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幼馴染はあなた一人じゃありません

作者: 森田季節

本文

「もう、たくさんだ! それぐらい俺も知っている! リゼット、俺をバカにするのもいいかげんにしろ!」

突然、ジェラルドが自分の金色の髪をかきむしって叫んだ。

私は驚いて階段から足を踏み外しそうになった。

私とジェラルドはダルシアク伯爵家の広い庭にいた。

ジェラルドはダルシアク伯爵家の嫡男で、コクトー子爵家の私、リゼットは婚約者同士。それに幼馴染だった。

「私はバカになんてしてないわ。ただ、庭にキョウチクトウがあったから、『あっ、キョウチクトウね』と言っただけで」

「どうせ、その後に毒があるから気をつけろと言おうとしていただろ。俺だってキョウチクトウの毒ぐらい覚えている。葉っぱに触らなければいいんだろ! バカにするな」

取りつく島がなかった。

春の伯爵家の庭のお散歩は本当に楽しいものだったのに、それももう叶わないだろう。

「これだけは信じて、ジェラルド。幼馴染のあなたをバカにするわけがないでしょう。だいたい婚約者を愚弄する意味がどこにあるの?」

「お前の目的は俺じゃなくて、伯爵家の妻の地位とこの庭だろう? お前は昔から俺より植物が好きだったからな。俺もそのへんのニレの木に生まれていたらもっと愛してもらえていただろうな」

ダメだ。今のジェラルドは私の話を聞いてくれる状態じゃない。

強風が吹いて、私のブロンドの髪をはためかせた。

その日、私は伯爵家を早々と辞去した。

そして翌日、学園の校舎広間でジェラルドは私を待っていた。

すぐ隣に商家の娘であるアリアンヌさんがいた。

赤い花のようなカールした髪が印象的な男子生徒にも人気の女子だ。

「リゼット、お前との婚約、今日を限りに破棄させてもらう。お前みたいな女に伯爵家の資産を渡す気はない。俺はアリアンヌを婚約者に選ぶ」

「あの……リゼット様、申し訳ありません。わたし、ジェラルド様と一緒になります! もう離れられません!」

アリアンヌさんが真剣な顔で私を見て言う。

やっぱりね。

ずいぶん前からジェラルドは私と婚約する気なんてなくなっていたんだろう。

幼馴染というのはもっと強い絆で結ばれているものだと思っていたけれど、顔を合わせすぎて嫌になるケースも実際にはあるということだ。

「あなたの気持ちは尊重するわ。でも、アリアンヌさんとの婚約をご両親は納得してくれているの?」

「そんなことは後で決めればいい。だいたい、婚約破棄の前に次の婚約者を紹介できるわけないだろう」

ほかの生徒の視線を浴びるのが恥ずかしいが、仕方ない。

17歳の春、私の将来は白紙になってしまったらしい。

ダルシアク伯爵家の屋敷は私のコクトー子爵家の屋敷と目と鼻の先だったから、昔から付き合いがあった。

伯爵家の庭はよく手入れされていて、その庭を見て回るのが私の楽しみだった。

伯爵家の夫妻も男だけの三人兄弟で女の子がほしかったらしく、何か新しい花が咲くと私の実家に招待状を送ってくださるほどだった。

私も植物を見るのが趣味で、伯爵家の広い庭で様々な植物を覚えた。

だから、11歳の時に同い年のジェラルドとの婚約が成立したのも両家にとったら自然なことだった。

ただ、ジェラルド一人を除いては。

ジェラルドはあまり学業のほうが好ましくなかった。

落ちこぼれとは言わないが、勉強が嫌いではない私との成績の差がじわじわ開いてはいた。

しかも、ジェラルドはろくに興味もない庭園の植物を私のほうがずっと詳しいと来ている。

伯爵家を乗っ取るつもりだろうという被害妄想もそこから来たのだろう。

そこに、商家の娘であるアリアンヌさんが入り込んできた。

これは私もわかっているが、彼女に悪意はないのだ。

ただ、貴族の礼節などを知らないので、婚約者のいる男性に平然と「ジェラルド様、素敵ですね」「ジェラルド様のこと、好きになっちゃいそうです」なんてことを繰り返した。

ジェラルドは完全に自分が愛されていると勘違いしたのだと思う。

それはいい。アリアンヌさんも愛を囁かれて悪い気がしなかったのだろう。

ジェラルド好みの女性に私がなろうとしてもそれは無理だし。

それに、ダルシアク伯爵家も急に変わってしまった私を認めてくれるわけがない。

むしろ、私はジェラルドのお母様から、

「リゼットさん、あの子が間違えないように教育してあげて。あの子を救えるのはあなたしかいないよ」

などと熱のこもった視線で言われたことすらあるのだ。

だから、ジェラルドが我慢という選択をしない限り、破局は決まっていたわけだ。

婚約破棄の話を聞いた私の家族はさして驚かなかった。

「やっぱりそうなったのね」

お母様も納得したようにうなずいた。

それから、こう付け足した。

「心配いらないわ。あなたの婚約者候補はたくさんいらっしゃるから」

「えっ? そんな話、始めて聞きましたけど!」

「だって、婚約者がいる相手にまだほかの婚約者もいると教えるだなんて今の婚約を捨ててしまえと言ってるようなことでしょう? そんなことできるわけないじゃない」

それはそうだ。まだ候補があるんだぞと教えること自体が婚約破棄の助長につながる。

「もちろん。性格が合わないならどうしようもないが、悪くはない候補者はたくさんいる。まずは会ってみるといい」

お父様はそれからある伯爵家の名前を出した。

私はオドラン伯爵家の屋敷に出向いた。

ジェラルドのダルシアク家と同じ伯爵家なので家格としては下がっていない。

婚約破棄されて直後の縁談として考えれば決して悪い話ではない。

そのオドラン家の嫡男クリストフ様は学園では私の一学年上。その方が今回、私を屋敷でのお茶会に招待してくださったというわけだ。

もちろん婚約まで話が進むかは別だけれど……。

緊張した面持ちで、屋敷の応接室に入った。すでにクリストフ様が待っていた。

「はじめまして。クリストフです。いえ、はじめましてではないですね」

「あっ、ああ……学園ではどこかで顔を合わせているかもしれませんね」

クリストフ様はジェラルドと比べるとがっしりとした体格で、乗馬が趣味というのもうなずける感じがする。

銀色の髪もあまり長く伸ばしてはないからどことなく軍人のようなところがある。

「リゼットです。急に押し掛けるような形になってしまって申し訳ありません」

「リラックスしてください。こういう場はあまり得意ではなくて、知らず知らず恥をかくんじゃないかと僕のほうもひやひやしていますよ」

「いえ、私が審査するような筋合いではありませんが、とてもご丁寧だと思います」

ジェラルドは茶器を動かすたびに音を立てていて、お母様からも何度も注意されていた。

そんなことにも我慢するのが当たり前だったけれど、私もジェラルドへの気持ちは以前から冷めてしまっていたのかもしれない。

「あの……クリストフ様は私が婚約破棄をされたことは当然ご存じですよね?」

聞かずにやり過ごすこともできたかもしれないが、破談になった途端やってきたという自分が気恥ずかしくはある。

「そのせいで遠慮なさっているなら、お気になさらず。……いや、婚約破棄の話があった途端に内々でお会いできないか打診したのは僕の家のほうです」

照れたようにクリストフ様は苦笑した。

「えっ……。それは気にかけてくださっていたということですか……?」

「諦めきれなくて、このように声をかけてしまいました。リゼットさんとこうしてお話ができるだけでも今日の僕は幸せです」

「ま、まあ……」

とても光栄な話だった。だったら、もっと早くに教えてほしかったと言いそうになって、できるわけがないと自分を叱った。

伯爵家と子爵家の縁談を子爵家側がほかによさそうな人がいるからと断るなんてできない。

いや私の家格がジェラルドと同じでもひどい話だ。

「でも、どうして私なんかを?」

お世辞にも私は容姿でも家格でも目立った学生ではない。

「その答えの前に、リゼットさん、もしよかったらお庭をごらんになりませんか?」

答えを隠すようにクリストフ様はおっしゃった。

「ええ、喜んで」

クリストフ様は庭園に私を案内してくれた。

ジェラルドの庭よりずっと洗練されて、ピンクや白の花が遊歩道の両側に咲いている。それと美しいライラック。

「わあ……」

思わず声が漏れた。本当に素晴らしい庭園だ。

それに、どことなくなつかしさすらある。

「どうですか? リゼットさん?」

「もちろん、大変美しいです。手入れも行き届いていますね」

「ほかにも何か特徴に気付かれませんか? 遠慮のないご感想をお願いします」

「そうですか……。その……もちろん美しいお庭なのですが、やけに毒草が多いですね。もちろん毒と薬は表裏一体ですが、ドクウツギやドクゼリなどは毒性が強すぎますから、これは観賞用のものでしょうか」

「さすがお詳しい。本当によくご存じだ!」

クリストフ様はうれしそうに笑った。その笑みはどこか無邪気な少年みたいだった。

「僕のオドラン家は元々、薬草学の知識で王家に仕える家柄だったのです。現在では薬草学の学者を輩出するようなことはありませんが、この薬草が多い庭園は守っていきたいと思っています。ですが、毒が強いものまで植えているので管理が大変ですよ」

「じゃあ、私は適任だと――」

「ああ、いえいえ、そんな知識だけで選んだりはしませんよ! 庭園を守るのはいずれオドラン家を継ぐ僕の仕事です。ですが、男が庭いじりなどするなとおっしゃる方は男女ともにいらっしゃいますからね。そんな価値観の方と一緒になるのは難しいです」

花や木の名前を出すだけで嫌な顔をしたジェラルドのことを思い出してしまった。

「それと、これは不思議な感覚なんですが、この庭園、なぜかなつかしいんです」

「ええ、幼い頃、リゼットさんはこの庭にいらっしゃったことがありますからね」

「えっ……? あっ……! ああっ!」

まだ幼い頃、私はこの庭にも訪れたことがある。

そういえば、あの時にも紫のライラックが元気に咲いていたっけ……。

「あのライラック、見覚えがあります。そっか……あの頃、私は庭園のあるお屋敷に何箇所もお邪魔してたんですね……」

両親の話だと私が植物好きな子供だったのは貴族の中では有名な話だったらしく、「じゃあ、うちにもいらっしゃい」というご招待が何度もあったという。

「僕の初恋でした。この庭にも何度か来ていただいたんですが、子供ながらに婚約してくださいといきなり言い出してはいけないと思って、お庭を案内するのがやっとでした。そしたら、君はご近所のジェラルド君と婚約してしまった。だから、次のチャンスがあればもう待たないと決めたんです」

クリストフ様はライラックを一房、手折った。

その花言葉に「思い出」という意味があったなとふと思い出した。

「僕の婚約者になってくださいませんか? 僕はあなたを裏切ったりなどしません」

ライラックが差し出される。

庭の花のすべてが私を祝福してくれているように、歓迎してくれているように見えた。

「ええ、喜んで」

私はライラックを取った。

「証拠になるように、後で押し花にでもしておきますね」

「どうぞ。たしかに記憶というのはどうしても薄れてしまいますからね」

そして、クリストフ様は優しく包み込むように私を抱擁した。

あくまでも、婚約者の領分の抱擁。すべての挙措が行き過ぎていない。

いい人だと心から思った。

多分、この人とならずっと二人で歩んでいける。

「まだまだ庭は続きます。ご案内しますね」

「ありがとうございます。庭を巡るのがこんなに楽しいだなんて久しぶりに思い出しました」

「人生でもう一度、あなたにお庭をご案内できて本当に光栄です」

「もしよろしければ、これから何度も案内していただけたら」

「あの、もう一度、そっと抱き締めさせていただけませんか?」

私がうなずくと、クリストフ様は優しく私の肩を抱いた。

「リゼットさんと婚約を破棄した? お前という奴は! 軽挙にもほどがある!」

ジェラルドは婚約破棄を伝えると、父親にこっぴどく叱られた。

しかし、その怒りの感情は父親から早くも抜けていった。

「まあ、過ぎたことは戻らんな。だが、自分に都合の悪いものを切り捨てるお前の性格はいずれ致命傷になるぞ。心を入れ替えないと大変なことになるとよく考えておけ」

「では、アリアンヌとの婚約自体は認めてくださるのですね」

「それは夫婦で話し合う。お前らができるのは心証よく振る舞うことだけだ」

自分の扱いが悪いことに立腹したジェラルドは後日、アリアンヌを実家の庭に招待した。

「わあ! きれいですね! 本当にどの花も美しい!」

アリアンヌはあの花は何という名前で薬にした時はどんな薬効があるといった話を持ち出したりはしない。

そんなことに興味は何もないのだ。

ジェラルドも気が楽になってきた。

庭を歩いていると、キョウチクトウの木が視界に入った。

考えてみればキョウチクトウの名前をリゼットが出したことで、ジェラルドは感情を爆発させたのだった。

キョウチクトウが猛毒だという話ぐらいはジェラルドも知っていた。

「この木、ずいぶん枝が伸びてきたな。毒もあって危ないし、枝を切って焼いてしまうか」

「生の木で焚火ってできるんですか?」

「世の中には山火事だってあるんだ。火をつければどうにかなるだろ」

その日、私は婚約者となったクリストフ様のご家族とのお茶会を楽しんだ。

それから今度は馬車で、クリストフ様と二人で私の屋敷へと向かう。

「ご両親とお会いするのは緊張するな」

「何も気になさることはありません。両親はクリストフ様をご立派だと思っていますから」

と、馬車が急に停止した。

もう屋敷の近くまで来ているのに、やけにあわただしい。

「ダルシアク伯爵家のジェラルドって学生が倒れたらしいぞ!」

「それと、アリアンヌって娘も一緒らしいわ」

そんな野次馬の声が馬車にまで聞こえてきた。

「何かとんでもないことがあったみたいだね。まさか、婚約を認めてもらえなくて心中したのか?」

クリストフ様も呆然としていた。

「さすがに性急すぎる気がします。あの二人がそこまで思い詰めていた気はしません」

野次馬の声がまた聞こえてきた。

「なんでも、何かの木の枝をまとめて焼いてた煙を吸って倒れたって話だぞ」

「煙? 呼吸困難ってことかしら?」

「いや、何か中毒を起こしたらしい」

それで私は原因が何かわかった。

「きっと、キョウチクトウです。焼いてしまえば大丈夫と思ったんでしょうけど、その煙にも有毒な成分が含まれているんです」

「そうだね。煙を吸い込み過ぎれば中毒症状になる。煙なら、おそらく死ぬことはないと思うが」

中途半端な毒の知識はかえって危険を生み出してしまう。

おそらく葉っぱなどに注意すれば大丈夫だとジェラルドは早合点したのだろう。

知識は自分を守るためにも必要なのだ。

その後、ジェラルドとアリアンヌさんは一命をとりとめたものの、婚約は結局伯爵家に認められず、騒動を起こしたことを理由に後継者の地位も取り上げられたという。

きっと、多少の土地は相続できるだろうし、彼らに真実の愛があれば、その土地で静かに暮らすぐらいはできるだろう。

私とクリストフ様は学園でも有名な「幼馴染」の婚約者として知られるようになった。

その日、私とクリストフ様は学園の中庭を歩いていた。

この中庭もいろんな草花が生えていて、私たちにとったら堂々とデートができる嬉しい場所だった。

「それにしても、幼馴染というのは言いすぎな気がして少し気恥ずかしいです」

「まあ、いいじゃないか。出会ってはいるんだし。それに僕はけっこうその時のことを覚えてるよ。どんなことを話したかもね」

「なんだかクリストフ様だけズルいです。私は何を言っていたんですか?」

そこでクリストフ様は苦笑した。

「ほとんど植物のことだよ。でも、君としゃべれただけでもあの時の僕は楽しかった。植物の勉強もしようと思った」

「聞かなきゃよかったです。昔の私ったら……」

私たちは中庭のゆるやかな階段を手を取り合って上がっていく。

今の私にとっては植物よりクリストフ様のほうが愛らしい。

新しい婚約者との思い出をたくさん作っていこう。

◆終わり◆