軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

戦争のおわらせかた⑫ ネニング平原会戦⑦

第三軍のネニング平原進出は、決して「魔法」のような不可思議な何かの力を借りたわけではなかった。

アロイジウス・シュヴェーリン元帥率いる同軍司令部の成したことは、総体的に見れば無茶であり無理ではあったものの、無謀ではないといったところの、あくまで現実的な判断と手段の積み重ねに依った。

―――話は、彼らが「機動命令」を受け取った四月一一日に遡る。

第三軍が、エルフィンド軍カランウェン支隊によるゲリラ戦を受けて苦しみ、総軍司令部より「兵站線に支障のかからぬ地点まで機動せよ」という命令を受領したとき。

既にネニング平原会戦は始まっており、二日が経過していた。

そのような状況下で、婉曲的な表現ながら「アルトカレ平原へ引け」と命じられたことは、第三軍の幕僚たちには事態の遺憾を思わせるとともに、無念ではあったが、納得を感じさせてもいた。

フェンセレヒの第三軍隷下四個師団には、日々の消耗糧秣分を送り届けるのがやっとである。

これ以上の進撃のための、軍兵站拠点の前進も果たせない。

それどころか、後方の鉄道鉄橋及び電信線を爆破までされてしまった現在、明日以降の糧を補充しきれるかどうかも怪しい。

第八山岳猟兵師団を山狩りに投入してはいるが、直ちに敵脅威の全てを取り除くことも難しい。

一時撤退は、やむを得ない―――

第三軍参謀長ギュンター・ブルーメンタール少将は、参謀たちとともに茫然としつつも、麾下将兵が飢餓へと陥る危険性から体制を立て直すため、アロイジウス・シュヴェーリン元帥へ一時撤退案の裁可を求めた。

当然、シュヴェーリン元帥は驚いた。

事態はそこまで逼迫しているのか、と。

「それほど補給状況は厳しいのか」

「はい―――」

ブルーメンタールは答えた。

「もう、 七(・) 日(・) 分(・) し(・) か(・) ありません」

兵士たちの携行糧食が一日分。

大隊補給行李に、携行糧食一日分。

連隊補給行李に、給食二日分。

師団の補給縦列に、給食一日分。

軍団の補給所に、給食二日分。

戦闘部隊の、定数上の通常所有分だけであり、作戦前進に必要となる軍補給所は進出できていないため、軍司令部備蓄の物資はフェンセレヒには一切なく、これを食い尽くしてしまえば兵たちが飢餓に陥ります―――

「・・・・・・」

シュヴェーリンは、茫然とした。

ただし彼が得た「茫然」は、ブルーメンタール以下参謀たちのそれとは、まるで違っていた。

唖然とした、というような代物にちかい。

―――いったい、こいつらは何を言っているのだ。

そんな感情であった。

「・・・ちょっと待て。 七(・) 日(・) 分(・) も(・) あ(・) る(・) のか?」

シュヴェーリンはごつい腕を組み、呻いた。

いったい第三軍に何が起こっているのか、彼はようやく理解した。

―――こいつら、阿呆か!

つまり参謀たちは、第三軍の補給拠点がフェンセレヒに予定通り進出できていないから、そして、これ以上の補給は保証できないから、「兵站上の危機が起こっている」というのだ。

あまりにも杓子定規で、硬直的な物の考え方に思えた。

―――大飯食らいのオーク族が主体であるから、オルクセン軍は兵站を重視する。

―――飢餓や戦地での掠奪を防止するため、軍は作戦上、自前で七日分の食糧を持つ。

―――攻勢に出るためには、軍補給所にそれ以上の食糧を備蓄する。

―――兵站上の見通しが立たない状況では、軍は進むべきではない。

―――それが参謀の役目。

その定数だの規定だのといった部分を割り込んでしまうから、「危機」だと言っているのだ。

「・・・・・・」

シュヴェーリンは震えた。

オルクセンの参謀たちは、優秀だ。

優秀過ぎるのだ。

上品になってしまったのだと言ってもいい。

腹心である、ブルーメンタールでさえ例外ではない。

総軍司令部にいる、娘婿エーリッヒ・グレーベンも。

もちろんシュヴェーリンも、長年に渡って国軍参謀本部が組み上げ、育て上げてきたそのような制度の効果は理解している。

ベレリアント戦争におけるオルクセン軍のここまでの進撃を支えたのは、その潤沢な兵站機構や、物の考え方であることも。

だが、それが守れないからと言って、前進を止め、停滞し、あまつさえ一時のものとはいえ撤退するなどという結論は、あまりにも馬鹿げていた。

ましてや、ネニング平原で決戦が起こっている最中に!

―――参謀制度の硬直化。

紛れもなく、そのような代物が起こっていることをシュヴェーリンは認識した。

「・・・いいだろう、機動しよう―――」

怒りに震えるシュヴェーリンは、大地図をその太い指で示した。

「ただし、その機動先はここだ!」

参謀たちは騒めいた。

「元帥。そこはネニング平原ですが・・・」

「ああ。ああ! そうだとも、ネニングだ! 第一軍が戦っている地域まで六七キロ。行軍距離で三日から四日。七日分もあるなら充分ではないか! 糧秣ある限り進め!」

「し、しかし―――」

ブルーメンタールは明らかに動揺していた。

「それ以降の補給は、追送できるかどうか・・・」

彼の懸念も道理ではあった。

手持ちの糧秣は、確かに七日分ある。

計算上、辿り着くことも出来る。

だが、それはあくまで計算上のことだ。

途中にどのような敵状が待ち受け、どれほどの戦闘が起こるか。まるでわからない。

しかも、第三軍の現状では、フェンセレヒ盆地の兵力をネニングに送り出したとしても、それ以降の追送が出来ない。

補給線には襲撃を受けているし、何よりも鉄道中隊の到着がまだであるから、その六七キロ分の改修追従がやれない。

輜重馬車に全てを委ねるにしても、フェンセレヒとネニングの間には峠がある。険峻なものだ。果たして追従できるかどうか―――

「第三軍の全てを送ろうというのではない。山狩りをやらせている第八師団を除く三個師団だ。七日の間に、敵をぶちのめし、第一軍と合流すれば良い。後ろで煩く騒いでいる連中は、残る儂らが全力を挙げて始末する」

「・・・・・・」

―――無茶な!

顔を見合わせる参謀たちに、シュヴェーリンはついに癇癪を起した。

正確に言えば、そのようにしか見えないよう演じて吠えた。

彼の理解によれば。

オルクセン国軍参謀本部と参謀たちの作り上げた制度、物の考え方は基本的には正しい。

組織としての力で、戦争に勝つ。

立派なことだ。

結構なことである。

だが、それだけでは勝ちきれないときが必ずある。

誰かが無理を承知で、その無茶を命じ、乗るか反るかの大勝負をしなければならない場合があるのだ。

そして、オルクセン軍においてその役目を負っているのは。

―――儂だ!

「いいか、貴様ら! こいつは決戦なんだ! あれも駄目、これも駄目で戦に勝てるか! つべこべ抜かす前に全力でやれ! やりきれる方法を考えつくまで帰ってくるな!」

参謀たちはそれぞれの職務を果たすべく、真っ赤な顔や、あるいは真っ青な顔をして飛び出していった。

「・・・閣下」

ひとり残ったブルーメンタールが、参謀長としてというより、娘婿として案じる調子で告げた。

「演技にしても、やりすぎです。彼らには、いったいどちらだったのか分からないでしょう」

「・・・ふふ―――」

シュヴェーリンは笑う。

「道理だが、な。いまのは儂自身にもどちらか分からん」

そう答えて、ブルーメンタールを唖然とさせた。

シュヴェーリンの「無茶と無理」を実現するために、最大の苦労をした司令部幕僚は第三軍 兵站参謀(I b) グレーナー大佐であっただろう。

第三軍隷下第七軍団及び第八軍団の手持ち糧食は七日分というが、そのうち輜重馬車に積載されているのは約四日分から五日分である。軍団補給所の二日分は、フェンセレヒ峠の中心都市アルウェンのやや南で貨車に搭載された状態、もしくは荷下ろしされた状態にある。

通常なら、おおむねこの軍団補給所から二〇キロメートル乃至二五キロメートルまで部隊を進め、その間は軍団補給隊もしくは師団補給隊の輜重馬車が追従運動をやり、そこでまた新たな軍団補給拠点を築く、というような具合で進む。

その最大延伸可能距離は、オルクセン軍国軍参謀本部の戦前研究によれば、五〇キロメートルが限界だとされていた。それ以上伸ばすと、輜重馬車隊は往復運動ばかりになって、一挙に効率が低下し、ひたすらに先細るばかりになる。

軍団補給所を前進させるためには、これは鉄道を利用しているので、第三軍の場合、軌道間改修が必要となる。この現状到達点がアルウェンの南方である。

しかしながらこの改修作業を実施する第三軍所属の鉄道中隊六個は、その全てが到着せぬうちにカランウェン支隊のゲリラ攻撃が始まったうえ、この攻撃のためオノリン川鉄橋が再爆破され、更には鉄道線の破壊活動があり、半数以上がそれらの補修に向かっていた。

仮に鉄道改修に着手出来たとしても、その工事速度は、近隣諸部隊などを根こそぎに協力させ、極めて良好に進んでも一日二〇キロ程度であるという戦訓が出ている。それに、幾らかは絶対的に必要になる改修材料が、まだフェンセレヒには到着していなかった。

つまり、これらの条件を勘案すると、アロイジウス・シュヴェーリン元帥の命じたところの「糧食七日間分の前進」に、鉄道改修は追従し得ない。

そこでグレーナー大佐は、まずは第七及び第八軍団直轄の輜重馬車にともかく軍団補給所の糧秣を積載出来るだけ積載し、送り出すことにした。これは本来糧秣を運ぶ役目を担う輜重縦列補給隊だけでなく、同弾薬隊も使うことになった。銃弾薬を運ぶ馬車である。このため、両軍団の兵士たち―――とくに最先頭として出発することになった第七師団の兵士たちは、規定以上の銃弾を携行するよう命じられた。

「馬車で運べないなら、抱えていけ」

元より、オーク族兵は他国他種族の兵より、多くの銃弾を携行している。

そこへ更に予備の弾帯や雑嚢などを使って、持てるだけの銃弾を帯びた。

軍隊には、どこの隊にも「連隊一の力自慢」だの「大隊最強の兵」だのと呼ばれている兵がいる。そんな兵たちが中心になって、信じられないことだが、この第三軍の前進時、記録によれば一頭で三〇〇発もの銃弾を負って行軍した兵士もいたという―――

次にグレーナー大佐が目をつけたのが、アルウェン市で鹵獲されていた鉄道車両だ。

アルウェン市は、北のエレド峠及びトール峠、南のエイセル峠の間に挟まれた山間盆地である。このような場所には、両者を越えるため、故障や、給水や給炭に備える鉄道操車場が築かれることが多く、アルウェン市も例外ではなかった。

エルフィンド軍は、オルクセン軍の同地到達以前に機関車は全て持ち去っていたが、無蓋や有蓋の貨車は幾らか残っていた。

そこでグレーナーは、この貨車群にアルウェン南の軍団補給拠点から物資を積み移させた。

しかし、機関車もなく、どうやってこれを曳いて行くというのか。

彼は、なんと兵士たちに貨車を曳いて行かせることにした。

輸卒や補助輸卒たちが中心となって、一両に二〇頭だの三〇頭だのという牡たちが寄って集ってオーク族の馬鹿力を用い、一歩一歩這うようにして進んで行ったのだ。

これもまた、信じられないほど膨大な、血と汗と、呻きと罵りと、奮起発奮と恨み節の集合体であった。

最大の難所になったのは、言うまでもなくトール峠だ。

そこには何組もの牽引隊が用意され、交代し、休み、また働いて、多量の貨車群に峠を越えさせた。

またグレーナー大佐が採った手段のひとつには、アルウェン市からの現地調達があった。

ここで、一名の白エルフ族が登場する。

アルウェン市長だ。

この市長は、ある意味でカランウェン支隊決死の抵抗を台無しにした。

彼女はもともと、軍及び中央政権の抗戦方針を「無駄なこと」だと考えていた。

実際に眼前に現れた膨大な―――そう、彼女の眼には膨大なものに思えたオルクセン軍相手には、もはや何の抵抗も意味を為さず、犠牲を増やすだけだ、と。

また、己が氏族長としての役目は、戦禍からこのアルウェン市を守り、市民及び財産を戦後に生き延びさせることだ、と。

グレーナー大佐は、このアルウェン市長に対し、備蓄食糧及び飼葉の無理のない範囲での売却と、さらには馬車の借り上げ、馭者の雇用を打診した。相場は、おおむね市場価格の一割増しから二割増しであった。

この「無理のない範囲で」という部分と、「一割から二割の割り増し」の相場でという部分とが、効果的だった。

これが徹底した現地調達であったり、五割増しや倍の報酬であったなら、あるいはアルウェン市長も「そこまでオルクセン軍は困窮しているのか」と捉え、考えを改めたかもしれない。少なくとも抵抗したり、遅延させたりといった妨害をしただろう。

だがそうではなく、グレーナー大佐の態度も、慇懃であり、丁寧で、軍律に則ったものであった。

アルウェン市長は、この調達に応じた。

「よ、よろしいのですか・・・」

契約書にサインをしグレーナー大佐が去ったあと、案じる者や、詰め寄る市幹部たちも当然いた。

「結構なことではないか。現実を見ろ」

アルウェン市長は、意に介さなかった。

「この戦争の行きつく先は、もう目に見えている。我がアルウェンは、オルクセンに積極的に協力することで戦後を生き延びることが出来る。お前たちも、モーリアやアルトカレの様子は耳にしているだろう? 彼らは協力する限り軍規軍律にも厳正だ。復興、基盤整備、むしろ投資までしてくれる」

「・・・・・・」

「対して我が政府や軍の連中はどうだ? このアルウェンから、根こそぎ余裕食糧を持って行こうとしたのだぞ。若い者たちまで、兵士として動員していった。私が抵抗しなければ、越冬分の食糧も残して貰えなかっただろう。報酬すらなかった。ところがどうだ、オルクセン軍は即日の支払いに、後日の補填までも約束してくれた」

「・・・・・・」

「馬車や馭者も、彼らの進軍にずっと着いて行くわけではない。峠を越えた先に築く、拠点とやらまでだそうだ」

「・・・・・・」

「それに。あの膨大な軍勢を見ろ。精強無比。これでほんの一部だと言うのだから。もう終わりだよ、この戦争は」

一方、グレーナー大佐に言わせるなら―――

食糧はともかく、馬車と馭者の雇用にこそ効果があった。

エルフィンドの民間馬車は、オルクセン軍の輜重馬車よりずっと小さかった。だがこれは現地の地形や道路事情に合わせたものであり、機動性が良好であることの裏返しでもある。

雇用された民間馬車の効果は絶大であった。

軍団補給所の物資を詰め込み、約一二〇両で、師団一個分の糧秣日糧を運ぶことが出来た。

この方法は、「特別車両縦列」と呼ばれた。

つまり第三軍は、戦前あれほどオルクセン国軍参謀本部が「混乱を招く」として否定をし、回避するための準備もしながら、手あたり次第に鹵獲鉄道貨車や現地調達馬車を活用したことになる―――

この間、アロイジウス・シュヴェーリン元帥自身も、ブルーメンタール参謀長を伴い、動いた。

第七軍団長ラング大将と、第八軍団長クリューガー大将を総司令部に招いて、軍令上必要になると信じる手段を執ったのだ。

「クリューガー。決戦なんじゃ。意地も面子もあろうが、非常の措置に従って欲しい」

「・・・はい、閣下?」

「貴公の軍団から、第二一師団と野戦重砲兵第八旅団を取り上げる。ラングの指揮下に入れて、ネニングに押し込む」

「・・・・・・・」

「軍団兵站機構の半分も、同様だ。これでラングの第七軍団司令部を長として、ネニングに押し込む兵力に一体性と打撃力を持たせる。食糧事情も七日分以上にはなろう」

「・・・・・・・」

「お主は、敵ゲリラの掃討に専念してくれ」

「それは・・・」

「儂もここに残る。行きたくて堪らんがな。一日でも一刻でも早く後方を打通させ、儂と一緒に第三軍の残りと兵站をネニングに送る役目をはたしてくれ」

「・・・・・・・」

クリューガー大将が返答に迷っているうちに、その手をがっしりとラング大将が握りしめ、あとは任せてくれと言わんばかりに頷き、はらはらと涙を流し、クリューガーもまた涙ぐんで、全てが決した。

ロザリンド会戦世代や、デュートネ戦争世代の出身者ばかりで、年功序列も複雑であり、性格上も癖の強かったオルクセンの将軍たちの間において、このような重大な変更を瞬時に済ませることが出来たのは、確かにシュヴェーリンだけに可能であった真似かもしれない。

シュヴェーリンは、この場でラング大将に対し、

「可能な限りの大鷲軍団支援を与えるから、とにかく第一軍前線へと辿り着け」

と、恐ろしく単純な命令を与えていた。

彼との付き合いの長いラング大将は、それだけで全てを理解し、頷いたものだった。

―――膨大な前進が始まった。

第七擲弾兵師団、第九山岳猟兵師団、第二一擲弾兵師団、野戦重砲兵第七旅団、同第八旅団。総勢約六万。

ネニング平原会戦当初、エルフィンド軍がクーランディア攻勢に用いた兵力の全てで約一〇万であったから、増強された第七軍団の兵力がどれほどのものであったのか良く分かる。第三軍全戦力の約四割近い。

シュヴェーリンは僅かな供回りだけを連れ、トール峠にまで出掛けて、しばしばこの長大な行軍列の端に立ち、見送った。

略帽に防塵眼鏡を巻き、軍の正装用上衣を着て、乗馬用ズボンを合わせ、腰にサーベルと拳銃を吊り、乗馬鞭を持った例の姿である。

「親父だ!」

「シュヴェーリン親父だ!」

「元帥だ!」

兵たちは、歓呼の声を上げた。

第三軍には、この戦争開始以来、自然発生的に生まれた流行歌があった。

シュヴェーリン親父 シュヴェーリン親父

親父がサーベル振れば

俺たちゃ進む

親父が大きく吠えれば

俺たちゃ進む

国王陛下 グスタフ王陛下

親父に全てを任せなよ

第三軍に任せなよ

シュヴェーリンの姿を認めた将兵たちは、敬礼をし、あるいはサーベルや銃を捧げ、歓声を上げ、競うようにこの歌を贈った。

「おお、ありがとう! ありがとう!」

「この隊は元気だな!」

「頼む、頼むぞ!」

シュヴェーリンのほうも、一隊一隊、大きな銅鑼声をかけた。

第七師団長グロスタール中将と出会うと、

「グロスタール! うちの兵は強いな?」

「もちろんです、元帥」

「よし、グロスタール。なんとしてもイーダフェルトに突っ込め」

また単純明快な命令を下した。

グロスタール中将のほうでも心得たもので、

「それだけ分かれば充分です」

と答えた。

フェンセレヒは狭かったから、出発していく諸部隊の隊列は終日街道を騒がし続け、最終的には一三日まで掛かった。

この間、馬を駆って飛び回り続けたシュヴェーリンは各師団や旅団を見送り、直接に命令を発している。子飼いの部下ラング大将率いる軍団司令部をすっ飛ばして発破を与えていたことになるが、急進撃をやる以上、電信線も魔術通信も繋がりきらないだろうという判断に依る。

「閣下、これでは側面を晒して進み続けることになりますが・・・」

と、第九師団長が懸念を示せば、

「側面のことなど敵に心配させておけ。大鷲軍団の支援はやらせる。第七師団のケツに噛みつくつもりで進め」

と喚いたし、第二一師団長には、

「前進停止と命令がかかるまで、遮二無二突っ込め。儂もすぐに追いつくからな!」

そのように命令した。

―――後年、アロイジウス・シュヴェーリンの採ったネニング平原進出強硬という手段は、論争の的になり続けた。

「補給を追送出来るかどうか確定もできないうちに、長駆、兵を進ませ、詳細な敵状も分からぬ戦線を突き破れることを前提に、第一軍との合流を期待した」

当然ながら、批判する者も多かった。

だが、そのような批判者たちもまた、

「シュヴェーリンは、アルベール・デュートネの言うところの“行動せよ、迅速に”という戦術原則を徹頭徹尾貫いた。そして上は将軍から下は一兵卒に至るまで、それがやれると信じ込ませる能力があった」

「迅速な行動力と、稲妻のような決断力を持っていた」

これらの事実だけは、認めないわけにはいかなかった。

またこれは極めて重要な点であったが、これほどの猛烈な横紙破りをやりながら、アロイジウス・シュヴェーリンは、唯のひとつも命令違反を犯していない。

総軍司令部の発した命令は、

「第三軍前衛は兵站線の負担のかからぬ地点まで機動せよ」

というものだった。

ただこれに対して、シュヴェーリン自身が示したとおり、「機動する方向が後ろではなく前であっただけ」である。照らし合わせてみるなら、咎められる点は何もなかった。

そのような前進を開始した将兵たちにとって最初の難関は、トール峠である。

この峠は細く、峻険で、まだ雪も残っていた。ただ行軍をするだけでも難儀した。

無数の兵馬が山間道を登攀し、輜重馬車を押し、砲車を曳く。

呻き、白い息を吐き、汗を掻き、足や手に豆を作り、それでも前進を続ける。

進んだ先には、長大な行軍路がひたすらに広がっている―――

小休止や大休止こそ経るものの、だが決して、留まりはしない。

シュヴェーリン自身は、第七軍団を見送ったとき、副官に対し次のように感想を漏らしている。

「凄い・・・ 本当に凄い。世界中見渡しても、これほどの軍隊はあるまい・・・ 第三軍は儂の誇りだ。儂の自慢の息子たちだ!」

第三軍の強行前進を成功させるには、当然ながら、総軍司令部との連絡が必要になる。

もちろん、第三軍司令部はこれを何度も試みた。

ところが、この連絡がなかなか上手くいかなかった。

まず、フェンセレヒに進出していた第三軍司令部自身の電信線が、この一一日のうちにカランウェン支隊のゲリラ攻撃により切断されていた。

復旧が図られたが、切断破壊は数カ所にわたっており、その場所を特定するだけでも大変なことだった。

翌一二日早朝には、アルトリアに大鷲軍団第一空中団による空中伝令を送って、同地からの発信が試されている。

ところが、何処に問題があるのか、了解電すら戻ってこない。

この一一日から一二日にかけてといえば、クーランディア攻勢により第一軍司令部―――即ち総軍司令部の通信体制に負荷が生じていた、そのピークのころにあたる。

第三軍側は、この通信不良が自身の側を原因としたものなのか、あるいは第一軍側に問題があるのか、迷った。

モーリアからの発信が試みられたり、軍の通信体制の回復や総点検が行われて、一二日一杯が過ぎた。

どうも第一軍側にも通信状態に問題があるのではないかという話になり、一三日には、大鷲軍団による直接の伝令が決行されることになった。

シュヴェーリン元帥は、第一空中団の大半もネニング平原への増援として第一軍へと差し向けることにしていて、どの道、彼らを出発させなければならない。

空中技量の優れた志願者が募られ、通信筒が用意され、飛び立った―――

元々、第三軍の展開していたフェンセレヒ及びアルトカレ平原側と、第一軍のいるネニング平原東端とは、直線距離上の感覚よりずっと通信連絡が迂遠だった。

両者の間に、ベレリアント半島中央山脈があり、峰々はどれも一〇〇〇メートル級以上で、大鷲は超過することが出来ない。野戦電信網と同様に、遠くオルクセン本国側を経由するか、ネニング平原を飛び越えるしか方法がなかった。

この空中伝令の大鷲がネブラスの第二空中団駐屯地へと辿り着いたのが、一三日夕刻のことである。

第一軍側では、当然驚いた。

内容に依れば、第七軍団最先頭の第七師団は、既にイーダフェルトの後方へと迫っていることになる。

ともかく、戦線最南端の第一軍団と第七軍団を連結させよう、という話になった。

前後から挟み込むようにイーダフェルトを襲えば、陥落は確実と思われる。

第一軍司令部では、兵站参謀ヴァレステレーベン少将が真っ青になっていた。

第三軍第七軍団を支えられるかという問い合わせに対し、

「・・・とんでもねぇ。待ってたんだ」

と嘯くと、

「急げ! 第七軍団の必要糧秣量を算定しろ!」

部下たちに命じ、ネブラスの兵站拠点に対して糧秣輸送の準備を始めさせた。

ヴァレステレーベンもまた、イーダフェルトの陥落を望んだ。

第七軍団の後方から第三軍の補給が追従できていないと仮定した場合、同地へと兵站拠点を前進させなければ、どのように計算しても支えられないとわかったからだ。

ファルマリア港に命じて、糧秣の追送も図った。

彼がこのとき採用した方法は、最早ネブラスで荷積み荷下ろしをやっている間などないから、ありったけの貨車を使ってネブラス操車場のレール上を臨時の集積場とし、機関車さえ接続すれば送り込めるよう準備を整えることであった。

「刻印魔術式物品管理法・・・ こいつと、こいつの冷却板がなければ不可能だったな・・・」

既に四月になっている。

昼間気温が上がる日も増えていたうえに、幾らか湿気があった。

貨車保存が長期化していれば、糧食や飼葉の腐敗を招いたかもしれない―――

総軍司令部では、エルムト川沿いに計画されていた南翼攻撃計画の一部を急遽修正した。

一四日早朝の砲撃は、予定通りにやる。

だがそれは渡河援護を目的としたものではなく、第一軍団と第七軍団のイーダフェルト攻略を成功させるためのものになった。

このとき、第三軍来着の報せを聞かされたグスタフ・ファルケンハインは、まるで子供のように狂喜し、叫んだと伝わる。

「シュヴェーリン、シュヴェーリン、シュヴェーリン! あの悪党! 山賊! やりやがったな! だが・・・だが・・・本当に良く来てくれた!」

エルフィンド軍側では―――

オルクセン第一軍よりずっと早く、第三軍の進出に気づいていた。

一二日には、トール峠のネニング平原側の街アカルンが落ち、続く一三日には敵の先頭―――第七師団がイーダフェルトとアカルンの中間にまで達しており、これが急報となってもたらされていたのだ。

アルトカレ軍は、街の南側に防禦を伸ばそうとした。

第一七師団長ヴァイス中将が感じた「奇妙な気配」は、このための配置転換の動きであったのだ。

アルトカレ軍司令官コルトリア中将は必死になって、予備兵力の派遣を総司令部に要請した。

このままでは、南翼は圧倒的多数のオルクセン軍に包囲され、崩壊してしまう―――

ネニング方面軍司令官クーランディア元帥は、彼女と彼女の司令部が懸念するところの「新たな動き」―――第三軍の出現に対処すべく、幾らかの予備兵力を送ることには成功したものの、多分に対症療法的であったと言える。

一三日には、北翼でも交通の要衝スリュムヘイムが陥落している。オルクセン軍第四軍団がこれを押しに押し、ディアネン市側面を圧迫する形勢になりつつあった。

そして、後方に「一万五〇〇〇」の騎兵集団が浸透したという。

「雨に降られて寄るべく樹もない、だな・・・」

クーランディア元帥は自嘲気味に呟くしかなかった。悪いときには悪いことが重なるという意味の、エルフィンドの諺である。

オルクセン軍第五軍団に従軍し、ユーダリルの丘にいたイラストレイテッド・ログレス・ニュース紙フレデリック・ヴィリヤーズは、「決定的瞬間」を目撃することになった一人だ。

四月一五日早朝、まだエルムト川に幻想的な川霧のうねりが浮かぶころ、猛烈な砲撃が始まった。

「なんて数だ・・・」

もっとも激しく砲撃に晒されたのは、三三四高地―――エルフィンド側呼称ヴィアキスタルの丘である。

第一軍団野戦重砲兵第一旅団、同第一三旅団、後備野戦砲兵第一〇旅団、そして第五軍団野戦重砲兵第五旅団、同第一四旅団の一部といった重砲群に撃たれ、無数の爆発と、閃光と、天を突く土柱が上がった。

まるで活火山が噴火を始めたような光景だった。

「私にはエルフィンド軍将兵が哀れに思えた」

と、ヴィリヤーズは記録する。

激しい砲撃が終わったとき、耳が鳴り、静寂に対しむしろ違和感を覚えたほどで、また懐中時計を取り出してみてこの砲撃が僅か一〇分ほどの出来事であったことに驚いた。

双眼鏡を覗いてみると、ヴィアキスタルの丘には無数の砲弾孔が開いており、あばたのようになっている。

山頂部で、きらり、と何かが光って見えた。

目を凝らすと、エルフィンド軍の将校のサーベルの鞘か、兵卒の銃剣が陽光を反射したらしい。

あの激しい砲撃に晒されて生き残りがまだいることに瞠目したが、彼が目撃した煌めきは重大な事実を示していた。

壕に籠っていた兵が、飛び出し、丘の反対斜面―――つまりエルフィンド側へと逃走を図っている光景であったのだ。

きらり、きらり。

反射が再び起き、その数が増した。

角面堡や二重の壕から、ぞろぞろとエルフィンド兵の脱出が続く。

個の逃亡が、周囲に感染し、多数の個の逃亡となり、ついに部隊丸ごとの壊走に転落したらしい。

ヴィリヤーズからは流石に見えなかったが―――

このとき、ヴィアキスタルの丘では信じられないことが起こっていた。

「逃げるな! 逃げるなぁぁぁぁ、貴様ら!」

守備隊長だった二等少将がサーベルを引き抜き、兵たちを威嚇し、ついにはこれも効かぬと悟ると、手近で逃亡を図っていた兵を本当に斬殺したのである。

古今、将校などが反抗する下士卒に向かって武器を以て威嚇することは、ままある。

だが将軍の位にあるほどの者が、本当に兵を斬ってしまうことなど、極めて稀だ。

三三四高地の防禦は、急速に崩壊した。

―――なんてことだ。

ヴィリヤーズは、暗然とした。

あの砲撃では、堡塁も壕も、原型を留めぬほどに損壊した遺体で一杯だろう。

ヴィリヤーズは、「ヴィアキスタル」というエルフィンド語が、キャメロット語で言うところの「さわやかな」とでも言うような意味であることを、もう調べていた。

だがあれでは、その「さわやか」な丘は、きっと「挽肉の丘」とでも呼ぶに相応しい状態かもしれない。オルクセン料理の、 挽肉のステーキ(フリカデッレ) でも作り上げたような。

―――それにしても。

やけに脆いな。

丘だけでなく、川岸の防禦陣地でも逃亡している連中がいる・・・

「皆さん―――」

振り向くと、第五軍団のあの参謀少佐が、喜色満面でやってきていた。

「お知らせします。我が第三軍第七軍団が戦場に到着。イーダフェルトの街に突入を開始しました」

ヴィリヤーズは驚いた。

なるほどそれで、などと納得もする。

彼を含め、従軍記者や観戦武官たちは、オルクセン軍が最初からそのような遠大な作戦を立てていたのだと、誤解をしたほどであった。

「で、では、少佐?」

参謀少佐は頷いた。

「ええ。敵の南翼は、これでもうおしまいですよ」

イーダフェルトの街では、エルフィンド軍により糧秣庫の焼却が図られた。

糧秣庫の焼却は、何処の軍隊にとっても撤退を意味する。

敵をして鹵獲物資を利用せしめることがないようにするための、必要な作業である。

この煙のなかを―――

「突っ込めぇぇぇぇ!」

「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」

第七擲弾兵師団は、突入した。

交差点や市施設といった要所要所に、エルフィンド軍は陣地を築いて遅滞戦闘を図っていたが、多勢に無勢である。

南からは第一軍団の第一七師団、第一師団が突入していた。

イーダフェルト市庁舎にオルクセン国旗を揚げたのは、第七師団第二八擲弾兵連隊である。あのモーリアの戦いで、鉄道橋を押し渡った隊だ。

彼らは「イーダフェルトまで、とにかく前進しろ」というシュヴェーリン元帥の命令を、文字通り果たしたことになる―――

第一軍及び第三軍両軍兵士の邂逅も起こって、彼らは手に手をとり、肩を抱き合って、歓声を上げ、あるいは涙した。

彼らの姿は、対照的だった。

兵站状況がよく、とっくにほぼ全兵士が青灰色の新軍服を着ていた第一軍将兵に対し、アルトリアの戦いで兵站危機を迎えた第三軍の将校下士卒たちは、まだオルクセン伝統の黒色軍服のままだったのだ。

第七師団長グロスタール中将と、第一師団長マントイフェル中将の会合成功は、四月一六日のことである。

第三軍の強硬前進から六日目。とっくに師団手持ちぶんの糧食を使い果たした計算になるころで、軍団所持分も余すところ一日分。

「第三軍到達部隊の食糧は尽きていた」

などと、後年、劇的な伝説の一部として語られることが多い。

だが実際には、現地調達の食糧もあり、そこまでの欠乏状態でもなかったというのが真相である。

相当に際どい作戦行動であったのは確かだが―――

「やあ、グロスタールさん。昨年の師団対抗演習以来ですな」

「おお、マントイフェルさん。お久しぶりです」

両師団長は会合し、固い握手を交わした。

グロスタール中将は、いわゆるロザリンド会戦世代。

師団長としては古参である。

一方のマントイフェル中将はデュートネ戦争世代で、少しばかり若かった。

自然、彼のほうがグロスタールを気遣うような格好になった。

「第七師団の方たちは、えらいところに来てしまったと思われているのでは・・・」

「なんのぉ、マントイフェルさん―――」

グロスタール中将は首を振った。

「儂ら第三軍の者は、みんな焦っとったんじゃ・・・」

「・・・・・・」

「焦って焦って、どうにもならんかったんじゃ・・・このネニングの一大会戦が始まる・・・ この決戦で戦争に決着がつく。そうなったとき、儂ら第三軍の者だけが間に合わんかったとなったら、第一軍の者に顔向けできん言うてなぁ・・・」

「そうでしたか・・・」

会合を終えかけたとき、グロスタールにはマントイフェル中将の顔貌が青白く、体調が悪いように見えた。

どこか加減でもと気遣うグロスタールに、なに、少し戦闘が続いたせいでしょうとマントイフェルは快闊に笑ったものだったが―――

ネニング平原会戦におけるクーランディア攻勢に遭い、またその後も連日連夜指揮をとった疲労が重なったものか。

マントイフェル中将が脳溢血に斃れ、ついにこの戦争の終結を見ることなく病没したのは、ネニング平原会戦終結直後のことである。

一方のグロスタールは―――

ベレリアント戦争での戦功もあり、戦後しばらくして大将へと進み、更に何年かして国軍参謀本部総長候補へと昇る機会を得た。

功績からも年功からも就任はほぼ確実と観られていたが、その最終選考的に指揮をとった軍対抗演習において、参謀たちの意見を聞かず我を通し、敗北判定という結果を招き、そのまま予備役になっている。

軍を去ったときの言葉は、

「儂は儂のやりたいように最後まで指揮をとれたんじゃ。後悔は欠片もないよ」

総軍司令部では―――

第三軍の到着により大幅な新兵力を得て、今後の作戦方針が改めて検討された。

大きく作戦方針を変えたいとエーリッヒ・グレーベン作戦部長が言い出し、グスタフ・ファルケンハインも、カール・ヘルムート・ゼーベック総参謀長も出席して、大地図を囲んだ。

「北翼も南翼もこれで見通しが立ちました―――」

僅か一日前に懊悩していた様子はすっかり消し飛んでしまい、艶々と血色の良い顔でグレーベンは大地図と兵棋を示す。

既に、自身の信頼するライスヴィッツ中佐やビットブルク少佐と検討を重ねたあとであったから、立て板に水といったところの、流れるような説明であった。

「そこで北翼の第四軍団及び第三軍団に対し、このまま繞回進撃を続けさせ、更には南翼で第七軍団、第一軍団、第五軍団にもディアネンの側面及び背後を突かせます。そしてアンファウグリア旅団に敵背後、首都ティリオンとの連絡線を完全遮断させれば―――」

彼は素早く兵棋を進めた。

「・・・・・・」

大地図のうえで出来上がった代物に、グスタフ王も、ゼーベック上級大将も、みな無言になった。

「こいつは・・・」

ゼーベックが呻いた。

両翼包囲戦ではある。だが、それだけではない。

「ええ―――」

我が意を得たり、という風にグレーベンは強く頷いた。

「世界戦史上、滅多に起きるはずがないもの。我らだけでなく、世界の全職業軍人にとって生涯に一度は見てみたいはずのもの。それでいて近代戦史上、いまだ誰も成し得ていないもの―――」

「・・・・・・」

「全周包囲による殲滅戦です」

(続)