国王の子である異父妹は伯爵家の娘である私のことを可哀想だと見下すけど、本当にそうかしら?
作者: 藤谷 要
本文
メルソワールは法治国家フェルセナータの貴族の令嬢で、家族にはメルと呼ばれている。
彼女の髪と瞳は、父親に似た珍しい黒い色をしている。切れ長の目が印象的な美人だ。
そんな彼女は、アカデミーの大食堂で浮かない顔をしていた。
食堂は吹き抜けの開放感ある造りで、天窓から差し込む光が明るく室内を照らしている。
いくつもの丸テーブルが設置されており、大勢の学生が自由に使えるようになっている。
その一つにメルは腰掛け、目の前のテーブルに置かれた用紙を見下ろしながら深くため息をつく。
「メル、待たせてごめんね。ん? 一体それはどうしたの?」
後ろから近付いてきたのはシオン・ヤナセタだ。
メルの遠い親戚で、隣国から留学に来ている。
彼もメルと同じようにこの国では珍しい黒髪黒目をしている。
彼の端正な顔立ちは、いつも周囲の視線を集めていたが、今の彼は一枚の解答用紙に釘付けだ。
内容は戸籍の法律に関する問題で、「貴族が離婚する際の起こりうる問題点について書きなさい」と書かれている。
法治国家フェルセナータでは、身分に関係なく戸籍は法律で定められていた。
そのため、領地を治める貴族なら知らないでは済まされなかった。
「ええ、実はセレス様にやってもらった問題なんですけど、頭を悩ませているところなんです……」
セレスとは、メルの婚約者セレスガーナ・ザルクリルだ。
「うーん、答えがさっぱり的を射ていないね」
「そうなんです。どうしたらいいのか……」
「おや、噂をすれば現れたよ」
賑やかな集団が出入り口から登場したと思えば、女子学生たちと楽しそうに会話する婚約者セレスの姿があった。
彼の容姿は、フェルセナータの貴族によくある金髪と碧眼である。高位貴族の令息で容姿端麗。しかも気さくで冗談を言うような陽気な性格とあれば、女子たちが放っておかない。いつも彼の周りには女子学生たちが侍っていた。
「セレス様、少しお時間よろしいでしょうか」
メルは立ち上がり、彼に歩み寄っていた。
「今この子たちと話しているのが見えないのか? 困るんだが」
「大事な話なので、優先してもらえませんか?」
メルは真面目な顔で対応すると、セレスが「はいはい」と仕方がないと言わんばかりに折れたような態度を取る。
「あなたが提出した解答ですが、間違いだらけでしたよ」
「ああ、それか? 間違っていたのなら、メルが直せばいいだろう?」
「ですが、この問題が分からないと、セレス様が将来お困りになるのですが」
「別に私は困らない。君が分かっていればいいだろう? そもそも、私が領主になるのならともかく、女領主の補佐という私に全くうまみのない結婚なら、君がいるなら別に私には勉強は不要だろう? どうせ君は種馬さえいればいいのだから」
「そんな」
セレスは踵を返すと、彼の取り巻きたちが楽しそうに彼についていく。
メルは彼らの背中を見つめながら、もう一度ため息をつく。
「メル、大丈夫?」
「……ええ」
メルがセレスと婚約したのは、デビュタントを済ませた十六歳のときだ。
家柄が釣り合い、年頃も近いので、王家の勧めで整った縁組だ。
家を継ぐメルの伴侶としてセレスが婿入りする予定だった。
彼はメルと同じ領主科に在籍していたが、最初からセレスはこの婚約に不満そうだった。
「女領主のただのお飾りの伴侶だなんて、私に全く利益がない。侯爵家の私だったら、もっと良い家柄の令嬢と結婚できて、爵位を継げたのに」
「こんなキツイ顔で、暗くて地味な色の女とだなんて」
「勉強、勉強と婚約者がうるさい」
「無理やり領主科に入れられて辛い」
文句ばかりで、メルと仲良くしようともしない。
今日みたいに他の女子学生たちと話してばかりだった。
セレスの実家であるザルクリル家にも彼の素行について伝えたが、「君は後継者なのに二人の問題を今から二人で解決できなくてどうする」と冷たくあしらわれ、言っても無駄に終わっていた。
そんな婚約者に情など湧くわけもない。
しかも、本人から婚約継続の意思がまるで感じないので、メルだけが頑張る現状に疲れ切っていた。
メルは真剣に彼との婚約について悩むようにようになっていたが、王家が勧めた縁組を解消するのは非常に困難だった。
ところが、彼女の誕生日に事態は急変する。
この日、十八歳を祝うパーティーを昼から王都にある屋敷の庭園で盛大に開いていた。
そんな中、彼女の婚約者セレスが女性を伴って彼女に近づいてくる。
「メルソワール・ラステル。お前に話がある」
「まぁ、セレス様、挨拶もなしに一体なんでしょう? サラ様、今日はお越しくださりありがとうございます」
婚約者の腕にしがみつくように抱きついているサラナリアにメルは話しかける。
彼女はメルの異父妹だ。
普通なら主役を立てるために、主役よりも目立たないドレスや宝石を選ぶのがマナーだが、装飾品も大きく、フリルが多めな華やかな主役級の装いだ。
「今日をもってお前とは婚約破棄させてもらう!」
周囲に響くようなセレスの大きな声。その彼の宣言に招待客の談話はピタリと一瞬で止み、不気味なほどの沈黙が落ちる。
「婚約破棄ですか?」
「そうだ! そして、ここにいるサラ王女殿下と婚約するつもりだ!」
「ごめんなさいお姉様。でも、彼と愛し合ってしまったの」
サラが目をうるうるさせて上目遣いでメルを見つめる。扇子で隠している口元には、見下すような笑みが浮かんでいるが、メルからは見えない。
「そうですか。お気持ちは分かりました」
前から彼の気持ちが離れていたのは分かっていたが、まさかこんな対応をするとはメルは思ってもいなかった。
「二人が早く婚約できるように、当家でもなるべく手早く契約に従って処理しますわ」
色々と彼とはあったが、それでも相手の幸せを願い、落ち着いて対応する。
ところが、セレスは顔を歪める。
「なんて冷たい女なんだ! 婚約破棄されても涙一つ見せないとは。そんな女だから私はついていけなかったんだ!」
セレスの突然の罵倒にメルは目を丸くする。
「そう、その余裕ぶる態度! そんなところが嫌だったんだよ! 人を見下すその態度が! 侯爵家の私に偉そうに命令をし、自分の仕事を私にまでさせようとする。もうお前にはついていけない!」
「お姉様、可哀想にね。婚約者から愛想を尽かされるなんて。でも安心して、彼のことは私が大切にしてあげるから」
サラがいつものように憐憫の表情を浮かべて、メルに同情してくる。
「セレス様、あなたの発言には異議がございます。ですが、それは後々正式に当家から抗議させていただきます。それからサラ様」
視線をセレスからサラへと移す。
「本当によろしいのですか? 彼と一緒になっても」
メルは念のため尋ねていた。彼女の将来が彼との結婚で大きく変わってしまうからだ。
すると、サラは自信に満ちた表情を見せる。勝ち誇った笑みは、これからの不安など全くないように見えた。
「余計なお世話ですわ。私たちはお姉さまとは違って真実の愛で結ばれておりますもの」
どうやらサラの彼への気持ちは本物で固いようだ。潔くサラの決意を受け入れる。
「そうですか。どうぞ、お幸せになってくださいね」
メルがそう別れを告げると、二人は用が済んだとばかりに去ろうとする。
すると、一人の男性の声が響いた。シオンだ。
「この国では婚約破棄はこんな人前で、しかもよそのパーティーで行うのが常識なんですか? この国は法治国家で国王陛下ですら法には逆らえないと聞き及んでおりましたが、まさかパーティーの主役である伯爵令嬢をわざわざ貶めるなんて。我が国とは違うので驚きました」
「まぁ、貶めるなんてとんでもないわ。お姉様はセレス様に愛想を尽かされただけですもの。それに婚約破棄はいずれみんなに広まるもの。この場で手っ取り早く伝わったほうがお姉様のためですわ」
サラが振り返り、シオンに対して返答する。
真意を確認するためにシオンがメルに目配せしてきたので、メルはそのとおりだと彼に頷く。
「ヤナセタ様。常識ではないですけど、今回はサラ様のおっしゃるとおりです」
「ほらね。では、ごきげんよう」
今度こそ二人は去っていった。
「皆さま、お騒がせして申し訳ございませんでした。これにて当家とザルクリル家との縁組はなくなりました。サラ様と彼のこれからの幸福を祈っております。婚約破棄において私には一切非はありませんので、ご心配はございません。引き続きパーティーを楽しんでくださいね」
メルの説明に参加者たちは安堵し、彼女の寛容さを讃え始める。
すぐに場の雰囲気は元の祝福ムードに戻っていった。
※
メルには母親がいない。
だが、死んだ訳ではない。父親と母親が、メルが幼い頃に離婚したからだ。
その母親とは物心ついたときからずっと私的な場所では会っていない。
それは今いる王立のアカデミーに在学している現在まで至る。
メルの母親は双子の姉がいた。
メルにとっては伯母にあたる方が王家に妃の一人として嫁ぎ、メルの母親はラステル伯爵と結婚していた。
ところが、伯母は出産のときに赤子を残して亡くなってしまう。
数ヶ月前にメルを出産していた母親は、姪である王女のためにと乳母として名乗りをあげ、まだ赤子だったメルを伯爵家に残して王宮に出仕することになった。
それから二年後、母親は国王陛下と不倫関係になり、父親と泥沼の離婚騒動を起こす。
やっと離縁できても法律に従って半年後にしか再婚できなかったが、それでも母親は陛下の妃となった。そのときには、母親のお腹はかなり大きくなっていたという。
まもなく陛下との子供を母親が産み、異父妹のサラが誕生した。
メルが異父妹のサラと初めて会ったのは、メルが九歳でサラが七歳のときだ。
「はじめまして、おねぇさま」
ふわふわの子犬のように柔らかそうな金髪と可愛らしい顔を見て、メルは陛下たちが上の子たちよりも末子の彼女を溺愛する理由を知った。
「おねぇさまとサラのお母様は同じなんでしょ? なのに、サラだけお母様を独り占めして、一緒にいられなくて可哀想。おねぇさまは、お母様がいなくて寂しいでしょ?」
ただ単にサラは「同じ母親から生まれても私だけ母親から愛されていて羨ましいでしょう?」とマウントを取りたかったのだ。
「そんなことないですよ。今、私は家族や身内から愛されて幸せなんです。こうして心配してくれるあなた様も幸せでよかったです」
当のメルは「まだサラは幼いから理解が難しいのだろう」と考え、「ええーでもー」と駄々をこねるように自分の主張を続けようとしたサラの気をメルは話題を変えて逸らすことに成功した。
上手く躱されたサラの内心は面白くない。
今度こそメルに悔しそうな顔をさせてやるぞと決意して、次も呼ぶために「サラって呼んで」と愛称を呼ぶ許可をメルに与えて仲良くなったふりをする。
メルを呼び出したサラはよく自慢をしてきた。
「これ、国内でも有名なデザイナーが手がけた新作のドレスなのよ。予約すら取れないのにお父様は私にだけ特別に用意してくれたの」
そう言ってサラはクルリと身を翻してドレスをこれ見よがしに見せびらかしてくる。
でも、メルは特に羨ましくなかった。
国内で有名なデザイナーは、元はと言えばシオンの祖国からやってきた人で、そこでの流行りをフェルセナータ国にも持ってきただけだ。すでに親戚が融通を利かせて流行りのドレスを用意してくれたため、メルは何着か持っていた。
でも、メルはそう正直に言わなかった。
父親と再婚してできた継母との間に生まれた妹ヨルが、よくメルに「褒めて」とやってくる姿にサラがそっくりに映ったからだ。
「まぁサラ様、とてもお似合いですわ。良かったですわね」
そう言ってにっこりと微笑む。
メルの悔しそうな顔を見たかったのに再び失敗したサラは内心悔しかったが、それがバレたら負けを認めることになってしまう。サラが笑って誤魔化すので、表面的には仲良さそうに見えた。
他にも会うたびに王家御用達の品や、王宮で食べるお菓子など自慢されていたが、シオンがたまに顔を出すときに持ってくる土産のほうが珍しくて面白かったので、そのたびに普通に「良かったですね」とにっこりと返していたら、サラの恨みを逆に買っていたのだった。
次のサラの嫌がらせは、メルのデビュタントのときにあった。
なんとドレスを注文しようとしたら、予約でいっぱいだと断られてしまったのだ。
こっそりサラが裏で手を回して、メルの注文を受けるなと国王の権力を使って圧力をかけたのだ。
ところが、隣国にいる親戚のコネを使って最高級なドレスを用意できたばかりか、王族並みの装飾品を身につけて登場し、デビュタントの中でダントツに目立つことになり、サラの思惑は失敗に終わった。
しかも、メルは意地悪した国内の仕立屋ではなく、隣国の店を紹介したため、国内の店は閑古鳥が鳴く状態で、隣国ばかり儲かったという。
そのせいで、王家は商人から恨みを買ったのだった。
次のサラの自慢は彼女の十五歳の誕生会に招待されたときにあった。
サラは王家のみに受け継がれる宝石をつけてパーティーに現れたのだ。
「まぁ、あれは手に入れるのが現在では困難な宝石では? あんな大きさ見たことがない」
ネックレスの宝石が珍しいもので、王家が所有しているものだ。
「お姉様、ご覧になって。すごく素敵なネックレスでしょう? お父様にお願いしていただいたの」
実はもらったのではなく借りただけなのに嘘をついてでも、みんなの前で誇らしげなサラだったが、
「あら、確かラステル令嬢も同じような宝石をお持ちでしたよね? 以前、デビュタントのときに見事な宝石をつけていらっしゃったのを見かけたことがございますわ」
横から他の招待された同じ年頃の令嬢が、会話に入ってきたのだ。
「ええ、私の先祖で隣国から嫁いだ女性がいたので、その方の遺品の宝石が当家で代々受け継がれております」
「そのお話、存じていますわ。大国である隣国キンセンから皇帝の妹が嫁いだと有名だったとか。そんな高貴な方の所持品なら、さぞかし立派な品だったでしょうね。それに似たものなら、王女様の宝石もすごく価値あるものなんでしょうね」
「え、ええ、そうよ。すごく素敵なのよ」
話題を見事に掻っ攫われたサラは、内心では大変面白くなくてこめかみをピクピクさせながら笑うしかなかった。
次のサラの策略は、彼女が王立のアカデミーの淑女科に入学したときのことだ。
アカデミーには十六歳から入学ができ、進路に合った専門的な知識や技術を学べる。
「お姉様、私の入学のために、国の予算では賄えないからって、お父様がご自分の私財から特別に寄付をたくさんしてくださったの。お姉様のときはどうだったんですか?」
サラは経済マウントでメルを見下そうとしたが、メルはその内容を聞いて純粋に驚くばかりだった。
「まぁ、お父様が今年は沢山寄付してくれる方がいてアカデミーの補修工事がたくさん進んで助かると言っていたんですが、サラ様と国王陛下のおかげだったんですね。本当にありがとうございます!」
そのメルの反応に今度はサラが目を丸くする。
「どういうことなの? もしかして、お姉様のお父様とアカデミーは何か関係があるの?」
サラがおそるおそる尋ねると、メルは満面の笑みを浮かべる。
「そうなんです。当家が今期のアカデミー会長に任命されたので、運営にも関与しているんです」
「ど、どうしてお姉様の家が会長に選ばれたの? アカデミーは国立じゃない!」
「ええ、私のお父様の母親が、実は王族だったので、お父様も継承権はすごく低いですけど王族だからですよ」
「そ、それでは、お姉様も、実は王族の一員だったと……?」
「恐れながら、末席に置かせていただいております」
それを聞いてサラはブルブルと身体が怒りで震えそうになりながらも、なんとか作り笑いをすることに成功したが、内心では「敵にお金をあげたってこと!?」と大絶叫していた。
そんな失敗続きのサラが目をつけたのが、メルの婚約者だったのだ。
※
パーティーが終わったあと、メルは屋敷に戻って家族に事情を説明していた。
この広い談話室には、メルの家族だけでなくシオンもいる。
みんなソファに腰をかけていた。
「メル、大変だったね。何が地味な色だよ。黒い髪は艶があってとてもきれいだし、黒い瞳は闇夜のように神秘的なのに。しかも、すごく美人なのにね。君の価値が分からない男にはもったいない婚約だったんだよ。向こうから辞退してくれたと思ったほうがいい」
「ありがとうシオン」
シオンの慰めと誉め言葉にメルは顔が熱くなる。
「素朴な疑問なんだけど、なぜあんな男がメルの婚約者に選ばれたの?」
「それがね、王家の推薦があったからなの。でも、推薦があった割には能力が低すぎて、すごく困っていたのよね。私の補佐といっても、出産で私が不在のときに彼が代理になるわけだから、何も知らないでは困るのよ。だから、勉強をするように促しても、全然聞いてくれないし……。でも、サラ様のおかげでなんとかなりそう。ザルクリル家へ婚約破棄をしに行くつもりよ」
「そうか。でも、そんな男とあの王女が結婚しても大丈夫なのか?」
シオンは呆れた顔をしている。
「仕方ないわよ。真実の愛なんだもの」
メルだって、一応尋ねはしたのだ。
本当に彼で大丈夫なのかと。
セレスは侯爵家の七番目の子供で後継者ではなく、彼に与えられる爵位は仮にあったとしても相当低いはずだ。
アカデミーの領主科に在籍していたが、よほどメルとの婚約が嫌で、領主科のコースの勉強も嫌だったのか、法律系の単位をほとんど取らず、官職での就職すら難しい。
本人は身体を動かすほうが好きだと言っていたが、それならそもそも領主を補佐するのが前提である縁組など受けないで騎士科に進めば良かったのだ。
彼に前途ある未来は見えなかった。
それでも妹は彼が良いと言ったのだから、彼女の選択を尊重するつもりだ。
「ところで、メルは次の婚約者のあてはあるの?」
「次の? うーん、特にないけど、お父様は誰かいい人はご存知?」
メルの視線を受けて、メルの父親はゲフンゲフンとわざとらしい咳をし始める。
「メル、今度はお前の好きなようにしなさい。さぁ、若い子たちにあとは任せようか」
「そうね、あなた。ヨルも行きますわよ」
「はーい、姉様またね」
ゾロゾロといきなり家族三人がいなくなり、シオンと急に二人きりになる。
家族がいなくなった途端、シオンがメルの隣に移動して腰を下ろしてきた。
こちらを見つめる顔つきはひどく真剣で、息を凝らしたように慎重になっている。
「あの、メル。大事な話なんだ」
「う、うん」
シオンに気づいたら手を握りしめられている。
「急で申し訳ないんだけど、これ以上時間をかけたら、また別の男に盗られると思うと堪らないから言うね。良かったら、私と結婚してくれないか?」
「ええ!?」
「前から好きだったんだ!」
「ま、前から!?」
「ちょっと鈍いところも、優しいところも、全部好きなんだ!」
告白されたメルの顔は真っ赤だ。
「気持ちはとても嬉しいですわ。でも、シオン。あなたはうちに婿入りできるの? シオンはキンセン国の王子でしょう?」
腹違いの兄がいると言っていたが、継承権の高さを理由に他国への婿入りは難しいと考えられていたのだ。
だからこそ、メルは早々に初恋を諦めていた。
美男子で物腰が丁寧な異性が近くにいて、惹かれないわけがなかった。
「兄に子供ができたおかげで、継承権が下がって、やっと好きに婿入りしてもいいって許可が下りたから、こうして求婚することができたんだ。遅くなってごめん」
「本当に結婚できるのね。嬉しい」
シオンの胸の中にメルは思わず飛び込んでいた。
彼も嬉しそうに抱きしめてくれる。
「もう二度と他の男の手には渡さないよ」
それからメルとシオンの二人の行動は早かった。
横槍が入らないようにさっさとセレスと婚約を破棄し、間髪入れずにシオンとの婚約の許可を王宮に申し入れる。
これ以上、メルの実家が力をつけるのを嫌がった王家は難色を示したが、「最初の破談となった縁組は、王家の推薦だったので、二度目の婚約は好きにさせていただきたい」と強く主張できたので、王家の抵抗を回避することができた。
婚約は無事に認められ、年内の卒業と同時に結婚することになる。
婚約破棄からの新たな婚約、さらには結婚式の準備まで、忙しくなって妹のサラとはすっかり会わなくなり、元婚約者の存在は記憶の彼方へと飛んでいた。
そして、ついに迎えた卒業式。
この晴れの日にまたひと騒動が起きるなんて、メルは予想もしていなかった。
※
卒業証書の授与式が大講堂で終わり、学生たちが喜びの歓声をあげて盛り上がっている中、一人の男の声が響き渡る。
「メル、私とやり直そう! 私が間違えていた! 謝るから許してくれ!」
名前を間近で呼ばれてメルは驚き、声がしたほうを見れば、微かに見覚えのある顔があった。
「あら、あなたは……、もしかして、ザルクリル家のご令息ではなくって? 馴れ馴れしく何の用ですの?」
メルが答えるそばで、シオンが彼女を守るように立ち塞がる。
「いや、だから、私と……」
「警備員! 至急、この男を捕えろ! 部外者がいるぞ!」
シオンが叫ぶと、一斉に警備員たちが飛んできて、セレスを取り押さえる。
「ちょっと待てよ! 聞いてくれよ! あの女と婚約しようとしたら、王女じゃないって説明されたんだよ! しかも持参金もちょっとしかないって。私は騙されたんだよ! あんなただの伯爵家の庶子なら、相手にしなかったのに! メル、お願いだ! 私とやり直してくれ!」
セレスの発言でやっとメルは気づいた。彼の今回の乱行の原因に。
「あら、あなた。サラ様が王族ではないのが不満なの?」
離婚後半年の再婚禁止期間が法律にはある。
それにサラの出生は引っかかってしまったのだ。
「どういうこと? 王女殿下が王女ではないなんて」
周囲の学生たちがセレスのせいでざわめき始める。
すると、卒業式で参列していた学生の保護者たちが、ひそひそと会話しはじめる。
「妃殿下の再婚後にすぐに王女殿下がお生まれになったのよね。でも、離婚してから三百日以内の出生は前夫の子となると法で定められているから、そのせいで王女殿下は王族になれなかったのよね」
「そうそう。しかもラステル伯爵は、絶対に自分の子だと認めたくなくて、除籍の手続きまでしてましたよね。当時はその話題で持ちきりでしたわね」
メルの父は王宮の元妻の出入りや、元妻の帰省の履歴の有無など、根気よく証拠を揃えて、そもそも子供を作れるような接触を元妻としなかったと子供の戸籍異動を申し入れて受理させたのである。
「結局、妃殿下のご実家の籍に入られたんでしたよね」
「そうそう、それで庶子になってしまったのよ。子供には罪がないのに可哀想だったわね」
王族としての待遇は国から予算が一人一人に付くほど別格であり、その認定は厳格で、あとから養子にすることすら認められなかったからだ。
王宮でもサラを慮って彼女本人には秘密にし、国王の子には変わりないので、王女として大切に扱われていた。
この秘密は、サラが産まれた時期が時期なだけに、当時を知っている者は知っているが、わざわざ口外しないで済ませてきたのだ。
「妹はあなたとは真実の愛だと言っていましたわ。それなのに、庶子だと知って手のひらを返すなんて、あんまりではないですか?」
のちにセレスは不法侵入として逮捕されたようだ。進学できず、かと言って留年しても卒業は不可能だったので退学していたようだった。
王族であれば成人後に爵位をもらえたが、サラの籍は王族ではない。
サラをあてにしようとしたら、結婚前に実は王族ではないと知らされて、今回の騒ぎになったようだ。
こんな大勢がいる場で騒ぐなんて。
パーティーで婚約破棄を告げたセレスらしい酷い行動だ。
後日、メルは無事にシオンと結婚式を挙げて結ばれた。
当然ながら、サラはあんな騒ぎを起こしたセレスとは結ばれなかったようだ。
貴族の庶子なので、成人後には国王の庇護があるだけになる。そのため、先々を考えたら、王族か貴族と結婚するか、職を得て自立して暮らさなければならない。
アカデミーの淑女科に在籍していたのは、そのためだ。
しかし、国王の私費を寄付させて、将来もらえるはずだった自分の持参金まで減らしてしまったせいで、金銭的に折り合いがつかず、訳ありな王女の次の降嫁先がなかなか見つからないらしい。
サラの見栄っ張りで自慢ぐせについてメルは薄々気づいていたが、「もしかして見下されてる?」とやっと気づいたのは周囲の令嬢たちに「王女殿下のマウントがひどいですわね」と言われたからだった。
でも、仲が良いと信じていたからこそ鵜呑みにできなくて、メルはシオンに相談したのだ。
すると、彼から助言をもらったので、それを実行することにしたのだ。一縷の望みをかけて。
「婚約者に嫌われていて辛い。本当は仲良くなりたいのに」
そうサラの前で話したところ、あっという間に彼女はセレスに近づいて婚約破棄に繋がった。
やっぱりそうだったのね。
悲しみとともに分かった結論だった。
サラを意図的にそそのかしたことになるが、罪悪感は全くなかった。
普通なら姉の婚約者を略奪しようとは思わない。あそこまで性根が酷くなったのは、可哀想だとずっと両親に甘やかされ続けたせいだろう。
アカデミー卒業後にせめて仕事が見つかるようにメルは姉として密かに祈っていた。