軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

釘付け 4

釘付け 4

刃物のように鋭い風が、冬のターフェスタ城を切り刻む。

「冷たい、手が痛い……なんでうちらがこんなとこでこんなことしてんだよ……ッ」

赤くなった手に温かい息を吐きかけながらユギクが盛大に愚痴をこぼした。

極寒の朝、庭で洗濯に従事しているのは、サーペンティア家が抱える影の組織の元一員、現在はユギクと名を改めているハイズリである。

「ハイちゃん、私がやるよ」

ユギクと同じような立場にあり、現在はレキサと名乗っているウルガラは、幸せそうに微笑みながら濡れた洗濯物に手を伸ばした。

ユギクはその手を払いのけ、

「そういう問題じゃねえんだよ」

レキサは悲しそうに顔を沈め、

「ごめんね……」

ユギクは落ち込むレキサを気にした様子もなく、濡れた洗濯物をこすり、

「うちらは泣く子も黙るサーペンティア家の暗部にいたんだぞ、それがなんで異国にいながらこんな格好で家事手伝いに明け暮れてるんだって話なんだよッ」

女用の給仕服を掴みながら、ユギクは現状の不満をぶちまけた。

「でも、けっこう可愛いよ……ねえ知ってた? 昨日気づいたんだけど、このレースの部分が小熊みたいに見えるの――」

ひらひらとしたスカートの裾を持ち上げながらレキサが言うと、ユギクは濡れた手で彼女の頬を思いきりひねり上げた。

「どうでもいいんだよ、そんなのッ」

レキサは涙目で、

「ごめんなさぁい――」

謝りながらも、その顔はどこか隠しきれない嬉しさを秘めている。

「あーあ……」

手を離したユギクは溜息と共に、洗濯物をちゃぽちゃぽと水に浸す。

レキサは赤く腫れた頬を撫でながら、

「じゃあ、あっちに戻る?」

東を指さして言う。

ユギクは渋面で地面を見つめ、

「うちら、やらかしてるからな……今さらサーペンティアには……」

しくじれば始末される、二人がいた世界に許しはなかった。与えられた任務をまっとうできず、サーペンティア家の次期当主を失ったとなれば、その責任を問われるのは明白である。

レキサは真顔でユギクを見つめ、

「でもね、ここもサーペンティアだよ」

ユギクはきょとんとレキサを見つめ、

「……まあね」

呆れたように笑った。

その時、ユギクはなにかに背中を押され、前のめりに倒れ込んだ。

二人の背後から突如ひとの気配が伝わり、

「働け」

どこからともなく現れたリリカが、ユギクの背中に思いきり蹴りを入れていた。

ユギクは固い地面に転がり、

「いってぇな……ぶっころすぞてめえ!」

リリカはすました無表情で、

「そんな下品な態度を見られたら大変ですよ、清楚で可憐なユギクさん」

ユギクは体を起こしながらリリカを睨み、

「音もなく近寄るな、気持ち悪いんだよ犬の糞が」

リリカは首を僅かに傾け、

「ほう、リリカが犬の糞なら、あなた達はなんですか」

レキサが嬉しそうに破顔し、

「蛇のッ――」

ユギクがレキサの額を指で弾き、

「言うな!」

リリカは衣服の端をぱたぱたとはたき、

「やれやれ、頭の悪い寸劇で時間を無駄にしてしまいました。二人とも、ここの作業を終えたら一旦切り上げて戻ってください」

その言葉にユギクは表情を暗く沈める。

ジュナが抱えるアデュレリアの隠密、リリカを使っての呼び出しは通常の事ではない。

「仕事、か……」

ユギクは状況を推測し、苦々しくその言葉を吐いた。

リリカは頷きながら、

「こくり――ジュナお嬢様がお呼びです」

ジュナ・サーペンティアは集められた三人の手下達を前に、常のように柔和に微笑んだ。

「突然呼び出してしまってごめんなさい」

ユギクは唇を尖らせ、

「まだやることがあるんですけどぉ」

投げやりな態度で言った。

リリカがそんなユギクをぎろりと睨み、

「とわッ」

颯爽と足を踏みつけた。

ユギクは踏まれた足を手で押さえ、

「いってえな!」

リリカは両手を腰にまわし、

「お嬢様の前ではお行儀良く。出来ないならまた絞めますよ」

ユギクは喉を押さえて、寸前まで出かかった文句を飲み込み、

「失礼、いたしました」

引きつった顔で辞儀をした。

気にした様子もないジュナは愛らしい顔で、

「ここには私達だけ。だからといって、ただ大人しく過ごしていても仕方がない。今のうちに出来る事をやっておきましょう」

ユギクは首を傾げ、

「できること、ですか」

ジュナは頷き、

「情報を集めます、ここの外、そして内の両方」

ユギクは表情を曇らせ、

「ここではサーペンティアの名は疎まれています。下手に嗅ぎ回るようなことをして、バレたら大変なことになりますよ」

ジュナは自分の手で車椅子を窓の前まで進め、

「カゴの中に囚われたままじっとしていても、やがて自分の羽根で飛ぶ方法もわからなくなってしまうだけ」

ジュナの言葉に、彼女の生い立ちと境遇を知るユギクは、微かな後ろめたさと同情を感じた。

リリカが一歩進み出て、

「リリカは引き続き外の状況を探ればよろしいのでしょうか」

ジュナはリリカに視線を向け、

「あなたのおかげで城下の現状は、大方把握できました。ここから欲しいのは、状況ではなく、人物の情報」

「人物、ですか」

ジュナは品良く微笑んで頷き、

「ターフェスタの市街地、その周辺一帯に形成されている集団を率いる有力者達の情報を」

ユギクは口元を引きつらせ、

「まさか、うちらにも同じ事をやれってんじゃ」

ジュナは微笑みを保ったまま、無言で頷いた。

ユギクは一歩退いて首を振り、

「むりむりむり、存在を認知されてないそこの犬と違って、うちらはのうのうと姿を晒してんだ」

リリカがユギクをきつく睨み、

「キッ――言葉づかい」

と釘を刺す。

ジュナは表情に明るく花を咲かせ、

「安心して、あなた達二人に、ここをこっそり抜け出して外で情報集めをさせるつもりなんてないから――」

ユギクはほっと胸をなで下ろす。だが、

「――あなた達には、このお城の中で大公周辺の情報や貴族家のこと、そこで働く人々について、あらゆる情報を集めてもらいたいの」

ユギクはうんざりした調子で首を振り、

「朝から晩まで家事と給仕で働かされながら、この危険な状況下で情報集めまでしろって?」

ジュナは屈託のない表情で首肯し、

「そう、あなたがムツキでやっていたのと同じこと」

ユギクは靴を強く踏みならし、

「あっちはムラクモの人間として溶け込めたから出来たことで! こっちじゃうちらは異物なんだ、それも割と憎まれてるッ。監視の目もあって自由に動き回れないのにどうやって情報を集めろっていうんだよ」

ジュナは静かにレキサに視線を送り、

「あなた達二人が力を合わせれば、そう難しいことでもないのではありませんか」

呆然と立っていたレキサは途端に目を輝かせ、

「ハイちゃんと一緒に?! やりますやりますッ」

レキサは嬉しそうに飛び跳ねながら、ユギクの腕にからみついた。

「ウル、お前わかってないだろ、どんだけ危なくて面倒なことをやらされるかッ」

ジュナは揺るぎない態度で、

「あなた達なら大丈夫。ユギクさん、あなたにとって他人から信頼を得るのが得意なはず。リリカさんから聞いたけど、お城の下働きの男性達からすでに評判になっているみたい、可愛いって」

ユギクは僅かな照れを隠すように視線を斜め下に向けて、

「だからって……」

「影蛇は諜報を司る組織、そこで育てられたあなたは活動のための手練手管を仕込まれている。私があなたに求めている仕事は、あなたの専門分野のはず――――私は間違った事を言っている?」

ジュナの表情から、露骨に熱が引いていく。

見開かれた目、まるで心のこもっていない微笑、冷血な蛇の血筋から放たれる威圧感に、ユギクは反射的にその場に膝を突いて顔を隠した。

「う……」

記憶にすり込まれた体罰を伴う数々の教育が恐怖を引きずり起こした。息が乱れ、息苦しさを感じる。

サーペンティア家に仕える者達は、その身に蛇の血を恐れるよう恐怖心が染みついていた。なかでも最も畏怖の対象であったヒネア・サーペンティア、ジュナはそのヒネアと似た風格を感じさせることがある。

恐怖や痛みは、たやすく理性を凌駕する。

ユギクは絶え絶えの息で、

「仰せの、ままに、いたします……」

振り絞るように言った。

その行動に倣うように、レキサもユギクの隣で跪き、

「いたします」

と伝えた。

ジュナは陽光で暖められた綿毛のように優しげな声で、

「よかった。二人とも顔をあげて」

ユギクは恐る恐る顔を上げると、さきほどまで目の前にあった恐ろしげな表情は消え、柔和ないつもの顔がそこにあった。

ジュナは窓の外に視線を送り、

「このターフェスタで、誰よりもここを知る人間になりたいの――そよ風のように音もなく、姿は見えず、誰にも知られないうちに」

冬の強風に煽られた枯れ葉が窓に打ち付ける。

血の気が引いた体が徐々に熱を取り戻していくのを感じながら、ユギクは体が震えないよう、膝を突いたまま必死に体を押さえ付けた。

冬枯れの景色に、強風に舞い踊るように降り始めた粉雪が華を添える。

アイセ・モートレッドは窓の外から各所を細かく観察していた。

「監視の配置はどう?」

同室にいたテッサ・アガサスに問われ、

「はっきりとは見えませんが、思っていたほどでもありません。通路に少数の兵士が配置されていますが、これは通常の警備の範囲内という感じがします」

アイセから話を聞き、テッサは真剣な表情で人差し指を唇に当てる。彼女のその顔は、怒っているようにしか見えなかった。

「アガサス輝士は――」

アイセがそう呼ぶと、

「私のことはテッサと呼んで。アガサスが三人もいてややこしいでしょ」

威圧するようなテッサの睨みが、アイセの身を竦ませる。

「も、申し訳ありませんでしたッ」

候補生時代の怒りっぽい教官を思い出し、アイセは反射的に姿勢を正して謝罪を口にしていた。

テッサは困ったように眉を下げ、

「怒ってないのよ、そう見えるでしょうけど」

そう言った顔も、やはり怒り散らしているようにしか見えなかった。

テッサは溜息を吐きながら、特にギラついて見える目の周りを手の平でもみほぐし始めた。

アイセはごまかすように引きつった笑みを浮かべ、

「そんなことは」

テッサは暗い表情で床を見つめ、

「せめてもう少し母に似ていればね――」

その言葉を言いかけて頭を左右に強く振り、

「――そんなことより、今やるべきことに集中」

アイセは頷き、服の内から折り重ねた布の束を取り出した。

食卓のとなりに目隠しの衝立を置き、机の上に布の束を一枚ずつ並べていく。それはターフェスタの城に軟禁されてから少しずつ集めてきた、布巾や雑巾だった。

それらの布には、ここまで知り得た城の簡易的な見取り図が記されている。アイセはその通路の一つに印を書き込んだ。

「各所を繋ぐ通路には交代制で警備兵が配置されています」

テッサは頷いて見取り図の一画を指でなぞり、

「そして各通路を繋ぐ要所には、城付きの輝士を置いた詰め所がある。でも監視は密ではなく、穴が多い」

そう言って左手の甲にある輝石を見つめた。

人質として残されている状況から考えても、彩石を封じられていてもおかしくはないが、現時点ではそうした措置は受けていない。

アイセも自身の輝石を見つめ、

「今の段階では、一応私達は客分ということなのでしょうね」

集まることのできる広い部屋を与えられ、各自に個室も用意されていて、食事もそれなりのものを与えられている。不便があるとすれば、いくらかの家事を自分達でやらなければならないということくらいだ。

アイセの言葉にテッサは深く頷き、

「配慮を受けているのは事実、それは私達にとって付け入る隙になるけれど、下手に警戒させれば監視を強める理由を与えてしまうことになりかねない。慎重に城内を探りつつ、緊急時を想定して最短の退路を確保しておかなければね。のんびりしている暇はない」

アイセは頷きつつ、

「のんびりと寝続けて起きてこない奴もいますが」

シトリが眠り続ける部屋の方を見やった。

テッサは口元に笑みを浮かべ、

「彼女は貴重な晶士、いざというときに頼りにするために、今はゆっくり休んでいてもらいましょう」

アイセも微笑を零し、

「そうですね」

テッサは再び見取り図に視線を落とし、

「問題はジュナ様ね……不自由を抱えたお体を考慮した退路を検討しておいたほうがいい、あの方に傷一つでもつけたら大変なことよ」

アイセは真剣に語るテッサの顔を慎重に観察していた。

テッサのジュナに対する語りようは格上の王侯に対するような態度だった。それは彼女に限らず、アガサス家の者達全員に共通する傾向である。

アガサス家はサーペンティア家に対して畏敬の念を抱いている。それはムラクモの人間であれば自然と染みついた感覚なのかもしれない。

だがアイセは、ジュナ・サーペンティアの言動に一抹の不安を感じていた。彼女はなにかを秘めている。彩石を持ちながらそれを隠している付き人の存在、それに得体の知れない何者かが、側で暗躍している気配まである。

なんら証拠もない現状で、漠然とした不安を相談する相手として、テッサ・アガサスは適任かどうか、アイセは未だ判断できずにいた。

「――どう思う?」

饒舌に語っていたテッサに、その言葉の半分も飲み込めぬままアイセは頷き返した。

「……いいと思います。ターフェスタの市街地には広い地下水道が広がっているので、緊急時にはそこに逃げ込めるように準備を進めておきましょう」

「…………」

テッサは見取り図から手を離して、黙したままアイセのほうへ体を向けた。

その真剣な眼差しに、アイセは緊張を覚え、拳を握る。

「なにか……?」

テッサは厳しい表情のまま、

「後悔している?」

「え……」

「ムラクモを離れたこと」

その一言で、アイセはテッサの態度の理由を理解する。ぼんやりと考え込んでいた一瞬を、決断への後悔と勘違いされたようだ。

「いや、そうじゃなくて――」

「近しい家族と共にムラクモを出た私とは違って、あなたもアウレール晶士も失ったものは大きい。もし後悔していてもそれを恥じることはない」

アイセはテッサの視線に応じるように目に力を込め、

「この状況に恐れを感じています、でも自分の決断に後悔はありません」

無言で視線を交わした後、不意にテッサが頬を緩めた。

「なら、当てにしてよさそうね」

アイセは、

「当然ですッ」

と強く鼻息を落とした。

「改めて聞くけど、ここでの私達のやるべき事は?」

「備えること」

「そう、もしもの事があった場合、合流できるまで全員が無事でいられるように備えておくこと。そのために今できることに全力を尽くしましょう」

「はい」

小気味よいテッサの口上に気合いを入れつつ、アイセは抱えたままの一抹の不安感を、心の内にしまい込んだ。

「ムラクモの方々の様子はどうですか」

冬華六家の一人、エリス・テイファニーは、穏やかな声音で部下に問うた。

「大人しくはしています、ですが……」

答えた部下の男は言いにくそうに言葉を濁した。

「気になることがあるなら、はっきりと言いなさい」

「……あの連中に自由を与えすぎなのではないかと、そのように話している者達の声があがっています」

エリスは特徴的な垂れ目で部下を見つめ、

「あなたもそう思っているのですか」

部下の男は鷹揚に頷き、

「はい。石を封じ、牢に閉じ込めておくべきです」

エリスは視線を下げ、

「あなた達の気持ちはわかります。ですが、あの者達の滞在をお認めになられているのは大公殿下です。それに相応しい待遇を与えなければ、ターフェスタの品位を下げることになる。不満を漏らしている者達にも、この考えを徹底しておきなさい」

部下の男は苦い表情でうつむき、

「はい……承知いたしました、テイファニー卿」

そう言いながらも、内に秘めた不満を隠せない様子の部下を見送り、エリスは一人現状を憂う。

戦争中であるムラクモからの来訪者達。思いも寄らなかった客人達の対応に、ターフェスタ内では静かに憤懣を溜め込んでいる者達がいる。

――彼らの怒りが殿下に向けば。

不穏な考えが浮かぶと、そのことが頭から離れなくなる。

結末が見えず長引くままになっている戦争に、それにかかる軍費は底の抜けた金庫のように消費され続けている。

国民への徴税は厳しさを増し、国の運営は刻一刻と安定を欠いていく。

現状、ターフェスタ大公が独断で行う政には、希望的な未来が、欠片にでも見いだせない状況にあった。

暗雲に包まれる月のない夜に、エリスは雑多に去来する不穏な考えを抱えながら、大公の私室に足を向けた。

「殿下、エリスです……」

ターフェスタ大公ドストフの私室を訪れたエリスは、室内を埋め尽くす枯れた冬の花を見て嘆息した。

エリスは萎れた花を手の平に乗せ、

「係の者を叱らなければなりませんね」

寝間着のまま、寝台の上に座っていたドストフは、目の下に暗いくまを溜めた顔で、

「……私が誰も中に入るなと命じておいたのだ」

そう言うと、背筋を曲げ、沈鬱な顔を床に向ける。

エリスは枯れた花を少しずつ回収し、部屋の中心に置かれた円卓の上に集めていく。

「人質として置いている者達の処遇に不満の声をあげる者達が増えているようです、少し甘いのではないのか、と」

ドストフはそれを聞いて深く息を吐き、

「私にどうしろという……東方人達の待遇を保証するようバリウムから強い嘆願があったのだ。妻や義弟の手前、つっぱねて顔を潰すこともできない」

バリウム家はターフェスタ公国内の有力な領主家の一つである。

ドストフはバリウム領主直系の娘を妻として娶り、自身の強力な後ろ盾としてきた。

先のサーペンティア家の公子を発端とする騒動の際、ムラクモとの交渉役として派遣した義弟であるバリウム侯爵、ショルザイの身を危険に晒した手前、ドストフが抱えるバリウム家への弱みは、かつてないほど膨れ上がっている。

「はあ…………」

深く、長い溜息が、静寂に包まれる室内に染み渡る。

こんな時、側について支えてきた者達は、今や誰一人としてここにはいない。

枯れた花を集め終えたエリスは、大公の前に跪き、沈めたドストフの顔を下から覗き込んだ。

「殿下には重責をお支えする者が必要です。その役を負うべきだった者達の多くを失し、私一人の手では力不足です……現状の改善のため、捕らえられたままの冬華の長、デュフォスの救出作戦の実行を、殿下に奏上いたします」

虚ろなドストフの瞳に、僅かに光が灯る。

「デュフォス卿――」

ドストフは上擦った声でその名を呟くが、

「――いや、いやいや、いやッ、だめだだめだ、親衛隊長を平民に囚われ脅されていたなどと知られれば、私はまたいい笑いものにされる。春にはリシアへの巡礼があるというのに、向こうに行き、各国の者達にひそひそと陰口を叩かれるのは耐えられん」

脂汗を浮かべ、迫真の表情でドストフは自らの不安を語り、震える手と手を重ね合わせた。

エリスは両手でドストフの手を包み、

「迅速に救出隊を組織し、デュフォスを奪還します。この件に加担し、事情を知る者達全員がいなくなれば、この件が外に知られることもありません」

ドストフは顔を上げ、

「いなくなる……?」

エリスは頷き、

「はい、いなくなります。奪還が成功すれば、あとのことはすべてデュフォスが……今の殿下に足りないものは、冬華の長であり殿下の忠実な臣下であるあの者なのです」

ドストフは虚空を見つめてゆっくりと立ち上がり、

「デュフォス……デュフォスか……」

その名を何度も呼び、その度に首を縦に振る。

エリスはたたみかけるように声を張り、

「デュフォスが殿下のお側に在った頃までは、すべてが滞りなく順調でした。ダイトスは生きていて、ユーカもナトロもその威風を誇っていました。あの頃に戻れずとも、今ならまだ修正を望めます。ご再考を、殿下……どうか……」

ドストフは無言で何度も頷きを繰り返し、

「……奪還作戦の指揮権を、エリス・テイファニーに一任する」

振り絞るようにそう言った。

エリスは大きく目を見開き、

「殿下ッ」

ドストフは円卓に集めて置かれている枯れ花に手を触れ、

「参加させる人員には注意せよ、とくにワーベリアムと関わりの深い者達は必ず避けるのだ。准将が知れば、またあれこれと小言を聞かせようと戻ってくる。周囲にも誰にも悟られず、極秘の内に遂行せよ」

エリスは大きく頷き、

「大公家への忠誠度の高い者達を厳選し、さらに猛禽を総動員させます。あの者達なら、今回の件に最適でしょう」

ドストフは無言で頷き、枯れた花を束にしてまとめた。

「死んだ花など目障りだ……今すぐ新しい物に替えさせよ……」

エリスは破顔し、

「おまかせください」

枯れた花束を受け取った。