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作品タイトル不明

おおいなる幻影④ キーファー岬沖海戦 下編

「こちらキーファー岬監視哨。ほ、砲声が。砲声が聞こえる! 敵艦隊と味方船団が交戦中の模様!」

キーファー岬沖海戦―――と呼ばれることになる一連の戦いのなかで、屑鉄戦隊とエルフィンド海軍襲撃部隊の死闘を、最初にオルクセン海軍最高司令部へと伝えたのは、あの問題も多かった監視哨による哨戒態勢だった。

最高司令部は相当に慌てた。

まさか。まさか、そんな。船団が襲撃を受けるとは。

東部沿岸航路を襲った、エルフィンド海軍巡洋艦アルスヴィルを追撃させるため、味方巡洋艦四隻を派出したばかりである―――

また、監視哨の情報が正しいのかどうかという点も、迷いを生じさせた。

そうこうしているうちに、屑鉄戦隊が自ら犠牲となることで守り切った輸送船団が、キーファー岬から東へ七・五マイルの港へと逃げ込んできた。

同地の要塞砲台駐留部隊を通じて、襲撃の報を伝えてくる。

―――これは本物だ。

最高司令部は、電信を使ってベラファラス湾のオルクセン海軍主力戦隊へ襲撃報を伝えるとともに、総軍司令部へと事態を急報した。

総軍司令部では、ベラファラス湾から大鷲軍団から何羽かを飛ばそうという話になった。

大鷲は、洋上を飛べない。コボルト飛行兵が幾らか補うようになってきてはいるが、彼らが一種の山立てを行って飛行するため、対地目標物のない海の上は飛行することが出来ない。

だが沿岸線上を辿っていくかたちなら、これが可能であるはずだ、現にまだ運用法は手探りだが湾から少し外れたあたりまでなら、船団の出迎え飛行や湾口外警戒をやっている―――

「小官が参りましょう」

飛行技量もあり、最悪の場合夜目も効く、ハインケル少佐の夜間空中偵察中隊が名乗りを上げ、向かうことになった。

彼らのうちから四羽、貴重極まる四羽が空を飛んだ。

大鷲の飛行速度は時速約一二〇キロ。

飛翔生物として見ると、その巨体ゆえに決して速くはない。

それでも一時間弱で現場へは到達するはずである―――

一方、荒海艦隊主力戦隊は、ともかくもリョースタ出現は間違いない、迎撃に出ようということになった。

しかしながら―――

このとき彼らは、あの捜索行から戻って日が経っておらず、給炭船から補給を受けている最中だった。

オルクセン海軍の、戦前からの艦隊給炭艦は一隻しかない。

開戦以降は海軍傭船の給炭船もあったが、それにしても数が足りない。

まだ全艦給炭は終えていなかった。

装甲艦レーヴェ、ゲパルト、給炭作業中。

同パンテル、衝突事故による損傷を仮修理中。

二等装甲艦ティーゲル、レオパルド、給炭作業中。

巡洋艦グラナート、オーニュクス、割り当て量を給炭済なるも満載には至らず。機関整備中。

同ディアマント、給炭作業中―――

まるで万全とはいえない状態だった。

しかし、形振り構ってはいられない。

マクシミリアン・ロイター大将は、全艦給炭作業を打ち切り、二時間以内に出動態勢を整えるよう信号を出した。

各艦予備的な汽醸運転は行ってはいたが、罐の出力を上げるために炊火兵たちが全力で無煙炭を罐に放り込む。赤い焔が勢いを増し、艦に力を漲らせていく。

「おはよう、ロングフォード君」

艦橋へと向かう途中、ロイター提督は一人のキャメロット海軍士官と鉢合わせた。

ウィリアム・クリストファー・ロングフォード。階級は少尉。

このころオルクセン軍各方面に到着しはじめていた、各国観戦武官の一人だった。

本来ならもっと階級の高い者が本国から来るはずだったのだが、その予定者は俄な罹病によって間に合わず、在オルクセン公使館の駐在武官補だったところを従軍していた。

「戦闘になるよ。着いてくる気なら、君はいますぐ制帽を被ってきなさい」

「はい、提督」

ロングフォードは多少顔を赤らめて答えた。

オルクセン海軍のたっぷりとした朝食を摂り、コーヒーを三杯も飲み、甲板を散歩しているところへこの騒ぎに遭遇したのだ。

流石にパジャマなどではなくキャメロット海軍冬季制服姿だったが、制帽を自室に置き忘れてきていた。

―――このオーク族の提督は、凄い方だ。

若いロングフォードなどは、率直な感銘を到着以来覚えている。

どこで身につけたのか、たいへん流暢なキャメロット語を使い、世界の海上戦術などにも造詣が深い。

彼が到着したのは、ちょうどエルフィンド海軍艦艇がオルクセン沿岸を襲い、主力戦隊が衝突事故により僚艦を失い、輿論の批難が海軍に集中しているところで、さぞ意気消沈しているのだろうと思い込んでいると、提督は堂々としたもので、動揺もなく、その態度を以て部下将兵たちをふだん通りの空気へと戻そうとしていた。

出撃準備のとき、巡洋艦ディアマンドなどでは、ちょっと信じられない光景が起きた。

高価極まる無煙炭のうち、 叺(かます) に入ったままの一部を湾内に投棄したのである。

そのまま走っても良かったが、復元性を減じてしまう。戦闘に際して邪魔にもなる。

そこで時間内に炭庫へと収められないと判断された分は、海へ捨てた。

また各艦で急がれたのは、給炭作業ですっかり汚れていた乗員たちを風呂に入れ、清潔な衣服に着替えさせることであった。

戦闘で負傷などすれば、汚れた体や衣服は衛生上よくない問題を生じさせる。

あの簡易風呂なども用意され、各艦では出撃の支度が急速に整えられた。

「全艦、出港」

午前一〇時半、装甲艦四、巡洋艦三、水雷巡洋艦一、水雷艇六隻の主力艦隊が出撃したとき、ベラファラス湾湾口のヴィンヤマル燈台に設けられた通信所から、旗旒信号と魔術通信を受け取った。

この戦前エルフィンドが誇っていた大燈台のあるヴィンヤマル半島は、一一月半ばから下旬にかけ、第一軍の支作戦として師団一個が残敵掃討と占領を図り、もはや完全にオルクセン軍の手に落ちている。

「船団護衛隊、危急に陥りたるものの如し」

「リョースタ型一、損傷中」

―――あの屑鉄戦隊が。

一同、暗澹たる思いになった。

リョースタのような艦に戦いを挑んだというのなら、その命運は推し量るまでも無いもののように思えた。

だが彼らは、リョースタへと嚙みついたこともわかった。

損傷中というのがどの程度のものなのか、この時点ではまるで分からなかったが、これでロイター提督たちの決心はついた。

このときまで―――

艦隊には二つの行動案があったのだ。

ひとつには、現場へ急行するというもの。

またひとつには、いまから現場に向かって取り逃がしてしまっては元も子もない、このままベレリアント半島を北上し、敵艦隊を待ち受けてはどうか、というものだった。

後者を主張する参謀もおり、またその意見には巡洋艦アルスヴィルがなかなか捕捉されていない事実を思うと一種の説得力もあり、艦隊首脳の判断を迷わせていたのだが。

「現場へ向かおう」

ロイター提督は決断した。

迎撃案もまた、敵艦隊根拠地がはっきりしていない以上、不確定要素を含んだものである。

最新の目撃個所であるキーファー岬までは、一一三キロ、直行直進の艦隊速度一四ノットで四時間。

また途上の港湾には、輸送船団が避航しており、この確保も図らなければならない。

大鷲軍団も飛んでくれている。

いまから向かえば、日没までには間に合う―――

「準備の間に合わん艦は構わん、置いていくぞ」

ロイターは周囲に告げた。

リョースタ率いるミリエル・カランシア少将の司令部では―――

午前一一時半ころ、オルクセン軍大鷲軍団の接触を感得していた。

装甲艦ヴァナディースがリョースタの曳航を試みるも、その最初の曳航索が破断してしまったところだった。

排水量四三〇〇トンのヴァナディースに対し、九一三〇トンのリョースタは重すぎた。しかもリョースタは左舷艦尾の一区画とはいえ、浸水してもいる。

波もあった。

リョースタ艦内では、潜水具を使って損傷個所の確認が図られたが、どうも主舵が角度一二度のまま船体にめり込んでしまっているようであり、どうにもならないという事がわかりかけてもいた。

露天艦橋から望遠鏡を空へと向けたカランシア少将は、艦隊上空で旋回をはじめた大鷲を望見し、またその大鷲がどうやら他の同族と魔術通信を交わしはじめたことがわかると、再度の魔術通信妨害発動を命じた。

しかし、それは諸刃の剣であることも理解していた。

圏外付近から三角測量を行われれば、艦隊の位置は把握され続ける。

「奴らは何でも投入してくる。ありとあらゆる、どんな手段でも―――」

対する彼女の戦隊は、祖国からは孤立無援だ。

それが何処かベレリアント戦争の縮図のようにも思え、この優秀で闘争心溢れる少将を以てして、金髪の頭髪を掻きあげさせるに至った。

だが彼女は制帽を目深に被り直した。

リョースタの戦闘力はなお健在だ。

諦めるものか。

諦めてなるものか。

オルクセン海軍主力艦隊の二番艦である装甲艦ゲパルトに、ギースラーというとても若いオーク族の士官がいた。

階級は大尉。

この航海科の士官は、まだ野外に持ち出せるものとしてはようやく実用的なものに進化したばかりの、写真機を私物として持っていた。

彼が使っていたのは、ゼラチン乾板写真機というものである。

それまで主流だったコロディオン式の湿板写真は、撮影者自身が撮影前に湿板を手間暇かけて用意しなければならない。ところがこのゼラチン乾板は曲がりなりにも工業的に量産したものを使え、またそれまでのものより感度が高く、動いている被写体なども鮮明に撮影できるようになっていた。

ギースラーは四つ切版という比較的大きく鮮明なサイズのものを、三脚の上に立てて使う蛇腹式箱型写真機を用いて撮っていた。

実は同じ趣味を観戦武官ロングフォードもしていて、彼が到着した直後に知己を得て大いに意気投合し、短艇の上から航行中の船舶を撮るなどの大胆な技法を試し、幾つか歴史に残るオルクセン海軍の姿を後世に伝えている。

このときもまた、幸いにして新しもの好きだった艦長の許可なども得て、何枚か舷側甲板から撮影していた。

彼が写したのは、艦隊旗艦レーヴェの意外な姿だった。

このときレーヴェは、よほどロイター提督などに急かされていたのか艦隊を後続させながらもひたすらに速度を増し続け、ついにはどんどんと後続艦たちを引き離しはじめていた。

ゲパルトとは性能も同じ艦である。

それが半ば、単艦突出するようにして突き進んだ。

やがて午後二時一五分、敵艦隊発見。

砲戦が開始されたとき、レーヴェは「我に続航せよ」の運動旗を掲げたまま、主隊よりずっと前方で試射第一弾を発射した。

あまりにも距離が開いていたため、ギースラーなどはこれを敵艦リョースタの姿だと思い込んで撮った。

あとで現像してみて、なんとこれは我が旗艦レーヴェではないかと、同僚たちとたいへん驚き、失笑してしまったほどだった。

彼はそれらの写真を、ずっとあとになって生まれた三名の息子たちに見せるなどし、なかでも突出する旗艦レーヴェの写真を前に、海軍というものはこうでなければいかんと説いて、ついには長子を海軍の将校にしてしまった。

午後二時一五分。

大鷲軍団ウーフー中隊の四羽に誘導された荒海艦隊主力戦隊は、敵艦リョースタ及びヴァナディースを捕捉した。

「合戦用意」

「戦闘旗揚げ!」

「右舷戦闘!」

「距離、一万四〇〇〇!」

「艦長、準備出来次第砲撃せよ」

既に確定のものとして、屑鉄戦隊壊滅の報せは入っていた。

あの偉大な牡たち。

陽気で、茶目っ気があり、常に艦隊を明るくしていた不屈の牡たちは、もういない。

その多くの者と会うことも、茶化し合うことも、酒を酌み交わすことも二度と出来ない。

彼らが一体となった、素晴らしい艦たちを見ることも出来ない。

「第一一戦隊の仇を取るぞ!」

ロイターの戦隊は、距離五〇〇〇で砲撃を開始した。

「・・・・・・」

リョースタの側では。

カランシア少将が、北西から覆いかぶさるように迫ってきた敵艦隊の様子を望見し、無言で望遠鏡を降ろした。

始めは単艦かと思いまだ希望が持てたが、オルクセン海軍主力戦隊のほぼ全てが続航しているのを見てとり、一つの信号を僚艦ヴァナディースに送らせた。

ヴァナディースは、二度目の曳索曳航の試みに失敗したところだった。いちばん太いものでも駄目だった。

「我に構わず本海域を全力にて離脱せよ。白銀樹の御加護を」

「私は彼らの戦いの全てを見ることが出来た―――」

と、ロングフォードは観戦武官報告書に記録している。

彼は旗艦レーヴェの艦橋で、ロイター提督の傍らに立っていた。

「第三戦隊と第一水雷艇隊は配置についたか?」

「はい」

「よろしい」

荒海戦隊主力には本来、装甲艦が五隻いる。

このうち一隻のパンテルが衝突事故の影響で損傷があり、この海戦には参加していない。

レーヴェ以下の一等装甲艦二隻の第一戦隊に、第二戦隊の二等装甲艦ティーゲル、レオパルドが続く。そしてその後方に甲帯巡洋艦グラナート、オーニュクス、ディアマントから成る第三戦隊が単縦陣を形成していた。更に後ろ、艦隊通報艦としての役割を果たす水雷巡洋艦ザルディーネが、ぽつんと小さな船体で必死についてきていた。

水雷艇隊はこの主隊列の外側で、六隻から成る別の単縦陣を形成している。

ロングフォードには、彼らの方角を哀れで見ていられなかった。

日が傾くにつれ風と波が高まり、小さな小さな水雷艇隊は、ときおりその艦尾を持ち上げ、がらがらとスクリューが空転する音が響いている。

それでも彼らはたいへんな苦労をしつつ、この戦場にやってきていた。

命令があり次第、エルフィンド海軍残存艦艇へと突入して、とどめの魚雷を放つためである。

距離五〇〇〇の試弾第一射に続き、続々と各艦が砲撃を始めると、ロングフォードは驚いた。

彼の誤認でなければ―――

オルクセン海軍の主砲弾クラスは、着弾すると水柱までが燃えていた。

「これが奴らの誇る魔弾か」

リョースタのやや前方で炸裂した砲弾とその水柱に、カランシア少将は半ば茫然としていた。

オルクセン海軍対艦焼夷弾のことを、彼女たちはそう呼んでいた。

ベラファラス湾で友軍艦艇たちがこの悪魔のような砲弾に壊滅させられてしまった以上、その存在は事実であろうとは思っていたが、実際に我が目にしてみると俄には信じられなかった。

その飛翔姿は、滑稽ですらあった。

内部に詰められた謎の燃焼性炸薬の容積を確保するためだろう、通常の砲弾よりも弾殻が長い。その長い砲弾が、くるくると回転するように飛んでくる。肉眼で観測できたほどだった。

ところがこれが着弾すると、巨大な水柱のなかでばちばちと何かが強烈な閃光を放ちながら、炸裂していた。直視できないほど鋭く、鮮烈な、橙色をした火花だ。

まるで溶鉱炉の火焔を、水柱が含んで、海水そのものが燃え上がっているかのようであった。

あんな。

あんな代物を食らったら―――

結果はわかりきったもののように思えたが、それでもリョースタもまた応戦を開始した。

敵の二番艦がリョースタを捨て逃走を図る様が察知されると、ロイター提督は第三戦隊と水雷巡洋艦に追尾を命じた。

兵力を二分することになるが、ここで残存艦艇を逃がしてしまったのでは意味がない。

巡洋艦たちは敵装甲艦に対し火力で劣るが、速力では勝る。

徹底的に食い下がって撃滅を図るべきだと思えた。

装甲艦四隻と水雷艇でリョースタは片づける―――

「艦長、距離を詰めろ。もっと距離を詰めろ!」

日没は近い。

手早く決着をつけなければならない。

距離三〇〇〇を切る辺りになって、砲撃戦は頂点を迎えた。

双方とも、波高を増し続ける天候下にあって決して命中率は高かったとはいえない。

だがオルクセン海軍側は、隻数も多ければ合計門数も多い。

リョースタの、カタログスペック上の優位を数の力で上回ることが出来た。

もっとも威力を発揮したのは、レーヴェ型一等装甲艦の二八センチ主砲である。この砲、扱う者たちに言わせるなら、後装砲そのものとしての性能も素晴らしかったが、艦砲として同時代の同類たちより優れていたのは、その揚弾機構だった。

リョースタ型のように、砲撃の度に砲塔を正位置に戻してラマーで押し込むという面倒な手間の必要がなかったのだ。

そのような機構は、例え後装砲でも併用されていれば発射速度を大きく引き下げてしまう。

レーヴェ型のものはまるで違っていた。

砲郭装甲におさまったレーヴェ型の片舷二門の二八センチ砲は、砲架が乗っかった砲床で旋回する。この砲床からやや後方に、独立するかたちで揚弾機構があった。弾庫へと続く縦孔があり、ここを金属鎖で稼働する縦型揚弾機が走っていて、主砲弾や装薬が揚がってくる。

砲床側には小さくとも伸縮と旋回のできる起重機が砲架に付属してあり、これで砲弾を掴んで装填口に持っていく、という格好だった。

つまりリョースタのような形式が、発砲のたびに砲塔を正位置に戻して装填、また一から狙いをつけなければならないのに対し、レーヴェ型は一度つけた狙いはそのまま維持して次弾装填ができた。

これが両者の発射速度に大きな差となって表れた。

リョースタは、次々と被弾した。

これがまだ通常の徹甲弾なら耐えられた可能性があるが、オルクセン海軍は例の対艦焼夷弾を用いた。

相変わらず一五センチ砲弾以上のサイズのものしか供給されていなかったが、リョースタに命中する度に、アルミニウムと酸化鉄が火薬によって混合、着火、爆発的科学反応を起こした。

―――なんという砲弾なのだ。

ロングフォードは茫然としていた。

ベラファラス湾に浮かんだエルフィンド海軍の残骸から、各国ともオルクセン海軍が何か妙な砲弾を使っていることに気づいてはいたが、その正体はあまりにも恐ろしい代物だった。

これを熱心に見分しようとしたが、燃焼が鮮烈で、どうにも瞳孔に焼き付きのような影が生じた。

「ロングフォード君」

ロイター提督が窘めるように言った。

「あれはあまり直視しないほうがいいよ。それが君の趣味なら止めはしないが」

「提督。あれは・・・あれはいったい・・・」

「うむ。グスタフ王の 魔法の火薬(マジックパウダー) 弾さ。危険だよ」

それはロイターにすれば気の効いた冗談のようなつもりだったが、ロングフォードは半ばこれを信じてしまった。

リョースタの艦上はたいへんな事になっていた。

敵弾が着弾するたびに、上部構造物が燃え、溶け落ち、また延焼して、ついには兵装の多くまでもが使用不能に陥った。

主砲でさえ例外ではなかった。

リョースタの主砲塔の密閉度は、そう高い代物ではなかった。

外部装填機構へと砲身を傾けるためスリットはうんと大きかったし、砲塔上部には観測と指揮のためのキューポラがついている。

これらから容赦なく炎が進入した。

もっとも大きな被害は、兵員の艦上往来がまるで不可能になってしまったことだ。

何度か試みる者もいたが、火焔に巻かれ焼け死ぬか、断念せざるを得なかった。

消火の試みも上手くいかなかった。

放水すると、この悪魔のような燃焼物は更に化学反応を起こして、火花が散り、延焼をもたらす―――

それでもリョースタは反撃した。

一四時四〇分には、リョースタから発射された主砲弾が敵三番艦にあたるティーゲルの右舷後部四番副砲付近に命中した。

これは副砲員を薙ぎ倒しつつ内部まで貫通してそこで炸裂し、一挙に五一名のオルクセン海軍将兵を死傷させた。これは同海戦で一度に負ったものとしては、オルクセン海軍側最大の被害になった。

カランシア少将は、流石に艦橋下部にあった司令塔にいた。

というよりも、部下たちに運び込まれていた。

リョースタには多数の通常弾も撃ち込まれていて、このうち一弾の炸裂弾片が彼女の胸部を切り裂き、また頭部に裂傷を負わせていた。

流血に染まり、司令塔内に横たわった彼女は煙草を欲した。

艦長は既に死亡していたので、副長が紙巻煙草を与えた。

だが、この混戦のなかで何処かに失ったものか、燐寸が見当たらない。

彼女はたいへん心苦しそうに、それを申し出た。

「・・・そうか・・・・ふふ・・・ふふふ」

「閣下・・・?」

「こんなに回りは燃えているのに・・・火は無いか・・・」

リョースタが断末魔の過程に陥りはじめていたころ―――

北方へと逃走を図ったエルフィンド海軍装甲艦ヴァナディースもまた、最後のときを迎えようとしていた。

荒海艦隊第三戦隊に追尾された同艦は、一五時には優速な巡洋艦群に捕捉され、集中砲火を浴びた。

最初の被弾で、艦橋構造物の一部を吹き飛ばされた。これは信号旗箱を喪わせ、信号旗のほぼ全てを焼失してしまい、更には発光信号器を破壊して艦の魔術上以外の通信機能をほぼ喪失させた。

オルクセン海軍はここでも対艦焼夷弾を用いたため、瞬く間に同艦の船舶としての機能を奪い去り、さらには一五センチ弾の一発が左舷中央付近の炭庫に命中して、艦内火災を生じさせた。この消火のため、砲術士官の一名が焼け死んだ。

ヴァナディース側で深刻だったのは、砲弾の不足だった。

この艦は出撃したとき、その主砲弾用に一八〇〇発も砲弾があったのに、屑鉄戦隊との闘いや、この戦闘を進めるうちに残り二〇〇発というところまで消耗していた。

やや幕間喜劇のようなことがあり、ヴァナディースの舷側から弾薬箱を投げ捨てた水兵がいて、追尾していた巡洋艦オーニュクスはこれを機雷の投下だと思い、大きく舵を切って避け、なお追尾を続行するというようなこともあった。

しかしながら―――

この滑稽にも思える出来事は、オーニュクスが追尾を続行したという点において、重大な示唆を含んでいる。

オルクセン海軍側も必死だった。

必死にならざるを得ない理由があった。

燃料用石炭の不足である。

各艦、まともに石炭を補充できないまま出撃したため、このころにはその欠乏は深刻なものへと転じかけていた。

もっとも石炭残量に不安を覚えていたのは巡洋艦ディアマントで、やがて同艦では艦内可燃物を罐に放り込むように命じた。

士官室の机、椅子、甲板材。そんなものまでが斧で叩き壊され、罐に放り込まれた。

「彼らはそこまでやった」

などと、のちに伝説めいた逸話となっていくのだが。

しかしながら、如何に木材を放り込もうと、その燃焼効率は石炭に対し大きく劣るものである。

同艦の追尾行動はやがて困難となった。

おまけにどうも、実際のところ本当に文字通り石炭が尽きてしまっていたというわけではないらしい。

舷側炭庫の底部など、一部にはまだ残量があり、しかしながらこれを取り出すことが困難だった、というのが真相にちかい。

ともかくも―――

一五時一五分には、ほぼ抵抗能力を喪失したヴァナディースに対し、水雷巡洋艦ザルディーネが接近。

魚雷二本を発射した。

この魚雷は、波浪に阻まれ迷走したものか、命中しなかった。

第三戦隊巡洋艦三隻のうち、旗艦のグラナートは、ヴァナディースに対して降伏を促す信号を送った。

そうしてこれに返信がないとわかると、再度砲撃を集中させるよう各艦に向け命じた。

実際のところ―――

ヴァナディースは通信手段を失っており、見張りも薙ぎ倒され、グラナートの信号を見落としていただけだった。

同艦では脱出不能になった機関士たちが閉じ込められていたし、艦上では、生き残っていた航海長が総員退去を発令していたため、二〇名ほどの水兵たちがたった一隻残っていた短艇を取り出そうとしていたのだが、再開された砲撃はこれを吹き飛ばした。

軍医が拳を振り上げ、どうしてこれほど惨い真似をするのかと叫んだが、届くはずもない。

オルクセン海軍艦艇たちは、けして意図的に虐殺を行おうとしているのではなかった。

彼らにとって、エルフィンド海軍とはこの瞬間今もってなお強大で、恐ろしい、最大の敵手である。攻撃に手を抜くという発想がなかったのだ。彼らは弾種を徹甲弾に切り替え、舷側に破孔を生じさせ、ここから浸水させて同艦を撃沈しようとした。

ヴァナディース艦上では僅かな生き残り水兵たちが祖国への万歳三唱を唱えるなか、既に日も暮れた一六時二三分、同艦は左舷側から力尽きるように沈没した。

ヴァナディースが集中砲火を浴びていたころ―――

大炎上し、もはや一門も発砲しなくなっていたリョースタに対し、ロイター提督は「その艦を捨てよ。救助する」との信号を掲げた。

しかしながら、返信がない。

彼はやむを得ず水雷艇隊に攻撃を命じ、雷撃による処分を行うことにした。

ここにも、彼我の認識に錯誤があった。

リョースタは返信を行わなかったのではなく、行えなかったのだ。

信号旗、同揚下索、発光信号器などは全て破壊されており、また魔術通信を送受信するような余裕のある者はもう誰も生き残っていなかった。

リョースタには、元より浸水の生じていた左舷側へ魚雷二本が命中。

燃え盛ったまま、急速に沈没を始めた。

その艦上からは幾らかの水兵たちが飛び込んでいく様子、救命具などが投げ込まれる光景が望見できたが、殆どの者はリョースタ沈没の渦に巻き込まれていった。

ロイターはここで、先の降伏勧告とともに、ロングフォードをたいへん感銘させた命令を発している。

「全艦停止。敵兵を救助せよ」

彼らが、我がキャメロット海軍に勝るとも劣らぬ精神を持つ一級の海軍であると確信したのはこの瞬間であると、ロングフォードはその報告書に綴る。

オルクセン海軍は、屑鉄戦隊の多くの者を喪ったあとだ。

彼らの救助もままならなかった。

屑鉄戦隊の生存者たちは、ほぼ自力のみで沿岸へと辿り着いている。

救助は、道徳観や倫理観に基づく、海を往く者には徹底的に刷り込まれた行為とはいえ、復仇の念に燃えて当然の状況のなか、なまなかに出来ることではない。

各艦からは短艇や汽艇が降ろされ、冷たく荒れる北海から生存者を救い上げた。

リョースタ乗員四四〇名のうち、救助された者は二二名。

そのうちもっとも階級の高かった者は大尉である。

オルクセン海軍は、この一連の戦闘でベレリアント半島周辺の制海権をほぼ掌中におさめた。

まだ二隻の敵艦が残っており、なかでも巡洋艦アルスヴィルは過去の活動からいって重大な脅威たりえたが、もはや北海は戦闘行動を不可能にする季節となる。

そして―――

後備第一旅団の到着により、後方と補給の憂いを断った第一軍が北上を開始することにもなる。

彼らは、アルスヴィルらにとって根拠地となる東部沿岸部を制圧してしまうであろう。

この行動を可能ならしめた端緒を強く掴んだのは―――

いまや永久に喪われた、屑鉄戦隊の存在に相違なかった。

一二月五日。ロイター提督は、彼らと、一連の戦いでの戦没者たちの艦隊葬を行った。

対象は彼我両軍になっていた。

(続)