作品タイトル不明
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「えっと、一応取ってきたけど・・こんなのどうするのよ」
洗濯場で借りたらしい、タライ一杯に松の若葉を入れてこの公爵家の御令嬢はヨタヨタと温室に戻ってきた。
エロイースが魔術院に入る事を大反対した公爵と公爵夫人には、理由があっての事である事は明白だ。
ベスは酩酊状態であった事にすら、気がついていないらしい。
どうやらエロイーズの言葉で正気を取り戻した様子だ。
「ありがとうエロイース様」
そうエロイース答えた。
そしてエロイースが取ってきた松葉をベスは鷲掴みすると、間髪入れずにベスは、バラバラと神仙ユリの種に落とした。
「おい!ベス!」
魔術院奥の何重にも魔法の錠をかけた特別な箱の中に厳重に管理されていた、貴重な種だ。
保存していた容器の内側には、外部の振動すら与えないように特殊な繊維で作られた布すら貼られていたほどの、厳重な扱いを施していた。
殺菌処理も何もしていないただの道端の黒松の葉を投げ入れるなど、ベスの急な狼藉とも見える振る舞いにノエルは狼狽えるが、
「この子は目覚めた時の最初の呼吸に、松葉の青い香りでないと、思い切り深呼吸しないらしいです」
そう真剣な顔をしてベスはノエルに告げた。
「何を言ってるんだベス?」
ベスはあまり説明がうまくない。
横でうーん、と、自白魔法で少しだけ見えた世界を体験しているからか、ノエルよりも先にベスの言葉を咀嚼したらしいナーランダが、深いため息と共になんとか解釈を捻り出してきた。
「そう・・だね。ツンドラ地帯は深い針葉樹の森だ。そこに生息する竜たちも、好んで松の葉を食するという。神仙ユリの健やかな発芽に、生息地域に存在する松葉からの空気中の微量の摘発油が不可欠なのかも、ということなのかもしれない」
いく人もの賢者が試してきた神仙ユリの栽培方法のどの方法にも記されていない方法だが、ベスの言わんとしている事が、ナーランダにはなんとなく飲み込めた。
「わかんないです」
ベスに難しい事を説明しても、大体答えはこれだ。
苦笑いしてナーランダはベスの頭をポンポンと撫でて、ごめんね、難しかったよねと謝る。
ベスは何かを確信しているかのようだった。
ずっと無言だったエズラが、深い長考の末にようやく口を開いた。
「…つまり、赤ん坊の最初のうぶ声と一緒だという事だな、ベス」
ベスが弾けたような笑顔を見せる。
「そうです! さすがエズラ様ですね」
「エズラ老師。どういう事だ」
エズラはベスの言いたいことを何かを理解したらしい。
ノエルは、エズラに説明を求めた。
ベスに説明をさせても、ノエルに理解ができる言葉が返ってくることは稀なのだ。
「ノエル様。人の子も魔獣の子も、母の体から生まれる命は、生まれて最初の呼吸で水の世界の生き物から外の世界に生きるために、エラ呼吸から肺呼吸に体の仕組みが一瞬で変わる事はご存じでしょう?あれは生き物の奇跡だとワシはいつも魅せられているのじゃが」
人体の錬成術の研究でも知られるこの古老は、ため息をついた。
「植物だって、発芽の最初の呼吸がうまくいかないと、種の状態という休眠の世界から、成長の段階にうまく切り替わらずにひ弱な個体になる。そして、この種が最初に呼吸するのに深く深呼吸するためには、松の良い香りに囲まれる必要があった。そういう事だな、ベス」
「そうですよ! 命の始まりの、最初の深い呼吸は大事です」
ベスはそう言うと、愛おしそうに黒松の葉に埋まった種を見つめた。
「そういえば、ベスのお風呂にはユーカリの束が掛けてあって、お風呂をかりて入るといい香りで充満するものね。香り誘われて、思わず思い切り深呼吸しちゃう」
心配そうに事の成り行きを見守っていたエロイースがそう発言をした。
「きっと松のいい香りで、思わず種も深呼吸してくれるわ」
二人の若い娘は微笑む。
ストレスによる浅い呼吸が起因で、ひどい頭痛に悩んでいたエロイースだが、最近調子が良いらしい。
ベスの良い香りがするお風呂をよく借りているからかと、ノエルはなんだかベスの部屋の風呂まで借りて、芯から癒されているらしいエロイースの立場が心から羨ましくなる。
(朝から晩まで、ベスが横にいてくれたら)
「たくさん焼いたんですよ。せっかくだし食べましょう」
そうベスは言って、満面の笑顔で先ほどロドニーの為にと持ってきていたマフィンを皆に渡してくれた。