作品タイトル不明
第五百七話 鬱憤を晴らそう
◎王都イプシロン 宿屋デュッフェル
「宿屋デュッフェル……ここか」
紙に書かれた地図を見ながら弓花がたどり着いた先はおんぼろな宿であった。いかにも安普請といった様相で、弓花がこの世界に来て最初に世話になったリンリーの宿よりもかなりボロかった。
ともあれ、地図に書かれていたのはこの宿で間違いなさそうなので弓花はひとまずは宿屋の中に入ってみることにしたのである。
「すんませーん」
中に入った弓花が見たのはやはりボロい内装の宿だった。その汚さに弓花も思わず顔がひきつったがそのまま声を出して受付へと進んでいく。
「はい、いらっしゃい。お嬢さんひとりかい?」
受付にいたのは、強面の中年で訝しげに弓花を見ている。
この宿もその周辺も本来少女ひとりで訪れるような場所ではないのだ。少なくとも現在の弓花の格好からすれば、目に止まれば確実に襲われるだろう程度には治安の悪い地区のはずなのだが、弓花はここに来るまでにそうした類の連中に絡まれてはいなかった。
「ええ、そうですけど」
弓花は、当然連れもいないのでそう答える。宿屋の主人は当然知らぬことだが、弓花はここまでジンライ直伝の『隠形歩』という周囲の認識から外れる歩法スキルを使って移動してきていた。それはチンピラ程度では認識すら出来ない高度な歩法であり、特に悪目立ちの多い弓花が人目を避けるために無意識に多用しているスキルであった。
「イリイリさんの紹介で来たんですけど、部屋開いてますかね?」
続けて弓花が発したキーワードを含めた言葉に男の目が一瞬細まったがすぐに表情を戻して頷く。その反応で弓花もここがそうだと確証を得たようである。
「イリイリさんのお知り合いなら、そうだな。一階の奥の部屋なんかどうだろう? うちじゃあ、もっとも良い部屋なんだが」
「じゃあ、それでお願いします」
そんなやり取りをしている弓花を奥の薄暗い酒場の中にいる何人かが見ている。
(んーー)
弓花はその視線に当然気付いてはいたが、あまり反応を見せるべきではないなと思い、そのまま無視して部屋へと向かうことにした。
(案内された部屋で誰か待ってるのかなぁ)
特に宿屋の主人は何も言っては来ない。そして弓花は鍵を預かって部屋への通路を進むと、途中で男とすれ違った。
「床だ」
ボソリと告げた男はそのまま通り過ぎていった。弓花はその男に振り返らずに進んでいく。
(……まあ、意味のない言葉ではないんだろうけど)
弓花はそんなことを心の中で呟きながら、奥の部屋にたどり着くと借りた鍵を扉に差し込んで回した。そして扉を開けて中に入ったのである。
「ん、思ったよりもまともかも?」
部屋の中はきちんと掃除も行き届いているようで、宿屋の主人曰く一番良い部屋というのも間違いではないようである。
もっとも弓花としても目的は宿に泊まることではない。先ほどのすれ違った男の囁きに従って床を調べる。
(臭いがしない……けど、なるほど。ここかな)
セットしている『犬の嗅覚』では探れなかったが、『直感』の方では反応があった。それも床に何かがあるという確信がなければ見逃していただろうというくらいに上手く隠された隠し扉である。これならば『犬の嗅覚』以下の獣人の鼻による捜索でも気付かれることはないだろう。
(なかなかに結構なお手前で)
弓花は若干楽しくなって扉を開いた。
それからハシゴを降りて土をくり抜かれたらしい通路を進み、妙な部屋の中へと入ったのである。そして、そこには般若の仮面らしきものを付けた黒い格好の男たちが立ち並んでいた。
「?」
弓花が首を傾げると、仮面の男たちは言葉もなにも発さずに一斉に弓花へと飛びかかった。殺気は放たれているが、それが本物ではないことは弓花にはすぐに分かった。姿格好からまさしく忍者。腕試しか何かだろうとは察しがついたが、問題であったのは『弓花』の機嫌がとことん悪かったということだろう。せっかく隠し扉のギミックを見て探索気分を味わって少し戻っていた機嫌が一気に悪化したのである。
そして、完全狼化が行われた。虫の居所の悪い獣に戯れに手を伸ばせばどうなるか……それを忍者たちはわずか先の未来で知ることとなる。
(あ、ダメっすね)
イリアはそれを見て思った。
ゆっこ姉の影武者であるはずの彼女は今トゥーレ王国の首都イプシロンの地下の隠れ家にいた。なぜ彼女がここにいるかと言えば最近のお気に入りであった直樹と会うためである。行くっすーと言って最速でここまで来ていた。
とはいえ、ここに最初に来るのは弓花というジンライの弟子という話。そして、実のところイリアは弓花をよく知らなかった。
ジンライの弟子ではあるし、何度か会ったが接点があまりない相手だった。なので腕試しのつもりで部下に挑ませてみたのだが、遊びが過ぎたと気付いたのは仕掛けてすぐのことだった。
銀色の風が狭い部屋の中を縦横無尽に駆けめぐり、まさしくサンドバッグ状態となった忍者たちはまるで空を飛んでいるように舞っている。銀狼三匹もいつの間にか混じっていた。今忍者たちが受けているのはいわゆる体当たりである。完全狼化となった弓花はシルキィという相棒を失ったことにより人という枷を外していた。
(あー、人間の動きじゃねえっす。獣の動きを完全に使いこなしてるっすね)
人を越えた脚力で飛び交い、忍者たちの視界外から突撃し、吹き飛ばす。それを4頭の銀の狼たちが5名の忍者たちに対して行っている。そして、暴風が収まり狼達が止まった時には忍者たちはズダボロの状態で床に突っ伏していた。辛うじて息はあるようだが、その目はもう完全に死んでいるようだった。ちなみにイリアが辛うじて目で追えたレベルであるので、それ以下の実力の彼らにどうにかしろと言うのも当然無茶な話ではあった。
『そっちに隠れてる人。そのまま出てこないなら噛むよ』
死屍累々の場に四本足で立つ完全狼化弓花の視線に本気で冷や汗が出たイリアが「あははは」と笑いながら、壁隠れの忍術を解いて姿を現した。
「いやー、見事な手並みっすね」
『あー、イリアさんか。どういうつもりですかね?』
弓花は怒りの籠もった目でイリアを見る。愛槍シルキィを破壊された鬱憤が爆発したのである。手負いの獣に手を出してはいけないとイリアは今更ながらに思い知る。
(この歳でジンライっち並の威圧を出せるとか……ジンライっちが弟子にするだけはあるっすね。つか、コエエ)
正直、イリアは弓花の実力を直樹より若干上ぐらいだろうと高をくくっていた。もっとも直樹自体がその歳にしては相当な腕前ではあるのでイリアの目算がズレたのも仕方のないことではある。
だが、素の弓花であってもその認識は外れている上に、完全狼化、それも鬱憤が溜まって獣の本性を剥き出しにした弓花が相手では、もうイリア本人が参戦してもどうにもならない。現在のジンライですら紙一重の攻防になり手を焼くのだという事実をイリアは知らなかった。イベントが発生せずとも日々の特訓で着実に弓花は力をつけていたのである。
「いやね。うちの若いのがちょーいと腕試しをしてみたいって騒いでっすねえ。すまねえっすけど、あっしも止められなかったんすよ。申し訳ないっす」
「ちょ、頭領。ナオキさんに寄りつく虫をヒーヒー言わせてやるって言ってたのはあんたじゃ」
「うるさいっす」
クナイが必死に訴えた忍者の頭に突き刺さり、ギャーと悲鳴が聞こえた。
「ようこそ。我々の隠れ家へっす。ええと、ユミカ……様?」
「なんで様なんですか?」
「じゃあ、ユミカっちで」
引きつった笑いのイリアに弓花が『ハァ』と深いため息をついてから、完全狼化を解いた。そして普通の旅人ルックの少女の姿に戻ったのである。
「それで、こちらではその……忍者の人と合流するとは聞いてたんですけど、イリアさんがいるってのは知らないです。何かあったんですか?」
「そりゃあ、ナオキっちが来るって聞いたからっすよ」
「ああ、そうですか」
事情を察した弓花がさらにため息をついた。銀狼化の解けたクロマルがくーんと弓花に寄り添う。主の心の慟哭を慰めようとしているのである。そのクロマルの頭を撫でながら弓花がイリアの方を向いて、口を開いた。
「しかし、ここって完全ににほ……いや、ジャパネス風の隠れ家ですね。よくもまあ、他人の国にこんな施設造りましたよね」
弓花のいる空間はあきらかに趣味としか言いようがない純和風な光景であった。畳が敷かれ、木の柱に障子などもある。
「ま、ここまでやっとけば例えバレてもミンシアナとは思わんっしょ。偽装っすよ」
「……はぁ」
絶対に違うよなあ……とは思いつつ、弓花は頷いた。そして、続いてはイリアが弓花に尋ねる番である。
「でー、どうなんすかね?」
「何がですか?」
弓花が首を傾げて尋ね返す。
「ほらーもう、分かってるっすよね。ナオキッチっす。いつ呼ぶんすか?」
「あーあれなら今日の夕方ですね。昨日はそのぐらいの時間にシュバインに風音を送ってったらしいし、今日は直接こっちに来るって聞いてますし」
それを聞いて「遅いっすー早く来るっすー」とイリアがゴロゴロしている。弓花は(なんなんだろうなー、この人)と思いながら、ちょこんとその場に座ってイリアが落ち着くのを待つことにした。
普段ならばもっとリアクションもとれたかもしれないが現在の弓花は落ち込み状態のままで、騒げる気分ではなかったのである。