祝福の空に鳥が鳴く
作者: 伽藍
本文
ピィ、チチ、と軽やかな小鳥の鳴き声が響いた。アニータ・キャドバリーの使い魔の声である。
王立学園の期末パーティーには多くの生徒や保護者たちが集まっていたが、使い魔を連れているのはアニータだけだ。この国は全体的に人びとの魔力が少ないので、使い魔と恒常的に契約できるほどの魔力を持つものは少ないのである。
視線が集まるのを感じて、アニータは慌てて使い魔の頭を抑えた。
「シーちゃん、静かに」
そっと囁けば、可愛らしい青い小鳥が不満げに黙った。そっと嘆息する。
一度使い魔のシアンが離れている間にアニータが悪意に殺されかけてから、何を言ってもシアンが離れなくなってしまったのである。くるくると小さく喉を鳴らしている小鳥を、アニータは頭を撫でて宥めた。
パーティーでは婚約者同士や友人同士などでまとまっているが、アニータは一人である。学園でも飛びきり身分の高い婚約者に嫌い抜かれているのと、男爵令嬢でありながら身分の高い婚約者を持つアニータへの嫉妬から、アニータにはただの一人も友人などいないのだ。
この会場には両親と同い年の異母姉もいるはずだが、彼らもアニータとなど一緒にいたくなどないだろう。世間に愛人の子とされているアニータは、男爵家の人びとにとって厄介者でしかないのである。
他の生徒や保護者がすでに取り分けたものを慎重に見極めて、アニータはちまちまとバイキング式の食事を拾った。アニータが体調を崩しても気にかけてくれるものなどいないからだ。
会場の一角で華やかな笑い声が上がって、その中心ではアニータの婚約者が楽しげにしていた。この国の第三王子であるシミオン・デューイである。
アニータの婚約者であるはずのシミオンは、ただの一度もアニータのエスコートなどしたことがない。
チチ、と再びシアンが鳴いた。シアンが急激に機嫌を悪くしたのを察して、アニータは慌ててシアンを抑えた。
「外の空気を吸いに行こうか、シーちゃん」
囁いて、外に足を向けようとしたときだった。突然、後ろで誰かが声を張り上げた。
「待て、アニータ!」
横柄な物言いの少年を、アニータはとても不本意だけれどよく知っていた。婚約者であるシミオンである。
第三王子が声を上げたことで、さっと会場の人混みが割れた。自然と注目を集めたアニータが、左手でそっとシアンを抑える。
「ご機嫌よう、殿下」
「お前、とうとう本性を表したらしいな!」
ひどく得意げに言われて、アニータは眉を潜めた。今までにさんざん言いがかりをつけられ続けているので、シミオンとアニータでは会話が成立しないことを知っているのである。
それでも、アニータは口を開いた。男爵令嬢が第三王子を無視するのは不敬だからだ。
「……何のことでしょうか」
「街で随分な色男と歩いていたそうじゃないか、王宮に匿名で写真が送られてきたぞ! 俺に相手にされないからと言って他の男に走ったのか、男好きは姉の旦那の子どもを作ったというお前の母親譲りだな!」
それはもう意気揚々と糾弾されて、アニータは毒づきたくなるのを堪えた。
アニータは、キャドバリー男爵と、その愛人であり男爵夫人の妹である女性との子どもである。
そう言われているが、実際には異なる。男爵家に嫁いだは良いものの五年経っても姉が妊娠しなかったことから、子どもを産むためだけに妹が相手をさせられたのだ。
年の離れた姉妹だったから、そのとき妹は十四歳だった。好きな男がいたし、その相手と婚約する寸前だった。
そういう何もかもをぶち壊して、アニータの母方の祖父母は男爵家に妹を売り渡したのである。
幸か不幸か妹つまりアニータの母はすぐに妊娠したが、同時に男爵夫人である姉も遅まきながら妊娠したことで話がややこしくなった。結局のところ男爵家は、姉の娘を嫡出子として、妹の娘を非嫡出子として扱うことにしたのだ。
十四歳の体で子どもを孕んだアニータの母は産褥死したから、こういう色々なことをアニータに教え込んだのは養母となった男爵夫人やその娘である異母姉だった。男爵夫人は自分の立場を脅かした妹がとにかく気に入らなくて、その娘であるアニータのことも憎み抜いているのである。
ましてその憎み抜いている妹の娘が第三王子の婚約者になどなってしまったのだから、反応など考える必要もなかった。アニータが悪評塗れであるのは、婚約者である第三王子と家族である男爵家の影響が大きかった。
そういう色々な事情があったし、アニータは言い返したかったのだけれど、結局は口を噤んだ。今までの人生で、アニータの言い分を信じる人間などただの一人もいなかったからである。
アニータと歩いていたという色男にも心当たりがあった。とある高貴なおひとで、大切な客人であった。
客人への接遇を命じたのは王家だったのだけれど、第三王子はそのことを知らないのだろうか。
考えてから、無意味なことだ、とアニータは諦めた。第三王子が事実を知っていようとも知らなかろうとも、アニータを貶めたくて仕方ないのは変わらないことだからだ。
「言い返さないということは、不貞を認めるということだな!」
第三王子は大得意にそう言ったけれど、アニータは何も返さなかった。今までアニータの言い分を何もかも叩き潰してきたのは第三王子である。
けれどさすがに、次の展開は予想外だった。
「そもそも第三王子である俺の婚約者が男爵家の、しかも卑しい愛人の娘であるというのが異常だったのだ! 少しくらい魔法が得意だからといって立場を勘違いするな! このうえ不貞などとは許しがたい、この女を処断しろ!」
アニータは、王族といっても王太子ではない第三王子相手であれば、せいぜい婚約破棄されて貴族社会から放り出されて終わりだろう、と思っていたのだ。命まで奪われかねない事態になるとは思っていなかった。
第三王子からの命令に対して、騎士たちに躊躇う様子はなかった。裁判もせずに処断するのはさすがに横暴であるとか、そもそも事実であるかどうかを確かめるべきであるとか、彼らにそういう考えはないのである。
堪らず、アニータは声を上げた。
「――シーちゃん!」
ピィィィ! と手のひらに乗るような小さな小さな小鳥が声を上げた。
「チンケな使い魔など何の役に立つか、たたき切れ!」
四人の騎士たちが一斉に剣を抜き放って襲いかかってくる。少女一人と小動物一匹に対して、随分と物騒なことである。
シアンが威嚇の鳴き声を上げて、一つ羽ばたいた。
それで終わりだった。騎士たちが持っている剣が瞬きの間に残らずバラバラに壊れて、騎士たちの足があっという間に凍りついていく。
命すら奪わずに無力化する、あっさりとした、圧倒的な勝利だった。まだ年若いアニータを遥かに上回る練度で魔法を操るシアンにとって、魔法もろくに使えない騎士たちなど最初から敵ではないのである。
騎士たちのそんな様子を見て、シミオンが腰を抜かした。だいたいの国では身分が高いものほど魔法が得意な傾向にあるが、人びとの魔力が低いことの多いこの国には適用されないのである。
これほど練度の高い魔法など初めて見たものも多かったのか、あちこちから小さな悲鳴が上がった。初めてアニータの脅威を知って、今までの態度を思い返して顔色を失ったものも多かった。
「わ、わ、判った、判った!」
腰を抜かしたまま、シミオンが言った。
「そんなに婚約していたいならそのままにしてやる! お前だってそれなら満足だろ!」
何を言っているのか、とアニータは思った。むしろ、一分一秒も早く婚約を解消して欲しいくらいである。
けれど、アニータは何も言わなかった。それは今までと同じくシミオンに何の期待もしていないからであったし、別の理由もあった。
遠くからでも判るような圧倒的な魔力が、見る見る近づいていることに気づいたのである。
ややあって、アニータのすぐ近くに巨大な魔力が顕現した。
実のところそれは魔力ではなくて、一人の妖精だった。あまりにも巨大な魔力であったから、人びとの認識が齟齬を起こしたのである。
「随分とわたしの愛しい番が荒れているようだが、何ごとかな、主殿」
厳重な警備が敷かれているはずの王立学園の一角に前触れもなくあっさりと転移した妖精の男は、そう問いかけてアニータを見下ろした。アニータはほっとして、どうにか頭を下げた。
「ご機嫌よう、妖精王陛下。あなたのシアンをちょっとした騒ぎに巻き込んでしまいまして、申し訳ありません」
妖精王という単語に、会場の人びとがざわついた。この辺りの国で妖精王といえば、大陸でも異様な存在感を放つ強大な魔法力を持つ妖精国の国王のことだからである。
妖精王は注がれる視線を気にした様子もなく、ピィピィと何ごとかを鳴き始めたシアンの言い分を聞いているようだった。ゆるゆると自分の顎を撫でながら、ちょっと困惑したように眉尻を下げる。
「……それは、わたしだな」
「えっ、は、」
話しかけたのはアニータではなく、シミオンに対してだった。自分に声をかけられたのが理解できなかったのか、シミオンが間の抜けた声を出す。
もう一度、言い含めるように、妖精王が繰り返した。
「こちらのアニータ様と歩いていたのはわたしだ、と言ったのだ。わたしの愛する番に会いに来たのだが、番が自らの主人であるアニータ様と離れたくないと言って聞かなかったのでな」
つがい、とシミオンが口の中で繰り返した。
妖精王が番と呼んでいるのは、アニータの手の中にいる小さな使い魔シアンである。詰まりアニータは、妖精王の番の主人であるのだった。
徐々に事態を理解し始めたシミオンに、妖精王が嘆息した。
「もともとわたしの番と一緒にアニータ様も我が妖精国に招こうと思っていたのだが、こちらの国の国王から自分の息子と婚約させるからアニータ様を残らせて欲しいと言われてな。わたしの番はアニータ様と離れたくないというし、ならばアニータ様が生きている間はふたりまとめてこちらの国に預けることにしたのだ」
アニータ様がお亡くなりになったあとは魂を妖精に転化させて妖精国に招くつもりだった、と妖精王は締めくくった。世界でも十本の指に入るほどの強大な魔力を持つ妖精王にしてみれば、それぐらいは造作もないことなのである。
だが、と妖精王は周囲を睥睨した。学生にしろ保護者にしろ、貴族たちの顔色は悪かった。
「この国はどうにも、アニータ様を大切にする気がないらしい。家族だという者たちはアニータ様の嘘八百の悪評ばかり垂れ流しているし、婚約者はアニータ様を虐げるばかりで、周りの者たちはそれを諫めるどころか同調する始末か。それほどアニータ様が気に入らないのであれば、我が国が貰い受けても構わないだろう。わたしの愛しい番が惚れ込むほどの魂の持ち主なのだから、アニータ様は妖精国であれば下にも置かれぬほど好かれるぞ」
「お、お待ちください……!」
人垣の間から転がり出てきたのはこの国の国王であった。跪かんばかりの国王から一歩退いて、構わずに妖精王はアニータを抱き上げた。
アニータの手の中でシアンが上機嫌に鳴いた。その声があまりに嬉しげなものだったので、アニータは愛しい使い魔に随分と我慢させていたことにようやく気づいたのだった。
「……ごめんね、シーちゃん。一緒に妖精国に行こうね」
アニータの囁きを同意と捉えて、妖精王はふたりを連れてその場から姿を消した。残ったのは腰を抜かした第三王子と、這いつくばるような体勢のまま固まった国王の姿であった。
各大陸に点在する妖精国や妖精郷は、内包する強大な魔力によって周囲の環境を豊かにすることが知られている。その中でも特に大きな妖精国に嫌われた王国が周辺国にどう思われてどう扱われるかなど、言わずとも知れた未来なのだった。