作品タイトル不明
販促用SS. アドリスの杞憂
「ぐぬぬぬ.....」
厨房にあった小さめな籠を引き摺る金髪の幼女。
ぜひぜひと息を荒らげて彼女が向かうのは洗濯場奥の通用口。
その扉横にある階段の裏が、この幼女の住まいである。
彼女の名前は相模千尋。何の因果か異世界に転生してしまった気の毒なアラサー地球人だった。
気づいた時にはお城の薄暗い部屋で衰弱死寸前。歩くことも覚束ない幼い身体でわちゃわちゃして御飯にありつき、階段裏のデッドスペースを利用して毛布やシーツを運び込み、細々とママゴトのような暮らしをしていた。
浮浪児のようにお城を徘徊する彼女を案じた人々により、千尋は保護者を得て今に至るのだが、それでも階段裏の住み家が懐かしく、未だにその充実をはかっている。
ズルズルと引き摺ってきた籠を階段裏に持ち込み、幼女は満足気な笑みを浮かべた。
「やーっとテーブルが出来たにょん♪」
持ってきた籠をひっくり返して千尋はその上に御茶の用意をする。
今までは直に床に置いていたが、やはりちゃんと高さのある場所へ置いた方が落ち着く。
にへっと両手を組んで籠テーブルに凭れる幼女。
「はぁ..... 疲れたなぁ」
これまで色々有りすぎたため、ややキャパオーバーな彼女は、うつらうつらと睡魔に誘われた。
瀕死で厨房の料理人に拾われ、御飯をもらい、そのついでに御手伝いをして、御飯確保に勤しんだ。
それを知った厨房の料理長が保護者になってくれて、今では一端の御嬢様である。
運が良かったよね、ホント。
にゃむにゃむと夢現を漂う幼女は、そのまま眠ってしまう。
御昼の賄いを用意して待つ料理人らが心配しているとも知らずに。
「遅くないか?」
「何時もなら、とっくに来てますよね?」
訝しげに顔を見合わせる二人。
スラリと背が高くピンピン跳ねた赤毛の男性はアドリス。幼女を発見して御飯を与えた人だ。
そのアドリスより、さらに大きく逞しい男性はドラゴ。
アドリスから千尋の境遇の相談を受け、思いきり良く娘にした人である。髪に繋がるほどモジャモジャなお髭がチャームポイント。
しだいに熱量の失われていく料理を見据え、二人は心配げに視線を合わせた。
「まさか、また何かあったのか?」
「.....探して来ます」
不安の滲んだドラゴの呟きを耳にして、いてもたってもおられずアドリスは前掛けをつけたまま厨房を飛び出していく。
彼が発見した時、幼女は煤けた髪でドロドロに汚れていた。あんなに小さいのに、御飯が美味しいと泣いたのだ。
アドリスの脳裏にこびりついて離れない光景。
また何処かで御腹を空かせているのではないか。食べに来られない状況になっているのではないか。
アドリスの胸に次から次へと矢継ぎ早に襲う嫌な予感。
何故なら幼女は食べ物も水も与えられずに軟禁されていた経緯があるからだ。
何者による仕業かは分からないが、お城の片隅で消えかかっていた小さな命。
それを間一髪で救ったアドリスは、過剰なくらい千尋を溺愛している。
どれだけ愛してやっても足りない。小さな子供を襲った不遇は、如何にしても拭えない。
何処だ? チィヒーロ。
足早に付近を探索するアドリス。彼は千尋と名乗った幼女の名前が上手く聞き取れず、さらには発音も出来ない。
日本語を初めて聞いた外国人アルアル。
幼女は周りの人々からチィヒーロと呼ばれて可愛がられていた。
「チィヒーロ? おいっ、居ないか?」
その声に反応して、階段裏の幼女が眼を覚ました。
あかん、寝てもうた。
くしくしと眼を擦り、千尋は階段裏からそっと辺りを窺う。
どうやらアドリスの声は通用口の外から聞こえるようだ。庭を探しているのだろう。
ちょろっと階段裏から飛び出した幼女は、開いている通用口からアドリスに声をかけた。
「ここだにょー、どしたん?」
小さな両手を振る千尋を見て、アドリスの瞳が大きく揺れる。
ああ、良かった。
安堵の溜め息とともにアドリスは幼女へ駆け寄り、慌ててその小さな身体を抱き上げた。
「昼になっても来ないから心配したぞ? 何にもなかったか?」
「ちこっと寝てた。ほら、お日様が気持ち良くて」
お日様など無縁の階段裏にいたくせに、いけしゃあしゃあと宣う幼女様。
だが、その答えにアドリスは万感の笑みを浮かべる。
昼寝に興じられるほど、今の千尋は幸せなのだ。安心して暮らせている。それが何より嬉しい。
「そっか。じゃあ御飯にしような」
柔らかな笑みをはき、幼女の髪を撫でたアドリスは、ふと彼女の頬に赤い痕があるのを見つけた。
網目のような痕が、くっきりと残っている。
「おまえ、何処で昼寝してたんだ? ザルでも枕にしてたのか?」
呆れたかのようなアドリスの言葉に、慌ててほっぺを隠す幼女。
その仕種が可愛らしく、この幸せな一時にアドリスは瞳を蕩けさせた。
こんな毎日が永遠に続けば良い。
何気に祈るアドリスだが、この先に奇想天外な冒険物語が待っているなどとは知るよしもない。
少ししてから小人さんと呼ばれる幼女と、それを拾った料理人。
後に世界を救う誰も知らない伝説は、ここから始まったのだった。
~了~