軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

【4】白き卓の二番目

中央西地方(レガート) は一年を通して比較的温暖である。

ウォルグの炭鉱街は 中央西地方(レガート) の南の方にあるので尚のこと、三月になったら毛皮の上着はいらない程度に暖かい。

月に二回しかない休息日。テオとアレンは早朝の訓練を終えると、しっかりと朝食を食べてから、炭鉱街に赴いた。

酒に酔い、壁に持たれて寝ている鉱夫に「朝ですよ、家に帰れますか?」と声をかけたり、散歩中の老婦人に朝の挨拶をしたり、そうやってちょっとした交流をしながら、二人は昨日と同じ 潰し焼きのパン(プレスブレッド) の屋台に立ち寄る。

朝食を食べ終えたばかりなのに、アレンが小腹が空いたと言い出したからだ。

店主のカグーは、火にかけていた 潰し焼き器(プレスパン) をひっくり返し、蓋を開けた。

ぶわりと湯気が立ち上がり、パンの焼ける匂いと、具材のトマトの香りが鼻腔を刺激する。

空腹ではないが、その香りにテオは少しうっとりした。

テオは生のトマトより加熱したトマトの方が好きだ。どうして加熱したトマトはこんなに美味しそうな匂いがするのだろう。

「なんだ、昨晩来たばっかだってのに、また来たのか、アレン」

「育ち盛りなんです。トマトとチーズの一つください」

「ほらよ」

店主は分厚い手で 潰し焼きのパン(プレスブレッド) をアレンに手渡すと、テオを見た。

「そっちの小さいのは、いいのか?」

「はい、僕は大丈夫です」

「アレンの弟分か? 一口ぐらい分けてやれよ、アレン」

アレンは熱々の 潰し焼きのパン(プレスブレッド) を齧りながら、ボソリと言う。

「……昨日も連れてきましたよ」

「そうだったか?」

そこに次の客が来たので、アレンは屋台から一歩離れてテオを見た。

「テオ、そっちの壁際に行こう」

「……ん」

二人は屋台から離れ、近くの壁にもたれる。

なんとなく手持ち無沙汰になって、テオはポケットに手を突っ込み、鉄屑通りを行く人々を見つめた。

──茶色い上着のおじさんは、なくした財布を拾ってあげたらとても感謝してくれた。エプロンをつけた恰幅の良いおばさんはパン屋だ。オリビアと一緒によく買い物に行く。あの赤いスカートの女の人は赤ん坊を抱えていて、あやしたら赤ん坊が笑ってくれて嬉しかった。

テオは、それを全部覚えている。だけど、向こうはテオを覚えてくれない。

今朝、声をかけた酔っぱらいの鉱夫も、散歩中の老婦人も、 潰し焼きのパン(プレスブレッド) の店のカグーも。みんな、すぐにテオのことを忘れてしまう。いつもテオと一緒にいる、アレンのことは覚えているのに。

(なんで、僕ばっかり……)

たとえば歳の近いマリーナとピーノの姉弟、鉱夫頭のガットなど、ほぼ毎日顔を合わせている相手は、流石に覚えてくれている──が、しょっちゅう名前を間違われるし、存在に気づかれない。テオから話しかけると、「あ、いたのか」という顔をされるのだ。

テオの名前を間違えずに呼んでくれるのは、ローレンス家の人間だけだった。

テオは横目でアレンを見た。

茶髪で背が高くて、目尻も眉尻も垂れ下がった優しげな顔立ち──それがアレン・ローレンスだ。

テオは俯き、トレードマークの三つ編みを摘まむ。

一房だけ伸ばした髪を編んだ三つ編みは目印だ。金髪三つ編みのチビ、でなんとなく人の記憶に残ったら良いと思いながら、テオは毎朝髪を編んでいる。

「アレン!」

雑踏の中こちらに駆け寄ってくるのは、眼鏡をかけた黒髪の少女マリーナだ。今日は弟のピーノは一緒ではないらしい。

マリーナはアレンを見上げ、はにかみながら微笑んだ。

「昨日はありがとう」

「どういたしまして。お父さんの具合は?」

「お酒は駄目よって、お母さんに叱られて……怪我をした時よりしょげてたわ。それでね、これ、お母さんと作ったの」

そう言ってマリーナは小さな包みをアレンに差し出した。中身はきっと焼き菓子なのだろう。

マリーナの目は真っ直ぐにアレンを見ている。テオのことなんて、視界に入ってすらいない。

ただ、それをマリーナが意地悪でしているわけではないことをテオは知っていた。彼女は、ここにテオがいることに気づいていないだけなのだ。

「僕!」

気づいたらテオは口を開いていた。二人の視線が自分に集中するのが分かる。だけど、テオは二人の方を見ることができなかった。

「……ちょっと本屋を見てくるよ。アレンは後から来てくれ」

俯いたまま、テオは走る。

マリーナに「あら、あなたもいたの」という目で見られるのが怖かったのだ。

* * *

人混みを移動する時、テオは多分アレンよりも遥かに気をつかっている。小柄で影の薄いテオは、雑踏に飲み込まれ、押しのけられやすいのだ。

だからテオは人の流れや視線の動きを見て、隙間を縫うように移動する。影が薄いチビが身につけた処世術だ。

雑踏を抜けて、路地を曲がる。本屋への近道だ。テオはウォルグの道を全部覚えている。

赤みがかった灰色の雲の下に広がる街並み、そこで暮らすたくましい人々、路傍に咲く花、 赫炭(かくたん) を燃やす匂い──テオはこの街のことを、たくさん覚えている。

それでもこの街は、テオを覚えてはくれない。

(たまに、不安になる)

絶対に口に出したりはしないけれど、本当はテオは怖くて怖くて仕方がない。

(僕は、本当はどこにもいないんじゃないか、って)

路地を曲がったら、建物の隙間を抜けて真っ直ぐ。

本屋はすぐそこだ──というところで、ドンと人にぶつかった。滅多に人にぶつからないテオだが、流石に建物が陰になって、よく見えていなかったのだ。

尻餅をつきそうになった時、咄嗟に地面に手をついたら手のひらが痛んだ。地面に割れた酒瓶が散らばっていたのだ。

受け身を取ったつもりが、手のひらを痛めてしまった。

(ほんと僕は間抜けだな。大間抜けだ)

テオは尻餅をついたまま顔を上げる。

目の前に佇んでいるのは二〇代後半の男女だ。

一人は、月のように淡い金髪を背中に届く長さまで伸ばした男。質の良い外套を羽織っている。

もう一人は、褐色の肌に砂色の髪の女だ。巻きスカートが特徴的な、灰色の制服を着ている。

大陸南方には 蛮族(ディグ) という蔑称で呼ばれる者達がいるのだが、彼女の容姿はそれに酷似していた。ただ、話す言葉に南方訛りはない。

(見たことない制服だ……この辺りの人じゃないんだろうな)

ぶつかったのは、おそらく男の方だ。テオは立ち上がり、勢いよく頭を下げた。

「大変申し訳ありませんでしたっ」

「いや、こちらこそすまない。大丈夫かい?」

淡い金髪の男が少し屈んで、テオに目の高さを合わせた。こちらを気遣うその声には、優しさと誠実さがうかがえる。

彼はテオの手のひらから滲む血に気づくと、ハッと紫の目を見開いた。

「……! 怪我を」

「あ、いえ、このぐらいは……」

「いけない、きちんと手当をしよう」

男がそう提案をすると、砂色の髪の女が口を挟んだ。

「エル、手当するんなら宿でしようぜ。きちんと傷口を洗ってやんないと」

エルと呼ばれた男は「あぁ、そうだな」と頷き、テオを見る。

テオは慌てて、血のついた手のひらを背中に隠した。

「あの、気にしないでください。飛び出した僕が悪いので……」

「それは困ったな。聖騎士が怪我をさせた子どもを放っておいたら、守護天使様に叱られてしまう」

テオは口を半開きにして、目の前の人物を見上げる。

立派な外套の下にチラリと見える襟元は、白い制服だ。白い制服と言われれば、人々が真っ先に連想するのが聖騎士である。

エルは誠実な顔で問う。

「どうか、君の手当をさせてくれないだろうか?」

テオは口を半開きにしたまま、コクリと頷く。

エルは白い歯を見せて笑った。どこか人懐こい快活な笑みだ。

「良かった。これで天使様に叱られずにすむ……すまないな、ベリル。用事を後回しにしてしまって」

「いいよ、ちゃんと部下を回してくれてるんだろ。団長殿の配慮はちゃんと分かってるって」

ベリルと呼ばれた女は、あっけらかんとした口調で言う。

その言葉が、テオの心に引っかかった。

(……団長? エル……団長……)

テオは震える声で訊ねる。

「聖騎士団長……エルバート・ランドルフ、様?」

聖騎士団には、総長の下に五人の団長がいるという。その内の一人、神に祝福されし者。月の色をした金髪に、朝焼けの空のような紫の瞳の美丈夫。

レイエル聖区の聖騎士団総長に次ぐ、五人の団長の一人。史上四人しか存在しない 高位聖騎士(パラディン) の称号を持つ聖騎士。大呪災級の 呪魔(テルメア) を退けた聖騎士団の英雄。〈輝きの剣〉。

「あぁ。私が、『神に剣を捧げし者、白き卓の二番目』エルバート・ランドルフだ」