軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第百二話 堂々たる帰還

那古野城。

春の風が、白壁を撫でていた。

城門がゆっくりと開く。

芋粥秀政の軍勢が、整然と城内へ入る。

鬨の声はない。

ただ、規律ある足音。

槍の穂先が揺れ、

旗が風にたなびく。

勝った。

武田赤備えに対して奇跡とも言える大勝。

那古野へは誇張された戦果が堂々と流されている。

城下の湧き具合とは裏腹に、

地獄を垣間見た芋粥軍は黙々と進む。

七百余が戻らぬ。

城門をくぐった瞬間――

那古野が動いた。

那古野城、二の丸政所。

「軍中死者書付をこちらへ」

浅野清隆が低く言う。

広げられた名簿。

政成が横に座り、

家ごとの記録と照合していく。

「この者、家督は嫡男が継ぐ」

「この家は弟がいる。扶持継続」

「この足軽は独身……記録のみ」

淡々と。

感情を挟まぬ。

だが筆が止まる時がある。

焼死者。

判別不能。

一括記録。

名も顔も失われた兵が、

ただ数字になる。

名のある者は遺体を持ち帰った。

足軽は記録と供養のみ。

戦とは、そういうものだ。

城下の寺院。

住職の好意により臨時の療養所とさせてもらっている。

「重傷者を優先せよ!」

浅野が軍医と薬師を集める。

血の匂いが、まだ残る。

うめき声。

縫合の音。

薬を煎じる匂い。

「この者は長期療養だ。扶持は継続」

「軽傷者は十日後に再訓練へ」

軍務の要として、

浅野は休まない。

休めない。

首実検。

赤備えの首が並ぶ。

浅野が管理し、

政成が査定する。

秀政自ら首実検を行う。

戦果が確定していく。

「甘利兵部少輔信房――確認」

特別扱い。

丁重に包まれ、保管される。

これらは岐阜へも運ばれる。

武具の損耗。

馬の死亡数。

鎧の破損。

補充すべき物も多い。

そして、軍役帳の更新。

「七百三十二」

浅野が呟く。

欠員。

重い数字。

「徴募を始める。

素性を調べよ。

質を求めよ」

浅野が配下の足軽大将にも指示を出す。

「部隊を再編成し、

訓練計画を練り直せ。

騎馬の補充を急げ」

勝ったと言っても、軍は減る。

軍の再建は急務。

武田はまだ生きている。

二の丸、政成にあてがわれた一室。

政成の筆が止まらない。

「扶持米は継続」

「香典米は三石追加」

「この家は再配置」

育休中のお悠に代わり、

勘定は政成が兼務する。

遺族への通知。

家中の再配置。

泣く者。

頭を下げる者。

無言の者。

勝利の裏で、

家は揺れる。

政成は静かに言う。

「殿は必ず、家を守る」

それだけが支えだ。

勝利は、

次の戦の準備に過ぎぬ。

秀政は本丸の縁側に立つ。

城内が忙しく動く。

声。

足音。

紙をめくる音。

堂々たる帰還。

(俺には別の役目がある。

殿へ報告が必要だ。

これを功と認めさせ、俺は昇らねばならん。

それこそが働く者ども、死んでいった者どもへの

俺の責任だ。

だが、その前に……お悠と子たちに会いたい)

千種屋屋敷。

門前に着いた時、秀政は一瞬足を止めた。

那古野城では将であった。

だがここでは、ただの夫であり、父だ。

門が開く。

そこに――

お悠。

明。

蘭。

松丸。

四人が並んでいた。

武田信玄の本軍との戦い。

正直、お悠は最悪の覚悟もしていた。

秀政が帰らぬやもしれぬと。

それでも戻った。

奇跡とも言える戦果をもって。

お悠の目が潤む。

そして堪えきれず、駆け寄った。

「おかえりなさいませ」

秀政はその体を受け止める。

細い。

だが確かに温かい。

「ただいま。必ず帰ると伝えたであろう」

「はい。信じておりました。

必ずや帰ってきていただけると。

……やはり鬼は虎を退治しましたね」

涙を浮かべながら、笑う。

秀政も小さく笑った。

「あぁ、お悠のあの甲冑のおかげでもある」

あの鬼甲冑。

あれが兵を奮い立たせた。

お悠の願いが、あの戦を支えた。

視線を落とすと、明と蘭がじっと見上げている。

秀政はしゃがみこみ、二人を抱き寄せた。

「心配かけたな。

父は鬼備前だ。

強いんだ。

武田なんぞには負けぬ」

明が真っ直ぐに答える。

「はい!父様は強くて優しい鬼でございます」

蘭も小さく頷く。

秀政は二人をさらに抱きしめた。

戦場の匂いが、少し残っている。

それでも、二人は嫌がらない。

そして最後に松丸。

少し離れたところで、不安そうに立っている。

「ちち……さま?」

声がまだ幼い。

「あぁ、そうだ。父様だぞ。

お前のつよーい父様だぞ」

抱き上げる。

ぐずらない。

じっと見つめる。

「つよい?」

「そうだ。強い父様だ」

「つよいつよい!」

嬉しそうに笑う。

その笑顔を、しばらく胸に抱いた。

戦場で死んだ兵の顔が、ふとよぎる。

(俺は、生きて戻った)

ゆっくりと松丸を下ろす。

そしてお悠を見る。

「すぐに岐阜へ発たねばならん。

その前に話がある。

明、蘭。

お前達は松丸と遊んできてくれ」

「「はい」」

子らが奥へ走る。

静かな部屋。

お悠と向かい合う。

「蘭と松親のことだが」

「はい」

お悠の声は穏やかだ。

「お前はあの縁組の話に乗り気だったようだが」

「いえ、別にそのようなことは。

弥八様のご判断にお任せします」

(……いや、あの顔は賛成だったろうに)

秀政は小さく息を吐く。

「蘭には別の者を考えている」

一瞬、お悠の表情が曇る。

(ほれみろ。やはり気にしておる)

だが、続ける。

「これから殿に許可を求める。

蘭は――千種屋に嫁がせる」

「え?」

「千種屋松之助の嫡男、松太郎だ。

いずれ千種屋を継ぐ。

芋粥と千種の絆は強まる」

お悠は静かに聞いている。

秀政は続けた。

「それはそうだが、俺はな。

蘭が、ずっとそばにいてほしいのだ。

他家に渡せば人質になる。

場合によっては命も危うい。

ならば千種屋だ。

商人ならば贅沢もできよう。

松太郎と蘭は仲も良い。

いずれ孫たちにも気軽に会いに行けよう。

俺は子らを政略には使えぬ。

蘭の幸せを、どうしても先に考えてしまう」

この縁組は政略で見ても大正解だ。

だが、秀政は政略ではなく、

蘭の幸せを第一に選んだつもりでいる。

この選択は子を愛する父としても正解だ。

お悠の表情が、ゆっくりと晴れる。

「ふふ……分かりました。

殿にお任せいたします」

その笑みは、心からのものだった。

秀政の家族を想う気持ち。

娘を道具としない姿勢。

それが何より嬉しかった。

この時代では異例だ。

女が幸せになれないことも多い。

お悠は自身が幸せを感じている。

だからこそ娘にも同じ幸せを感じてもらいたい。

秀政はお悠が感じた幸せを蘭にも与えようとしている。

反対する理由がない。

「そうか、賛成してくれるか。

ならば殿に許可を求めてくる」

「松親が拗ねそうですね」

「そうだな。

だが大殿の命なら、仕方あるまい」

二人は顔を見合わせ、笑った。

戦場の緊張が、ようやくほどける。

秀政は立ち上がる。

「では、行ってくる」

「はい。お気をつけて」

門を出る。

那古野の空は澄んでいた。

次は、岐阜。

岐阜城 御座所。

上段の間に呼ばれるかと思ったが、

御座所に通される。

信長と二人きりになった。

いわゆる非公式な会談だ。

緊張感が襲う。

「子細は既に又左から聞いた。

想像以上の戦果だ。

褒めてつかわす」

「は!」

「しかし、派手にやったな」

(あ……千五百貫の事を言ってるな……)

「はい、派手にやりました。

おかげで武田に大打撃を与えました。

そして奴らは織田の豪快さに恐れをなして、

尻尾を巻いて逃げ出しました。

千種屋が 金子(きんす) 含めて、

全面的に協力してくれました」

「ほう、千種屋か。

それゆえ、あそこまで派手にできたか」

信長が上機嫌に笑う。

「殿、実はご相談したきことが」

「何だ?」

「千種屋と芋粥は深く縁があり、このように

織田や芋粥に大金を供与してくれます。

また千種屋は鉄砲、火薬を商っており、

今後も使い道があります。

さらに縁を深めて、

織田と芋粥に組み込むため、

我が娘、蘭と千種屋の縁組をお許しいただきたく」

「許す。

芋粥として千種屋を織田に強く縛り付けておけ」

「は!

千種屋から搾りとってみせます、ははは」

信長も上機嫌だ。

そして話を続けた。

「芋、お前のこの功は、ただ千の赤備えを討ったことにあらず」

「どういう意味にてございましょうか?」

「豊川の勝ちは一当ての勝ちではなくなった。

この勝ちによって、武田は撤退し、

信玄が死んだという噂も立った」

「……信玄は元々、重い病に臥せっていたはずですが」

「そうだ。

だが、我が織田を包囲する輩どもには、

織田が武田を撃退し、甲斐に押し返したと伝わった」

「そこまで影響が及びましたか?」

「そうだ。

敵は皆、一時的ではあるが、

動きを止め、様子見に入っている。

ゆえに、今年長島に大軍を向けて終わらせる」

「な、なんですと」

(待て、一年早いぞ。第三次の代わりに第二次で終わらせる気か?

れ、歴史が……変わった?!)

「芋、お前は伊勢惣奉行として長島に参戦せよ。

兵站を整えよ。半年後だ。」

「は!」

「それとお前を御座所に呼んだのには、他に話がある」

「な、何でございましょう?」

「長島を成敗した暁には、お前には家老格として、

然るべき軍権を与える。

働け」

「は!」

(どこかの地方方面軍司令になる……ということか?!)

「行け。長島での戦功を期待する」

「は!」

秀政は頭がぐるぐるとなりながら退出した。

(お、俺は歴史の改変をしてしまった……?)