軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

エピソード 5ー5

マリアンヌ覚醒の報告を受け、アリアドネはすぐに寝所へと向かった。

ただし、その足取りはお世辞にも速いとは言えない。マリアンヌとの関係は、決して良好と言えなかった。その事実を今更ながらに思い出したからだ。

いまではその関係がすれ違いの結果だと知っている。けれど、それは様々な証拠がそうであると示しているだけだ。一体どんな顔をして会えばいいのか――と、思い悩んでいる間にもマリアンヌの寝所の前にたどり着いてしまった。

アリアドネは胸のまえで手をぎゅっと握り、大きく深呼吸をした。

(大丈夫。お母様は私を愛してくれている。私を突き放していたのは、私が王位継承権争いに巻き込まれないようにするため。だから、きっと、大丈夫)

覚悟を決め、静かに扉をノックしてから部屋の中に。

けれど――

「……マリアンヌお母様?」

そこには、変わらずベッドに横たわるマリアンヌの姿があった。一瞬、目覚めたというのが嘘だったのかと不安になるが、彼女はゆっくりと目を開く。

「……アリ、アドネ……なのね」

「おかあ、さま……」

擦れた声が零れた。

次の瞬間、アリアドネの足は絨毯を蹴っていた。無意識にベッドサイドに駆け寄り、すがるようにマリアンヌの手を握り絞める。

ずっと眠っていた彼女の手は痩せ細っている――けれど、いままでとは違い、その指先が弱々しくもアリアドネの手を握り返してくれる。

そんな些細なことに、アリアドネの瞳からとめどなく涙が零れ落ちた。

「お母様、マリアンヌお母様……っ」

「あらあら。アリアドネは泣き虫なのね」

マリアンヌの言葉にアリアドネははっと目を見張り、空いている方の手の甲で乱暴に目元の涙を拭う。母に失望されると思ったからだ。

だけど――

「責めている訳ではないのよ。ただ、最近の貴女はとてもその……過激な発言をしていたから、こんなことで泣くのが少し意外で」

「あ、あぁ、そうだったのですね」

マリアンヌが毒に倒れてから、アリアドネは毎日のようにお見舞いに訪れ、その日の出来事をつぶさに打ち明けていた。

それを聞いていたのなら、こうして泣きじゃくるアリアドネを意外に思うのは当然だ。

――と、そこまで考えたアリアドネは、ふと自分が考えたことに違和感を覚えた。その違和感の正体に気付いたとき、アリアドネは涙の代わりに冷や汗を流した。

「お母様……その、もしかして、眠っているときも、意識があったの……ですか?」

その問いにマリアンヌは答えない。けれどノロノロとした仕草で空いている方の手を口元に寄せると、人差し指を唇へと押し当てた。

その儚くも美しい仕草に、アリアドネは思わず息を呑んだ。

(待って。ちょっと待って。まさか、私の言葉を覚えてるの? 私がウィルフィード侯爵を破滅に追いやったことも、回帰前の記憶があることも、すべて……?)

それは色々と不味いと、アリアドネは動揺する。だが、すぐになにをするべきか判断し、さっと合図を送って使用人達を退出させた。

そのわずかな時間に、アリアドネは素早くこれからの算段を立てる。

「――お母様」

「心配しなくても、貴女の秘密を誰かに話すつもりはないわ」

ぴくりとその身を震わせた。アリアドネが心配していたのはまさにそれだ。回帰前の記憶がある。普通なら気が触れたと誤解されるのがせいぜいだ。

だが、相手が信じた場合は、自らの優位性を失う結果になりかねない。

たとえばカルラがその事実を知れば、今以上にやっかいな敵になるだろう。アリアドネがカルラを上回っていられるのは、そこに優位性が存在するからである。

ゆえに、秘密の漏洩は絶対に避けなくてはならない。

だから問題は、マリアンヌの言葉が信じられるかどうか。これまでの状況証拠から、マリアンヌがアリアドネを愛していることは間違いない。

だが、マリアンヌがどのような未来を思い描いていたかは不明だ。

(私とジークベルトを縁付かせる計画を立てていた可能性だって否定できない)

腹違いの兄妹だが、政略結婚の対象にはなり得る。生き延びるため、あるいは真の王族の証を取り込むためという理由のまえには、近親婚など些細な問題でしかない。

だから――と警戒するアリアドネに、マリアンヌは寂しげに微笑んだ。

「アリアドネ。貴女が警戒するのも無理はないわ。許してくれとは言えないし、信じてくれとも言えない。だから、必要だと思うことをなさい」

「え? それは……っ」

脳裏によぎったのは、マリアンヌの口を封じるという選択肢だ。

心神喪失を理由に幽閉。あるいは、ここで彼女を殺してしまえば、自分の秘密が漏れるという心配はなくなる。

だけど――

「そんなこと……出来るはずがありません」

アリアドネは力なく、首を横に振った。

「あら、どうして? 貴女は、自分の敵には容赦なく振る舞ってきたでしょう?」

「お母様は、敵じゃ……ありませんから」

かつては、マリアンヌが自分を捨てて、この世界から逃げ出したのだと思っていた。だけど、回帰を経たアリアドネは、それが間違いだったことを知った。

マリアンヌがどのような手段を執ろうとしていたのかは分からない。だが、一つだけ確実なのは、彼女は自分の命と引き換えにしてでも、アリアドネを護ろうとした事実だ。

「……そうね。私は、貴女のためを思って行動をしてきた。でも、それが必ずしも貴女のためにならなかったことをいまの私は知っている。だから許さなくても、いいのよ」

「――そんなこと、言わないでください!」

回帰したあとのアリアドネがマリアンヌと言葉を交わしたのは、彼女が暗殺者に襲われて毒に倒れるまでに交わした、一言、二言だけだ。

それでも、だからこそ、母の愛情に焦がれる想いは消えていない。

「お母様、私の味方になってください。お母様の考えを押しつけようとするのではなく、ちゃんと私と対話して、その上で私に力を貸してください」

自分の思い描く未来を一緒に目指して欲しいと、母の手をぎゅっと握る。それに対し、マリアンヌは少しだけ複雑そうな表情を見せた。

「……私が頷いたとして、貴女はそれを信じられるの?」

「お母様が約束してくださるのなら信じます」

「裏切られるかもしれないのに?」

「それくらいの覚悟はしています。でも、お母様も忘れないで。もしもお母様が約束を違えたなら、そのときは――」

(私はきっとお母様を殺すわ)

裏切り行為は悪だ。

けれど、裏切られたことに対する責任は信じた者にある。

少なくとも、アリアドネはそう考えている。だから、マリアンヌが裏切り、味方に被害が出た場合は、アリアドネはその責任を取るつもりだ。

それだけの覚悟を持って信じると口にした。

だが同時に、そんな風に考えている自分を嫌悪する。そうして唇を噛むアリアドネの手を、マリアンヌがきゅっと握り絞めた。

「意地悪な質問をしてしまってごめんなさい。私はただ、貴女の覚悟を知りたかっただけ。だから約束するわ。貴女を決して悲しませないと」

「……お母様? 本当、ですか……?」

信じられるのは利害関係だけ。

普段からそんな風に断じるアリアドネが、本当かなどと口にした。年相応の甘えた言葉に、マリアンヌは小さな笑みを浮かべた。

「それが貴女のためなら迷うことはないわ。だって、貴女はたった一人の娘だもの。いままで、たくさん傷つけてごめんなさい。誰がなんと言おうと、私は貴女を愛しているわ」

「私も、私もお母様を愛しています」

「……そう。ありがとう……」

マリアンヌはそう呟いて目を閉じた。わずかに動揺するアリアドネだが、すぐにマリアンヌの胸が上下していることを確認して安堵する。

「……いまはゆっくり休んで、体調を回復させてください」

眠りに落ちたマリアンヌを見守りながら、アリアドネは穏やかな笑みを浮かべた。

それから、マリアンヌの看病をする日々が続く。そうして数週間が過ぎたある日、ジークベルトが反転攻勢の準備を整えたとの報告が入った。