軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

ダン博の長い一日が終わりました(前編)

その異変は、ダンジョンコアから少し離れた場所でも同時に起きていた。

久遠の拳が、アンデッドグランドドラゴンの顎下を打ち上げる。

骨を覆う腐肉が大きく揺れ、黒ずんだ鱗の間から灰色の液体が飛んだ。

「かたっ」

久遠は空中で体をひねり、アンデッドグランドドラゴンの爪をぎりぎりでかわす。

爪が通ったあとに、空気が裂けるような音だけが残る。

その隙間、狙いすましたタイミングで東雲の氷槍が差し込まれた。

「凍てつけ」

短い詠唱と同時に、十数本の氷槍がアンデッドグランドドラゴンの翼や胴体へ突き刺さった。

だが攻撃を受けたこと自体を無視するかのように、アンデッドグランドドラゴンに止まる気配は一切ない。

ダメージを受けた翼を無理やり振り下ろし、刺さった氷を砕きながら久遠へ首を向ける。

「きもっ。こっち見んなって」

久遠が嫌悪感丸出しの表情を見せる。

そんな久遠だが胸を上下に荒く動かしており、小手の表面には黒い腐食痕がいくつも走り、左頬には薄い傷がある。

東雲も無傷ではない。

魔法書を支える指が震え、白い息が途切れ途切れにこぼれている。

魔法行使に伴う影響をもろに受けており、所々衣服に霜が降りていた。

一方で、少し離れた場所では服部と神父が切り結んでいた。

服部の幻刀・玄之丞が、夜の中で鈍く光り、神父の手に持つ逆さ十字架から伸びた黒い線が、それを受け止める。

火花は出ない。

代わりに、空間そのものが削れるような嫌な音がした。

そしてお互いに距離を取る。

「やはり、あなたは厄介ですね」

神父の頬には切り傷があった。

白い祭服も、ところどころ裂けている。

服部の方も、右肩から血を流していた。

それでも構えは崩れない。

「そっちもな」

服部が半歩踏み込む。

神父がそれに合わせて十字を掲げる。

攻撃のテンションはお互いに高まるばかりで、一合一合が致命傷になり得る程に力が込められていた。

次にぶつかれば、お互いに無傷ではいられないほどに大きく削られる、そんな予感すらお互いにあった。

そしてアンデッドグランドドラゴンと対峙している久遠と東雲も、次の動きに合わせて力を溜めていた。

ここから先は、ただの時間稼ぎでは済まない。

誰かが死ぬかもしれない。

その緊張が、死闘の場で一気に膨らんだ瞬間だった。

空が、急激に色を変えていった。

「……ん?」

久遠が上空へ視線を少しだけ向ける。

ダン博会場を覆っていた黒い異界の膜に、細いひびが走っていた。

ひびは瞬く間に広がり、空を覆っていた暗い膜が、内側から剥がれるようにほどけていく。

東雲の表情が変わった。

「ダンジョンコアの干渉が切れた」

アンデッドグランドドラゴンが、急に動きを止めた。

首を振り上げた姿勢のまま、巨大な体が凍りついたように固まる。

次の瞬間、骨格を縛っていた黒い術式が、一本ずつ切れていった。

腐肉が落ち、鱗が灰になっていく。

骨と腐肉の間に詰まっていた黒い魔力が、煙のように夜へ溶け出していった。

「……解除、成功したんだ」

久遠がぽつりと言った。

ドラゴンの巨大な顎が、支えを失って地面へ落ちた。

重い何かが落ちる音が、会場全体に響く。

神父もそれを見ていた。

「……あいつが、守り切れなかった?」

その声には、初めて苛立ちが混じっていた。

その様子を見て服部が刀を構え直す。

「よそ見していていいのか」

「ええ。もう、ここで続ける意味がなくなりました」

神父は一方的に距離を取った。

胸元の十字架が鈍く光り、人の背丈ほどの黒い縦線が広がる。

「逃がすと思うか」

服部が踏み込む。

だが神父の姿は、黒い線がもたらした闇へ消えた。

刀の切っ先が祭服の端を裂くも、実体がないのかそれ以上は届かない。

「本日はここまでです」

神父の姿はなく、黒い線だけが残っていた。

「確認しなければならないことができましたので」

次の瞬間、黒い線は消えた。

服部は舌打ちし、すぐに久遠と東雲の方へ視線を向ける。

アンデッドグランドドラゴンはもう、崩れていくだけだった。

骨だけになった巨体が、灰の中へゆっくり沈んでいく。

「ダンジョンコアへ行くぞ」

「うん」

「真壁さんたちの確認が先ですね」

三人は同時にウォータープラザにあるフレームへ向かった。

俺は、桐野の体を抱えたまま動けなかった。

さっきまで熱かった桐野の体が、ゆっくり冷えていく。

服越しでも分かる。

腕の中にある重みが、熱が、生きている人間のものではなくなっていく。

「桐野さん」

呼んでも返事はない。

床に落ちた配信端末は、まだ壊れかけの画面をこちらへ向けていた。

音声は途切れ途切れで、映像も大きく乱れている。

それでもコメントだけは流れ続けていた。

『桐野さん?』

『嘘だろ』

『誰か救護』

『真壁さん動いて』

『いや動けるわけない』

『ダンジョンコアの解除は成功したのか?』

半ば茫然自失となっていた俺の周辺の空気が急に揺れ、そして少しだけ風をおこしていた。

それにあわせるかのように目の前に、神父が現れる。

俺は反応できなかった。

神父は俺と桐野を一瞥し、次に少し離れた床に倒れている無精髭男を見た。

「……あなた」

神父の声が低くなる。

無精髭男は意識だけはあるようだった。

桐野のスキルは既に解除されているようだが、影響はまだ残っていて体はまともに動かない。

顔を上げようとして、できずに口だけを動かす。

「すい、ません……」

次の瞬間、神父の蹴りが無精髭男の脇腹に入った。

鈍い音が周囲に走り、俺は思わず顔をそむけた。

「ぐっ」

「すいません、ではありません」

もう一度、蹴る。

「あなたに任せた役割は何でしたか」

「すいません……」

「ダンジョンコアを守ることです」

また蹴る。

「そして完全体に成長するまで見守ることです」

さらに蹴る。

「たとえ妨害が入ったとしても、その者を確実に殺してダンジョンコアを守り抜くことです」

無精髭男は床に転がったまま、かすれた声で謝り続けた。

「すいません……すいません……」

神父は深く息を吐いた。

それから、俺を見た。

怒っている。

けれどそれは、さっきまでの戦闘の熱とは違う。

もっと冷めた、嫌な怒りだった。

「やられましたね」

俺は何も言えなかった。

「この借りは、必ず返します」

神父の視線が遠くへ動く。

フレームの外、こちらへ向かってくる気配を探っているようだった。

「八咫烏が来ますか。なら、長居は無用ですね」

神父は無精髭男の襟首をつかみ、乱暴に肩へ担ぎ上げた。

「先輩……すいません……」

「謝罪はあとです。生きているなら、まだ使い道はあります」

黒い線が足元に広がる。

神父は最後にもう一度、俺を見た。

「 真(・) 壁(・) さ(・) ん(・) 。次は、もう少しこちらも準備して伺います」

その言葉だけを残し、神父と無精髭男の姿は夜の闇へ溶けた。

『逃げた』

『今の神父だよな?』

『無精髭男蹴られてた』

『桐野さんは?』

『真壁さん返事して』

『誰か早く現地確認して!』

でも、俺はまだ動けない。

桐野の体が、冷たい。

その事実だけが、手のひらに残っていた。