軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第22話 帰還する影

春季茶会の日がやってきた。

会場は、三年前と同じ皇宮の温室だった。ガラス張りの天井から春の日差しが降り注ぎ、色とりどりの花々が咲き誇っている。あの日、私が初めて帝国社交界の洗礼を受けた場所。

「皇后陛下、お支度が整いました」

マルタが鏡越しに告げた。今日の装いは、淡い藤色のドレスに銀の刺繍。皇后としての威厳と、春らしい柔らかさを兼ね備えた一着だ。

「ありがとう、マルタ。今日は、少し緊張するわね」

「公爵夫人のことでございますか」

「ええ。三年ぶりに顔を合わせるのだから」

マルタは少し考えてから、静かに言った。

「陛下。三年前の陛下と、今の陛下は違います。どうか、ご自身の歩んでこられた道を信じてくださいませ」

その言葉に、背筋が伸びる思いがした。そうだ、私は変わった。もう、誰かに怯える必要はない。

温室に足を踏み入れると、既に多くの貴婦人たちが集まっていた。

私の姿を認めると、彼女たちは一斉に立ち上がり、深く一礼した。三年前とは全く違う光景だ。あの時は末席に座らされ、会話からも除外された。今は、全員が私に敬意を示している。

「皇后陛下、ようこそお越しくださいました」

アイゼンハルト伯爵夫人が、にこやかに出迎えてくれた。この三年間、彼女は私の最も頼りになる味方であり続けている。

「伯爵夫人、お招きありがとうございます」

「今日は特別な日になりそうですわね」

伯爵夫人の目が、入口の方を見た。私もつられて振り向く。

そこに、シュタインベルク公爵夫人が立っていた。

三年ぶりに見る公爵夫人は、以前とは明らかに様子が違っていた。

銀髪は変わらず高く結い上げられているが、顔には深い皺が刻まれ、目の下には隈ができている。何より、あの傲慢な雰囲気が消えていた。代わりにあるのは、疲労と、何か重いものを背負っているような影だった。

「皇后陛下」

公爵夫人が私の前まで来て、深く一礼した。三年前には決して見せなかった、丁寧な礼だった。

「お久しぶりでございます。本日は、このような席にお招きいただき、光栄に存じます」

会場が静まり返った。誰もが、この二人のやり取りを固唾を呑んで見守っている。

「公爵夫人、お元気そうで何よりです」

私は穏やかに答えた。挑発するつもりも、過去を蒸し返すつもりもない。

「ご配慮、痛み入ります」

公爵夫人は顔を上げた。その目には、かつての敵意は感じられなかった。代わりに、何か言いたげな、複雑な感情が渦巻いているように見えた。

「陛下、後ほど、少々お時間をいただけませんでしょうか。お話ししたいことがございます」

私は少し驚いた。公爵夫人から話があるとは、予想していなかった。

「構いません。茶会の後でよろしければ」

「ありがとうございます」

公爵夫人は再び一礼して、自分の席に向かった。その背中は、以前より小さく見えた。

茶会は穏やかに進んだ。

三年前のような嫌味や皮肉はなく、貴婦人たちは私に親しげに話しかけてきた。北方での魔物討伐の話、新型魔道具の話、そしてカタリーナ姫の話。私は一つ一つ丁寧に応じながら、時折、公爵夫人の様子を窺った。

公爵夫人は、ほとんど会話に参加していなかった。お茶を口に運ぶ仕草も、どこか上の空だ。周囲の貴婦人たちも、彼女との接触を避けているように見える。三年間の追放は、彼女の立場を大きく変えてしまったらしい。

「公爵夫人、随分とお疲れのようですわね」

隣に座ったアイゼンハルト伯爵夫人が、小声で言った。

「何かご存知ですか」

「噂ですが……姪御様のお嬢様、つまり公爵夫人の姪孫様が、ご病気だとか」

「姪孫様が」

「ええ。原因不明の病で、もう何ヶ月も床に伏しておいでだそうです。公爵夫人が追放中に領地に籠もっていたのも、そのためだと聞いております」

私は公爵夫人の方を見た。あの疲れた表情、重い影。それは、姪孫娘の病気によるものだったのか。

「お気の毒に……」

「ええ。どのような方であっても、姪孫の病は辛いものでしょう」

伯爵夫人の声には、同情の色があった。私も同感だった。公爵夫人がどれほど私に敵意を向けてきたとしても、姪孫が苦しんでいるのを見るのは辛いはずだ。

茶会が終わり、私は温室の奥にある小部屋で公爵夫人を待った。

程なくして、公爵夫人が入ってきた。扉が閉まると、彼女は再び深く頭を下げた。

「皇后陛下、お時間をいただき、ありがとうございます」

「どうぞ、お顔をお上げください。それで、お話とは」

公爵夫人は顔を上げた。その目には、涙が浮かんでいた。

「陛下。私は……三年前、陛下に酷いことをいたしました。姪と共に陥れようとし、陛下のお名前を傷つけようとしました。その報いは、当然のものでございます」

「過去のことです。私は、もう気にしておりません」

「しかし、私は……」

公爵夫人の声が震えた。

「私の孫が、病に苦しんでおります。原因不明の熱が続き、どの医師にも治すことができません。魔力の循環に異常があると言われましたが、既存の治療法では効果がないのです」

私は黙って聞いていた。

「陛下の魔道具は、帝国中で奇跡を起こしてきました。暖房魔道具で貧民街を救い、照明魔道具で人々の暮らしを変えた。私は……私は、陛下にお願いがあって参りました」

公爵夫人が、床に膝をついた。帝国社交界の頂点に立っていた女性が、私の前で跪いている。

「どうか、孫を救ってください。陛下の魔道具なら、何か方法があるかもしれません。私のことは、どうお恨みになっても構いません。しかし、孫には罪はないのです。どうか……どうか、お願いいたします」

公爵夫人の肩が震えていた。

誇り高かったはずの女性が、全てを捨てて懇願している。その姿に、私は複雑な感情を覚えた。かつての敵への怒りか、同情か、それとも別の何かか。

「公爵夫人、お立ちください」

「陛下……」

「お話は分かりました。しかし、今すぐお答えすることはできません。お孫様の症状を詳しく伺い、私に何ができるか検討する必要があります」

公爵夫人が顔を上げた。その目には、かすかな希望の光があった。

「つまり……」

「検討する、と申し上げました。お断りしたわけではありません」

「ありがとうございます、陛下。ありがとうございます……」

公爵夫人は何度も頭を下げた。その姿を見ながら、私は考えていた。

三年前、この人は私を追い出そうとした。姪を使って罠を仕掛け、私の名誉を傷つけようとした。その報いとして社交界を追放され、今は孫の病気に苦しんでいる。

因果応報、と言えるのかもしれない。しかし、それで終わりにしていいのだろうか。

「公爵夫人」

「はい」

「一つだけ、お聞きします。三年前のこと、後悔していますか」

公爵夫人は少し黙った。それから、静かに答えた。

「はい。心から、後悔しております。陛下は、私が思っていたような方ではなかった。外国から来た成り上がり者ではなく、実力と誠意で帝国に貢献してこられた方だった。それを認めず、愚かな陰謀に走った自分を、私は恥じております」

その言葉に、嘘はないように感じた。

「分かりました。お孫様の件、前向きに検討いたします」

「本当ですか」

「ただし、約束はできません。私に何ができるか、分からないのですから」

「それでも、ありがとうございます。陛下のお心遣いだけで、私には十分でございます」

公爵夫人は立ち上がり、深く一礼した。その背中が扉の向こうに消えるまで、私は見送った。

温室を出ると、マルタが待っていた。

「陛下、お話は終わりましたか」

「ええ。少し、考えることができたわ」

「公爵夫人のお孫様の件でございますか」

「知っていたの」

「茶会の間に、少々情報を集めておりました」

さすがマルタだ。私は苦笑した。

「公爵夫人は、本当に変わったように見えたわ。三年前の傲慢さは、もうなかった」

「人は変われるものでございます。特に、大切なものを失いかけた時には」

マルタの言葉が、胸に響いた。

「私は……助けるべきかしら」

「それは、陛下がお決めになることです。ただ、一つだけ申し上げてもよろしいでしょうか」

「何」

「陛下は、かつて『復讐より前進を選ぶ』とおっしゃいました。今回も、同じことではないかと存じます」

私は空を見上げた。春の青空が、どこまでも広がっている。

「そうね。私は、復讐など望んでいない。でも、すぐに助けると言うのも、何か違う気がするの」

「お気持ちは分かります。陛下は、公爵夫人に傷つけられた過去がおありです。それを簡単に忘れろとは、誰にも言えません」

「でも、お孫様に罪はないわ。あの子は、何も悪いことをしていない」

私は深く息を吐いた。

「アレクセイに相談するわ。それから、決める」

「かしこまりました」

私たちは皇宮へ向かって歩き始めた。春風が頬を撫で、花の香りを運んでくる。

公爵夫人の姪孫娘。まだ会ったこともない少女。その子が苦しんでいると聞いて、私の心は揺れていた。

助けるべきか、助けないべきか。その答えは、まだ出ていない。