軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

大戦 7

大戦 7

晴天の水面のように、揺らぎなく艶やかな青が整列している。

深界に布陣したムラクモ軍は威風を誇っていた。

磨かれた真新しい装備に、最高級の戦馬たち、兵士たちの表情は自信に満ち、視線はぶれることなく前を見据えて動かない。

ネディムはマルケと肩を並べ、馬上から敵軍の様子を見つめ、最大の懸念を口にした。

「どうですか将軍、勝ち目がある相手でしょうか?」

答えを待たず、ネディムは自身の問いかけに対する答えを得る。マルケは緊張から汗を滲ませ、その表情には陰鬱さしか窺えない。

「見たかぎり、陣容には隙がない。晶士、輝士、歩兵、どこを見ても見惚れるほどの軍隊だ。戦えば、こちらもただではすまないだろう」

「それほどの戦力差があるのならば、どうしてすぐに攻めてこないのでしょう」

「向こうはすでに剣を抜き、領内に侵入した敵軍を前に布陣を終えている。いつでも始められるはずだが……」

「しかし、相手方はいっこうに動く気配がない」

マルケは下唇を突き出し、

「ふむ……我々に撤退の猶予を与えているつもりなのだろうか……」

ネディムは瞼を半眼に落とし、

「しかしそうならば、それを促す使者を送ってきそうなものですが」

ムラクモ軍は、ここに現れて布陣して以降にも以前にも、接触を図ろうとする態度を見せていない。十分な戦力を揃え、戦う準備を万端に整えた後に、ただじっと動かずにそこにいるだけなのである。

考え込んでいたマルケは一人納得した様子で首を振り、

「ああそうか……向こうは我々の戦力を測れずに動きがとれないのかもしれないな。つまり、慎重になっているということだ」

ネディムはマルケの言葉を反芻し、

「動きがとれない……さて、そうでしょうか……?」

マルケは片方の眉を下げてネディムを見やり、

「間違っていると?」

「将軍は、相手の陣容は明らかに充実しているとおっしゃられた。ムラクモ軍は侵入者たる我々を討ち滅ぼすために十分な軍を用意したということです。こうして睨み合うほどの距離まで来て、いまさら戦いに慎重になっているというのもおかしな話。先方はすでに剣を抜き、戦う意思があることを示している、が、なぜか動く様子が見られない。これは、次の行動を選択する権利を、こちらに渡している、と考える事はできないでしょうか」

ネディムの解釈にマルケは首を傾げ、

「だから、向こうが撤退の猶予を与えているのでは、とさっき私が言ったはずだが」

ネディムは頷き、

「ええ、仰るとおりです。撤退の猶予を与えているのかもしれない、しかし、他の方法を選択する猶予も同時に与えているのでは、と言いたいのです」

マルケはまた反対の方向へ首を傾け、

「戦うかどうか、ということもか……?」

ネディムは後ろに控える自軍に目をやり、

「こちらが先制した場合はどうなります?」

マルケは腕を組んで唸り、

「深界戦で先に動いたとしても、たいした違いはないが、戦力に勝る相手に対して最初から守りに入るより、時間は稼げるかもしれん」

ネディムはゆっくりと鼻息を落とし、

「そうしたとしても、ユウギリを攻める前衛軍の撤退の間を稼ぐのは、難しいでしょうね」

マルケは肩を落とし、

「ああ、その通りだ……ぎりぎりまで敵の接近に気付けなかった、私の失態だ……」

自責の念を込め、苦々しく言った。

ネディムは鷹揚に首を振り、

「ここはあちら側の庭先ですからね、余所者が裏口の存在に気づけなかったとしても、それを気に病む必要はありません」

マルケは溜息を吐きながら首を振り、

「ありがたいが、慰めも、この期に及んでは救いにもならん。さて、どうする……どうするのが最善なのだ……」

自問自答を口ずさむ。

ネディムは指で顎を撫でつつ、

「一つ、私の意見をお聞き下さるのであれば――」

マルケは食い入るように身を乗り出し、

「なんだ?」

ネディムは小さく頷いて、

「使者を送り、ムラクモ軍の指揮官との会談を申し入れてみるのはどうでしょう」

マルケはがっくりと全身の力を抜き、

「いまさら、話などしたところでな……おそらく向こうはこう言うだろう、死にたくなければ、ここから出て行け、と」

ネディムは木漏れ日のように笑みを零し、

「そうかもしれません。ですが、この現状、私には戦うか逃げるか、二つの選択だけを渡されているとは思えないのです。もしも、相手方の不可解な行動の目的が戦闘ではないのだとしたら。他に考えられる可能性は一つ……観察なのではないのか、と」

「観察……」

「私は軍人でもなく戦士でもありませんからね、先に在るものが勝利か敗北の二つだけとは考えない。戦うにしろ逃げるにしろ、そのどちらの選択も失するものが多いのであれば、第三の選択肢を選ぶのが無難と考えます。つまり、現時点でとれる最善の方法は、交渉です」

使者による短いやり取りを経て、両軍からそれぞれを代表する指揮官が前へ出た。

ムラクモ軍からは重輝士の軍服をまとった男が、対するターフェスタ軍からは、マルケとネディムの二人が進み出た。

睨み合う両軍の中心に立ち、両者はどちらからともなく目を合わせ、頷いた。

三人の中でマルケが口火を切り、

「ターフェスタ軍司令官代行のビュリヒ・マルケ将軍だ、会談に応じていただき、感謝する」

ムラクモ軍の重輝士は訝しげに首を傾げ、

「こちらはセスタン・ルクレール重輝士だ。将軍、見たところ、着込まれる軍服はカトレイ傭兵のそれとお見受けしますが。傭兵軍の将が、ターフェスタ軍の司令官代行というのは……」

マルケは気まずそうに首を掻き、

「司令官より任命され、一時的に軍を預かっている身でありましてな」

ルクレールは視線をネディムに移し、

「そちらは?」

ネディムは丁寧な所作で辞儀をして、

「ターフェスタ公国、冬華六家、カルセドニー家代表、ネディム・カルセドニーと申します。ここでは司令官補佐の役を請け負っている身であります、お見知りおきを、ルクレール重輝士」

ネディムの名乗りにルクレールは視線を空に上げ、

「冬華というのは、その……?」

ネディムは左手を胸に添え、

「近いところで言うと准執政、軍でいうところの准将の位に相当する、とでも思っていただければ妥当かと」

ルクレールは慌てて敬礼をして、

「勉強不足を失礼いたしました」

ルクレールはマルケを視界の外にやり、はっきりとネディムに体を向けた。

ネディムは軽い辞儀を返し、

「こちらからも一点伺いたいことがあります、あなた方の所属をお聞かせ願えないでしょうか」

その質問をすると、目を見開いたマルケがネディムを見つめた。

ルクレールは険しく視線を尖らせ、

「ムラクモ王国近衛軍である」

ネディムは頷きを繰り返し、

「……ということは、この軍を派遣されたのは、貴国の執政にして総司令官である、あのお方ということになりますね」

ルクレールは険しい顔のまま、頷いた。

「目的は我々の排除ですか?」

ネディムの問いにルクレールは口元を引き締め、

「言うまでもなく」

ネディムは大袈裟に首を傾げ、

「ですが、あなた方は一向に攻めてくる気配がない」

ルクレールは咳払いをし、

「深界での流儀を守っているまで。白の盤上で行われる戦闘は、互いの同意をもって始まるものでありますので」

「しかし、こちらはその流儀を守ってはいない。ありていに申せば、我々は土足で貴国の領土に足を踏み入れている状態です。こうした場合、戦争の流儀を説く声はあがることなく、通常、侵入者を排除するのに手段は選ばないはず。我々はあなた方の接近を知るのが遅れた、これはそちら側にとっては大いに有利に働くことであり、不意を打って圧倒的な優位を得られたはずですが、そうはしなかった。あなたは静々と兵を並べ、こちらから会談の申し入れをするまで、軍を動かそうとはしなかった。それはとても――――大変に、違和感を受ける行動といえます。なにか裏の真意があるのでは、と考えてしまうのですが」

ルクレールはねちっこく語るネディムから視線をはずし、

「想像を元にしたお話に、お答えできることはありません」

「でははっきりと聞きますが、あなた方の目的はなんです、あなたの口から直接お聞かせ願いたい」

「…………」

簡単な問いに、ルクレールは露骨に口を閉ざす。

ネディムは指で鼻先をなぞり、

「戦闘、ではないのですか」

ルクレールは鋭く尖らせた目でネディムを見やり、

「お望みとあれば、いつでも。撤退を望まれるのであれば、それもご自由に」

ネディムは静かに溜息を落とし、

「どうにも収まりが悪い……」

喉元に剣を突きつけられながら、優しく頭を撫でられているような心地がする。

相手は優位を得られる状況を捨ててまで、ターフェスタ軍に対してあまりにも大きな猶予を与えている。それが優しさだとすればあまりにも寛大な処置といえるが、侵入者に対してそれほどの慈悲をみせる理由は、ムラクモにはないはずだ。

視線を動かすと、心配そうに側に身を置くマルケが、首にびっしょりと脂汗を浮かべているのが見えた。一つ間違えば多くの血が流れる現状で、後ろに控える兵士たちからも、同様の不安が伝わってくる。

ネディムは馬を一歩前に進め、

「戦うもよし、逃げるもよし、次の行動を選べといいますが、これはおかしな話です。侵入者は即時排除が原則であり、他の事情があるのなら、事前にそれを伝えようとするはず。そのどちらも、あなた方はしようとしていない。我々に猶予を与え、その動向をじっと見守っている、まるでそれ自体が目的であるように。失礼ながら、重輝士の階級であるあなたにそこまでの決定権があるとは思えません。であれば、あなたが今とっている行動は、上から命じられたことであるということ――質問の内容を変えます、あなたが受けた指示はなんなのですか」

ルクレールは再び視線をそらし、

「……お答えできることは、ありません」

歯切れの悪い態度を継続した。

ネディムは視線を下げて思考にふける。

戦うも、逃げるも自由。二つに一つ、究極の選択が迫られているが、どちらを選んでも失うものはあまりにも大きい。

考え込むほどに、複雑に思考の糸が絡みつく。

――もっと単純に考えるべき、か。

相手が戦いを仕掛けてこないのは、戦いを望んでいないから。戦闘を勝利に導くだけの戦力を持ちながら戦いを避けるのはなぜか。

――そういうことか。

瀑布のように、情報が頭の中に流れ出す。現状と経緯、ここに至るまでに収集された数々の情報。それらを元に、ネディムはある一点の答えを導き出した。

「では……戦うことも逃げることも、どちらも選択することなく、我々はただここに留まることにします」

ネディムが言うと、

「えッ?!」

マルケが素っ頓狂に声を上擦らせた。

ルクレールは神妙にネディムを凝視し、

「我々がそれを黙認するとでも……?」

ネディムは自信を持って頷き、

「ええ、そう思います。現状で戦うかどうかの選択権を委ねるという不可解な行動の真意は単純なものです、排除は厭わないが、生かしておきたい事情もある、といったところでしょう。そちらからなにも行動をとらず、様子を伺っていたのは、こちらを試していたからに他ならない。なぜか――ムラクモが現状で抱える不穏の種が原因である、とでも言っておきましょうか。この推測に間違いがあると思われますか?」

ルクレールは突如、肩の力を抜いておかしそうに口元をほころばせた。

「……侵入者が愚者、弱者であればただちに殲滅せよ――というのが、派兵の直前に私が受けた命令です。越境した敵軍が有能であるならば、こちら側にとって都合が良い。家の前をハゲタカがうろついていれば、群れを離れた一匹狼とて不安を感じるでしょうからね」

ルクレールは隠していた悪意ある表情を顔面に滲ませる。

「では、正解の道を踏み抜いたということでよろしいのでしょうか」

ルクレールは頷き、

「戦いを挑まれれば応じざるを得ない。のこのこと逃げ出すような弱者であれば、生かしておく利点もない。ただし、現状を読み解き、それを利用できる程度に狡猾であるのなら、使い道もある。グエン・ヴラドウ元帥のお言葉を伝える――現地点を越えて軍を進めない場合に限り、一時的な滞在を歓迎する」

ルクレールはそう言って、背を向けて予兆なくその場から距離を置いた。しかし途中で足を止め、

「……これは私個人からの言葉ですが、東地人は自国の地を踏み荒らされて黙って見ているほど軟弱ではありません。奪われたものは必ず取り返します、お覚悟を」

言い終えて、ルクレールが手で合図を送ると、抜剣していた兵士たちが、一斉に剣を納めて撤収を始めた。

現れたときと同じように、青色の軍隊は気配を殺し、静寂の内に姿を消した。

マルケは浮かべた汗を拭い、胸に溜めた息を大きく吐き出した。

「……見逃された、ということでいいのか」

ネディムは空になった白道を指さし、

「言葉通り、たしかに我々は歓迎を受けているようですね」

白道を埋め尽くしていた兵士たちが去った後に、大量の木箱や樽が残されている。確かめると、中身は食料や装備、真新しい寝具が詰め込まれていた。

マルケは殻のついた米をすくい上げ、

「こちらを肥えさせて、上手く利用しようという腹、か……思っている以上に向こうは余裕がない状況なのかもしれんな」

状況が二転三転したこの時に、戦いを覚悟していた兵たちが未だにざわついている状況下で、

「ユウギリより報告――ッ!!」

兵士たちを掻き分けて現れた伝令の一声が、雷鳴の如く灰色の深界に轟いた。

弾む声と明るい表情を見たネディムは微笑みを浮かべ、

「朗報のようですよ」

マルケは目を輝かせ、

「ということは――」

ネディムは頷き、

「ええ。戦いに決着がついたのなら、ここからは、私の仕事が増えることになりますね」

ネディムは言って、一本ずつ指を折り始め、

「あれと、これと……そうだ、あれも……司令官と相談し、今後の予定を詰めなければ」

跪いて待機する伝令の下へ向かいつつ、直接話を聞く前に、二人はこれからについての相談を交わしていく。

マルケが嬉しそうに声を弾ませ、

「ターフェスタ大公がこのことを知れば、さぞ喜ばれることだろうな」

ネディムは視線を空に上げ、

「はい……それはもう……なによりも……」

そう語ったネディムの声は、言葉ほどには喜びを含んでいなかった。

戦勝報告を握りしめた伝令は、ユウギリに合流したネディムの監督の下、万端の準備を整えて発せられた。

伝令は各所で馬を乗り継ぎ、不眠不休で深界を駆け抜ける。

伝令を乗せた早馬は直線に伸びる広大な白道を駆け、ターフェスタの中央都がある領内に入り、山中の街道を抜けて、夜明け前に城門へと辿り着いた。

よれよれになった馬から飛び降りた伝令の体を支えたのは、彼の知り合いでもある門番の一人である。

「おい、どうした……? 戦地でなにかあったのか……?」

顔見知りの門番から問われた伝令は、渡された水を一気に飲み干し、周囲の人気を注意深く探った後、微かに顔に笑みを浮かべる。

「いいか、まだ誰にも言うな――」

伝令は再び周囲を覗い、

「――勝ったッ」

門番はぎょろりと目を剥き、

「……え?!」

「勝ったんだよ……ムラクモに……ッ、領土を奪い取ったんだ、ターフェスタ軍が敵地を支配下に置いたッ、ターフェスタが勝った! 勝ったんだ!」

門番は大きく声を上げ、

「うおおおお!」

伝令は拳を握りしめて、

「おおおおお!」

両者は互いに体を抱き寄せ、喜びを分かち合った。

人気のない詰め所の中に二人の細やかな歓声が木霊する中、その様子を見守る二つの存在があった。

一方は高みから耳を傾け、一方は闇に紛れて目を見張る。

両者は互いの存在を認知しないまま、同時にこの場を離れ、駆けだした。

夜明け頃、起きたばかりの元宰相ツィブリの耳元に、

「報告――」

姿を見せないまま、フクロウが声を伝えた。

粗末な厩舎の中で、藁の上に横たわったまま、続く言葉を聞いたツィブリは大きく目を見開き、

「終わったか……」

声に哀切を響かせながら、痩せ細った両手を握りしめた。

同じ頃、リリカは人気のない城内を全力疾走していた。

激しく足を踏み、息を切らせながらも、静寂の城内にその音が響くことはない。

通路の一角から天井の死角へと侵入し、暗闇の中に身を潜める。記憶に落とした経路を辿りながら、主人であるジュナ・サーペンティアの部屋へと至る。

リリカが気配を殺して部屋に入った瞬間、

「しゅたり――」

誰にも聞こえない小さな声で、侵入を告げる音を口ずさむ。

歩を進め、寝台に横たわるジュナの下まで行き、仰向けに目を閉ざす主人の前で跪く。

「失礼いたします、ジュナお嬢様。急ぎ、お聞かせしたいことが――」

リリカが詳細を囁いた途端、ジュナは大きく瞼を開き、美しい相貌に笑みを浮かべる。

「……始まった」

一言呟いたジュナの双眸は、起きたばかりとは思えぬほど爛々と光を放っていた。

***