作品タイトル不明
【16】兄弟だから
テオが司令室に入室した時、JJは執務机に手をついて腰を伸ばしていた。どうやら腰を伸ばすストレッチをしていたらしい。
「あ〜、ゴメンネこんな格好で。真面目に背中伸ばしてると、色々凝っちゃってさ……年取ると、良い姿勢でいるだけで疲れるの何でだろうね」
「筋肉量の低下が原因だと思います。軽いトレーニングを検討されてはいかがでしょうか」
「あ、はい、スミマセン……」
真面目にアドバイスをしたら、何故か謝られてしまった。
JJは「どっこいしょ」と呟きながら着席し、紙袋の奥の目をテオに向ける。
「えーと、何か報告? 怪我のこと?」
「はい。ガートルード先生に、明日からは訓練に参加して良いとの許可をいただきました。それと……これは、報告とは関係ないのですが……」
「うん?」
「先ほどいらしていたのは、 中央(エリントン) 軍の人ですか?」
年嵩の男が三人。教皇庁関係者には見えなかった。
そもそも教皇庁側の人間が直接 燃え滓邸(シンダー・ハウス) に来ることは、まずないのだ。 歩く呪い(マッドウォーカー) の住処に足を踏み入れるのは汚れるとの考えがあるらしい。故に、 呪魔(テルメア) 討伐任務も 中央(エリントン) 軍経由である。
「そだよ。さっき来てたのは…… 中央(エリントン) 軍司令部とアドコック研究所の、なんか偉い人と、そこそこ偉い人と、ぼちぼち偉い人」
なんか偉い人と、そこそこ偉い人と、ぼちぼち偉い人。
序列が気になるところであるが、その疑問は横に置き、テオは訊ねた。
「リチャード王太子殿下は、間違いなく偉い人、ですよね」
「そだねー、さっき来た人達より偉いよね。 中央(エリントン) 軍の実権握ってるわけだし」
「それならば何故、リチャード王太子殿下の前では寛いでいたんですか?」
ガサッと大きな音がした。動揺に揺れた頭が、紙袋を擦ったのだろう。
「……寛いでた?」
「あの時の団長は、背中の丸まった座り方で……あと、話し方も少し砕けてました。僕も、兄がいるから分かります」
テオはいつも騎士らしく、礼儀正しくあることを心がけているが、アレンの前では態度が砕ける。
そういう兄弟特有の気安さを、リチャードとJJの間に感じたのだ。
「リチャード王太子殿下はお兄さんなんですよね? …………ジェームズ殿下」
JJは紙袋を被った頭を片手で押さえた。皺の寄った紙袋の奥から「あちゃー……」という情けない声が聞こえる。
「……あのやりとりだけで、見抜いちゃったの?」
「いえ、他にも理由は幾つか……ティンバーガム小宮殿で 呪魔(テルメア) に襲われたジェームズ殿下は、家具でバリケードを作って立て篭もっていました」
あのバリケードは内側から作られた物だった。つまり、室内にいた人間が積み上げた物だ。
「あの時、ジェームズ殿下のそばにいた使用人はご高齢の方が二人。重いテーブルや椅子を積み上げるのは難しいのでは、と感じました。おそらくあのバリケードを作ったのは、ジェームズ殿下本人です。でも、病気で長年ふせっているジェームズ殿下にそんなことできるのかなって、ちょっと気になってたんです」
ジェームズ王子が病で倒れたのは、およそ九年前。それだけの時間、病で寝込んでいたにしては、ティンバーガム小宮殿で見かけた王子は健康そうだった。
更に言うなら、あの王子は三十代で中肉中背の男だった。年齢も体格も、JJとそんなに離れていない。
「あの代役の方は、リチャード王太子殿下が用意されたのではありませんか?」
「そこまで分かっちゃうかー……」
JJは立ち上がり、柱のそばに設置した呼び鈴を鳴らす。あれは厨房に通じている呼び鈴だ。
JJはベルを置き、しょんぼりと背中を丸めた。哀愁漂う、くたびれた中年の背中だ。
「昔、身内の集まりしてる時、 呪魔(テルメア) に襲撃されちゃってねー」
身内の集まり──つまりは、王族の集いではないか。
九年前とはいえ、王族の集いが 呪魔(テルメア) に襲撃されたともなれば人々の記憶に残りそうな大事件だ。だが、テオはそんな事件を知らない──おそらく、事件そのものを隠蔽したのだろう。
「 呪魔(テルメア) の 尾刺棘(ブラッド・テール) が狙ってたのは、リチャード兄上だったのよね」
「では、団長は王太子殿下を庇って……」
「あ、違う違う。そのタイミングで俺、クシャミしちゃったのよ。ヘーックショーイ! って。それで前傾姿勢になった結果、兄上の前に出ちゃってぇ……」
感動的な兄弟愛の物語は、ヘーックショーイ! の一言で吹き飛び、消滅した。
「でもまぁ、兄上の盾になったのは事実だし? 兄上がもう、めーちゃくちゃ気にしちゃってぇ……俺が処刑されなくて良いように、灰色騎士団の団長にして、色々便宜を取り計らってくれたのよ」
処刑、の一言にテオの背筋が冷える。
JJは何も悪くない。ただクシャミをして、偶然 歩く呪い(マッドウォーカー) になってしまっただけの被害者だ。
呪いが止まったのなら、殺さなくても良いではないか、と思う。だが、王族ともなると、そう簡単な話ではないのだ。
教皇庁の中には、「 歩く呪い(マッドウォーカー) は神の教えに背く者」「悪魔憑き」などと言い、 歩く呪い(マッドウォーカー) を忌み嫌う者もいるという。
「陛下としては、呪われた王子なんて病死ってことにして、こっそり殺しちゃった方が都合が良いんだわ。民に知られたら王家の威光に傷がつくし、教皇庁につけこまれるし」
JJはいつもの惚けた口調だが、父が子を殺すという事実にテオは言葉を失った。
国王と教皇が対立関係にあることは知っている。だが、その政治的駆け引きの陰湿さを、初めて痛感した気分だ。
「俺がこの 燃え滓邸(シンダー・ハウス) から出られないのは、それも理由。 燃え滓邸(シンダー・ハウス) を出たら、多分だけど陛下の部下に殺されちゃうから……コワイネー」
JJはリチャード王太子のことを「兄上」と呼ぶが、国王アンドリュー三世のことは「父上」ではなく「陛下」と呼ぶ。そこに、JJが置かれた境遇の複雑さを感じた。
JJが団長になってから、灰色騎士団の待遇が良くなったのも、リチャード王太子が何かと便宜を図ってくれるのも、そういった理由があるからなのだ。
その時、ドアがノックされた。室内に入って来たのは、灰色騎士団準職員のコンスタンス・モラン夫人だ。
「ごめんね、コンスタンス。俺の正体、テオにバレちゃった」
「あら、左様でございますか」
モラン夫人の声音は、「コーヒー溢しちゃった」と言われた時と変わらない。
テオは恐る恐る訊ねた。
「モラン夫人は……団長の正体をご存知だったんですか?」
「えぇ、わたくし、ジェームズ殿下の乳母でしたの。殿下が 呪魔(テルメア) に襲われた現場にもおりまして……」
つまりモラン夫人は、それなりに高い地位の人間に仕える側の人間だったというわけだ。普段の上品な振る舞いも納得である。
「俺が灰色騎士団の団長になるって決まった時にね、俺の世話係にって立候補してくれたの。もう、ほんと、頭上がらないわー……」
「まぁ、殿下ってば」
穏やかに笑いながらJJを見る、モラン夫人の目は優しい。
ふと思い出した。モラン夫人が灰色騎士達の好物を記した、通称「好物ノート」には、JJの好物が特に多く記載されているのだ。
高齢のモラン夫人は自分がいなくなった時のことも想定して、JJの好物を記録しているのではないだろうか……そんな気がした。
「なんか……僕……」
思わず呟くテオを、JJが「うん?」と優しく促す。
テオは服の胸元をギュッと握りしめて笑った。
「モラン夫人がいてくれて良かった、って思いました」
「でしょー? うちの自慢の乳母なの」
モラン夫人が「まぁ」と恥ずかしそうに笑う。素敵な人だな、と思った。
JJが置かれた環境は過酷だ。王族でありながら 歩く呪い(マッドウォーカー) となり、父に死を望まれ、それでも 燃え滓邸(シンダー・ハウス) で灰色騎士団を率いることで、首の皮一枚のところで生かされている。
そんな生活が、かれこれ九年ほど続いて、それでも心が腐らずにいられるのは、モラン夫人がいてくれたからだろう。
JJはテオに向き直ると、紙袋に手をかけた。
紙袋の下の素顔は、顔の印象よりも顔の上半分を黒く染める呪印の印象が強く残る。顎にはまばらに髭が生え、短い茶髪はまだらに赤く染まっていた。
黒く染まった目元、濃い赤が混じる髪、なるほどこれは目立つだろう。
「JJって名前は、母方のジュード姓を借りてね、ジェームズ・ジュードでJJって名乗ってる」
白目まで黒く染まった目が、テオを見る。その異形を不気味だとは思わなかった。この人は九年間、この呪いと戦い続けてきたのだ。
JJはゴソゴソと紙袋を被り直しながら言う。
「このことを知っているのは、ごく一部の人間だけ……王族と、当時現場にいた使用人。 燃え滓邸(シンダー・ハウス) の人間だと、コンスタンスとアーチボルド管理官だけなんだ」
アーチボルド管理官が! とテオは驚いたが、同時に納得もした。
おそらくアーチボルドは、JJの護衛でもあるのだ。だから、極力JJのそばに控えているのだろう。
JJは紙袋のズレを直すと、口元に人差し指を当てるジェスチャーをした。
「……そういうわけだから、他の皆には黙っていてくれる?」
「はい、決して口外せぬと誓います」
人差し指と中指を揃え、宙に横線を描く。短剣に見立てたそれを握り、己の胸に当てる。真実の誓いだ。
JJが感心したように言った。
「『真実の誓い』……古い作法なのに、よく知ってるねー。まぁ、そういうわけで、この件を知ってるのは 燃え滓邸(シンダー・ハウス) 内では俺と、コンスタンス、アーチボルド、テオの四人だけってことで……」
「めふん」
テオのポケットから白い毛玉が頭をのぞかせる。
JJは気の抜けた声で笑った。
「それと、フワフワちゃんの四人と一匹の秘密ってことで、ヨロシクー」
「めう」