作品タイトル不明
希望の鍵
遙か北の地。
ハイヴァーンよりも北にあるドーマ地方シュミ山の上に浮かぶ浮遊要塞『天帝の塔』。今や悪魔たちの根城であるその建造物の最上階、天帝の間に悪魔王ユキトはいた。
「いなかった……だと?」
そのユキトの前には、冷気を纏った白きドレスの女が立っている。そして、彼女の前に跪いているのは七つの大罪のひとり、色欲の称号を持つ悪魔ゼクウであった。
本日は定例となっている『七つの大罪』の集まりの日。しかし、この場にいるのはユキトと白いドレスの女とゼクウのみであった。
現時点において『七つの大罪』は傲慢のディアボは封印され、嫉妬のゴーアと怠惰のゾアラルは消滅し、憤怒のジルベールと強欲のエイジはそれぞれで各国を動き回っている真っ最中である。従って今回、参席できたのは色欲のゼクウのみであったのである。
その彼の目の前にいるのは悪魔王ユキトの二体目の英霊『フレイムレイディ』である。
集まりの日とは、精神が壊れているユキトに代わって、スノウドロップとフレイムレイディの二体の英霊が悪魔たちの報告を聞き、ユキトの意志を彼らに伝える場なのであった。
そして本日のゼクウの報告は、ツヴァーラで封印されていた悪魔ディアボの回収についてであった。
「はい。間違いありません」
そう言って畏まるゼクウは悪魔であると同時に悪魔狩りの長でもある。悪魔狩りが捕らえた悪魔と悪魔を封印している浄化塚を管理する立場でもあり、捕らえられたのが仲間であれば機を見て解放し、また仲間になりそうな者も解放し手下に加えてきた。そうして彼らは今まで存在し得なかった悪魔の組織を生み出すことに成功していたのである。
そのような事情によりツヴァーラを経由してディアボの封印された心殻壁がゼクウの元に届けられたのは先日の事。ゼクウが悪魔であるとの疑惑を向けているゆっこ姉が悪魔狩りの間に入り輸送の妨害も行っていたのだが、結局は功を奏せずディアボの心殻壁はゼクウの元にまで届いていた。しかし、届けられた心殻壁には問題があったのだ。
「届けられた心殻壁の中にディアボはおりませんでした。恐らくはどこかのタイミングで逃げ出したのでは……と思うのですが」
この心殻壁とは悪魔が傷付き敗れた際に休眠用のシェルターとして作り出されるもので、一切の攻撃を通さない絶対防御の強度を誇ると言われていた。そのために悪魔狩りは悪魔を滅することができず、現状においてはその状態で封印するしかないのである。その中身がないとゼクウは告げていた。
「お前が悪魔狩りの長であることはヤツも知らなかったはずだな」
「左様ですが……」
現時点においてはある程度大っぴらに活動しているゼクウであるが、ゼーガン襲撃までの間は素性を仲間内にも隠していた。であれば逃げ出したとしても不思議ではないのだが、ゼクウにはそうであっても解せなかった。それはフレイムレイディも同じである。
「それでも逃げたのならばこちらに連絡を寄越さぬのは解せぬ話だな?」
「その通りですな。しかし、中にいなかったのは事実。ディアボはすでに復活していると見てよいでしょう」
ゼクウはそう答える。原因は分からぬが状況からすればそうとしか思えないのだ。その事を聞いてフレイムレイディは少しだけ思案した後、口を開いた。
「であれば、ディアボの連絡を待つしかないか」
悪魔は人社会に溶け込むことに長けている。同じ悪魔同士でも接触することは本来ほとんどないのだから、数の少ない手勢の中でディアボの探索を行うことは難しい。
「そうですな。まあ、ヤツもいずれは連絡を寄越すでしょう。或いは……」
ゼクウはそこまで言って、少し思案してから口を開いた。
「復讐……に走っている可能性も?」
「相手は白き一団だったな」
頷くゼクウにフレイムレイディが眉間にしわを寄せた。
白き一団。プレイヤーである風音を中心とした冒険者のパーティ。ゼーガン襲撃の際まではそこまでの驚異としては映らなかったのだが、現時点においてはもっとも警戒すべき集団となっていた。
「そうであれば、厄介だな」
フレイムレイディが苦い顔をして呟いた。
白き一団は個々の実力も高く、強力な英霊を持ち、その上に様々な権力とも通じている。また、プレイヤーという存在はそもそもが悪魔にとっては天敵に近い者なのだ。かつてディアボもプレイヤーを取り込みきれずに、内部で封印することで辛うじて己の支配権を護ったほどである。
しかし、悪魔たちにとって、もっとも恐るべき事は風音の『魂を消滅させる』力だった。それは悪魔王ユキトの内部の魂ですら消滅せしめた異常な能力だ。
「かといって、あまり我らが介入するのはいかがなものかと」
ゼクウはフレイムレイディにそう返す。所詮、彼らは冒険者の集団である。彼らが本格的に悪魔狩りに出ていない以上は、藪をつつかなければ被害も出ぬ話なのだ。
しかし、ディアボが目覚めていたとすれば、風音たちを避けるという選択は取らないだろうとフレイムレイディは考える。
「あれが連中を襲うと思うか?」
「可能性は高いでしょうな。あれもしつこい性格でしたし」
ゼクウはそう言って苦笑する。同様の認識であるフレイムレイディもため息をついた。そして、考えても詮無き事とフレイムレイディは話を変える。
「まあ、良い。それでハガスの心臓の方はやはり無理だったのか?」
続けての問いに、ゼクウは無念という顔で頷いた。
「はい。ハガスの心臓の封印の解除はやはり不可能でしょう。アレは強固過ぎますな。あの青トカゲめがどのような手品を使ったのかは分かりませぬが、ハガスの心臓の使用は不可能と考えて進めた方がよろしいかと」
半年ほど前に行われた東の竜の里ゼーガンへの襲撃。
悪魔を使用した魔軍のテストも兼ねてはいたが、その本来の目的は黒竜ハガスの心臓の奪取であった。しかし手に入れたは良いが、強力な封印により現在に至っても解除ができていなかったのである。
「やむを得ないが、まったく面倒な話だな」
フレイムレイディは眉をひそめて言葉を続ける。
「アオの捕縛は難しい。あれは正直、神竜帝よりも厄介だ。であれば、やはりお前の持ち帰ったアレを培養して使えるようにするしかあるまいな」
「北黒候ゲンの心臓ですか」
ゼクウの確認にフレイムレイディが頷く。
それはゼーガンの襲撃時にゼクウが手に入れたモノだ。現状で悪魔たちが持っている竜の心臓で適合可能なモノはそれしかなかった。北黒候ゲンのものよりも強力な竜の心臓もあるのだが、それ以上のモノとなると心臓内に宿る自我が強すぎて彼らの目的には適合しない。
「そうだ。力は落ちるが、まああれでも役には立つだろう」
ゼクウは「了解いたしました」と口にして頭を下げる。そして、ここでの必要な会話も終わり、フレイムレイディはゼクウを下がらせる。
召喚時間は残り一分もないだろう。僅かな時間の中で、フレイムレイディは台座に座り虚空に視線を泳がせるユキトを見た。
「帰り……たい……」
フレイムレイディと視線を合わせたユキトの口から言葉が漏れる。
もはや伝承や一部の長命種の記憶にしか残らない、700年前に何もかもを失敗した白の王。すべてに疎まれ、導いた民や愛していた女にすら裏切られたプレイヤーの成れの果て。
悪魔に取り込まれ、逆に取り込み、怨念を喰らい、終いには気が触れたのがユキトという男であった。それで死ねたのならばまだ良かったのだが、その精神は怨念に蝕まれ、悪魔の力もあってこうして生かされ続けている。
この世界に希望を持ち、恐らくはプレイヤーの中でももっとも人々を幸福に導こうとした男は、最終的に何もかもが裏目に出て、絶望の中で今もこうして存在していた。
正常な思考は目の前の英霊を介してでしか外に出ることはなく、ゼーガン襲撃時もギリギリのところでの活動であった。
そして、彼の意識はただ純粋なものでしかない。元の世界へ帰りたいだけ。誰ひとりとして恨みたくなかった彼が、最後に考えたことがソレであった。
それだけが彼をつなぎ止めるすべてであった。そして、問題だったのはその手段を彼が知っていたこと。
「かつてのあの世界への帰還。遠き時の流れの中に消えた世界。しかし、なければ産み出せばいいだけのこと」
ユキトを見ながら、フレイムレイディはそう口にする。
「剣井達良は失敗した」
その結果を知ったのは一年ほど前。だからこそ今、彼女たちは動いている。ユキトたちが知る限り、もっとも強大な力を持っていたプレイヤーの完全なる失敗を知り、悪魔たちはその動きを加速させていた。
「ヤツは知り過ぎた。そしてユキトにもその資格がない」
そしてフレイムレイディはあの小さな悪魔を思い出す。
「エイジも……時が経ちすぎた。魔として染まった分、どうした不具合が起こるかも分からぬ。しかし……あれならば」
フレイムレイディは思考する。もうじき彼女も消滅する。英霊は10分ほどしか出てはいられないのだから。
「ミナカ・ライドウ」
その身を武具に宿して力を付けようと画策していた怠惰のゾアラル、その軌跡を追っていたときに偶然見つけた者の名をフレイムレイディは呟く。
「封印され、未だ染まらぬかつての記憶……あれならば或いは……」
そして、フレイムレイディは消滅した。
その場に残されたのは悪魔王のみ。ただ、うめき声だけが部屋の中に響き渡っていた。