

「ムラクモ王家の象徴、〈 翼蛇(よくじゃ) 〉を模して造らせました」

ドストフは恐る恐る翼蛇の模型に歩みより、

「これが、ムラクモの……なんとも 禍々(まがまが) しい、まるで人喰いの狂鬼のようだ……」

シュオウはネディムから受け取った鞘にしまわれた剣を差し出し、

「敵軍の指揮官の剣です、これを使って、この翼蛇の首をお断ちください」

実際には適当に回収された剣だが、そうとは知らないドストフは目を大きく見開き、

「私が、ムラクモ軍指揮官の剣で翼蛇の首を……」

剣を握り、鞘から刃を抜き放つ。

翼蛇の模型は、まるで痛手を負ったかのように、激しい形相で地面に頭を落としている。その姿勢は、見た目でわかりやすくムラクモの敗北を知らせるために考えられた演出の一部だった。

翼蛇の首元には目立つ切れ目が入れられている。シュオウが手でそこを指し示すと、ドストフは不慣れな所作で首元の隙間に剣を落とした。その直後、

「おおッ?!」

ぶつりという音が鳴ったと同時に、翼蛇の首の中に隠されていた縄が剣によって断ち切られる。切れた縄は勢いよく奥へと引かれ、その先にある建物にくくりつけられていた仕掛けを解放した。

建物の壁一面に、巨大なターフェスタ大公家の旗が広がる。ばさりという音をたて、一瞬にして旗が風を抱き込む様は壮観だった。

大公家の旗が揚がった直後、静まり返っていた場に大歓声が響き渡る。

ドストフの栄光を叫ぶ者、ターフェスタ軍の勝利を祝う者、ただひたすらに喜びを表す者。口々に祝いの言葉が飛び交い、待機していた一部の住民たちが白い花びらを広場一面にばら撒いた。

高揚感を誘う音楽が演奏され、兵士たちが手の代わりに足を踏みならし、ターフェスタ大公の功績を称える歌を斉唱する。

この場の一瞬の変貌ぶりに、ドストフは身動きひとつとらずに硬直していた。シュオウが気にかけて顔を覗くと、そこには紅潮し、涙を浮かべるドストフの子どものように純真な顔がある。

ドストフはシュオウのほうへ体を向け、倒れ込むような勢いで、全身で抱きついた。

抱擁するシュオウの背を撫でながら、

「本当によくやってくれた、私がどれほど、どれほどこのときを待ち望んでいたか、本当に、本当に――」

ドストフに抱きつかれながら、シュオウは奥に居るネディムと目を合わせる。

深界での出迎えからここに至るまでの演出を考え、その支度をすべて取り仕切ったネディムは、満足そうに笑みを浮かべ、小さくシュオウに向けて頭を垂れた。

ドストフがシュオウの手を取りながら翼蛇の模型へ向かう背を、ネディムは微笑みと共に見つめていた。

その時、背後にある門から遠征隊の輝士たちがなだれ込んでくる。隊の中心人物であるエリスを見かけ、ネディムは同僚に向けて小さく手を上げてみせた。

エリスは崩れるように馬から降り、

「で、殿下は――」

「心配は無用です」

ネディムは体を斜めに傾ける。

奥に居るドストフとシュオウの姿を見つけ、エリスはほっとした様子で、ぐらりと体をよろけさせた。

ネディムはエリスの腕を支え、

「守るべき主君を見失うとは、あなたらしくない」

エリスはぎろりとネディムを睨み、

「カトレイの傭兵たちに流れるように殿下を誘導された。わざとらしく街道が泥水に覆われていたり、都合よくカトレイ兵が援助にかけつけたり。強引に殿下から引き離され、こちらの手から主導権を奪われたような心地がして不愉快だった。まるですべての流れが、誰かの意志によって操られていたように感じられるのだけど?」

ネディムはわざとらしく目をそらし、

「ここのところは気温が高く、雨が降りやすくなっています。その影響で街道に溜まっていた雪が溶けたのでしょう。その点を見逃していたことについては失態を認めます。ドストフ様が単独で馬で駆けてこられたことについては、ご本人の決定によるものでしょうし、そのことについては――」

エリスは追撃の口を開こうとするが、

「……はあ、もういいわ」

抗議を喉の奥に押し込んだ。

ネディムは眉を上げ、

「おや、もういいのですか?」

「あなたに口で立ち向かうだけ、無駄だと知っているから。長旅で疲れているときに相手をしている気力がないのよ」

エリスは周囲の視線に気づき、曇らせていた表情を取り繕って、まるで糸で吊られた人形のように、完璧な姿勢を整えた。

華のある美しい容姿と冬華という地位に相応しい服装をしているせいか、兵士や見物に来ている住民たちが、ドストフではなくエリスに視線を寄せている。

エリスは彼らの視線を当然のこととして受け止めつつ、模型に手を触れて無邪気にはしゃぐドストフを見ながら、目を細めた。

「うまくやったみたいね……あなたはやっぱり、殿下のことをよくわかっている、流石だわ」

どこか皮肉めいた褒め言葉に対して、ネディムは鷹揚に首を振り、

「私はとくになにも」

「そうは見えないけど」

ドストフの喜びようは凄まじい。遠目からでも、紅潮した顔と涙ぐんだ目元がはっきりと窺える。

エリスは眉間に皺を寄せ、

「殿下にあのような一面があったなんて……いつも辛そうに俯いてばかりいたのに……」

「手に入らないものばかりを見て、苦痛を募らせていたお方です。こうして目に見える大きな結果を手に入れた今、ドストフ様本来の性格が表に顔を出しているのかもしれません。個人にとっての幸福は、どんな薬にも勝る特効薬にもなり得る」

エリスはふいに視線を泳がせ、

「……本当に、ここが戦地だったの?」

城壁の内側に広がる街並みに、傷を負った気配は微塵もない。好奇心を振りまきながら見物に集う住民たちの表情は明るく、占領軍やその主を前にしても、憎しみのこもった視線を、どこからも感じることがない。

「この景色は、この軍を指揮していた司令官の性格を多いに反映した結果といえるでしょう。なにしろ、単身で敵地に乗り込んだかと思えば、その後に敵国の兵と住人たちに、自発的に開門をさせてしまいましたので。私もこの結果には驚いているんですよ」

エリスは改めて視線をシュオウへ向け、

「彼は、いったいどういう人間なの……?」

ネディムは微笑を浮かべ、

「並の者ではない、と言っておいたでしょう」

エリスは独り言のように声を潜め、

「でも、こんな……」

その時、エリスに気づいたドストフが大きく手を振って、

「エリス! これを見てみろ、すごかったのだぞ、私が翼蛇の首を切り落とした瞬間に――」

「今、そちらへまいります殿下ッ」

エリスは慌ててドストフの元へ駆けつける。

ネディムは大公の相手に忙しいエリスを見つめつつ、

「さて――」

ドストフの隣に立ちながら小さく頷いて見せたシュオウを見て、

「――ここからが重要ですね」

ドストフはユウギリの領主館に移動し、簡易に設えられた玉座を模した椅子に腰掛けた。

ドストフやお付きの輝士たちがきょろきょろと見回すその館は、近頃までムラクモの王女が滞在していた場所でもある。

ドストフを中心とし、両翼に遠征隊として帯同してきた輝士たちが並んでいる。ドストフにもっとも近い場所に待機するエリスが、威嚇するようにシュオウをきつい視線で見つめていた。

シュオウはドストフの前で跪き、後ろに控えるジェダに合図を送る。

ジェダの指示で、兵士たちが数個の木箱を運び込んできた。

ドストフは興味深そうにその箱をみつめ、

「それはなんだ……?」

シュオウは胸に左手を乗せ、

「ユウギリに至るまでの間、手に入れた物をすべてまとめておきました」

がちゃりと重い音をたてる木箱の中身は、戦利品として回収されたムラクモ兵の装備や私物が詰められている。だが実際のところそれらの品々は、物品への執着心が薄いシュオウが所有している物ではない。

シュオウは同じ姿勢を維持したまま、

「これらの品々と合わせて、司令官の位と、お預かりしていた兵権のすべてを返上いたします。勝利と共に、お収めください、殿下」

深々と頭を垂れた。

ドストフはゆっくりと立ち上がり、並べられた木箱の中を覗き込む。中に手を伸ばした。

「ムラクモ貴族の宝飾品に、食器や血を拭った包帯まであるではないか……戦に出て手に入れた物すべてを、私に返すと言うのか」

シュオウは胸を叩いて最敬礼し、

「はッ、殿下にいただいた信任により、私はいまここに居ます、言葉では尽くせぬほどの感謝の念と共に、その気持ちを少しでもお伝えしたいと思いました」

「なんという無欲な……うう……」

ドストフは突然、嗚咽を漏らし始めた。

控えているエリスたちが驚きを示したのも束の間、ドストフは膝を落としてシュオウの左手を取り、濁石ごと包み込むように両手を重ねた。

「多くは望むものを手に入れようと私に近づき媚びを売るが、お前は違うな。褒美を寄越せと叫んでも許されるだけの成果をあげておきながら、手にした物すべてを手放してまで私に感謝を伝えようとする……よくやった……よくやってくれたッ。東方の征伐は長きに渡ってターフェスタの宿願であったのだ。銀星石ワーベリアムですらなしえなかったことを、お前は成し遂げてくれたのだ――」

熱っぽく語った後、ドストフは勇ましく簡易の玉座に戻り、

「大公令を発布するッ」

力強く宣言した。

直後に側に控える輝士たちが一斉に跪いて最敬礼の姿勢をとる。それに倣い、この場にいる者たち全員が頭を垂れた。

ドストフは声を張り、

「この時をもって、この地を正式にターフェスタの領土として治める。ユウギリという名から東方の 訛(なま) りをとり、名称を〈ユーギリ〉として改め、准砂将軍シュオウをこの地の代官として任命し、その身に与える初代の家名として、リシアに正式に申し入れを行うものとする」

その瞬間、悲鳴にも似たどよめきが室内に木霊した。

「殿下?! 今のご発言を取り消してください、今すぐにッ」

血相を変えて、エリスが立ち上がり身を乗り出す。

ネディムが大きく足を踏み鳴らし、

「越権行為ですよ、テイファニー卿」

エリスは忠告を意にも介さず、

「殿下、今の御言葉は伝統と秩序に不和を呼ぶもの、一時の気持ちの高揚によって軽々しく決断してよいことではありません。ターフェスタに戻った後に、諸官を集めて改めてのご再考を、殿下ッ」

強く感情のこもったエリスの言葉に、同調するように他の輝士たちも次々とドストフに大公令の取り消しを願う言葉を浴びせかける。

彼らの必死な反応にドストフがたじろぎ始めたその時、

「お黙りなさい」

ネディムが静々と、しかしよく通る声を室内に深く響かせた。

ネディムは全員の視線を受け、

「ドストフ様は大公令を発せられた。それは公国において法をも上回る絶対の意志となる。その御言葉に公然と異を唱える者は、もはや臣下にあらず、逆臣と呼ぶにふさわしい」

淡々と語られるネディムの言葉に、強く反対を訴えていた輝士たちの勢いが萎んでいく。

エリスは転じていく空気に、逆に怒りを露わにした。

「カルセドニー卿、あなたは勝手なことばかり……出自が不詳の平民に領主に比する権能を与えるなどと、黙って納得する者なんているはずがない。各地の領主や輝士の家からどんな反発があるか――」

ネディムは後ろ手を組んで胸を張り、

「おや、果たして本当にそうでしょうか?」

高みから小人を見下ろすように、エリスにゆるく微笑みを向けた。

エリスは目に見えるほど狼狽えて、その場から一歩、足をずり下げる。

ネディムは高く胸を張り、

「東方征伐はターフェスタの宿願のみにあらず、長年にわたり、我々の神に頭を垂れようとしないムラクモを異教国家と見做し、リシアもまた東方の征伐に強く意義を訴えてきました。そしてシュオウ殿は、司令官としてドストフ様より信任を受け、この地を制圧し偉業を成し遂げた。その功績に対してドストフ様が宣言された内容は、褒賞として与えるものとしては、決して高すぎるものではありません――」

ネディムはドストフに向けて辞儀をし、

「――殿下、無礼を承知で申しますが、さきほどの大公令の内容を、カルセドニー家は全面的に支持いたします。功績を残した者に対して相応しい褒賞を与える行いは、殿下の徳をさらに高め、内外にその慈悲と寛大さを知らしめることとなるでしょう。そして、むやみに伝統を重んじるばかりの言葉に耳を傾けるべきではありません、なにしろ殿下は、シュオウ殿を司令官に抜擢したその時に、すでに多くの慣例をその手で引き裂かれておられる。その結果として、この東方の地をターフェスタの手中に収める偉業が叶いました。これらはすべて、ドストフ様の英明なるご判断による結果なのです」

反論の余地を失った様子で、エリスはおろおろとネディムとドストフの顔を交互に見ながら、陸に上がった魚のように口をぱくぱくと開け閉めしている。

一瞬動揺をみせていたドストフは、ネディムの語りを聞いて再び落ち着きを取り戻し、

「ネディムよ、よくぞ言ってくれた、危うく私の考えが間違っていたのではないかと、道を誤るところであった」

エリスは縋るように声を絞り、

「殿下……お願いします、どうかお考え直しを……」

ドストフは不快げに口角を曲げ、

「黙れ、しつこいぞ」

刺々しく言って顔を背けた。

ドストフはシュオウに視線を向け、

「さきほど言ったことに間違いはない。シュオウよ、受けてくれるな?」

シュオウはドストフと目を合わせ、

「……謹んで、お受けいたします、殿下」

深々と伏礼をした。

「おめでとうございますッ」

「おめでとうございます!!」

ドストフとの謁見を済ませて早々、部屋を出るなりアガサス家の親子が同時にシュオウへ祝いの言葉をかける。

シュオウが二人に頷いて返すと、後から出てきたジェダが肩に手を置いた。

「悪くない出だしだね、いただけるご褒美としてはなかなかのものじゃないか」

ネディムが割って入り、

「どころか、想定していたもののなかでも、最大級の評価を受けたのは間違いありません。大盤振る舞いですよ」

多少の浮かれた空気を滲ませる仲間たちを前に、シュオウは厳しく視線を尖らせ、

「ここからが重要なんだ。まだ、ここがどうなるかは決まっていない」

この後は大公を招いての宴が催される予定となっている。美食と美酒でさらに心地良くなったところで、占領地の民の処遇についての相談を持ちかける手はずとなっていた。

ジェダが軽く挙手をして、

「僕は席を外すよ、さっきも大公と目が合ったが、なにか意味ありげに僕のことを睨んでいたような気がするんだ。不用意にあの日のことを思い出させて気分を害するだけ損だろう」

そんなやり取りの最中に、突然ネディムとアガサス親子が大袈裟な敬礼の姿勢をとった。

シュオウとジェダが振り返ると、そこにはぞろぞろと警護の輝士を引き連れたドストフの姿があった。

「ジェダ・サーペンティア……」

ドストフは低く、ゆっくりとその名を呟いて、ジェダに向けて距離を詰める。

不意を突かれたジェダは微笑みを消して身構えた。

二人の関係性は周知のことであり、突然の接触に緊張した空気が流れる。

ドストフは周囲の戸惑いをよそに、ジェダの両腕に手を添え、

「辛かっただろうに……うんうん……」

涙ぐんだ目で、まるで親が子を撫でるように、優しくジェダの腕や肩を摩った。

ひとしきりジェダを労った後、

「晩餐を楽しみにしているぞ」

ドストフはシュオウに言って、館内に用意されている部屋へと移動していく。

棒立ちしたまま硬直し、常には見る事がないほどきょとんとして固まっているジェダを見て、シュオウは思わず笑みを零した。

シュオウは去って行くドストフのほうを見やり、

「よくわからないが、大丈夫そうだな」

ネディムもそっと微笑み、

「はい。サーペンティア家の席は、そのままにしておいて問題なさそうですね」

「どういうことなんだ……?」

ジェダはしきりに首を傾げながら、ドストフの豹変ぶりにただただ戸惑いをみせていた。

「ねえ、中に入れてよッ」

ふろしき一杯に荷物を抱えたセナの訴えも空しく、

「ダメだ、帰れと言っているだろう」

番兵が険しい顔で立ちはだかった。

場所はユウギリの領主館、空の色は赤みを帯び、吹く風は氷のように冷たく湿っている。

セナはこの日、ふろしきの中身に詰めているものを調達するために、一人で市中を駆け回っていた。

なにしろ、ターフェスタという国の王のような人物が訪れるという。王様が訪れるのであればお付きの人間が大量に押し寄せるはずで、セナにとってその催しは、またとない稼ぎ時であった。

異国の人間たちに商品を売りつけようと、貴族受けの良い東地特有の骨董品と、下級の兵士たちに土産物として人気な川辺の綺麗な石を集めて、シュオウの下へ戻ろうとしたのだが、出入りを管理している番兵は、なにをいっても中に通してくれようとはしなかったのだ。

「ねえ、私だよ、セナ! シュオウの――あんたたちの上官の恩人の!」

番兵は溜息をつき、

「知ってる……というか、軍内でお前を知らない奴なんていない」

「じゃあッ」

「だめなものはだめだ、ここには大公殿下がご滞在されている。部外者を中に入れることはできない」

セナは地団駄を踏み、

「シュオウを呼んでよ! そしたら絶対入れてくれるから」

「だめだ、司令官はお忙しい」

「じゃあジェダさん! ネディムさんでも! こわい顔した二人とか! でっかい南方人の兄ちゃんでも」

シュオウの身近にいる人物の名を次々に叫ぶが、

「だめだだめだ、とにかく今日はだめだ。用があるなら明日以降にしろ。これ以上食い下がるつもりなら……やりたくはないが、力尽くで追い払うぞ」

番兵の目の色が変わったのを察し、セナはその場からゆっくりと後ずさる。

「ばああかああ!」

くやしまぎれに罵倒を残し、小石を蹴って走り去る。

歯を食いしばって、暗がりの坂道を駆け下りながら、

「シュオウのばかッ、私のばかッ――」

一生に一度でもないであろう、王族を相手に物を売りつける絶好の機会を、たとえ一日だとしても逃したことに悔しさと後悔が溢れ出す。

袋一杯に買い付けた骨董品はこれまで稼いできた資金を使って得たものだ。高値で売りさばけなければ全財産を失うことになる。

「だめだ、焦ってもだめだめ――」

無理なものは無理、であれば、

「――今夜のうちに、もっと売れそうなものを仕入れるんだ」

ユウギリの街中には現在、未曾有の好景気感が漂っている。地元の人間が見向きもしないような品物でも、異国の貴族軍人や兵士たちには土産物として飛ぶように売れるのだ。

偶然助けられ、そして助けた相手が敵軍の最高権力者だったというこの美味しい状況を、一時も逃すわけにはいかない。とはいえ、夜も近づく頃となれば、街中で商品を仕入れるのも難しい。

「なにか拾うか――」

薬の材料になる植物の根や越冬中の虫の幼虫、落ちた鳥の羽に、水流で削られた丸い石。今はなんでも商材となる。

手荷物を隠して地下通路から山中に降りる。夜の山歩きを知られればミヤシロに怒られるが、セナにとっては慣れたものである。

比較的歩きやすい街道を進むと、ふと見慣れぬものが残されているのに気づいて、足を止めた。

「なんだ……?」

暗がりに、白く大きな物体が街道にぽつんと置かれている。調べに向かおうとしたその時、湿った空気に乗って、覚えのある匂いが微かに鼻をついた。

「……死臭だ」

夏の日に放置された生ゴミのような、酸味を混ぜた饐えた臭気が漂っている。

師と仰ぐ医師のミヤシロの手伝いをしていた関係で、死者を前にする機会が多かったセナは、

「……まだ、最近」

嗅ぎ取った死臭が、比較的死んでから時が経っていないものであると察知する。

自然界において異常な匂いは危険を知らせる警告だ。すぐにでもこの場を離れなければならない状況で、しかしセナは逆の行動を選択した。

熊を見かければ近寄ってみたくなり、変わった男がいれば案内役を買って出る。孤児として過ごした日々の捨て身の生き方が癖になり、異変を避けるより、好奇心が常に勝る。

仄かな死臭を辿り、出所を探る。

完全に夜を迎えた真っ暗闇の中、夜目はきいているが、油断をすればどこで足をとられるかわからない。

慎重に歩き進め、セナはそれを発見した。

「あった……」

草むらの中に二人の死体が見える。一体は頭がなく、その隣には北方人らしき男の死体が転がっている。

「教えないと――」

その場を離れようとした時、ぽつぽつと雨音が鳴り、周囲一体に氷まじりのみぞれが降り始めた。

「やば――」

外套のフードを頭にかぶせ、その場を離れようとしたその時、

「う……あ……」

死体だと思っていた男が突如声を漏らした。

セナは慌てて男に駆け寄り、手首に触れて脈をたしかめる。

「生きてる……ねえッ、わかる?!」

男の頬を叩き、呼びかけるが、意識を取り戻す様子はない。

「待ってて、助けを呼んでくるからね――」

言って、この場を離れようとした直後、セナは男に手首を強く掴まれた。

「――ッ?!」

男はぬめっと這うように上半身を起こし、真っ青な顔でぎょろりと目を剥いて、セナを強烈に睨みつけた。

男は唇をぶるぶると震わせ、

「わ……が……きみぃ…………」

その一言を残し、男は白目を剥いて地面に倒れ込む。

拘束から解放されるが、

「いったた……」

手首に跡が残るほど強く掴まれ、痛みに顔を歪める。

首なしの死体の隣にいた男の異様な様子に恐怖も感じつつ、習性として怪我人を放っておけないセナは、自分の外套を脱いで男にかぶせ、街に戻るために走り出した。