作品タイトル不明
7_8
7
「子として父をはずかしめぬ道」
その言葉は天啓のようにノーマの耳朶を打った。
そうだ。
まさに、そうだ。
そここそが大事なのであり、ほかのことはそれについてくる。
どうしてこんな簡単なことに気づかなかったのだろう。
父が残した文章を世に出すのが自分の務めなのではない。
父が残したかった文章を世に出すことこそ自分の務めなのだ。
サースフリーが残した文章は、現物をみれば誰にでもわかる。
だが、サースフリーが本当に残したかった文章がどのようなものであるかは、その子であり唯一の弟子であった自分にしかわからない。
若いころ書いた文章をそのまま発表されて、父が喜ぶわけがない。のちのちの叡智の目からみて書き直した文章をこそ発表してほしいはずだ。
だが死んでしまった父にそれはできない。父に代わってそれをすることこそ、自分の役割なのだ。
父から聞いた言葉の数々。父が取り組んでいた研究の中身。断片的で、それ自体は本にはできない数多くの覚書。そうしたものからみえてくる、本当はこう書きたかったという中身。
それをこの世に生み出してこそ、子として父をはずかしめぬ道ではないか。
「迷いは取れたようだな」
はっとわれに返ると、厳しい顔に少しだけやわらかな表情を浮かべた祖父プラドがいた。
「はい。ご教示ありがとうございました」
「参考になったのならよかった。これからも何かに悩んだらこの老体を当てにしてもらいたい、ノーマ殿」
「はい」
8
「そうか。ご決心なされたか」
「はい。ラクルス師のお言葉の意味をよく考え、また、ある人から助言を受け、迷いが晴れました。私自身、ずっと前から気になっていたことだったのです」
「うむ、うむ。よけいなことかとも思うたが、申し上げずにはすまなんだ。この本は、いいかげんなことで仕上げてよい本ではないのですからなあ」
ノーマとラクルスの会話を、ジンガーとエダとパームとヨランがやさしくみまもっている。みな、ジンガーが淹れた茶を飲んでいる。騎士に茶を淹れさせ、使用人のような仕事をさせるということに最初は驚いたラクルスたちだったが、今はすっかりなじんでいる。
そしてまた、ラクルスは、サースフリーの家名を知っていた。ということはノーマが貴門の血を引いているということも知っている。そのためか、ノーマに対する言葉遣いは、ごく丁寧なものとなっている。
ラクルスは、おそろしい速度で父の遺稿を読んでいる。ノーマとしては、ごく断片的な覚書以外、父が書き残したものはすべて出版候補だ。ラクルスには刊行する価値があるかどうかを客観的に判断できるはずなので、自分で選別はせず、ごく個人的なもの以外、すべての遺稿をラクルスにみせている。
自分以外の人間が父の遺稿にさわることは許せないノーマであり、ジンガーにさえさわらせたことはない。だが、ラクルスには委ねてよいと考えている。それほどの信頼を、短い時間のなかでノーマはラクルスに感じるようになっていた。
「来月の十日か遅くとも十五日ぐらいには、草稿を読み終えます。一覧表を作成させますので、それをもとに刊行の全体量を決定しましょう」
「は?」
いくらラクルスが本の専門家だとはいえ、いくら何でもその期間にあの膨大な草稿類を読み終えられるわけはない。ノーマ自身でも、それは不可能だ。
「あれを全部、ですか? 全部読み終える?」
「ははは。われら筆写師にはいくつかの読書法がありましてな。素読み法、用語読み法、区切り読み法、語尾読み法、接続詞読み法、段落読み法など、それぞれ目的に応じて読書法を変えるのです。今回は用語読み法に素読み法をまぜた読み方をしておりましてな。意味を完全に理解しかみしめて読んでおるわけではないのです。それはまたあとの段階でのことになります」
説明が理解できなかった。ただ二つわかるのは、専門家というのはものすごいものだということと、自分自身の時間的余裕がまったくないということだ。
「アーマミール神官は、わしが王都を出る前に、一千枚の筆写用紙を用意してくだされた。もちろん、〈貴典〉規格の紙ですぞ。これからもどしどし送り届けてくださるお約束じゃ。遠慮なく原稿をご執筆くだされ」
いや、無理です。あなたとちがって私は普通の人間なんです。
そう言いたかったが、言えるわけはない。相手はこの仕事が終わるまでは、この町で過ごす覚悟で来てくれているのだ。
翌日、紙問屋の番頭がノーマを訪ねてきた。木材紙の高級品を扱う専門店で、今までノーマはその店から紙を買ったことはない。
紙には皮紙と布紙と木材紙がある。このうち最も低級なのは木材紙であり、最も高級なのも木材紙である。そしてこのうち本にできるのは皮紙と木材紙であるが、三百ページというような厚みの本となれば、木材紙で作るほかない。なお、〈略典〉以上の本は木材紙でなければならないと定められている。木材紙は皮紙よりはるかに保存性にすぐれているからだ。
父が侯爵家にいたころは、高級な木材紙が使えた。だが今のノーマにそのような余裕はない。いったいどうして突然紙商などが訪ねてきたのか不審に思ったが、なんとプラド・ゴンクールからの注文だった。費用はゴンクール家が持つという。
ノーマとの話の断片から、多量の原稿を書くことになると推測し、木材紙を贈ってくれたのだ。ノーマは驚きながら、プラドの好意を受け入れることにした。
ラクルスが同席してくれた。話は早かった。
「〈貴典〉規格の本の原稿を、ノーマ殿には執筆していただくのじゃ」
「ああ。なるほど、そうでございましたか。ならば、〈大貴典〉の紙でよろしゅうございましょうか」
「いや。それでは少し小さい。書き足しや修正もしにくい。〈特大貴典〉の紙がよいとわしは思う。ノーマ殿。〈特大貴典〉というのはじゃな」
ノーマにも説明がなされ、納得したうえで注文がなされた。当座の納品量は一千枚で、追加もあり得ると聞き、番頭は目を丸くしていた。
そして目の前の人物が、高名な王都の筆写師ラクルスであると知ると、番頭は極限まで目をみひらいて驚倒した。