軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

#33 迫り来る嵐の予感

ふと日差しを遮る影が手元にかかったことに気付いて、エルネスティ・エチェバルリアは窓から空を見上げた。

そこでは、ここしばらくは気持ち良いを通り越して恨めしいくらいに青色しかなかった空を、白から灰へとグラデーションを描く雲が徐々に侵食している。

薄い雲に遮られ、直射日光による突き刺すような暑さが和らいだことに、彼は少し感謝していた。

それだけで気温がいきなり下がるわけではないが、それでも日光がないだけで大分とましだ。

彼は手元のノートを見やり、肩の凝りと共に酷使され疲労した思考をほぐしていた。

「(ここ最近暑かったしなぁ。このまま考え続けるとまず脳味噌が物理的に煮えそうだ。少し休もか……)」

空の果てまで視線を向ければ、そこには上空に見えるそれよりも黒く、暗く分厚い雲が見える。

紗を引いたような薄い雲から、あの暗幕のように重い雲に変わるまでそう時間は必要ないだろう。

暑さがやわらぐことには賛成するが、あまり雨が激しく降るのも厄介だなぁ、とエルはぼんやりと考えていた。

「エルネスティ君」

気が抜けていたからか、茫漠たる思考に陥りつつあったエルを横から呼びかける声が引き戻す。

彼が慌てて振り向くと、そこには少し硬い表情の教師が立っていた。

「授業中に余所見をするのは、感心しないね」

「すいません」

誤魔化すように愛想笑いを浮かべながら、エルはしっかりと黒板へと向き直る。

教室では教師による授業が再開され、チョークで文字を書く軽快な音と、フレメヴィーラの歴史の説明が彼の耳に届きはじめた。

周囲のクラスメイト達は珍しそうに一瞬だけエルに視線を送ったものの、すぐに板書に追いつくべく手元へと顔の向きを変える。

教室の雰囲気はすぐにいつものそれに戻っていた。

「(危ない危ない、疲れたからと言って気を抜いたらあかんね。それとも暑さのせいか)」

エルも手元のノートへと視線を戻す。他の生徒達が至極真面目に授業を受ける中、だが極めて残念なことにエルのノートには黒板に書かれていない別の内容――具体的には奇妙な形状をした 幻晶騎士(シルエットナイト) の姿が書かれ、それに数々の説明や走り書きが添えられていた。

「(さてテレスターレも完成見えてきたし、漸く土台が固まったってトコか。

国王陛下の度肝をブチ抜くためにも最低でも後一つ、このビックリでドッキリなギミックを組み込んでおきたいところやけど。

……問題は阿呆ほどお金かかるんやなぁこれ。その上作るにしても親方達は疲労困憊やし。

急いても仕方ない、準備はしておくにせよしばらくは暇潰しにモートルビートのほうを……)」

明らかに授業とは関係ないことを考えつつ、しかし念の入ったことに時折黒板へと視線を向けペンを動かすエルは、周囲からは普通に授業を受けているように見える。

そもそも普通10歳の子供はそんな熟練の擬装を施しはしないだろう。それは嫌な意味で彼の中に蓄積された経験の賜物であった。

当然その授業態度に不審を覚える者はおらず、授業は静かに進むばかりだ。いや、正確にはそれを悟りうる者も居るには居たが。

「(うーん、幻晶甲冑の動かし方にも大分と慣れてきたしな。次は俺の機体にもワイヤーアンカーつけてもらうか。

アレ面白そうだよなぁー。動かすの結構面倒っつってたけど)」

「(今日はエル君も連れて食べ歩きしようそうしよう! あんまり根を詰めても逆効果だしね!)」

その二人とも別の方向に授業態度を間違っているのでさして問題にはならなかった。

余談ではあるがこの有様でも全員、魔法や体術以外の授業についてもちゃんとした成績を上げていることを、ここで補足しておく。

ここ最近の暑さにより、鍛冶場を擁する工房の内部はさながらサウナのようになっていた。

生徒たちも空気を循環させたり、風を送り込んだりと様々な対策を講じてはいるが焼け石に水なのが現状だ。

そういった訳でいっそ中にいるよりましとばかりに、 親方(ダーヴィド) は工房の軒先の日陰で休憩していた。

吹きつける風すら生ぬるいうんざりするような状況を、同じく生ぬるい茶を 啜(すす) り誤魔化す。

元々ドワーフ族は北方の出身である上、彼のその生まれに恥じない濃い髭は見るからに暑苦しい以外の表現が浮かばない有様であり、本人の負担はいかほどのものか。

強い日差しにより明確なコントラストがついた地面は、明るい部分に出たら焼け死んでしまいそうな錯覚を与えていた。

その灼けつくような大地に徐々に薄い影が滲みだしてきたのを見て取って、親方が思わず万歳しそうになったのもむべなるかな。

「おーう、雲が出てきやがった。漸くこのクソみてぇな暑さと少しでもおさらばできる」

「テレスターレの試験中にも、もう少し曇ってほしかったがね」

その時を思い出したのだろう、隣でテーブルを囲んでいるエドガーはうんざりとした表情を隠しもしていない。

共に席に着くディートリヒは聞きたくないとばかりに首を振り、ヘルヴィは苦笑を返す。

照りつける日差しに炙られながら幻晶騎士で試験を行った記憶は、彼ら 騎操士(ナイトランナー) にとって少なからず嫌な記憶として残っていた。

「あれはねぇ……おかげで変な意味での耐久試験にもなったけどさ。

あ、セット。次で上がりね」

言いつつ、ヘルヴィがディートリヒから受け取ったカードと、手に持つカードから絵柄の合ったものを開いて場に出した。彼女の手の中に残るカードは1枚である。

カードゲームに参加する残る2人のプレイヤーが、それまでとは別の意味で顔を 顰(しか) めていた。

いくら工房内部がサウナ状態とは言え、つい先日までの嵐のような日々を思うと、何故彼らがこうも暢気にカードゲームに興じていられるのかと疑問を抱いてしまうところだが、これには理由がある。

この環境下で新型の完成から打ち上げまで辿り着いた鍛冶師達だが、その後反動でぶっ倒れてしまい、大半が休みを取っているのだ。

組みあがったばかりの新型機を整備担当の人間がいない状態で動かすわけにも行かず、騎操士達もこうして無聊を慰めている。

鍛冶師の中でも親方――というか鋼の肉体を持つドワーフ族は暑さにだれつつもまだ元気だったが、さすがに1人でできることには限りがあり、中途半端にそれに付き合っているのだった。

「この調子だと、残る機体の修復と既存機の改修はいつ終わることやら」

「あん? まぁ、そのうち進めらぁ。今は俺達ぁ休暇中よ」

エドガーの言葉に、親方はどこか投げやりな調子で答える。その間にもヘルヴィが1抜けを決め、エドガーとディートリヒが決戦に挑んでいた。

「そういえば我がグゥエールは未だに屑鉄の範囲すら脱していないのだが?」

「おぉう、そうだったな。まぁ営業再開したら来てくれや」

「いつからうちの整備班は独立したんだい……?」

「たったいまからだ」

「…………」

これ以上親方にぼやいたところで仕方がない、そんな感想を抱きつつもエドガーとの決戦に敗北したディートリヒが机に突っ伏した。

「一先ずディーは勝者のために食べ物を買ってきてもらおうか」

「そうねぇ、まぁ安いパイでいいよ」

「俺は肉がつまみてぇな、肉入りのやつにしろ」

「くぅ……仕方ない、待っていろ って親方はカードに参加していないだろう!」

「ケチケチすんな。日頃お世話になってる代ってぇもんよ」

ディートリヒの表情がめまぐるしく3回転ほどしたが、とうとう諦めたのか彼はそのままとぼとぼと食堂へと向かった。

勝者の余裕でそれを見送る3人。哀愁漂う彼の姿が視界から消えた辺りで、親方が何かに思い至る。

「この程度で言うのもなんだが、アイツも丸くなったもんだな。

前は負けたらガタガタぬかすから、そもカードになんざ呼べなかっただろう」

相変わらず髭に埋もれてわかり難いが、親方は苦笑を浮かべている。

整備班、騎操士を問わずディートリヒの神経質さ、気難しさは有名だった。

実力こそあれ付き合いやすいタイプではなかったはずだが、ここ最近はそれが薄れだしていることに、共に行動する機会の多い彼らは気付いている。

「 陸皇亀(ベヘモス) 事件の後から、ディーは変わった。概ね、良い方向にな」

「ふーん。そういえば、実は新型の試験で一番熱心だったのって、あいつじゃない?」

ヘルヴィには思い至る節がある。操縦経験の長さならば試験騎操士から担当していた彼女が一番であろうが、ディートリヒがそれに次ぐ勢いで新型機を動かしていた事を。

彼女の言葉にエドガーは神妙な表情で頷いた。

「ああ、恐らくは、あれを見たからだろうな」

「? 何を?」

「……エルネスティ、だ。ディーは、あの時唯一その操縦を、直接見ている」

エドガーの視線が細められる。そこには確かに、彼の騎操士としての矜持と熱意が垣間見える。

偶然とは言え、師団級魔獣を相手取れるだけの技量を真後ろから見た、友人への僅かな嫉妬。その友人がそれ以来明らかに実力を伸ばしていることに対する、素直な賞賛。

エドガーの気質は良くも悪くもまっすぐだ。

間近でそんな努力を見せられれば彼自身も負けじと奮起するであろうことを、それなりに付き合いの長いヘルヴィは 知悉(ちしつ) していた。

「ふーん、あの子のねぇ。小さい上にすばしっこいから、頑張らないとすぐに背中を見失っちゃうわよ」

やや癖っ気の強い短めの髪の下から、愉快そうに細められた瞳がエドガーをからかう。

エドガーは一瞬キョトン、とした表情を見せるが、それはすぐに不敵な笑顔へと戻った。

「そう易々と見失う気はないさ」

「おう、それで思い出したぜ。そういや 銀色坊主(エルネスティ) にゃ相談してぇ事があったんだ」

唐突に親方が手を打った。

「どうしたんだ?」

「いや、新型作ったのはいいんだけどよ、これからどうすんだよと思ってな」

「? 学園の機体の改修を進めるんじゃ、ないのか?」

「そいつはまぁ学園長の許可があるからかまわねぇけど。……まさかここだけの代物にゃあ、すまいよ」

「あっ」

ぼやけ始めた地面のコントラストの境界を目で追いながら呟く親方に対し、エドガーとヘルヴィが声を上げて顔を見合わせていた。

日が傾き始める頃、ライヒアラ騎操士学園の周囲には今日も今日とて露店が立つ。

そして授業の終わりと共に生徒達が歩く姿がちらほらと見られるようになる。

「おう嬢ちゃん、今日はでっかい鎧はもってこねぇのかい?」

「うん、今日は食べ歩きよ! というわけでケーキ三つ!」

「あいよっ。何を挟むね?」

「えーっとね……」

大分と雲の面積が増えた空模様により、日光に炙られる事はないが、それとは別に徐々に蒸し暑さを感じ始めている。

テンションは最高潮と言った感じで露店の主人に注文するアディはともかく、エルとキッドは全身からだるさを放っていた。

「良く冷えたお菓子が、欲しいですね……」

「無茶言うなよ……そんなのあったら皆群がるぜ。絶対」

「むしろ果物を直接食べるだけでも、ちょっとは涼しくなるような」

「諦めろ、もうパンに挟まってる」

弾けるような笑みと共に振り返った彼女の手には、焼き立てでほっこりと湯気を立てるパンケーキが乗っている。

時間的にもおやつとしては丁度いいだろう。しかしまだまだ気温の高い昼下がり、できれば熱くない食べ物がいいなぁと思いつつも嬉しそうな彼女の姿の前に諦めるエルであった。

その後あちこちの露店を巡り、いい加減満腹かという所で彼らは工房へと立ち寄っていた。

特に理由があっての行動ではなったが、彼らは偶然にもそこで珍しい光景と出会う。

「……何をやっているのですか?」

「んむ? 見ての通りクッケレンじゃ。いやダーヴィド君はこれで中々、手ごわいの」

工房の軒先では、ライヒアラ騎操士学園の学園長であるラウリと親方が、地球で言うチェスに似たボードゲームで勝負していた。

盤面は恐ろしいほどにラウリの優勢、親方の駒は何かのいじめかと言うほど追い込まれている。

「俺はむしろここからどう盛り返せばいいか、思いつきすらしねぇんだがよ……。

もう少し手加減してもいいんじゃないか?」

「ほっほっほ、仮にも教育者として、先達が手を抜くのはいかんのう」

「 遊戯(あそび) だぞこれ……」

莞爾(かんじ) と笑うラウリと対照的に、親方は頬杖がなければ今にも崩れ落ちそうだ。

彼は悔しさと呆れを半ばに混ぜたような空気を滲ませながら、余った駒をつまんでコツコツとテーブルを叩いている。

「はぁ、いえ、ゲームはいいのですけど、なぜお祖父様がこちらにいらっしゃるのかと……」

「んむ? あぁ、少しエルとダーヴィド君と相談したいことがあってのぅ。

呼び出してもよかったんじゃが、どうせこちらに集まるかと思っての」

意外と適当な祖父の考えに、エルが軽くずっこける。

そして暇つぶしの相手として熨された親方が深い溜息をついていたが、そんなものは些細な問題として流された。

「さて話というのは他でもない。ダーヴィド君も悩んでおるようじゃったが……新型機の今後についてじゃ」

一通り親方の陣地を蹂躙し、王手に至ったラウリがご満悦の様子で話を始めた。

エル達も適当に近く椅子を用意するが、出し抜けに飛び出した言葉に首をかしげる。

「テレスターレの今後について、ですか」

「うむ、正直わしはもう少し、こう……じゃな、大幅でも改良の範疇に留まると思っておった。

それにしては時間がかかっとるなんぞ思っておったが……蓋を開ければ別物になっておるのでのぅ」

「紛うことなく新型機ですから」

上機嫌に応じるエルの言葉に、ラウリは困ったように眉尻を下げる。

「全く以って、初手から新型機の完成に至るとは予想外じゃよ。

ここまで作り上げたからには、これは陛下にお見せするつもりなのかの?」

ラウリの言葉は問いかけと言うよりも確認の響きを帯びている。

なぜなら、ラウリにとって既存機を凌駕する性能を持つ新型機は、国王との約束にある“最高の機体”の条件を満たして余りあるからだ。

ならば新型機を国王へ報告し、然るべき報酬を受け取ろうと考えるのは自然な流れだった。

しかし彼の予想に反し、エルは少しも悩むことなく首を横に振る。

「ほう? そのために頑張っていたのかと思っておったが……違ったかの?」

目を丸くしたラウリが、工房の暗がりの奥にあるテレスターレへチラリと振り返る。

「陛下にお見せするものは、また別に……あのお願いに意味があると、認めてもらえるようなものを考えています。

それに陛下は“最高”を所望されたのです、お受けしたからにはこちらも人事を尽くさないと」

「おめぇの人事はまだ尽くされてなかったのかよっ!?」

言い切ったエルの言葉に、親方が椅子ごと倒れそうになりながら慌てて突っ込みを入れる。

これまでの常識を見事に突き抜けておきながら、それが序の口に過ぎないなどと果たして誰が想像しようか。

少なくともそれはラウリと親方の予想の範囲は超えていた。

「ええ、テレスターレは言わば土台……しっかりと踏み固めたのですから、上には立派な城を作らないと。

それでこそ陛下の度肝を抜けるというものです」

「その前にわしらの度肝が潰れそうじゃよ」

「大体、坊主は本気のことしか言わねぇから怖えぇな……」

驚愕と感心を呆れが塗りつぶしはじめたラウリだが、それは別に彼だけではなく、その場にいたほぼ全員の偽らざる心境だ。

ラウリは一つ息をついて考えを切り替えると、ふむ、と唸って腕を組んだ。

「エルがそう言うなら、そこはまぁ、よい。

ともあれ、新たな機体まで完成させたのじゃからのぅ、何かしら国への報告は必要じゃろう」

「それは勿論ですね。では、これも陛下にご報告を?」

エルの問いに、今度はラウリが首を横に振る。

「陛下もお忙しい身じゃからのぅ。エルとの約束であれば陛下にしか判断できぬことであろうが、これだけならばそうではなかろうよ。

これまで通りの手順でもって連絡することになろうて」

「これまでどおりと言うと、 国機研(ラボ) か……」

“国立機操開発研究工房”――通称“ 国機研(ラボ) ”はその名の通り、国の下で幻晶騎士の技術を管理するための組織である。

新型機の開発と言った大きな案件の他にも、新たに編み出した技術改良などは規模を問わずここに集められ、まとめられた後全国へと伝わるようになっている。

これまでにも学園から技術改良を伝えた事もあり、鍛冶師にとっては馴染みの存在だった。

「うむ……それにしても、新たな機体を丸々持ち込むとなれば、ちと問題なんじゃがな」

「ん? ラウリじいちゃん、何がそんなに問題なんだ? 確かにこいつは強いんだろ?

これからテレスターレをいっぱい作れば、騎士だって楽になるし、街も安全になるんだろ。

そこまで出来上がってるんだ、国の人も喜ぶんじゃねぇの?」

横から疑問を挟んだキッドが首をかしげる。

彼の意見は間違ってはいない。強力な幻晶騎士の普及は国内の安全確保に対し有効な手段である。

今この間にも、国内のどこかで決闘級以上の大型魔獣による被害がおき、それに幻晶騎士が投入されている。

幻晶騎士が強くなると言うことは、これを解決するための期間を短縮し、ひいては被害を抑えることにつながる事である。

魔獣の領域に対する最前線たるフレメヴィーラ王国では、それは何よりも重要視されて然るべきものだ。

つまりテレスターレが作られたこと自体は喜ばしいことと言えるのでは? そんな素朴な疑問に、ラウリは口元に苦味を残した笑みを浮かべながら答える。

「まずいわけではないのじゃがな……新たな幻晶騎士を作るには、まず小さな改良を積み上げ、それを元に幾人もの技術者が大きな形へとまとめる事が必要じゃった。

それを繰り返して、幻晶騎士は強化されてきたのじゃ」

その新しい幻晶騎士を構築するのは国機研の役目であり、そして規模から言っても国機研でしか無理なことだ。

その事を思い浮かべながら、ラウリは言葉を続ける。

「新たな幻晶騎士の開発とは、本来は国家事業じゃ。

まさか学園の設備で完全な新型が作られようなどと、わしも予想だにせんかったよ。

そもそも普通は機体を一新するほどの技術を、まとめて思いついたりせんのじゃが……」

ラウリの意味ありげな視線から逃れるように、エルと親方が二人そろって明後日の方向を向く。

二人とも新しい機体を完成させることに夢中で、かなり暴走した記憶があるからだ。

「まぁそれでじゃ、問題は小幅の改良を申し出ることはあっても丸々新しい機体を持ち込むことなど、未曾有の出来事と言うことじゃ。

このままいきなり新たな機体を持っていったところで、どういう扱いになるのかさっぱりでな」

明後日の方向から戻り満面の笑みで迎撃を始めたエルを相手に、ラウリが小さく溜息をついていた。

「やってしまったものは嘆いても仕方がありません。

ここは皆で幸せになれる、未来への一歩を模索するときです」

「全くだな。技術を形にしないなんざ技術者の名折れ。その後の事はその時に考えりゃあいいことだ!」

「開き直りおったよこいつら……」

不自然な笑顔を浮かべながらがっしりと腕を組み合わせるエルと親方に、ラウリはついに悟りの地平への扉に手をかけ始めた。

とは言え傍目には戯けてはいるものの、彼らとて真面目に考えていないわけではない。

まぁそれに、と前置いて親方は姿勢を改めた。

「鍛冶師としちゃあ、新しい技を伝え、民のためになるってなぁ名誉な事よ。ついでに褒賞も出るわけだし、懐にもありがてぇしな。

って訳だから本来ならテレスターレ乗って国んトコまですっ飛んでくのが一番なんだろうけどよ、まぁ残念な事にもう一つ問題がありやがる」

どこかおどける様な口調に大仰な振り付けを加えて、親方は語り続ける。

「テレスターレを完成させるのには、大勢の人間が関わってる。そりゃあもう騎操士学科の大半よ。

新型機一つ分の褒賞ともなりゃあ、盛大なもんだろうけどよ。そいつを開発に関わった人間で分けるとなりゃあ、これはちょいとばかし揉めるんじゃねぇか?」

親方の指摘も至極当然のものである。

国機研に新たな技術を持ち込んだ場合は、対価として然るべき褒賞が支払われることになっている。当然、それは開発に協力した人間の間で分配されるものであろう。

親方の言葉通り、テレスターレの完成にはかなりの人数が関わっている。それこそ発案者たるエルを筆頭に、作り上げた鍛冶師達や試験を行った騎操士、果ては素材の作成に錬金術師の一部まで。

それらの功績を今から正確に把握するのは、実際の問題として不可能に近い。

単にテレスターレの持ち込み方に留まらない、あまりに山積する問題の数々に、全員が思わず両手を挙げかねない気分だった。

「あー、いいか? ちょっと思いついた事があるんだが」

混沌とした様相を呈し始めた場の空気を断ち切るように、エドガーが小さく手を上げる。

勇者の登場を讃えるように拍手の真似事をする約二名を黙殺し、遠くへ旅立ちかけていたラウリが学園長モードで再起動した。

「うむ、意見があるならどのようなものでも構わん、言ってくれたまえ」

「では失礼して。ひとまずの扱いはさて置き、テレスターレはまだ未完成な部分もありますが、その性能は従来のものよりも高い。

これに用いた技術を普及させれば、国内の安全に対する恩恵は大きいでしょう。つまり最終的に国に伝えるのは決まっている……と考えてもいいですね?」

「うむ、それは当然じゃな」

それには全員が同意を見せる。新型機を学園だけの特産品にする気は、この場の誰も持ってはいない。

それを確認したエドガーは、少し言葉をまとめるように目を伏せる。

「……ならば……報酬も確かに問題ですが、テレスターレを渡す時の事も考えたほうが良いですね。

いえ、方法と言う意味ではなくて、渡してそれで終わりとは思えません」

「何か、まずいのか?」

「エルネスティが元々の案を言い出したときを思い出してくれ、親方。

今でこそ俺達も馴染んでいるが、テレスターレを形作る技術はそもそも相当に異様だ」

その言葉に、長く関わる間に馴染み忘れかけていた事実を思い出し、彼らははっと黙り込んだ。

彼ら自身、直接エルに説明されなければ、受け入れられたかも怪しい技術ではなかったか。性能と機能の前に忘れがちではあるがテレスターレは未だこの世界では異形の存在なのである。

それを思い出した親方が乾いた音を立てて手を打ち合わせた。

「おうそうだ、そう言やぁ全員一回は坊主の正気を疑ったな」

「(そんなことしとったんかい……)」

全員の理解が追いつくのを待ってエドガーは再び話の続きに入る。

「つまりテレスターレだけ渡しても、意味がないんじゃないか?

形だけはそのものを真似れば良いかも知れないが、それではこれを形作る根本の発想という部分がちゃんと伝わるかは疑問だ」

期せずして全員の視線がエルへと向けられる。流石の彼もその圧力に少しのけぞった。

「……言われてみりゃあな。いや国機研の連中に“悪魔の囁き”を聞かせてやるのも良いかも知れねぇぜ」

「皆様は僕のことを何だと思ってるんですか……?」

「さしずめ、悪魔の使いってとこか?」

「…………泣きますよ?」

「(あ、不機嫌なエル君ちょっと可愛い)」

エルは半目になって親方を睨むが、残念ながら全く迫力が無く、精々が拗ねた子供にしか見えていなかった。内面はともかく、年齢的にはその通りなのだが。

親方がそれを軽く流している間に、ラウリがエドガーへと振り向く。

エドガーはまだ軽く言葉をまとめるように、少し視線を宙に向けている。恐らくは問題に対する何かの結論か提案があるのだろう、それを見て取ったラウリが話の続きを促した。

「解決案……というか、騎操士学科の鍛冶師達が、国機研へと説明する必要があると思います。

ならば新型機の開発者として、彼らをそのまま雇ってもらうのは選択肢としてありえるのでは?」

ラウリは思わず目を見張った。エドガーの提案とはつまり、配分に問題のある金銭的な褒賞に代わる形で、彼らの雇用を提案すると言うことである。

いずれ鍛冶師達は学園を卒業し、各地で鎚を振るうようになることを思えば、それは決して悪い選択肢ではない。

「そうきおったか……それはまた剛毅な提案じゃのぅ」

「彼らには新型機を完成させたと言う実績があります。さらには既存の技術に対する知識も、言うまでもないでしょう。

今後新型機の開発を進めるならば理想的な人材と言えるのではないでしょうか」

この提案はラウリを悩ませた。

正確な技術の伝達、そして生徒達の利益と言う意味では共に実のある結果だが、比率的に学園側にとっての利益が大きい。

つまり国機研へとそれを交渉する必要が発生すると言うことであり、かつそれは相応に難易度が高いと言うことである。

そして当然の事として交渉を担当するのはやはりラウリや、幾人かの教師で行う事になるだろう。詰まるところ彼らはあくまでも教師であり、交渉のプロではないのだ。道のりにはかなりの困難が予想される。

「魅力的な案ではあるがのぅ、さてそう上手くいくか。わしらも精一杯は頑張ってみるが……結局は国機研の判断次第じゃからのぅ」

決定権自体が完全に国側にある以上、これ以上はラウリにも確約はしかねるものだ。

ここは方向性が決まっただけでも良しとすべきか、彼は先に待ち受ける厳しい交渉の予感と、生徒達のために骨を折る教育者としての熱意を同時に感じ、小さく苦笑を浮かべるのだった。

場の話がようやく何かしらの方向を見出そうとしているとき、話し込む彼らの間で難しい顔で悩む者達がいた。

キッドとアディだ。彼らは話の内容自体は把握しているものの、付いて行くのに精一杯と言う状態だった。

エルのように見た目と精神の年齢が一致しないわけではなく、正しく10歳の子供である彼らにそれに加われと言うのも些か酷な話ではあるが。

「うーん、なんか私たちも力になれないのかな?」

「聞いてる限り難しそうじゃねーか。しゃあねぇ、大人しくしてようぜ」

不自然な子供であるエルと行動を共にすることが多い彼らは、勢いこういった会話に参加する機会も多い。

そして彼らは彼らなりに、周囲の助力になれないか、ずっと考えているのだ。

「(あれだよね、親方とか皆で頑張ってテレスターレを作ったから、これからも皆で作るってことだよね)」

アディの中で、何か引っかかる言葉がある。――新しい、幻晶騎士、作る、結果――。

漠然とした言葉をきっかけとして思考が記憶の中の通路を駆け巡り……それは数ヶ月前に、彼女が告げられた言葉へとつながる。

彼女はもどかしさの中辿り着いた閃きに、勢い良く顔を上げた。

「……ねぇ、国って、偉い人にお願いするって事よね?」

「んー? そういえば、そういうことになるな」

「だったら、あの約束、使えるんじゃない?」

あの約束。アディの言葉のニュアンスにしばらく悩んだキッドだったが、彼も正解を記憶の中から掬い上げることに成功する。

「あ! ……って、アディ」

「これも、エル君の功績に含まれるよね?」

それは以前、彼らの父親と会話したときの記憶。

彼らの父親であるヨアキム・セラーティ侯爵は、“エルが何かを為したのなら、それを伝えるように”と彼らに頼んでいた。

彼らにとっては、それは今この状況の協力者として頼むには、十分な理由に思われた。

「ラウリじいちゃん、俺達に良い提案があるんだけどよ」

「ほ、キッド? なんじゃろうか」

質問をしてくることはあっても、よもや彼らから提案が出てくると思っていなかったラウリが軽い驚きをあらわにした。

キッドはその事に嬉しさよりも、悪巧みを考えているかのような表情を浮かべて自分達の提案を話す。

「じいちゃん達がコウショウするのって、やっぱ難しいんだよな?

だったらさ、他にコウショウできる味方をつけるってのはどうだ?」

「ほう? 味方……とは誰か当てがあるのかの?」

「セラーティ侯爵」

さらりと言い切ったキッドの言葉に、エルとラウリは更なる驚きを表し、騎操士学科の学生達は疑問を感じていた。

いくらかの事件により双子の素性を知る者はいるが、それは有名な話ではない。彼らはここで有力な貴族の名前があがる事に首を捻っていた。

「……! そうか、そうじゃのぅ……そういえばセラーティ侯爵といえば、確かあの場にもおった。

ならば状況の説明も他の人間よりはやり易かろうし、とりなしを頼むのもありうるの。

じゃが……良いのかの?」

言外に、ラウリは双子の家の事情を問う。

彼らの立場はあくまで庶子であり、かつ実家との連絡は最低限であったはずだ。

ここで父親を頼るような行動を取れるのか、目線だけで問われたそれを、双子は正確に理解した。

「前にエル君、直接会ったのよね? その時に何かあったら教えて欲しいって、言われてたの」

「(なるほどのぅ、あの話を受けてか。ならばまず相談をするのには相応しかろう)」

「そうですか……侯爵が。二人が良いと言うのなら、僕も異存などありません。……皆様は?」

残る学生達はやや意外そうな表情をしていたが、話を振られたところで互いに顔を見合わせた。

視線だけで軽く確認し、大きく頷く。

「俺達も異存はねぇな」

セラーティ侯爵と言えば、国内でも有数の貴族であり、かつ侯爵領はボキューズ大森海と領地を接しているため、幻晶騎士の性能向上に対する理解も大きい。

ここで名前が上がった経緯はさて置き、その助力が得られるのならば今回の話にも大きな力になる事は間違いないと彼らは考えていた。

「では、直接テレスターレを持ち込むのもまずいでしょうし、資料という形で連絡を取るというのは?」

「そうじゃのぅ、その方法でよかろう。ではダーヴィド君には資料の作成を頼めるかの?

キッド君、アディ君、その後は君達の出番じゃ」

「任せてちょうだい! ばっちり渡してくるから!!」

二人は仁王立ちで胸を叩いてそれを請け負う。

問題が解決した安心感もあってか、その様子につられるように全員の間に笑い声が上がる。

そんな彼らの様子を、工房の奥に安置されたテレスターレが静かに見守っていた。

時刻が夕刻を過ぎ日が落ち始めると、街のあちこちでは営業を終えた店が徐々に閉まってゆく。

逆に酒場はこれからがかき入れ時だ。一日の労働を終えた住人たちが食事と共に英気を養うべく繰り出してくる。

ライヒアラ学園街に在るとある酒場でも、いつものように店内に客があふれる時間となった。

客の大半はそれなりの歳をした男性だが、やや隅のほうの席に周囲とはやや毛色の違う人物が居る。

その客は見るからに歳若く、恐らくは20歳は越えていないであろう、学生らしき青年であった。さすがに成人(15歳)はしているであろうが、それでも年齢的には珍しい。

しかし彼はこのような場所も慣れている様子で、その雰囲気は違和感を生むことなく場に馴染んでいる。

彼は隅の方にあるテーブルで、ちびちびとエールを飲み進めていた。

彼が一杯目のグラスを空にしようかと言う頃、彼の向かいに腰掛ける人物が現れた。

ほどほどに混み始めた店内で今まで席を開けていたという事は、明らかに待ち合わせをしていたのだろう。

事実、後から来た男――肉体労働者と思しき、がっしりとした体格の男性だ――は、席に着くと自分もエールを注文してから、学生にニカッと笑いかけた。

「お前から酒に誘うなんて珍しいじゃないか。どうした、学園の勉強が大変なのか?」

届いたエールを一口含み、男はふぅ、と大げさに息をつく。

既に酒を含む学生は酔いが回っているようで、はしゃぐように応えた。

「あー、そうなんだよ、最近忙しくてさぁ」

「はっはっはっ、勉強てなぁそういうもんだ。そいつを越えてお前もいっぱしの大人になるんじゃねぇか!」

「それでもよう、ここしばらくは特にやべーんよ」

互いに酒を含み、陽気に愚痴をこぼす。

騒々しさにつつまれる酒屋の中で、彼らの会話は完全に雑音の一つにまぎれていた。

「ようやく一段落かと思ったら、ちょっと問題がおきてさぁ」

「ほはぁ、学生も大変だな!」

客が声高に語り合っても誰もそれを気に止めない。ここはそういう場所であり、酔っ払いの騒ぎにいちいち注意していては限がないからだ。

そもそも周りも大いに盛り上がっている――見回しても、酔っ払いばかりなのだ。今更うるさい人間が一人増えたところで何が変わろうか。

彼らもそんな酔っ払いの仲間になるかと思われたが、しかし周囲の様子を確認し、自分達が全く注目されていない事を確認すると、突如として声を潜め始めた。

「そうなんだよ! 本当に! …………例のものがある程度完成まで辿り着いたぜ」

「ほう、思いのほか学生も優秀じゃないか」

ざわめきに満ちた店内では、抑えた言葉は周囲まで届かない。

学生の顔は今も酔いにより紅潮し、エールを片手に持った姿はただの酔っ払いに見える。

しかし、彼らの口は明確で冷静な言葉を紡いでいた。

「熱意ってヤツは、侮れないねぇ。

見たところ、この技術自体が元々完成を見越して組み上げられてる節もあるけど」

「詳細は? まさか俺に口頭で伝える気ではないだろうな」

学生はまさかとばかりに首を振ると、何の気負いも無く鞄から紙の束を取り出す。

綴じられた表紙からでは窺い知れないが、そこに書かれているのはテレスターレについての情報だ。

男は隠し立てすることも無くそれを受け取ると、中身も確認せず無造作に懐に仕舞った。

「っんだっかっら! たまには酒でものんでねーと!」

「そりゃあ仕方ねぇな! ようし、今日はお疲れ学生さんに、一つ奢ってやろう!」

「そうこなくちゃあなぁ!」

先ほどまでの雰囲気は既に無く、二人は再びただの客に戻り、酒を酌み交わす。

その場にいる誰もがそんな二人が居ることなど気にも止めず、時間と共に酒場はさらなる喧騒につつまれてゆく。

密かに交わされた言葉の意味を、知ることはなく。

叩きつける様な勢いで落ちてくる雨粒が、王都カンカネンに張り巡らされた石畳の道の上で踊っている。

未明に降り出した雨は、見る間に豪雨となって街を覆いつくしていた。

予想以上の勢いで降り注ぐ雨に、いつもは活発な街の住人達も中々外に出る気にもなれず、街の空気からは活気が抜け落ちてしまったかのようだ。

空を埋め尽くす雲が滑らかに石造りの堅牢な街につながり、両者は一体となってモノクロの景色の中に沈んでいた。

ヨアキム・セラーティ侯爵は、貴族街にあるセラーティ侯爵家の屋敷で外から響く雨音に囲まれ、とある書類に目を通していた。

そこに書かれているのは、これからの世界を塗り替えうる、異質な騎士の姿。

異世界の尖兵とも言うべきその本質とは別に、彼はその存在に否応無く重大な予感を抱かされる。

恐らくそれは“嵐”の予兆だ。これから街を、国を飲み込まんとする巨きな嵐の到来を予感させる、そんなざわめく様な空気だ。

内心を反映してか、彼は机の隅に置かれた小さなベルを乱暴に鳴らす。

常に冷静な彼にしては珍しい行動だが、長年彼に仕える老練な執事は日頃の落ち着いた様子を崩さず、しかしいつもより迅速に執務室へと現れた。

「お呼びでございましょうか、旦那様」

「至急、この書類をディクスゴート公の邸宅へ。確実に公本人にお渡しするように」

「畏まりました。手配いたします」

ヨアキムは書類を執事へ渡し、彼が下がると共にポツリと呟いた。

「ディクスゴード公、これは思ったよりも厄介な事になるやも知れませんぞ」

その呟きは執務室の重厚な扉に遮られ、激しさを更に増す雨音の中に掻き消されていった。