軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第12話 試される花嫁

茶会から三日後、皇后教育が始まった。

帝国の皇后には、王国の王妃とは異なる役割が求められる。外交儀礼、財務の基礎知識、慈善事業の監督、そして何より、帝国貴族たちを束ねる社交の技術。それらを半年で身につけよ、というのが宮廷からの要求だった。

「本日より、皇后教育の総監督を務めますヒルデガルト・フォン・ヴァイセンブルクでございます」

私の前に立ったのは、五十代半ばと思われる女性だった。銀髪を厳格に結い上げ、一分の隙もない姿勢で立っている。侍女頭という肩書きだが、その威圧感は貴族の当主にも引けを取らない。

「よろしくお願いいたします、ヴァイセンブルク様」

「様は不要です。侍女頭、とお呼びください」

その声には温かみがなかった。私を値踏みするような視線が、頭の先からつま先までを這う。

「では早速、本日の予定をお伝えします。午前は帝国の歴史と皇室の系譜、午後は宮廷儀礼の実践、夕方には晩餐会の作法。休憩は昼食時の一時間のみです」

「承知いたしました」

「なお、私の指導に異論があれば、いつでもおっしゃってください。もっとも、異論を述べる時間があるなら、その分勉強に充てることをお勧めしますが」

侍女頭の口元が、かすかに歪んだ。これは歓迎されていないな、と直感した。おそらくシュタインベルク公爵夫人の息がかかっている。

午前の講義は、予想以上に厳しいものだった。

帝国四百年の歴史、歴代皇帝の事績、主要貴族の家系図。それらを一気に詰め込まれ、合間に質問が飛ぶ。答えられなければ、侍女頭の冷たい視線が突き刺さる。

「第十二代皇帝の治世に起きた大きな出来事は何ですか」

「北方民族の侵攻と、それに伴う国境防衛線の再編成です」

「その際に功績を挙げた将軍の名は」

「……申し訳ありません、存じ上げません」

「フリードリヒ・フォン・アイゼンハルト将軍です。アイゼンハルト家は現在も帝国軍の中核を担う名門。皇后たる者、主要貴族の来歴は全て把握していなければなりません」

侍女頭は淡々と指摘し、次の質問に移った。休む暇もなく、情報が頭に流し込まれていく。

昼食の時間になった頃には、頭が飽和状態だった。用意された食事に手をつける気力もなく、私は椅子に座ったまま目を閉じた。

「お嬢様、少しでも召し上がってください」

マルタが心配そうに言った。彼女は教育の場には同席を許されなかったが、休憩時間には傍にいてくれる。

「ありがとう、マルタ。でも、あまり食欲がなくて」

「侍女頭のやり方は、少々厳しすぎるように見えます」

「そうね。でも、間違ったことは言っていない。私が知らないことが多すぎるのは事実だから」

マルタは何か言いたそうにしていたが、黙って頷いた。

午後の宮廷儀礼の実践は、さらに過酷だった。

帝国式の挨拶、歩き方、座り方、立ち方。全てが王国とは微妙に異なり、その違いを侍女頭は容赦なく指摘した。

「背筋が曲がっています。帝国の皇后は、常に凛とした姿勢を保たなければなりません」

「歩幅が大きすぎます。もう少し小さく、優雅に」

「お辞儀の角度が浅い。相手の位によって、適切な角度は変わります」

何度も同じ動作を繰り返させられ、足が痛み始めた。それでも侍女頭は休憩を許さない。

「皇后候補ともあろう方が、この程度で音を上げるのですか」

「……いいえ」

「では、もう一度」

日が傾き始めた頃、ようやく午後の実践が終わった。私の足は限界に近かったが、それを顔には出さなかった。弱みを見せれば、さらに厳しくなるだけだ。

夕方の晩餐会の作法を終えた時には、外はすっかり暗くなっていた。

「本日はここまでとします。明日は午前七時から開始です。遅刻は許されません」

侍女頭はそれだけ言って、足早に去っていった。私は教育室の椅子に座ったまま、しばらく動けなかった。

「お嬢様……」

マルタが駆け寄ってきた。その顔には怒りが滲んでいる。

「あの侍女頭、明らかにお嬢様を潰そうとしています。あのような指導は異常です」

「分かっている。でも、私が弱音を吐けば、彼女たちの思う壺よ」

「しかし……」

「大丈夫。七年間、もっと辛いことに耐えてきたから」

私は立ち上がろうとして、足がもつれた。マルタが慌てて支えてくれる。

「お嬢様、今日はもうお休みになってください」

「そうね……少し、休みたい」

自室に戻る廊下を歩いていると、角を曲がったところでアレクセイと出くわした。彼は私の顔を見て、眉をひそめた。

「リーゼ、顔色が悪い。何かあったのか」

「いいえ、少し疲れただけです」

嘘はつきたくなかったが、心配をかけたくもなかった。アレクセイは私の言葉を聞いても、表情を緩めなかった。

「皇后教育が始まったと聞いた。侍女頭はどうだった」

「……厳しい方でした」

「それだけか」

アレクセイの目が、真っ直ぐに私を見ている。この人には、嘘をついても見抜かれてしまう。

「正直に言えば、かなり厳しいです。でも、それは私の知識が足りないから」

「違う」

アレクセイの声が、低くなった。

「あの侍女頭がどういう人間か、私は知っている。シュタインベルク公爵夫人の推薦で宮廷に入った女だ。君を追い出すために、わざと過酷な教育を課している」

私は黙っていた。分かっていたことだ。

「なぜ私に言わなかった」

「言っても、どうにもならないと思ったから。それに、アレクセイが介入すれば、私が自分の力で認められる機会がなくなる」

アレクセイは何かを言いかけて、口を閉じた。しばらくの沈黙の後、彼は静かに言った。

「君の考えは分かった。自分の力で立ちたいという気持ちも。でも、一つだけ約束してくれ」

「何ですか」

「本当に限界だと思ったら、私に言ってくれ。君が壊れてしまったら、私は……」

アレクセイの言葉が途切れた。その目には、深い心配と、そして怒りが混じっていた。私を傷つける者への怒りだ。

「約束します」

私は頷いた。アレクセイは少し安心したように息を吐いた。

「今夜、少し時間はあるか」

「え?」

「庭を歩きたい。君と二人で」

皇宮の庭園は、夜になると幻想的な姿を見せる。月明かりに照らされた小道を、私たちは並んで歩いた。昼間の喧騒が嘘のように、静かな時間が流れている。

「ここは、私が子供の頃からよく来た場所だ」

アレクセイが小道の先を指した。そこには小さな東屋があり、周囲にはアイゼンブルーメが咲いていた。

「辛いことがあると、ここに来て一人で座っていた。誰にも見つからない、私だけの場所だった」

「アレクセイにも、そういう場所があったのですね」

「ああ。皇子だからといって、辛くないわけではないからな」

東屋に入り、私たちは並んで座った。夜風が冷たかったが、不思議と寒くはなかった。

「今日は、君をここに連れてきたかった」

「どうして」

「私の秘密の場所を、君と共有したかったから。君が辛い時、ここに来ればいい。私も、できる限り一緒にいる」

その言葉に、胸が締め付けられた。この人は、自分の大切な場所を私に開いてくれている。それがどれほどの信頼を意味するか、分からないわけがなかった。

「ありがとう、アレクセイ」

「礼を言うのは私の方だ。君が来てくれて、この場所に新しい意味ができた」

月が雲間から顔を出し、庭園を銀色に染めた。アイゼンブルーメの花弁が、光を受けて輝いている。

「明日からも、教育は続くのだろう」

「はい」

「無理はするな。でも、君なら乗り越えられると信じている」

「……はい」

私は夜空を見上げた。星々が瞬いている。七年間、一人で耐え続けた夜空とは違う。隣に、私を見守ってくれる人がいる。

「アレクセイ」

「何だ」

「私、頑張ります。あなたの隣に立てる女性になれるように」

アレクセイは何も言わず、ただ私の手を取った。その温もりが、明日への力をくれた。

翌朝、私は七時前に教育室に入った。侍女頭はまだ来ていない。机の上には、昨日の講義の内容をまとめたノートが置いてあった。私が夜遅くまでかけて書いたものだ。

「おや、早いですね」

侍女頭が入ってきた。私が既に着席しているのを見て、少し驚いた様子だった。

「昨日の復習をしておりました。第十二代皇帝の治世について、もう一度確認したいことがあります」

「……どうぞ」

「フリードリヒ・フォン・アイゼンハルト将軍についてですが、その子孫は現在どのような立場にあるのでしょうか」

侍女頭の目が、僅かに見開かれた。私が予習をしてきたことに気づいたのだろう。

「アイゼンハルト家の現当主は、帝国軍の東方軍団長を務めています」

「ありがとうございます。では、本日の講義をお願いいたします」

侍女頭はしばらく私を見つめていたが、やがて小さく頷いた。その目には、昨日とは少し違う光があった。

私は負けない。この程度で折れるほど、私の七年間は軽くない。