作品タイトル不明
第百八十話 帰還の代償
大聖寺城砲撃戦を前にして、芋粥家は撤兵を許された。
総大将・長政の重症、精兵の大損失によって、
これ以上戦えないと判断されたからだ。
その代わりに秀政は鉄砲という代理戦力を用意した。
これにより信長も文句は言わない。
*
七月初旬。
長政は輿に乗せられて、大聖寺城を発つ。
少しの揺れも今の長政には堪えた。
農兵も離散し、常備兵や鬼兵が兵站も担う。
ゆっくりとした行軍であり、到着は八月初旬になるだろう。
加賀で一万二千の門徒を華麗に打ち破った芋粥軍であったが、
その帰路の行軍は敗残の軍にしか見えなかった。
*
七月二十四日。
大聖寺城砲撃戦と後に記されるこの織田報復戦は、
後世の史家たちに「地獄返し」と記憶される。
あの書状が残っていたからだ。
秀政は歴史に残る名言を作り出した。
また、上杉謙信がこの敗戦一つで、
冬を待たずに撤兵したのには裏があった。
織田側も後になって知ることになるが、この戦で、
謙信の後継者と見なされていた「上杉景虎」が、
鉄砲に撃ち抜かれて討死した。
織田はこの吉報に歓喜した。
実際信長もこの一連の出来事に、感情が激しく揺れ動いた。
まず、北陸方面軍からの速報――
これには誤報が含まれていたとはいえ、
丹羽長秀、芋粥長政の討死、能登・北加賀の喪失が伝えられた。
激怒。
そして
信じ難い。
この感情が訪れた。
柴田、丹羽、前田、佐々、芋粥。
織田北陸主力、そして織田家の中で最も強い方面軍の一つ。
それが手取川で崩壊した。
特に痛かったのが、丹羽長秀の討死。
政務・軍務・調整・忠誠。
その全てを備えた側近中の側近、
織田の背骨ともいえる男を失った。
芋粥長政、こちらは未来の柱であり、
芋粥という、もう一本の柱となりつつある、
秀政の忠誠が揺らぐ恐れすらあった。
激怒だけでなく、未来まで折れた感覚だった。
柴田失脚、北陸放棄、再遠征、責任追及。
その全てを考える必要があった。
そこに丹羽長秀、芋粥長政の生存が伝えられた。
誤報だったのだ。
信長は、まず――
安堵した。
丹羽長秀と芋粥長政の生存を聞き、
ここから織田はまだ立て直せると悟る。
だが能登、北加賀の喪失は事実であり、
怒りは消えない。
安堵・苛立ち・焦燥・再建欲。
様々な感情が混在した。
その気持ちを整理する傍ら、妙な話を聞く。
芋粥秀政の暗躍。
独自の判断で鉄砲千挺を“追加で”調達し、北陸に回すという。
信長は敗戦そのものではなく、敗戦後に何をするかを重視する。
秀政が、即動き、鉄砲千挺という突拍子もない対策をもって、
北陸を再建しようとする。
国家運営能力。
これは信長が最も好む力である。
ここで怒りが吹き飛んだ。
そして極めつけの大聖寺城砲撃戦。
上杉軍の戦死者は四千を数える――
もちろん誇張を含む数字ではある。
さらに謙信の心を折る上杉景虎の討死。
信長は勝敗よりも、その結果の威信を重視する。
手取川の大敗によって、上杉に軍神神話が生まれ、
「無敵の上杉」が印象付けられたばかりだった。
それが――
信長が最も好む合理・火力・防御・新戦術をもってして
討ち破り、軍神神話を即座に打ち砕いた。
信長が喜ばないわけがなかった。
織田は戦勝に沸き、柴田・丹羽は威信を完全に取り戻した。
*
ただ一人、この報を聞いて渋い顔をした者がいた。
秀政だ。
上杉景虎の討死。
これは後の御館の乱の不発を意味する。
後のこの乱は、上杉家の疲弊を招き、
国力損耗、北条との関係悪化、家臣団分裂を招く。
景勝政権不安定化の決め手だった。
だが、自らが関わった大聖寺城砲撃戦によって、
最も忌避したかったことを招いてしまった。
上杉景勝単独継承。
景勝は行政型、忍耐型、統制型の将だ。
国を維持する能力が高い。
家臣団の温存、北条との関係継続(むしろ景虎の仇討ちへの共感)、
国力維持、謙信遺産の円滑継承。
これらによって、軍神の後に、
安定型国家運営上杉が訪れる。
それは織田家にとって未来の暗雲以外なかった。
またしても秀政の一手が、
織田を強化すると同時に敵も強化した。
だが、この世界の人間に御館の乱が消えるであろうことを知る者はいない。
今、ここで起きていることが彼らにとっては正史なのだ。
誰にも共感されない不安を、秀政は感じていた。
*
八月八日、鈴鹿。
秀政親子が照り付ける太陽の下、汗を拭きながら待つ。
「見えました!」
兵が興奮気味に伝えた。
鷺山を先頭にゆっくりと進軍する芋粥軍が見えた。
明の方を見る。
我慢しながらも既に大泣きの明がいた。
「お明、ここは笑顔だ」
頭を優しくなでながら伝える。
「は、はい」
秀政の姿を見て、鷺山が馬から飛び降りて走り寄る。
そして跪き、声を震わせる。
「殿、申し訳ありませぬ。
この俺が付いていながら、若を危険な目に遭わせました。
兵も半数を喪うことに」
ゆっくりと肩に手を置き、穏やかに答える。
「鷺山玄蕃、よく長政を守ってくれた。
生きて戻してくれたことに礼を言う」
「殿……」
「お前が居なければこれだけの被害では済まなかっただろう。
お前の働きのおかげだ。ゆっくり休め」
「は!ありがたきお言葉!
それでは、このまま城まで先導します」
鷺山も安堵したか、目に涙を浮かべた。
それを隠すかのように馬に飛び乗り、進軍を再開する。
途中、加藤と福島に守られた輿が近づく。
そして一旦進軍が停止する。
担ぐ鬼兵がゆっくりと輿を下ろす。
そして添え木によって固められた足と腕を、
庇うように立とうとする長政に、加藤と福島が肩を貸した。
「義父上……」
「よう無事で帰った。
だが、まずは俺ではないだろう」
そういうと明の方に目を向ける。
ゆっくりと明の前に進み、右手を明の元に差し出した。
涙ながらに明がその手を握る。
「よくご無事でお戻りくださいました」
「這ってでも帰ると約束した。
まさか真に這うことになるとは思ってもいなかったが。
心配かけてすまなかった」
「は……さ……。あ……」
明は何かを一生懸命伝えようとしているが、涙と吐息で言葉にならない。
長政が右手で優しく明を抱き寄せた。
「積もる話がある。
こうやってお前の顔を見られることが、
これほど嬉しいとは思いもしなかった。
これからは時間がたくさんある。
また後でじっくり話そう」
「は……はい」
そこまで言うと、今度は秀政に向かい合う。
「義父上、勝ちきれませんでした。
あの大敗を義父上が覆されたと聞きました。
ありがとうございます」
「いや、俺の功など知れたものだ。
お前の戦働き、そして勇敢にも丹羽殿を救い出した働き。
俺はお前のことを誇りに思っている」
「ですが、義父上の大事な兵を半数も失ってしまいました。
それも父を救いたいという私の我が儘によって」
「そうだ。お前は芋粥の将として誤ったことをした。
失った兵に対して真摯に向き合え。
そして残された者たちのためにその身を尽くせ」
「はい……」
「だがな、長政。
お前は人としては正しいことをした。
もしお前が私情を殺し、実の父すら平気で見捨てるような、
冷たい男であれば今後、息子として見られなくなっていたかもしれん。
先ほども言ったとおりだ。
俺はお前のことを誇りに思っている」
「ち……義父上……。」
「ゆっくり休んで傷を治せ」
「はい」
「加藤、福島、よう守ってくれた。礼を言う」
「「は!」」
「長政が苦しそうだ。鈴鹿館まで運んでやってくれ」
「お任せください」
そういうと肩を担いで長政を輿に乗せる。
再び進軍を開始した。
(皆、良く戻ってくれた。
はぁ、だが現実問題、ここからの立て直しが急務だ。
俺は……たかが二十五万石程度の大名なのだ。
これだけの消耗だけで、もはや続けての戦すらできぬほどに弱い。
鬼兵・常備兵すら六千が限界だ。
これでは天下など、ほど遠い)
「皆、ここは暑い。我らも先回りして鈴鹿館に戻ろう。
長政を久々の我が家に迎え入れてやらねばならんからな」
「「はい」」
この遠征は芋粥にとって厳しいものとなった。
だがこれによって長政は大いに成長した。
それが唯一の救いであった。