軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

番外編「皇帝陛下の秘密」

「陛下、本日の執務は以上でございます」

侍従長の言葉を聞いても、俺は書類から顔を上げなかった。ペンを置き、最後の署名を終えてから、ようやく息をついた。

「ご苦労だった。下がっていい」

「は。では、失礼いたします」

侍従長が退出し、執務室に静寂が戻る。窓の外はすでに夕暮れ。橙色の光が室内に差し込み、山積みの書類を照らしている。

俺は椅子の背にもたれ、目を閉じた。今日も長い一日だった。だが、これから先の時間を思えば、疲れなど吹き飛ぶ。

執務机の引き出しを開け、中から一枚の紙を取り出す。折り畳まれたその紙には、繊細な筆跡で文字が綴られている。

リーゼロッテの手紙だ。

正確には、彼女が王国にいた頃、王太子宛てに書いた手紙。七年分のうちの一通。俺が密かに手に入れたものだ。

五年前のことを思い出す。

あの頃、俺はまだ彼女の正体を知らなかった。L・Rという署名の魔道具師。帝国中で評判の技術者。その正体が、王国の伯爵令嬢だと知ったのは偶然だった。

外交の席で王国を訪れた時、ある貴族が噂話をしていた。

「ローゼンベルク侯爵家の令嬢、変わり者らしいですよ」

「ああ、王太子殿下の婚約者でしょう。殿下は全く興味を示さないとか」

「魔道具ばかり弄っているそうです。令嬢のくせに」

魔道具。その言葉に、俺の耳が反応した。

「どんな魔道具を?」

「さあ、詳しくは。ただ、かなりの腕前だとか」

それだけの情報だった。だが、俺には十分だった。

帰国後、俺は調査を命じた。ローゼンベルク伯爵家の令嬢について。彼女が作っている魔道具について。そして、L・Rとの関係について。

答えは、すぐに出た。

L・Rとは、リーゼロッテ・ローゼンベルクの頭文字。彼女が、あの天才魔道具師だったのだ。

俺は、彼女の作品を全て集めた。

表向きは「帝国の技術研究のため」という名目で。実際は、彼女の才能に惹かれていたからだ。

翻訳のイヤリング。身に着けるだけで、異国の言葉が理解できる魔道具。俺はそれを手に入れた瞬間、身に着けた。そして、驚愕した。

これほどの技術を持つ者がいるのか、と。

それからは、彼女の新作が出るたびに入手した。照明の魔道具。温度を調節する装置。どれも革新的で、どれも美しかった。機能だけでなく、細部の仕上げにまで心が込められている。

俺は、作品を通じて彼女を知っていった。

几帳面で、繊細で、でも芯は強い。人の役に立ちたいという想いが、全ての作品から伝わってくる。会ったこともないのに、俺は彼女のことを理解し始めていた。

そして、あの日が来た。

王国から急報が届いた。王太子の婚約者が断罪された、と。冤罪で悪役令嬢の汚名を着せられ、帝国大使館に逃げ込んだ、と。

俺は、すぐに行動した。

「彼女を保護しろ。手厚くもてなせ」

大使に命令を下しながら、俺の心は妙に高鳴っていた。ようやく会える。五年間、作品を通じて想い続けた人に。

王国に向かう馬車の中で、俺は何度も鏡を確認した。髪は乱れていないか。服装は整っているか。皇帝ともあろう者が、まるで初恋の少年のようだった。

馬鹿げている、と自分でも思った。だが、止められなかった。

初めて彼女を見た時のことは、今でも鮮明に覚えている。

大使館の応接室。窓から差し込む光の中に、彼女は立っていた。金色の髪、青い瞳。想像していたよりもずっと小柄で、でも、その目には強い光が宿っていた。

「初めまして、リーゼロッテ嬢」

俺は努めて冷静に振る舞った。内心は嵐のように荒れていたが、顔には出さなかった。出すわけにはいかなかった。

「帝国皇帝アレクセイです。あなたの才能を、帝国は高く評価しています」

仕事の話から入った。彼女の警戒心を解くために。そして、自分の感情を隠すために。

彼女は驚いた様子だった。当然だろう。断罪されたばかりの令嬢に、皇帝が直接会いに来るなど、普通ではない。

「L・Rの正体が、あなただと知っています」

その言葉を口にした時、彼女の目が大きく見開かれた。

「五年前から、あなたの作品を全て集めていました」

自分でも、どこまで打ち明けていいのかわからなかった。全てを言えば、彼女は引くだろう。だから、少しずつ。少しずつ、俺の想いを伝えていった。

大使館での日々は、俺にとって宝物のような時間だった。

彼女と話すたびに、新しい発見があった。想像通りの部分もあれば、想像を超える部分もあった。頑固で、真面目で、でも時々見せる笑顔は、花が咲くように美しかった。

あの夜のことを、今でも覚えている。

彼女が七年分の手紙を発見した夜。王太子宛てに書き続けた、届かなかった手紙。俺はその一部を読ませてもらった。

震えた。

七年間、返事のない相手に書き続けた手紙。そこには、彼女の全てが詰まっていた。寂しさ、悲しさ、それでも諦めない強さ。俺は、彼女のことをもっと知りたいと思った。もっと、近くにいたいと思った。

「あなたの手紙は、これからは届きます」

俺は言った。

「俺が、届ける」

帝国に来てからの日々も、俺にとっては試練の連続だった。

彼女を守りたい。でも、過保護になりすぎてはいけない。彼女は自分の力で立ち上がろうとしている。俺がすべきは、その手助けをすることだ。

公爵夫人が彼女を陥れようとした時、俺は怒りを抑えるのに苦労した。あの女を即座に処罰したかった。だが、彼女が自分で切り抜けるのを見守った。そして、彼女は見事にやり遂げた。

舞踏会の夜。罠を暴き、公爵夫人を追い詰めた彼女の姿は、本当に美しかった。俺の選んだ人は、こんなにも強い。

あの夜、俺は決意した。

この人を、一生守る。一生、隣にいる。

求婚の時のことを思い出すと、今でも心臓が跳ねる。

「俺の皇后になってくれ」

言葉にするのは簡単だった。だが、彼女の答えを待つ時間は、永遠のように長かった。

「はい」

その一言を聞いた時、俺は全てが報われた気がした。五年間の片想い。いや、片想いと呼ぶには、俺の感情は重すぎた。執着と呼んだ方が正確かもしれない。

でも、彼女は受け入れてくれた。俺の全てを。

結婚してからも、俺の想いは変わらない。

カタリーナが生まれた時、俺は泣いた。彼女に似た金髪の娘。俺の目を持つ娘。二人の愛の結晶。

「アレクセイ、泣いているの?」

リーゼロッテに笑われた。皇帝が泣くなんて、と。でも、止められなかった。

「嬉しいんだ。こんなにも幸せで」

あの時の彼女の笑顔を、俺は一生忘れない。

執務室で、俺は手紙を読み返していた。

これは、彼女が王太子宛てに書いた手紙の一通。俺が密かに手に入れ、ずっと持っているもの。彼女には内緒だ。

『今日は、新しい魔道具の設計を始めました。きっと、あなたにも喜んでいただけると思います』

王太子は、この手紙を読まなかった。読む価値がないと思ったのだろう。だが、俺は違う。俺は、彼女の言葉の全てを大切にしたい。

「陛下」

ノックの音と共に、声が聞こえた。リーゼロッテの声だ。

「入れ」

扉が開き、彼女が入ってきた。俺は素早く手紙を引き出しにしまった。

「まだ執務中?」

「いや、今終わったところだ」

「嘘。さっき侍従長とすれ違ったわ。執務は終わったって言っていたわよ」

見透かされている。俺は苦笑した。

「少し、考え事をしていた」

「何を?」

「君のことを」

彼女の頬が、かすかに赤くなった。結婚して何年も経つのに、こういう反応をしてくれる。それが、たまらなく愛しい。

「夕食の時間よ。カタリーナが待っているわ」

「ああ、今行く」

立ち上がりながら、俺は彼女の手を取った。

「リーゼロッテ」

「何?」

「愛している」

唐突な告白に、彼女は目を丸くした。そして、ふっと笑った。

「知っているわ」

「知っているのか」

「ええ。だって、あなたは隠すのが下手だもの」

彼女の言葉に、俺は心臓を射抜かれた気がした。全部、見透かされている。五年間の片想いも、今も変わらない執着も。

「そう言う君は、俺のことをどう思っている」

「さあ、どうかしら」

意地悪な笑みを浮かべて、彼女は部屋を出て行こうとする。俺は慌てて追いかけた。

「待て、答えを聞いていない」

「夕食の後でね」

「今、聞きたい」

「だめ」

廊下を歩きながら、俺たちは言い合いを続けた。傍から見れば、子供のようなやり取りだろう。皇帝と皇后が、こんなふうにじゃれ合っているなんて。

でも、これが俺たちだ。これが、俺たちの幸せだ。

食堂では、カタリーナが待っていた。

「お父様、お母様、遅いです」

「すまない、カタリーナ。お父様がお母様を困らせていたんだ」

「違うわ。お父様が子供みたいなことを言うから」

「どっちもどっちです」

娘の冷静な指摘に、俺たちは顔を見合わせて笑った。

食事をしながら、俺は家族を眺めた。リーゼロッテとカタリーナが、今日の出来事を話している。研究所のこと、勉強のこと、庭で見つけた花のこと。

幸せだ、と思った。

五年前、俺はただの片想いをしていた。彼女の作品を集め、彼女の才能に惹かれ、会ったこともない相手を想い続けていた。

今、俺は彼女の夫だ。彼女の娘の父だ。こんな幸せが、本当に許されるのだろうか。

「アレクセイ、どうしたの? 食べないの?」

「いや、食べる」

「何か考えていたでしょう」

「君のことを考えていた」

「また?」

「いつもだ」

リーゼロッテが呆れたように笑った。でも、その目は優しい。

「お父様、お母様のことが好きすぎます」

カタリーナの言葉に、俺は頷いた。

「ああ、好きすぎる。困ったものだ」

「困らないでください。私は嬉しいです」

娘が笑う。妻が笑う。俺も笑う。

これが、俺の全てだ。

夜、寝室で俺はリーゼロッテに尋ねた。

「さっきの答え、まだ聞いていないぞ」

「何の?」

「俺のことをどう思っているか」

彼女は少し考えるふりをしてから、俺の目を見つめた。

「愛しているわ。あなたのことを」

「本当か?」

「本当よ。疑うの?」

「いや、疑わない。ただ、何度聞いても嬉しいんだ」

俺は彼女を抱きしめた。温かい。この温もりを、俺は一生手放さない。

「アレクセイ」

「ん?」

「あなたに出会えて、よかった」

「俺もだ。君に出会えて、俺の人生は変わった」

月明かりの中で、俺たちは静かに抱き合っていた。

五年間の片想いは、こうして実を結んだ。そして、これからも続いていく。俺と彼女の物語は、まだ終わらない。

ずっと、続いていく。