軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

さよならリディア

私の目の前には埋められたばかりのむき出しの土。

白い真新しい墓標。

刻まれた名前は『リディア・ダーリング』。

ダーリング伯爵家の長女。

トバイラス大劇場の崩落に巻き込まれて亡くなった女性。

ここに埋葬された私でない私………………。

まだ包帯は取れないものの、怪我の状態がある程度良くなって退院が目の前に迫った頃、私がお世話になってる劇団のリーダーが市役所へ行って、私を“身元不明人のアシュリー”としてもろもろの書類の処理をしてくれた。

心配だった入院費も、劇場のオーナーの賠償金と市役所の補償金で賄えた上に、少しだけ手元に残った。そのお金で、とりあえず服と下着を女性の団員に買ってきてもらったわ。

賠償金や補償金は他の被害者や遺族にも支払われたからダーリング家も受け取ってるはずだけど、それだと私が二重取りした事になるんじゃと心配になったけど、リーダー曰く

「ダーリング家に支払われたのは亡くなったリディア・ダーリングに対してで、君が貰うのは身元不明人アシュリー・スミス(仮名)に対して支払われた分だから大丈夫。アシュリーの身元が判らないままなら何も問題ないよ」

だそうだ。

そういうわけで私は結局、 記憶が戻らないまま(・・・・・・・・・) 劇団に引き取られることになった。

家族や関係者を騙してリディア・ダーリングの名を捨てるっていうのは、少なからず犯罪じゃなくても犯罪未満な行為なんだろう。それに思うところがないわけじゃ無いけど、劇団員のみんなが協力してくれてるのもあって、私は私の望む通りにやろう。

無事に退院できて、彼らが用意してくれた衣服に身を包み、劇団の拠点である隣国へ出立する前日の今日、私はとある場所を訪れた。

一人で大丈夫と言ったのだけど、メイナードが心配して付いてきてくれた。

かつての家族や 元(・) 婚約者も来るかもしれないからって言ってたけど、私は今すぐはそんなことないんじゃ無いかなって思う。

私の退院を待つせいで出立の日取りが伸びて、その待機時間を退屈に思っていた団員達が、あれからもダーリング家やヒギンズ家の様子を見に行ってそれを報告してくれてたのだけど、どちらも「なんだかなぁ」としか思わなかった。

ダーリング家は火が消えたように賑やかさが無くなったそう。父や兄はなんとか仕事に出てはいるようだけど、以前のような溌剌さは無く口数も少なくなっているのだとか。母に至っては塞ぎ込んで家どころか自室からもあまり出なくなったらしい。

それって、どういう意味かしら?

リディア・ダーリングが死んで悲しいの?

それともリディアの生前にちゃんと向き合わなかった事を後悔してるの?

あるいは突然、娘が、妹が、事件に巻き込まれて亡くなった遺族という立場に酔ってるの?

そんな意地悪な考えさえ湧いてくる私は、きっと本当に性格が悪いんだろう。

だからかしら。ジュリアンも母みたいに鬱状態になって、外出するのは精神科の病院へ通うぐらいだと聞いても、全然、これっぽっちも心が揺れなかった。

好きだったはずなのに、将来を誓い合った仲だったはずなのに、とても心は凪いでいて、彼とのどんなに楽しかった思い出も、まるで私じゃない誰かの記憶を見させられているみたいで……。

実感。…………そう、実感が湧かない。怪我をする前の私と、今の私は同じ私のはずなのに、どこかで断絶している。

それを象徴しているかのような目の前の白い墓標。その前に供えられている色取り取りの花の群れに、私も、持ってきた花束も交ぜるように置いた。

────結局、あなた も(・) 身元不明のままね

────あなたを探しにくる人は、一人もいなかったわ

────私と同じワンピースを着ていたあなた

────あなたはどんな人だったのかしら?

────名前はなんていうのかしら?

────家族は? 恋人はいた? それとも一人だった?

────名前も、どこの誰かも知らないあなた

────あなたに私の名前を押し付けるわ、ごめんなさい

────でも、もしあなたが孤独で寂しい人だったなら

────これで家族ができるわ、死んでしまった後だけど

────今は落ち込んでるみたいだけど、きっとあなたの命日には花が届く

────ジュリアンも、年に一度くらいは来るかもしれないわ

────みんな、あなたを私だと思って死を悼みに来る

────でもあなたは私だから

────“リディア・ダーリング”だから

────安心して受け取って、みんなの弔いを

────私ね、隣国に行くの

────劇団のみんなに付いて行くの

────あなたは劇団のファンだったのかしら?

────それとも演目が好きだった?

────もっと違う場所で違うタイミングで

────すれ違うんじゃなくて出会っていたら

────私達、友人になれたかもしれないわね

────だって、同じワンピースを着て、同じ劇を同じ日に観て

────きっと気が合うわ、私達

────でも、語り合う事はできないのね

────あなたは死者で、私は生者

────あの日すれ違ってから、永遠に交われない

────不思議だけど、それが少しだけ悲しいの

────あなたの事、なんにも知らないのにね

「アシュリー」

気遣わしげなメイナードの声に、内に入り込んでいた意識が現実に戻ってくる。

「泣いてるのか……」

メイナードが懐から出したハンカチでそっと頬を拭ってくれて、それで自分が涙を流していた事に気づいた。

「大丈夫、少し感傷的になっただけよ」

「感傷的……。やっぱり、家族に自分が“死んだ”と思われるのは悲しいんじゃないか? だったら、まだ…………」

間に合う、と続きそうな言葉を、彼の口を両手で塞ぐ事で遮る。それはとんでもない勘違いだわ。

メイナードは、過剰なくらい私に気を遣ってくれる。それは私が病院で目を覚まして初めて会った時からだ。最初はすごく親切な人なんだと思っていた。他の団員達も優しかったし私のために色々と骨も折ってくれたから、劇団全体がそういう親切で良心的な人達の集まりなんだと。

確かにそれはそうなのだけど、みんなと過ごすうちにメイナードのそれはみんなとは少し違うような気がしてきた。

きっかけは分からない。私は彼じゃないから。でも、多分、自惚れじゃなければもしかしたらそういう事なのかも……。でも、メイナードは何も言わない。知り合ってまだ1ヶ月も経たないからかもしれなし、私の心情に気を配ってくれているからかもしれない。

なんにせよ、告白も匂わせも無いなら、私は気付かない振りをするだけだわ。

私自身、メイナードには好感を抱いている。でもそれは他の団員達に抱いているものよりほんのちょっぴり大きいだけで、今のところみんなと大差はない。それに自分から望んだとはいえ、やはりジュリアンとの事は私にとってトラウマで、今すぐ他の誰かに恋をするなんて考えられない。

だから、メイナードが何か言ってきたなら考えるけど、私からは差し当たって何かする気はない。

もっとも、これが私の勘違いだったら恥ずかしすぎて死ねるから、やっぱり私から何か行動するなんて無理ね。

「大丈夫だってば。あの時も言ったけど、私はアシュリーよ。“アシュリー・スミス”。あなただってそう呼ぶじゃない。

私の家族がどこにいるかなんて覚えてないわ。だって 劇(・) 場(・) で(・) 頭(・) を(・) 打(・) っ(・) て(・) 忘(・) れ(・) て(・) し(・) ま(・) っ(・) た(・) んだから。

ここに埋葬されてるリディア・ダーリングは、たまたま劇場に居合わせた赤の他人。年恰好が似てるから、ちょっとだけ感情移入しちゃった知らない人よ」

「……君がそれで良いんなら」

「それで良いも何も、それしか無いわよ。メイナードは心配性ね」

笑ってそう言ってやれば、メイナードも苦笑いだったけどやっと笑ってくれた。

劇中ではヒーローのライバルで悪役だったし、それが様になるような威圧感のあるハンサムなのに、本人は団員の中でも一番の気配り屋だ。そのギャップが可笑しいというか、可愛いというか、魅力的に映るのは確かだわ。

メイナードが私にそういう気持ちを向けてくれていると感じるのが私の勘違いじゃなければ、いつかはそんな仲になるのかしら?

そうなるにしても今じゃないし、いつかなるかもしれないしならないかも知れない。

私自身、劇団のお世話になるにしろ、もっとちゃんと自立しないといけないし、そうなるとやる事はたくさんだ。

隣国で正式にアシュリー・スミスとしての国籍を作って、永住権を確保して、住む所を探して、劇団での仕事を覚えて……。

ねぇ、こんなに忙しかったら恋愛どころじゃないわ。

私の中のこの感情だって、まだ恋じゃない。

差し当たってのやる事は決まってるけど、未来は決まってない。

劇団に落ち着くかも知れないし、案外あっさり辞めちゃうかも知れない。

メイナードと恋仲になるかも知れないし、別の男性と付き合い出すかも知れない。

恋愛なんてもう懲り懲りって、独身を貫くかも知れない。

先のことは分からない。

サァッと優しい風が吹きつけて、私の短くなった髪が揺れる。

空は、相変わらず青くて白い雲がアクセントになっている。

周囲の木々は青々と茂り、墓標の並ぶこの広い霊園にポツポツと、誰かの死を悼む人達がいる。

私が巻き込まれたあの事件も、犯人がすぐに捕まったこともあって、割と早くに騒ぎは下火になった。

トバイラス大劇場は結局、取り壊す事になったらしい。改修するにしても元々が老朽化していたので火事の影響した部分だけというわけにもいかず、そうなると大規模な改修工事が必要だけれど、被害者や被害者遺族達に支払われる賠償金が巨額すぎてそこまで賄えないんだそう。取り壊された後の土地は売りに出されるなんて噂もあるみたいだけれど、一等地で広いから買い手を見つけるのは難しいだろう。

「アシュリー、そろそろ帰ろう。風も出てきたし、怪我に障る」

メイナードの心配そうな声が私の耳をくすぐる。

この人ってば、本当に……。

私のどこが、彼にそんな感情を抱かせているのか、さっぱり分からないわ。

出会って日が浅いせいだろうけど気遣い以上の言葉は無いし、私に触れる時も怪我のせいでうまく動けない時だけだし、それなのに、私を見る眼はとても優しくて。

私なんていざとなったら家族も婚約者も捨てるような、見知らぬ女性の身分を自分の都合で乗っ取るような、そんな自分勝手で酷い女なのに。

メイナードの方を見れば、相変わらずの優しい瞳で口元にわずかな笑みを浮かべて、私を見ている。

「……そうね、もう用事も済んだし、みんなも待ってるしね」

そう言って微笑み返せば、彼は表情をさらに綻ばせた。

あら、その顔は反則だわ。

私は一歩、彼のほうへ踏み出す。

もうこの土地には帰らない。

私は過去を捨てる。

私は、私の幸せを自分の手で掴む。

さよなら、昔の私。

与えられた幸せで満足していた私。

不条理な出来事を理解してもらえなかった私。

全部、ぜんぶ、ここへ置いて行くわ。

さよなら、リディア。