軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第25話 二つの約束

新型結界魔道具の量産が始まって、二週間が経った。

北方総督府からの報告によれば、試験運用は順調に進んでいる。魔石の消費量は従来の三分の一にまで削減され、防衛線の維持に必要な補給頻度も大幅に減少した。兵士たちの疲弊も軽減され、士気は回復しつつあるという。

「陛下、北方総督からの書簡でございます」

マルタが差し出した封書を開くと、総督直筆の感謝状が入っていた。堅苦しい公式文書ではなく、素直な言葉で綴られた礼状。現場の兵士たちがどれほど助かっているか、具体的な数字と共に記されていた。

「死者が出ていないのは、本当によかった」

「皇后陛下のおかげでございます。現場では『鉄の花の皇后』と呼ばれているそうですよ」

マルタの言葉に、私は苦笑した。かつてL・Rとして活動していた頃、私の作る魔道具は「鉄の花」と呼ばれていた。その名が、今もなお私についてまわっている。

「大げさね。私は設計しただけで、実際に作っているのは工房の技術者たちよ」

「謙遜なさらないでください。設計がなければ、何も始まりません」

午後、皇宮の応接間に一人の来客があった。

シュタインベルク公爵夫人。三年の社交界追放を終え、少しずつ表舞台に戻りつつある彼女は、以前とは別人のように穏やかな表情をしていた。

「本日はお時間をいただき、ありがとうございます、皇后陛下」

「どうぞ、お掛けになって」

向かい合って座ると、公爵夫人は深々と頭を下げた。

「アンナのこと、本当にありがとうございました。あの子は今、庭を走り回れるほど元気になりました」

「それはよかった。子供は元気が一番ですもの」

「陛下の魔道具がなければ、あの子は……」

公爵夫人の声が震えた。私は静かに待った。

「私は、かつて陛下に酷いことをしました。茶会での仕打ち、舞踏会での罠、姪を使った陰謀……。どれも許されることではありません」

「過去のことよ」

「いいえ、過去ではありません。私が犯した罪は消えません。それでも陛下は、アンナを助けてくださった。私には何の恩義もないのに」

公爵夫人が顔を上げた。その目には涙が光っていたが、同時に、強い決意も宿っていた。

「これからの私の人生を、償いに使わせてください。陛下のお役に立てることがあれば、何でもいたします」

私は、しばらく彼女の目を見つめていた。三年前、この人は私を陥れようと躍起になっていた。帝国貴族の誇りにかけて、成り上がり者の皇后を排除しようとしていた。

今、目の前にいるのは、孫の命を救われた祖母だった。傲慢さは消え、代わりに真摯な感謝と悔恨が滲んでいる。

「一つ、お願いがあるの」

「何なりと」

「北方の村々に、物資を届ける支援活動を始めたいと思っているの。結界が強化されたとはいえ、あの地域の人々はまだ不安の中にいる。貴族として、彼らを支えることはできないかしら」

公爵夫人の目が見開かれた。

「私に、そのようなお役目を?」

「シュタインベルク家は、北方に領地をお持ちでしょう。現地の事情にも詳しいはず。公爵夫人のお力添えがあれば、支援活動はより効果的に進められると思うの」

しばらくの沈黙の後、公爵夫人は再び深く頭を下げた。

「必ず、お役に立ってみせます。この命に代えても」

「命に代える必要はないわ。ただ、あなたの経験と人脈を活かしてほしいだけよ」

私は微笑んだ。公爵夫人もまた、ゆっくりと顔を上げ、初めて穏やかな笑みを浮かべた。

公爵夫人が去った後、マルタがお茶を淹れ直してくれた。

「よろしかったのですか。あの方を信用して」

「信用というより、機会を与えたの。人は変われる。でも、変わるためには機会が必要よ」

マルタは頷いたが、その表情にはまだ懸念が残っていた。私は彼女の気持ちを理解していた。三年前の出来事は、簡単に忘れられるものではない。

「もちろん、監視は続けてね。信じることと、警戒を怠らないことは両立できるわ」

「承知いたしました。では、引き続きシュタインベルク家の動向を注視いたします」

マルタの言葉に頷きながら、私は窓の外を見た。春の日差しが、庭園の花々を照らしている。

夕刻、カタリーナの部屋を訪れた。

娘は机に向かい、何かを熱心に書いていた。私の気配に気づくと、慌てて紙を隠そうとする。

「何を書いているの?」

「あ、えっと……」

カタリーナは観念したように紙を差し出した。そこには、拙い字で何かの設計図らしきものが描かれていた。

「これは……魔道具の設計図?」

「お母様の真似をしてみたんです。でも、全然うまくいかなくて」

娘の頬が赤く染まっている。私は設計図を手に取り、じっくりと眺めた。六歳の子供が描いたにしては、驚くほどしっかりした構図だった。線は歪んでいるが、基本的な構造は理解している。

「これは何を作ろうとしたの?」

「お花に水をあげる魔道具です。マルタさんが毎日水やりをしているのを見て、自動でできたら楽かなって」

私は思わず笑みを漏らした。実用的な発想。この子は確かに、私の血を引いている。

「いい着眼点ね。でも、ここの部分は少し違うわ。見て」

私は娘の隣に座り、設計図の修正点を説明した。カタリーナは目を輝かせながら、私の言葉に耳を傾けている。

「お母様、私にも魔道具が作れるようになりますか?」

「もちろんよ。でも、その前に基礎を学ばないといけないわ。魔力の流れ、素材の特性、構造の原理……覚えることはたくさんあるの」

「難しそう……」

「難しいわ。でも、難しいからこそ面白いのよ」

カタリーナは少し考え込んでから、真剣な表情で私を見上げた。

「お母様、約束してください。私が大きくなったら、ちゃんと魔道具の作り方を教えてくれますか?」

「約束するわ」

「本当に?」

「本当よ。カタリーナが準備できたら、私が最初の先生になる」

娘の顔がぱっと明るくなった。その笑顔を見て、私の胸に温かいものが広がる。

その夜、アレクセイが珍しく早く執務を終えて戻ってきた。

「今日は早いのね」

「たまには家族と過ごす時間を取らないと、君に叱られる」

「私は叱ったことなんてないわ」

「目が叱っていた」

私は呆れたように笑った。アレクセイも穏やかに微笑んでいる。

「カタリーナの部屋に行ってきたんだ。魔道具の設計図を見せてもらった」

「あの子、あなたにも見せたの?」

「得意げにな。『お母様に教えてもらったの』と」

アレクセイの声には、温かな響きがあった。

「姉上も、子供の頃からそうだった。何かを作ることに夢中で、いつも何かを描いていた」

「カタリーナ皇女のこと?」

「ああ。姉上は、自分の発明が人の役に立つことを何より喜んでいた。リーゼ、君にそっくりだ」

私は黙ってアレクセイの言葉を聞いていた。彼が姉の話をするとき、その目にはいつも懐かしさと悲しみが混じっている。

「カタリーナも、きっとそうなるわ。あの子には才能がある」

「君が育てれば、間違いなく素晴らしい技術者になる」

アレクセイが私の手を取った。

「リーゼ、俺からも約束しよう。カタリーナが自分の道を選ぶとき、俺は決して邪魔しない。皇女だからという理由で、彼女の可能性を狭めたりしない」

「あなたがそんなことをするとは思っていないわ」

「念のためだ。俺は……姉上のことで後悔している。もっと早く、もっと力になれていれば」

アレクセイの声が沈んだ。私は彼の手を握り返した。

「過去は変えられない。でも、未来は変えられるわ。カタリーナのために、私たちにできることをしましょう」

「ああ」

窓の外では、星が瞬いていた。春の夜空は澄み渡り、無数の光が輝いている。

「そういえば、公爵夫人が来たそうだな」

「ええ。北方支援の協力を頼んだわ」

「いいのか。あの人は」

「人は変われる。少なくとも、機会を与える価値はあると思う」

アレクセイは少し考えてから頷いた。

「君がそう判断したなら、俺も信じよう。ただ、何かあれば」

「わかっているわ。マルタにも頼んである」

「さすがだ」

私たちは並んで窓辺に立ち、夜空を見上げた。北の方角には、防衛線がある。今も兵士たちが、帝国を守るために戦っている。

「北方の状況は、どう?」

「安定しつつある。君の結界魔道具のおかげで、消耗戦から脱却できた。あとは、魔物の活性化の原因を突き止めれば」

「原因?」

「まだわかっていないんだ。通常、魔物の活動周期は予測できる。しかし今回は、予測を大きく外れた突発的な活性化だった」

私は眉をひそめた。原因不明の活性化。それは、また同じことが起きる可能性があるということだ。

「調査は進んでいるの?」

「北方総督が兵を出して、森の奥を調べている。何か異変があれば、報告が来るはずだ」

アレクセイの声には、かすかな不安が滲んでいた。皇帝として、国民を守る責任を常に感じている。その重圧を、私は知っていた。

「私にできることがあれば、言ってね」

「君は十分にやっている。結界魔道具だけでなく、公爵夫人を味方に引き入れたことも大きい。北方支援がうまくいけば、民の不安も和らぐ」

「あなた一人で抱え込まないでね」

アレクセイが振り向き、私を見つめた。

「ああ、わかっている。君がいるから、俺は抱え込まずに済んでいる」

その言葉を聞いて、私は微笑んだ。

翌朝、私は工房へ向かう前に、皇宮の礼拝堂に立ち寄った。

カタリーナ皇女の墓碑の前に立ち、手を合わせる。

「おはようございます、カタリーナ様」

返事はない。当然だ。しかし私は、彼女に語りかけることを習慣にしていた。

「あなたの研究ノートが、また役に立ちました。北方の結界を改良できたのは、あなたのおかげです」

墓碑に刻まれた名前を見つめる。カタリーナ・フォン・ヴァルトシュタイン。アレクセイの姉。娘と同じ名を持つ女性。

「あなたの姪も、魔道具に興味を持ち始めました。あなたに似て、とても賢い子です。いつか、あなたの研究を引き継ぐかもしれません」

風が吹き、礼拝堂の窓から花の香りが漂ってきた。まるで、返事のように。

「見守っていてください。私は、あなたが愛したこの国と、あなたの弟を、守り続けます」

静かに頭を下げ、礼拝堂を後にした。

工房では、今日も技術者たちが待っている。北方に届ける結界魔道具は、まだ必要な数に達していない。やるべきことはたくさんある。

でも、不思議と重荷には感じなかった。私は一人ではない。アレクセイがいる。マルタがいる。カタリーナがいる。そして、かつての敵さえも、今は味方になりつつある。

七年前、私は国境を越えて、この国に来た。届かなかった手紙を抱えて、新しい人生を始めるために。

今、私の言葉は届いている。私の想いは、形になっている。

それが、どれほど幸せなことか。私は、ようやく本当の意味で理解し始めていた。