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病弱で可憐な幼馴染を優先する婚約者のリアリストな弟が、怒りを露わにした結果

作者: 録宮あまね

本文

僅か十歳で婚約が決まりました。

そしてその日に、婚約者のセドリック様がこう仰いました。

「貴女に紹介しておきたい女性がいます」

不安な面持ちでセドリック様を見上げると、彼は緩く笑っております。

「心配しなくても大丈夫です。幼馴染の女の子で、体が弱くて外に出られないから、定期的に彼女の邸に行って遊んであげているのです」

「お友達……ですか?」

「はい。友人ですが、三つ年下で僕にとっては妹みたいな存在です」

「わたしもセドリック様より年下ですが」

「貴女はしっかりしているし、妹には思えません。だって僕たち、婚約したんですよ?」

「……そう……ですね」

政略結婚ですが、と言いそうになり、すんでのところで止めました。

セドリック様は名家の侯爵令息。わたしは伯爵令嬢。家柄的に釣り合いがよく、父親同士が有益になるという理由で結ばれた婚約です。

でも、不満などは全くありません。彼の温和で優しい性格は、好ましいと思えました。

幼いながら、この方のために尽くそうと心に決めたのです。

数日後、わたしは言われるがまま、セドリック様とともに彼の幼馴染に会いに行くことにしました。

彼の幼馴染は、男爵家の一人娘です。

邸のメイドに案内してもらい、彼女の部屋の前まで移動すると、苦しそうな咳の音が聞こえてきました。

セドリック様は慌てて部屋に入ります。

「ケホッ、ケホッ……」

「大丈夫ですか、ルー」

そう言って、彼はベッドの上で咳き込む彼女の背をそっと摩ります。

「……大丈夫よ。ごめんなさい。いつも心配をかけて」

彼女はセドリック様に弱々しく微笑み、それからわたしに視線を向けました。

「あなたが彼の婚約者のライラさんですね。わたくしはルーシー・スミスです。ライラさんは、見たところとても健康そうで羨ましいですわ」

見た目も声も可愛らしいルーシーさんですが、口調は八歳の割に大人びています。

「ルーシーさん、初めまして。わたしのことはセドリック様から?」

「ええ、勿論。わたくしがこんなだから、あなたに迷惑をかけてしまってごめんなさい。セディのこと、どうかこれからよろしくお願いします」

彼女はそう言って、わたしに頭を下げました。

セディ…… 。

幼馴染なのだから、愛称で呼び合っていてもおかしくはないのですが、なんだか少しだけ胸が痛みます。

「はい。ルーシーさんはお体を大切に……」

わたしは微笑し、そう返しました。

◇◇◇

そうして、八年の歳月が過ぎました。

まだ結婚はしておりませんが、侯爵家に馴染むようにと、わたしは頻繁に侯爵邸に通わせていただいております。

本日も侯爵邸で、セドリック様と夕食をともにしていました。

執事が急にやってきて、彼に耳打ちします。

「ライラ、申し訳ありませんが、ルーのところに行ってきます」

「ルーシーさんの具合がよくないのでしょうか?」

わたしはナイフとフォークを置き、彼に尋ねます。

「そのようです」

「分かりました。どうぞお気をつけて。ルーシーさんにも、お大事にとお伝え下さいませ」

彼は頷き、急いで席を立ちました。

ほとんど手をつけていない目の前の彼の料理のお皿を見つめて、わたしは小さく息を吐きます。

ルーシーさんに初めて会ったあの日から、こんなことがずっと続いているのです。

『わたくしがこんなだから』

不意に、彼女の言葉を思い出しました。

では、彼女が病弱じゃなかったら?

セドリック様はそれこそ彼女を選ぶのではないでしょうか。妹のような存在だと仰いましたが、本当は……。

わたしは慌てて首を左右に振ります。

疑うなんて、彼を信じていない証拠です。

「食事中に百面相……。兄さんはまたルーシーのところ?」

側に呆れた顔をしたクライド様が立っていました。

クライド様はセドリック様の弟君で、年齢はわたしより一つ下です。

「ええ。セドリック様はルーシーさんのところへ行かれました。クライド様、今日も遅かったのですね。お帰りなさいませ」

「ただいま。と言っても、少し前からいたんだけどね」

「お仕事、お疲れ様でした」

「別に。好きでやってるんだから、疲れたとか思わないよ」

上品で綺麗な顔立ちをしている割に、口調は案外ぞんざいです。

彼は王立院の研究所で、わたしが理解できないような細胞の研究をしています。

この若さで研究員として働いているのは、特例らしいです。

「ああ、お腹すいた。俺も一緒に食べていい?」

「はい」

メイドがセドリック様のお皿を下げ、新しい料理を運んできました。

「このスープ、美味しいね。そら豆? こっちの鶏肉にかかったソースも美味しい。先に蒸したのか、柔らかいね」

クライド様はブツブツ言いながら、美味しそうに食事を口に運びます。

それはもう見ていて、気持ちがいいくらいの食べっぷりで。

おかわりまでしています。

わたしも慌てて食事を再開します。

◇◇

数日後、訪れた侯爵邸のエントランスで、セドリック様にぶつかりそうになります。

「セドリック様? 慌ててどうされたのですか?」

「ああ、すみません。ルーに呼び出されてしまったので、今から行ってきます。お茶会に招いておきながら、本当にすみません」

「いえ、大丈夫です。気をつけていってらっしゃいませ。それでは、わたしはこれで失礼します」

一礼して邸を去ろうとしたわたしを、セドリック様は驚いた表情で引き止めます。

「何故ですか? 折角来たのですから、中でお茶を飲んで行ってください。もうお菓子も用意していますから」

「でも……」

彼がいないお茶会なんて、また暗い気持ちになってしまいそうです。

気が進みません。

「遠慮しないでください」

セドリック様は笑顔でそう言うと、わたしを邸に促しました。

そして、ご自分は馬車の方へ行かれました。

本当に急に呼び出されたのでしょう。

部屋に入ると、お茶会の準備は整っていました。

テーブルの上には、焼きたてのスコーン、三色クッキー、木の実のパイ、つやつやのチョコレートケーキ、フルーツサンド、エトセトラ。お花も飾られています。

メイドがすぐにお茶を入れてくれました。

お茶は温かく、とても美味しい。けれど、自然と瞳が潤んできます。

「今日は一人でお茶会? 一緒してもいい?」

顔を上げると、クライド様がまた側に立っていました。

「はい、勿論です」

わたしは気づかれないよう俯き、急いで目を擦りました。

「……えっと、クライド様は、今日はお休みですか?」

「そう。少しは脳を休めないとね」

彼はメイドから直接ティーカップを受け取り、カップに口をつけます。

「昨日さ、雨が降っていたでしょ。雨が上がった直後に、小さな雨蛙が窓から研究室に飛び込んできたんだよね」

クライド様は、急に脈絡のない話を始めました。

「雨蛙、ですか?」

彼は頷き、話を進めます。

「丁度実験体が欲しかったから、あまりのタイミングのよさに驚いたよ。可愛らしい天からの恵みだな、と。本当にありがたい話だよね」

「え?」

わたしは彼を凝視したまま固まります。

「何? そんなに青褪めた顔をして」

「だって、可愛らしい雨蛙を解剖するなんて……酷いです」

「解剖するなんて、一言も言ってないよ。投薬の実験で、その薬も別に害のあるものじゃないし」

「あ、ああ……そうだったのですね。よかったです。実験だと聞いて、早合点してしまいました」

「ははっ。今度は顔が真っ赤だ。つまらない話なのに、君はいつも反応が面白いね」

クライド様は破顔しています。

彼と話をしているうちに、涙もどこかへ吹き飛んでしまいました。

◇◇

数週間が経ちました。

本日は、セドリック様とクライド様と三人でランチの予定です。

天気がよく、薔薇が美しいので、広い庭園でちょっとしたパーティーを開くことにしました。

準備が整うまで談笑しながら待っていると、執事が慌てた様子で駆けてきます。

嫌な予感がしました。

執事は小声で何かセドリック様に伝えています。

「ルーがまた発作を起こしたようです」

そう言って、セドリック様は俯きました。

やはり予感が的中しました。

わたしは、微笑みながらいつもの台詞を返します。

「分かりました。気をつけて行ってらっしゃいませ」

「兄さん、ランチは?」

クライド様が瞠目して尋ねます。

「ルーが苦しんでいるのに、ランチなんてとっている場合ではないでしょう」

「あ、そう。兄さんは優しいね」

「貴方はいつもそう言いますね」

セドリック様は微かに笑います。

「……ずっと嫌味で言ってるんだけど」

クライド様は、彼に冷たい眼差しを向けました。

そして言葉を続けます。

「あのさ、いつも思ってたんだけど、兄さんがルーシーのところに行って、どうなるっていうの? 酷なことを言うけれど、病弱な幼馴染を優先したって家のためにはならないよ。大体、ずっと兄さんに尽くしてきた 婚約者(ライラ嬢) を放置して、一体どういうつもり? ルーシーを妾にでもするの? 体が弱いんだから、彼女では家の跡取りとなる子供を産むことはできないよ」

「そんなつもりはありません。貴方は、頭はいいですが情がなさすぎます」

セドリック様の言葉を聞いたクライド様は、ゆっくりとわたしを見ました。

「そうかな。健康的で優しい婚約者の彼女が蔑ろにされて、病弱で我儘なただの幼馴染が優遇される。そっちの方がおかしいよね。ライラ嬢はルーシーの元へ行く兄さんをいつも笑顔で見送っていたけど、見えないところでは泣いていた。可哀想なのはどっち? 兄さんは少しも優しくなんてないよ。無神経だ。そんなに 幼馴染(ルーシー) が大事なら、この家を出てずっと付ききりで彼女の側にいたらいい。いっそのこと、家を捨てて彼女と一緒になったら? 家は俺が継ぐよ。ライラ嬢も俺が貰う」

「何を……。僕は家を出るつもりなんてありません。大体貴方は次男でしょう。家を継げても爵位は継げません」

クライド様は返答せず、セドリック様を鋭い眼差しで見つめています。こんなに感情を露わにしたクライド様を見たのは初めてです。

聡いクライド様ですから、ご自分が侯爵の爵位を継げないことなど百も承知でしょう。

わたしのために発言してくださったのだと、すぐに分かりました。

わたしは大きく息を吐きます。

「セドリック様、わたしは今この時をもって、セドリック様、そして侯爵家との縁を切ろうと思います」

「え?」

わたしの言葉に、セドリック様は驚きの声を上げます。

「セドリック様もクライド様も、わたしのことを思いやりがあり、優しい女性だと思っていたのでしょうけれど、そうではありません。そう思われたくて、自分の感情を表に出さなかっただけです。人並みに、いえ、人並み以上に心の中は不満でいっぱいでした。婚約はこちらから破棄いたします。セドリック様にも非があると思いますので、慰謝料を払う必要はありませんよね。寧ろ八年もの歳月を無駄にして、こちらが払っていただきたいくらいです」

淀みなく、言葉は驚くくらいすらすらと出てきました。

ずっと、はっきりとこう言ってやりたかったのだと、言葉に出して初めて気づきます。

「待ってください。僕は貴女を愛しています」

セドリック様がそう言って、わたしの手に触れました。

「触らないでください。いつもルーシーさんに触れている手で」

わたしはセドリック様の手を払います。

「 伯爵(お父上) が困りますよ。勝手にこんなことをして、一体どう思われるか……」

セドリック様は、慌てて言葉を紡ぎます。

「父にはきちんと話します。勘当されても構いません。幸い、貴族学校でたくさんのことを学ばせていただきました。帳簿をつけたり計算したりすることは得意ですから、町に出れば、きっと働き口はあると思うのです」

「そんな、そこまで……」

セドリック様は呟き、項垂れます。

「クライド様、正直な気持ちを伝えるきっかけをいただき感謝しています」

「俺は自分が思っていることを言っただけだよ」

彼はいつもの軽口で返します。

わたしは再びセドリック様に向き直ると、笑顔で彼に最後の言葉を告げました。

「どうぞお気をつけて、ルーシーさんの元へ行ってらっしゃいませ」

そうして、晴れやかな気持ちで深々と頭を下げ、侯爵邸を後にしました。

自邸に戻り、父にこれまでのことや自分の気持ちを正直に話しました。

意外なことですが、父は分かってくれて、婚約は正式に破棄されることとなりました。

実は父の両親も政略結婚だったらしく、長年二人の冷めた関係を見てきて、愛のない生活がどれだけ辛いか理解していたようです。

もっと早くに相談していればよかったと、ただそう思いました。

◇◇

それから、数週間が経ちました。

侯爵家とは縁を切ったというのに、クライド様はなぜか頻繁に我が家を訪れてきます。

「わたしはもう大丈夫です。ですから、同情や心配は無用です」

わたしは彼にはっきりと、そう伝えました。

「同情なんかじゃないよ」

クライド様は不快そうに目を細めます。

「あの時言った、俺が貰うって言葉は本気だから」

「え?」

「ずっと、君のことが好きだった。君は自分のことを優しくないと思っているかもしれないけれど、そんなことはないよ。君はいつだって自分より他人の気持ちを優先していた。それは絶対に偽りなんかじゃない。侯爵夫人になるために、兄さんのために、ずっと努力していたことも知っている。物心がついたころから、君は兄さんの婚約者だったから、姉になる人だと自分に言い聞かせて、俺は自分の気持ちを押し殺してきた」

クライド様は、熱のこもった瞳でわたしを見ています。

驚きました。

「わたしはクライド様をそういう目で見ていません」

「うん、分かってる」

彼はそう言って、わたしの手に触れます。

「クライド様?」

「嫌?」

わたしは左右に首を振ります。

「顔が赤い。体の方が正直だよ。あのさ、もうすぐ博士号が取れるんだ。陛下から爵位も貰えると思う。 侯爵家(あの家) は継げないけれど、俺じゃダメかな。何年でも待つから」

クライド様はそう言って、わたしの頬に口づけました。

「ひゃあ!!」

「ひゃあって……」

クライド様は笑っています。

「なんで? 今、キス? 何年でも待つのでは?」

わたしは頬を押さえたまま抗議します。

「不快?」

「………いいえ」

やはり体は正直なのかもしれません。

触れられた頬は熱く、恥ずかしさで俯いたまま顔を上げられません。

◇◇◇

二年後、既に博士号を取得していたクライド様は、研究の多大な功績が認められ、仰っていた通り、国王陛下から伯爵の爵位を賜りました。

わたしはクライド様と結婚して、幸せな生活を送っています。

セドリック様は、わたしが去ってからお酒に溺れ、体を壊したようです。

手が震え、文字を書くのも難儀しているとか。

体を壊したセドリック様と、度々発作を起こすルーシーさん。

子は持てなくとも、二人の間にあるものが愛だと認め、共に生きていけばいいと思います。

ベッドを並べ、最期の時まで……。

今でしたらお似合いの二人だと、心から祝福してあげられます。