軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第19話 嵐の前夜

結婚式の前日、帝都は晴天に恵まれていた。

皇宮の庭園では、式の最終準備が進められている。白い花で飾られた祭壇、招待客のための椅子の列、楽団の舞台。全てが整い、あとは明日を待つばかりだった。

「お嬢様、ドレスの最終確認が終わりました」

マルタが報告に来た。その顔には、いつもの落ち着きの中に、僅かな興奮が混じっている。

「ありがとう、マルタ。あなたも、明日の準備はできている」

「はい。お嬢様の晴れ姿を見届けることが、私の何よりの喜びでございます」

私は窓の外を見た。青空が広がり、春の日差しが暖かい。明日も、こんな天気だといい。

「お嬢様、少し休まれた方がよろしいかと。明日は長い一日になりますから」

「そうね。でも、少しだけ庭を歩いてきたいわ」

私は部屋を出て、庭園に向かった。この皇宮で過ごした数ヶ月が、走馬灯のように蘇る。茶会での冷遇、皇后教育の厳しさ、舞踏会の罠。そして、それを乗り越えるたびに強くなっていった自分。

庭園の東屋に着くと、アイゼンブルーメが春風に揺れていた。この花を初めて見た時のことを思い出す。アレクセイが私に似ていると言った、鉄の花。

「ここにいたか」

振り向くと、アレクセイが立っていた。

「明日の花嫁が、一人で歩き回っていいのか」

「少しだけ、静かな時間が欲しくて」

「分かる。私も同じだ」

アレクセイは私の隣に座った。二人で並んで、庭園を眺める。

「緊張しているか」

「少しだけ。でも、不安はありません」

「私もだ。君が隣にいてくれるなら、何も怖くない」

アレクセイの手が、私の手を握った。温かい手だ。明日からは、この手が永遠に私のものになる。

穏やかな時間は、長くは続かなかった。

「陛下、リーゼロッテ様。緊急のご報告がございます」

ヴェルナー侍従長が駆けつけてきた。その顔は蒼白だった。

「何があった」

アレクセイの声が鋭くなった。

「ローゼンハイム王国から、使者が到着いたしました。しかし、その内容が……」

侍従長は言葉を詰まらせた。私の胸に、嫌な予感が走った。

「何を言ってきた」

「王国は、明日の結婚式には出席しないと。そして……」

「そして?」

「リーゼロッテ・ローゼンベルク嬢の帝国皇后即位に、正式に異議を申し立てると」

私は息を呑んだ。アレクセイの手が、私の手を強く握り締めた。

「理由は何だ」

「リーゼロッテ様は、王国貴族として王太子殿下との婚約を一方的に破棄し、国家への背信行為を行ったと。よって、他国の皇后となる資格がないと主張しております」

「馬鹿な」

アレクセイの声に、怒りが滲んだ。

「婚約解消は七年条項に基づく正当な手続きだった。国王陛下自らがそれを認め、勅令まで出した。今更、それを覆すというのか」

「使者によれば、国王陛下はご病気で、現在は王弟殿下が摂政を務めておられるとのことです。今回の異議申し立ては、摂政の名において行われております」

私は全身から血の気が引くのを感じた。王弟。確か、王太子派の中心人物だったはずだ。

執務室に戻ると、王国からの使者が待っていた。

見覚えのある顔だった。王宮の文官で、かつて私の手紙を握り潰していた侍従長の部下だ。

「帝国皇帝陛下に、ローゼンハイム王国摂政の親書をお届けにまいりました」

使者は恭しく親書を差し出した。アレクセイはそれを受け取り、目を通した。その表情が、読み進めるごとに険しくなっていく。

「これは、脅迫か」

「脅迫などと。王国は単に、正当な異議を申し立てているだけでございます」

「正当だと?」

アレクセイは親書を机に叩きつけた。

「この書状には、もし結婚式を強行するなら、王国は帝国との全ての外交関係を断絶し、国境を閉鎖すると書いてある。これを脅迫と言わずして、何と言う」

「それは王国の正当な権利の行使でございます。我が国の貴族が、不当に他国に奪われることを防ぐための」

「奪われた? リーゼロッテは自らの意志で帝国に来た。誰にも強制されていない」

「しかし、王国としては認められません」

使者の顔には、薄ら笑いが浮かんでいた。私は、この男の後ろにいる人物の顔を想像した。王弟、そしておそらく、廃嫡された王太子も関わっているのだろう。

使者が去った後、私たちは沈黙の中にいた。

「アレクセイ……」

「心配するな」

アレクセイの声は落ち着いていたが、その目には怒りの炎が燃えていた。

「こんな脅しに屈するつもりはない。明日の結婚式は、予定通り行う」

「でも、外交関係の断絶となれば……」

「構わない。王国との関係より、君との結婚の方が大切だ」

その言葉に、胸が締め付けられた。嬉しい、でも同時に申し訳なさも感じる。私のせいで、帝国が窮地に立たされている。

「私が身を引けば……」

「何を言っている」

アレクセイが私の両肩を掴んだ。その目が、真っ直ぐに私を見つめている。

「君を諦めるくらいなら、帝国を捨てた方がましだ」

「アレクセイ……」

「君は、私が五年間探し続けた人だ。ようやく見つけて、ようやく手に入れた。それを、くだらない政治的駆け引きで失うなど、絶対に許さない」

私は黙っていた。アレクセイの言葉は嬉しかったが、このまま突き進んでいいのか分からなかった。

「陛下」

ヴェルナー侍従長が静かに口を開いた。

「一つ、ご提案がございます」

侍従長の提案は、大胆なものだった。

「王国の摂政は、正当な手続きを無視して異議を申し立てています。これは明らかに、先の国王陛下の勅令に違反する行為です」

「しかし、国王陛下はご病気で、摂政が全権を握っている」

「ええ。ですが、国王陛下がまだ存命であれば、勅令は有効なままです。問題は、摂政がそれを無視しているということ」

侍従長は地図を広げた。

「幸い、王国の有力貴族の中には、摂政のやり方に反発している者も多いと聞きます。特にアイゼンハルト伯爵夫人を通じて、王国の反摂政派と連絡を取ることができるかもしれません」

「反摂政派?」

「はい。王太子の廃嫡を支持し、国王陛下の勅令を守ろうとする貴族たちです。彼らの協力があれば、摂政の暴走を止められる可能性があります」

私は考えた。アイゼンハルト伯爵夫人は、帝国と王国の両方に縁がある。彼女なら、王国の情勢にも詳しいはずだ。

「私から、伯爵夫人にお願いしてみます」

「リーゼ?」

「これは私の問題です。私が解決しなければ」

アレクセイは少し考えてから、頷いた。

「分かった。ただし、無理はするな。何があっても、明日の式は行う。それだけは変わらない」

アイゼンハルト伯爵夫人は、すぐに駆けつけてくれた。

「事情は伺いました。なんと愚かな……摂政殿は、自分が何をしているか分かっていないのでしょう」

「王国の情勢をご存知ですか」

「ええ。私の実家は王国の伯爵家でしたから、今でも情報は入ってきます」

伯爵夫人の表情は険しかった。

「国王陛下のご病気は、実際にはそれほど重くないと聞いています。摂政が陛下を軟禁し、情報を遮断しているのです」

「軟禁……」

「おそらく、陛下がお元気になられれば、摂政の行為を認めないでしょう。だからこそ、摂政は急いでいるのです」

私は拳を握りしめた。全ては、王太子とその取り巻きの復讐なのだ。私が幸せになることを、どうしても許せないのだろう。

「伯爵夫人、お願いがあります」

「何なりと」

「王国の反摂政派に、連絡を取っていただけませんか。国王陛下を解放し、正統な統治を取り戻すために」

伯爵夫人は頷いた。

「すぐに手配いたします。ただ、結果が出るまでには時間がかかるかもしれません」

「構いません。明日の式は、予定通り行います。王国の脅しには屈しません」

「さすがでございますね」

伯爵夫人の目に、敬意の光が宿った。

「私も、全力でお手伝いいたします」

夜が更けた。

私は自室の窓から、星空を見上げていた。明日は、私の人生で最も大切な日になる。しかし、その前に嵐が立ちはだかっている。

「お嬢様、お休みになられた方が……」

「分かっているわ、マルタ。でも、少しだけ」

「陛下も、同じように起きておいでです」

「え?」

「執務室の明かりが、まだついております」

私は少し考えてから、部屋を出た。廊下を歩き、執務室の扉の前に立つ。明かりが漏れている。

ノックをすると、アレクセイの声がした。

「入れ」

扉を開けると、アレクセイが机に向かっていた。書類の山に囲まれ、何かを書いている。

「眠れないのか」

「アレクセイこそ」

「ああ。少し、考えることがあってな」

私はアレクセイの隣に歩み寄った。机の上には、外交文書の下書きが広がっていた。

「これは……」

「王国への最後通告だ。もし明日の式を妨害するなら、帝国は全ての報復措置を取ると」

「そこまで……」

「君を守るためなら、何でもする」

アレクセイが立ち上がり、私の手を取った。

「リーゼ。明日、何が起きても、私は君の傍にいる。君を皇后として迎え、生涯を共にする。それは、誰にも邪魔させない」

「アレクセイ……」

「だから、安心して眠れ。明日は、君の人生で最も幸せな日になる。私が、そうしてみせる」

私は頷いた。そして、アレクセイの胸に頭を預けた。

「ありがとう。あなたがいてくれて、本当に良かった」

「私の方こそ。君に出会えて、良かった」

窓の外では、夜空に星が瞬いていた。嵐の前の静けさ。しかし、私はもう恐れていなかった。

明日、私は皇后になる。どんな障害があっても、アレクセイと一緒に乗り越えていく。七年間、一人で耐え続けた私には、もう何も怖くない。

「明日、君を迎えに行く」

「待っています」

私たちは手を取り合い、夜明けを待った。