軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

Ep.58 決別

「レオンハルト卿。 他者から『不要』とされるのは、思ったよりも苦しいでしょう?」

セシリアの残酷なセリフに抉られた胸を押さえていた俺に、今度はセオドリックが追い打ちをかけてきた。

緩慢な動きで視線を向けると、彼は相変わらず、あの『人好きのする笑み』を浮かべている。

「あなたは今まで、あまりにも多くのものに守られてきました。 当然のように爵位を得て、当然のように己の思うがままに振る舞ってきました」

セオドリックは淡々と語りながら、供された紅茶を一口味わうと、「ああ、美味しい」と零してウォルターへ礼を述べた。

再びカップに口を付け、横目で俺の姿を確認してから、丁寧な所作でソーサーの上へ戻す。

「考えたことはありましたか? 本来であれば、私にも最初から爵位を得る権利はあったのです。 もちろん、順番が回ってくるかは別として。 ですが、あなたの周囲が、それを許しませんでした」

そう口にした瞬間、セオドリックの顔から『いつもの笑み』が消えた。

「叔父から多少は聞いたのでしょう? 私は生まれてすぐ本家へ引き取られましたが、ずっと『異分子』として育ちました。 それは本家の中だけではありません。 セキトフ領内でもです」

「異分、子……?」

「ええ。 私の容姿はどう見てもセキトフの者ではありませんから。 母のことも知れ渡っておりましたしね」

彼は自嘲気味に軽口を叩き、確認するように自らの一筋の髪を指で摘んだ後、再び『人好きのする笑み』を作った。

⸺⸺ようやく、気付いた。

セオドリックのあの『人好きのする笑み』は、本心や感情を隠す為の仮面なのだと。

一方のセシリアは、こちらの問答など興味がなさそうに、ただ優雅に紅茶を嗜んでいる。

「自分の手の中にある物はあって当然の物で、何があっても失うことはないと思っていたでしょう。 あなたの慢心の結果、すべてが指の間から零れ落ちたのです」

確かに父上が亡くなった後、辺境伯爵位は当然、俺が継ぐものだと信じて疑わなかった。

それに異を唱える者はおらず、高位貴族として、辺境伯として当然の権利を行使した。

……多少、権威を振りかざしていた自覚もある。

「周りにずっと守られ、整えられた道を進んできたあなたにとって、自分の意思が通るのが当たり前だったのでしょう。 だから、意に沿わないセシリア様との婚姻に腹を立てたのです。 ……セシリア様だって、あなたとの婚姻を望んでいたわけではないのに」

自分でも気付かなかった、いや、気付かないふりをしていた核心を、唐突に刺し貫かれた。

胸の奥深くまで鋭利な刃が入り込み、焼けるように痛む。

確かに当時の俺は、ハインリヒが婚約破棄をした『傷物』を押し付けられたことに憤っていた。

破棄の理由を調べれば、その『傷物』は実妹を虐げ、異性にだらしないと囁かれていた。

まさか、ハインリヒがまともな調査もせずに破棄したとは夢にも思わず、噂を鵜呑みにした俺は、初めて目の前に現れたセシリアを直視することさえしなかったのだ。

目の前にいる彼女を見ず、ただ伝え聞いた『悪女』という幻影だけを信じ、俺はセシリアを『不要』と断じた。

それが、どれほど愚かなことかも考えずに……。

「……いつからだ」

「何がですか?」

「……いつから、爵位を狙っていた?」

セオドリックがトレヴァント辺境伯騎士団へ入団したのは、婚姻後に起きたスタンピードの後だ。

セシリアはセオドリックに対し、約二年ほど貴族教育を施したと聞く。

ならば、その貴族教育は一体いつ受けた?

彼は俺の問いに一瞬呆けた顔をしたが、すぐに真意を察したのか、ニヤリと口角を上げた。

「そうですね……。 貴族籍を望んだのは、五年ほど前です。 冒険者ギルドマスターから、私には『貴族』として生きる選択肢がある、と教えてもらえましたので」

⸺⸺五年前。

その数字を聞いた瞬間、俺は驚愕で絶句した。

つまり、セシリアは五年前から俺のことを、そしてトレヴァントの血筋を把握していたということになる。

しかも彼女のことだ。

噂や評判ではなく、徹底的に俺という人間を調査したうえで、準備を進めていたのだろう。

「ああ、誤解しないでくださいね。 セシリア様は「貴族籍や継承権を得るのは可能だろうけれど、当主になれるかは運もある」と仰ってました。 初めからあなたを引きずり下ろすつもりはなかったのですよ」

……それは、セシリアは初めて会ったあの時に決めたということを指し示していた。

目の前の彼女ではなく、『噂』や他者からの『評価』だけで自分を判断した俺を、『不要』だと。

俺は恐る恐るセシリアへ視線を向けた。

彼女は初めて会ったときと同じ、感情の乗らない翡翠色の瞳で。すべてを見透かすように俺を見つめていた。

その視線とぶつかった瞬間、全身から血の気が引いていくのを感じた。

「聞きたいことは以上ですか? セシリア様、何か話し残したことはありませんか?」

セオドリックが話をまとめにかかる。

「いいえ。 婚姻無効の手続きは教会が進めてくださいますから、その魔法契約書の破棄にご署名いただければ、私の用件は終わりですわ」

冷酷な言葉に、もはや痛みさえ感じなかった。

既に心はズタズタに引き裂かれ、感覚が麻痺している。

これに署名をした瞬間、彼女との繋がりは何一つ残らない。

だが、己の愚かな言動で出会った瞬間に切り捨てられていたということを知った今、これ以上縋りついたところで意味がないことをようやく理解した。

促されるまま、俺は小さく震える手で契約書に魔力を込め、自分の名前を記した。

『レオンハルト・トレヴァント』

最後の一字を書き終え、歪んだ署名を眺めると、急激な虚しさが押し寄せた。

署名を確認した黒髪の執事が書類を手に取り、セシリアへ差し出した。

彼女も冷淡に書類を検めた後、再び執事に預ける。

「確かに確認いたしましたわ。 ありがとうございます。 ……では、私たちはこれで失礼させていただきます」

もう用はないと言わんばかりに、セシリアは立ち上がり、背を向けた。

「……セシリア」

膝に腕を突き、項垂れたまま、掠れた声で彼女の名前を呼んだ。

入り口の扉へ向かっていた彼女が、足を止めて振り返る。

力の入らない体を必死に奮い立たせ、俺は顔を上げた。

「……今まで、すまなかった……。 君の、幸せを祈っている……」

絞り出した言葉は『謝罪』と『祈り』だけだった。

『愛している』などという言葉を口にしてはいけないことくらい、今の俺にでも分かる。

そんな権利は、出会った瞬間に自ら捨てたのだから。

情けないほど歪んでいるであろう俺の顔を、セシリアはしばし無言で見つめた。

やがて彼女は、いつも通りの完璧なカーテシーを披露した。

「こちらこそ、お世話になりましたわ」

体勢を戻し、「では、ごきげんよう」と言い残して、彼女たちは去って行った。

パタン、と扉の閉まる音が虚しく響く。

取り残された執務室で、俺の瞳からは、止まることのない涙が溢れ続けていた。