軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

照会

朝、目を覚ますと、枕元にちょこんと小さな気配があった。

シオが枕の端にぺたりと張りついて、殻の青緑がいつもより薄く光って見える。

寝息のようなものは出ないが、本体のふくらみ方が起きているときとは少しだけ違っていた。

少し前までは、夜になると保護容器に戻していた。

決まりごとのように容器へ入れて、朝になるとまた出して肩に乗せる、それがずっと流れだった。

ある晩、いつもどおり蓋を閉めようとした手の下で、シオが薄く身じろぎをした。

嫌がるほどの動きではない。

脚の先が容器の縁に引っかかっていて、出てきたがっているように見えた。

試しにそのまま枕元へ置いてみると、シオは枕の上を少し動いてから、俺の首元のすぐ横でぴたりと落ち着く。

朝までその位置から動かなかった。

それから、容器はほとんど使っていない。

寝るときはたいてい、枕の近くか、シャツの襟元のどこかにシオがいる。

俺のそばにいるのが当たり前、というより、そばから離れると落ち着かない、という方が近い感じになっていた。

今朝も、俺が起き上がる気配に合わせて、シオがちょこんと首を持ち上げた。

殻の内側が薄く揺れる、いつもどおりの朝だった。

布団の端に座ったまま、手を伸ばしてスマホを引き寄せた。

昨日からの未読がいくつか並んでいて、その中に《天城フロンティア》からの『詳細連絡』が混じっている。

昨日の応接室を出た時点では、まだ開いていなかった。

「確認はしとかないとな」

未読メッセージを開くと文面そのものは、それほど長くはなかった。

『先日は隊員の救援、ありがとうございました。改めて、直接ご挨拶させていただきたいと考えております。あわせて、ご相談したい件もあります。本日午後〜夕方に、都内で1時間ほどお時間いただけないでしょうか。内容は、中層運用に関する外部協力のご相談です。場所はご希望に合わせます。西園寺蓮司』

業務連絡として過不足のない文面で、大手らしい正式さはあるものの、上から目線はどこにもない。

少し考えた。

別管理対象の立会い詳細は、前日まで動かないと言われており、今日明日のうちで枠を取るなら、夕方ならぎりぎり問題はない。

ならば話だけは聞いておいてもいい話だな、と判断する。

ただし、場所は天城側の本拠ではなく、中立な位置にしておきたい。

守秘義務つきの案件を抱えた直後だ。

気にしすぎかもしれないが、最初に距離だけは取っておく方が、こちらとして楽だった。

短い返信を打った。

『本日夕方であれば可能です。場所は、都内の探索者向け共用応接室をお借りしたいと思います。手配はこちらで進めます』

送信を確かめてから、シオを軽く見た。

「このあと人と会う。少しだけ静かにな」

シオは肩で身じろぎひとつせず、こちらに目線だけを返してくる。

返事の短さで十分だった。

夕方の共用応接室は、品川とも千代田区とも違う独特の空気が漂っていた。

探索者向けの民間施設で、複数の組織が中立に使う場所として知られている場所だ。

受付を済ませて、案内された個室にそのまま入った。

壁は無地のクロス貼りで、外から中の様子が見えない造りになっており、机を挟んで2脚の椅子が静かに向かい合っている。

窓には薄いブラインドが下りていて、外光が柔らかく床に落ちていた。

シオも、その光の方を一瞬だけ見てから、また姿勢を整え直す。

数分も経たないうちに、ドアがノックされた。

「失礼します」

西園寺蓮司が入ってきた。

名前だけは何度か聞いていた相手で、こうして顔を合わせるのは今日が初めてになる。

動作に無駄がなく事務職寄りに見え、現場帰りの匂いは表には出ていない。

ただ、靴と腕時計の選び方には、現場で動く人間特有の質素さが滲んでいた。

西園寺は席に着いてから、軽く頭を下げた。

「先日は、うちの隊員を助けていただきました。改めて、ありがとうございます」

「いえ。あの場で対応できる人間がいただけです」

短く済ませると、西園寺もそれ以上礼を重ねず、机の上で軽く手を組んだ。

「今日は、お礼だけではありません。ご相談したいことがあります」

「内容次第です」

即答するつもりはなかった。

話を聞くことと、受けることは別だ。

西園寺は小さくうなずいて、横に置いていた薄いファイルから1枚の紙を抜き、机の中央へそっと置いた。数行のメモと、手書きの簡単な図が並んでいる。

「中層運用の一部で、あなたの目が必要な場面があります」

俺は黙って、紙の方へ視線を落とした。

紙の上では、地名が伏せられ、施設名が略号に置き換えられた動線図が、簡素ながら整然と並んでいる。

俺は紙を手前に引き寄せて、文字の流れを目で追った。

「中層から回収した物を、搬送に回す手前の処理で止めざるを得ない案件が増えています」

西園寺は淡々と続けた。

「中層は層が深い分、回収物に術式痕や残滓の混じる頻度も上がります。大半は規定どおりの処理で流せるのですが、稀に危険物や呪詛系の混入が紛れていることがあって、そうなると搬送業者の側で受け入れが止まる。現場に物が滞留して倉庫を圧迫し、後続の作業まで止まってしまう。戦闘で押し通せる話でもありません。相手は物であって、敵ではないので。だからこそ、搬送に出す前の段階で、異常の有無を見極められる人間が要る。そういう相談です」

「前線で戦ってくれ、という話ではないんですね」

「ええ。前線同行が前提ではありません。搬送に出す前と、中継区画、仮選別の場で確認してもらうのが主になります」

俺はもう一度メモへ目を戻した。

手書きの線が搬送ルートの分岐をなぞっていて、止まりやすい場所が図の中に2箇所ほど丸で囲まれている。

確かに、流れる前で止めておきたい性質の話だった。

「頻度は」

「常駐は想定していません。案件ごとの照会が基本です。月に何件、と決められるものでもありません」

「既存の仕事と両立できる条件で組めますか」

「組みます。先約の優先は、こちらで尊重します」

短い間を置いて、俺は紙の角を指で軽く揃えながら次の質問に移った。

「シオの同行は」

「現場ごとに生体の持ち込み規定があります。こちらで事前に申告して、それが通る範囲なら同行可能です。規定を曲げてまで連れていく形にはしません」

「危険度が高い現場に当たったときは」

「無理にこなしていただく形にはしません。引く判断は、こちらでも尊重します」

即答だった。

言い渋らない話し方をする人間だな、という印象が、こちらの中で輪郭を持ち始めている。

西園寺は一拍置いてから、紙の端をこちらへ少し寄せた。

「先日のような対応は、毎回可能ですか」

来たな、と内心で受けた。

俺は紙から目を離さずに返した。

「毎回同じようにはいきません。できることとできないことがあります。シオありきで決められる仕事は、こちらとしても受けにくいです」

「分かりました」

西園寺はそれ以上シオの話を広げず、ファイルの方へ視線を落とす。

無理に約束を取りに来る気配はなく、こちらが引いた線の手前で止まる感覚を、最初から読んできているらしかった。

そのまま、話は報酬の話に移った。

案件単価は品川の通常回収より明らかに高い水準だが、頻度は少ないという説明で、西園寺は数字を細かく出さず、相場の幅だけを机の上に静かに置いていく。

俺は紙から目を上げて、もう一度図の上の丸を眺めた。

品川は、全ての流れの一番後ろに残ったものを拾う廃棄物処理区画でもある。

誰かが落としたか、見落として通り過ぎたものをこちらが後から見つけていく、そんな仕事だ。

今この机の上にある話は、流れていく手前で、停滞しそうなものを先に見ておいてくれ、という方向の依頼だった。

要するに止まる前に、止める。

いつもやってきていた鑑定スキルの使い方を、いつもより一歩だけ前に置く必要がある種類の仕事になる。

「話は分かりました」

紙を西園寺の側へ押し戻しながら、続けた。

「受けるかどうかは、条件と今ある仕事を見てから決めます。全部には応えられません」

「分かっています。返答は急ぎません」

西園寺はそれ以上踏み込まず、ファイルの上にゆっくり手を戻す。

話は、ひとまずここで区切りになった。

応接室を出て、受付で部屋の鍵を返してから、自動扉を抜けて外に出た。

来たときよりも空気が一段ひんやりしていて、通りの灯りが先のほうから順に点き始めている。

仕事終わりの時間帯らしく、駅の方角からは人の流れが細く伸び始めていた。

肩にいるシオが、ちょこんと首を上げて街の方を見ている。

俺はその様子を横目で確認してから、ポケットのスマホを引き出した。

管理局からの新着は、まだ届いていない。

立会い詳細位置の通知は前日までに動かない運用と聞いていたとおりで、画面の表示は昨日のまま止まっていた。

手元には、守秘義務付きの協会案件と、条件付きの天城相談が並んでいる。

どちらも自分の都合だけでは進められない種類の話で、向こうの動き次第で順番がいつ入れ替わってもおかしくはなかった。

重なる時は重なるな、と短く息を吐いた。

駅へ向かって歩き出してから何分も経たないうちに、スマホが短く震える。

画面に浮かんだ通知は、たった1行だけだった。

『ご照会の件、引き取り可否について確認が取れました。詳細は別途ご連絡いたします。品川提携業者』

品川の照合の話だった。

俺はスマホを閉じて、改札の方へ足を向ける。

明日の予定は、少しだけ忙しくなりそうだった。