軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

グレース・センツベリーの失踪(3回目)

ゼイン様と共に王都に強制帰還した翌日、私はエヴァンを連れて街中の大衆向けのカフェへやってきていた。

平民も利用するため安価な上に美味しいとヤナから聞いており、私にはありがたい店だ。初めて来たけれどとても賑わっており、今も満席に近かった。

「それで、今日は何でこの場所で会議なんですか?」

「ゼイン様に行き先が全部バレているなんて、絶対におかしいもの。どこからか漏れているに違いないわ」

「なるほど、確かにそうですね」

「だから普段行かない場所にしてみたの」

もちろんヤナやエヴァンを疑ってはいないし、屋敷の人々も疑いたくないけれど、念には念をだ。高級店と違いがやがやと騒がしいのも好都合だった。

エヴァンは納得した様子を見せた後、何の躊躇いもなくこの店で一番高い紅茶とケーキのセットを頼んだ。

「明日、今度は行き先も決めずに失踪するつもりよ」

「明日ですか? 急ですね」

「ええ。これだけ急ならゼイン様だって準備もできないだろうし、私ですらどこに行くか分からないのなら、追いかけてくるなんて無理でしょう?」

今度こそ逃げ切ると誓った私は運ばれてきた苺のケーキを切り分け、口へと運ぶ。するとその瞬間、小さな男の子が側を駆けていき、私に思い切りぶつかった。

そのせいでフォークからケーキが落ちてしまい、ドレスにクリームがべったりついてしまう。

すぐに鞄からハンカチを取り出そうとしたところ、不意に美しい緑色のハンカチを差し出された。

「大丈夫ですか? 良ければこれ、使ってください」

「あ、ありがとうございます」

つい受け取ってしまい顔を上げれば、驚くほど美形な黒髪黒目の男性と視線が絡んだ。

エヴァンと同じくらいの年齢だろうか、周りの席の女性達もぽーっとした様子で彼のことを見つめている。服装や雰囲気を見る限り、下級貴族かお金持ちの平民という感じがした。

我に返った私は見知らぬ人のハンカチを汚すわけにはいかないと慌てて返そうとしたものの、男性は小さく首を左右に振る。

「不要であれば捨ててください。それでは」

そして爽やかな笑顔でそれだけ言うと、あっという間に立ち去ってしまう。

その場に残された私はハンカチを握りしめたまま、どうしようとエヴァンに縋るように視線を向けた。

「良いんじゃないですか? ハンカチくらい。男は好みの女性であれば良い顔をしたいものですし」

「そう、なのかしら」

「こういう時は堂々と使ってしまう方がいいですよ、相手のためにも」

時々エヴァンは、驚くほどまともなことを言う。

それに何故か貴族社会のことやマナーなども熟知しているため、エヴァンのアドバイスに従うことにした。

「それにしても、すごく綺麗な顔をしていたわね」

「まあ、そうですね。俺の方が格好いいですが」

「…………」

ゼイン様やランハート、エヴァンだけでなく、あれほどのイケメンがまだ存在するなんて恐ろしい世界だと思いながら、ドレスを拭き終えた私は再びケーキにフォークを差し入れた。

◇◇◇

翌日、朝早くに私は一人で屋敷を出ると適当な馬車に飛び乗った。エヴァンと一緒では目立つため、こっそり付いてくるようお願いしてある。

「ふわあ……」

そうして乗り換え続けて半日が経った頃、うとうとしてしまっていた私は顔を上げて窓の外へと視線を向ける。

オレンジ色に染まる街並みは初めて見るもので、間違いなく知らない場所に来たのだと確信した。

私ですらどこか分からないのだから、ゼイン様だってここまでは追ってこれないはず。

とは言え、同じ場所に長く留まっては見つかる可能性が高いし、これを数ヶ月間繰り返し続ける必要があるだろう。大変だけれど、もう他に方法はない。

「すみません、ここで降ります!」

やがて窓から顔を出し御者に声をかけると、すぐに馬車は停まった。お礼を言い代金を支払って別れ、私は賑やかな街並みをあらためて見回す。

半日もひたすら馬車に揺られていたのだ、移動疲れを全身に感じていた私は、少し休もうと適当なカフェに入ることにした。

白を基調にしたお洒落な店内は賑わっていて、唯一空いていた端の席に腰を下ろす。

「えっ……紅茶一杯で1200ミア……!?」

そしてメニューを見た私の口からは、侯爵令嬢らしからぬ言葉が漏れた。大衆店かと思ったものの、うっかり高級店に入ってしまったらしい。

仕方なく超高級紅茶を一杯だけ頼み、ぼんやりと窓の外の景色を眺めながら、まずは今夜泊まるホテルを探そうと考えていた時だった。

「ここ、いいかな?」

「あっ、はい! どう、ぞ……?」

「ありがとう」

不意に声を掛けられ、振り返る前に反射的にそう答えた私は、すぐにぴしりと固まる。

──この美しい声を、聞き間違えるはずなんてない。

それでも何かの間違いであってほしいと願いながら、恐る恐る向かいへと視線を移す。

そして向かいに腰を下ろした人物の顔を見た瞬間、私はまた失敗してしまったのだと悟った。

「グレース、今回の鬼ごっこは楽しかった?」

「ええと……それは……」

「俺から逃げるなんて不可能なのに、君も飽きないな」

狼狽える私とは裏腹に、ゼイン様は太陽のような金色の瞳を柔らかく細め、微笑んでいる。

そして彼はメニューへと視線を向けると、コーヒーを一杯、林檎のタルトをひとつ頼んだ。

「この値段ならグレースは飲み物以外、頼んでいないんだろう? いくらでも食べるといい、俺が払うから」

「わ、私だってお金は、持ってます……」

私の好物を当たり前のように頼んだゼイン様は、窓の外へ視線を向ける。

「今夜は近くにとってあるホテルで休んで、明日は観光をして帰ろうか。俺もこの街へ来るのは初めてなんだ」

「……えっ?」

「この辺りは、君の好きな海産物が美味しいと有名らしいよ。既に夕食の準備もさせているから」

あまりにも準備の良すぎるゼイン様に完全敗北した気持ちになりながら、内心頭を抱えた。

なぜもうそこまで準備がされているのか、私の頭ではもう理解できない。そもそもここはどこなのだろう。

このままでは本当にまずい。そう思った私はきつく両手を握りしめ、心を鬼にして口を開いた、けれど。

「ゼイン様、私達、もう別れ──」

「グレース」

遮るように、窘めるように名前を呼ばれる。

「俺の気持ちは一生変わらないんだ。君が逃げたとしても地の果てまで追いかけるから、諦めた方がいい」

「…………っ」

いつだって余裕たっぷりで、私が生きてきた中で一番美しくて完璧な彼になど、敵う気がしない。

黙り込んでしまった私の名前を、彼は再び呼ぶ。

「絶対に別れてなんかあげないよ」

そして誰よりも綺麗に笑うと、ゼイン様は運ばれてきたタルトを綺麗に切り分け、私の口元へ差し出した。